第10話 少女(二)
ただし、当然本人がそれを望んだら、の話だったが。
目の前の嬉しそうなアシュリーを見て、ゴーシュは少しだけ口の端を持ち上げた。
「じゃあ、ここのごみ、外に出してくるね」
「え? あ、いやそれはオレが」
出す、という前に、アシュリーはごみ袋をひっつかみ裏口の扉をくぐっていた。
「……無理していないといいんだが」
ゴーシュの心配は当たっていた。アシュリーは頑張って平静を装ったのだ。
まだ生々しく思い出すあの魔獣の生臭い吐息。埃が立ち上り、壁かなにか硬いものが壊れるガラガラとした音。自分たちをすっぽりと覆った大きな影、血に染まりきった口から覗く牙、それに……犠牲者の空気を引き裂くような最期の悲鳴──。
そう簡単に忘れられるものではない。後ろ手に扉を閉め、外に出たアシュリーはごみ袋を手に暫く俯いた。
弟にもおじさんにも、お使いの為にも心配はかけられない。ドキドキして死にそうな目にあったけど、結局怪我という怪我もしてないし、今ちゃんとこうして生きているんだから大丈夫。あんな化け物、毎日でてくるはずもないもんね。守護隊の皆さんが次は無いように今度こそ守ってくれる。きっと大丈夫。そう、もう平気。
微かに震える手にぎゅっと力を入れて、自分に言い聞かせようと何度も反芻する。平気、大丈夫と。
そうして、ぱっと伏せていた顔を上げた。いつものようにするのが一番だと、手にしたごみ袋を外のごみ箱に捨てに向かった。
外はまだ薄暗く、歩いている人もなく、ちらほら点く街灯が街を照らしているだけで、とても静かだった。
がちゃり。
と、近くから扉の開く音が聞こえた。その一瞬でざわざわと人々の騒ぐ声がそこから漏れた。近くにある飲み屋からだったが、あまりにも静かな中での喧騒だったので、アシュリーはふと視線をそこに向けた。
飲み屋の裏口が開いたようだったので、同じように誰かごみ捨てにでも出たのだろうと思った時だった。
「……いいから! ごちゃごちゃ言うな、早くやれってば!」
きっと誰にも聞かれたくなかったのだろう。押し殺したような女の声がした。残念ながらアシュリーの耳には届いていたが。静かな明け方、まだ誰もがベッドの中で微睡む、鳥も鳴かない時間帯。昼の喧騒では聞こえない声量でも今は違った。
しかし声の主はそれに気付かないようで、かなり焦って誰かに何かを急かしていた。
「こんな時間にこんなとこ、誰もいないってば。大丈夫だから早くっ」
「……」
相手の声は聞こえない。
アシュリーはごみ箱の蓋に手を置いたまま、今開けるかどうか躊躇った。きっとあちらの声が聞こえるように、こちらの音も向こうに聞こえるはず。誰もいないと思っているみたいだし、どうしよう。驚かせちゃうかな、気にしなくてもいいのかな……と。
「分かった、ドアから離れる」
あ、来る。
何故かアシュリーは反射的にごみ箱の陰に隠れた。
あれ、なんで隠れたんだろう、と思ったが今更じゃーんと現れたら、それこそ驚かせてしまう。自分の行動に首を捻りながら声の主がどうしたかと陰から顔を覗かせた。
飲み屋の裏口からその声の主らしい人が姿を見せた。灯りが別のものに交換されたと聞いていないはずなのに、同じ灯りに照らされているとは思えないほど輝いてみえる人がそこにいた。
きらきらと光る肌、整った横顔は目が離せぬほど美しく、後ろで一つに結んだ髪は橙の明かりに艶やかに揺らめく。思わずかあっと顔が火照る。いやいや、女の人だよ。アシュリーは自分に弁明した。
「え」
ぷるぷると首を振っていたところに、世界が一瞬だけ白み、アシュリーの目が眩んだ。
「よしっ」
かしゃん、と金属音が聞こえた。咄嗟に目を瞑ったアシュリーだったが、そうっと薄目を開けてその後の光景にすぐに目を見張った。
─────
「ほうら、お姉さん、乾杯!!」
もう何杯目だろうか、そして何度目の乾杯だろうか。店の中は一人の女を中心にして、ひしめき合うほどの人の数だった。
この店にこんなにも客が入ったことがあっただろうか。自虐めいたものを店主が呟くのも無理はなかった。今日の夕方、何十年も壁を越えてこなかった魔獣が、中央広場辺りに現れたらしい。この街に住むほとんどの人が姿も見たことがなかったものが、突然に。
この多くの客はその魔獣を退治してくれた人物へのお祝い?だったか、いや打ち上げだったか、兎に角どこから沸いたのか大勢で騒いでいた。単に美人と飲みたいだけという方がまだしっくりくるが、それにしても座るところも無いほどの数だ。
魔獣の噂は絶えずあった。
国境からこの街の間にあるのは幾つかの小さな村で、行商人が商売がてらその村々から仕入れてくる色んな噂。隣国では未だに魔物が人前に姿を見せていること、その頻度も多いこと、見晴らしの良い街道でさえ遭遇したり、小さな集落なら群れで襲ったりもしていること。
そんな魔獣撃退から大きく遅れている隣国とは、間にある険しい山脈が国境代わりだった。この山脈があるからこそここまで決定的な差があるのだろう、というのがこの国、この町の人々の認識だった。
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