第2話 少女
いつか誰かが言っていた、〝あれ〟は本当のことなのだろうか。
──世界を巡る血煙が幾度目かの旅を終えたその瞬間、この世はすべて灰燼に帰す──神の門は開かれずとも──
ざりり、ざりり。
大きな剣が地面に、自分の存在を刻み付けながら動いていた。担ぐ者の姿をすっぽりと覆っており、後ろから見ると剣が自ら動いているようにしか見えない、それは大きな剣だった。この剣を振るう者はさぞや屈強な大男であろうとしか想像できない大剣。
だが真実は真逆をいく。
剣の前に回ればそこにいたのは、鍛えた体の大男ではなく、まだ十二、三かそこらの少女だった。
まるでひとりでに剣が動いているようにしか見えないので、道の後から来る人があれば、確実に肝を冷やしたところだろうが、山道であることが幸いしてか、この場にはこの少女一人きり。前後見える範囲で行き交う者は誰もいなかった。
はぁはぁと漏らす息遣いも、か細い少女ゆえにさほど大きくもない。歩みの遅さと滴り落ちる汗の量が疲弊度合を暴露しているようだ。
どこから歩き続ければそんなに疲れるのか。不釣り合いな大きさの剣を担ぐ以外にも少女の恰好がその疲労にひと役買っているといえた。
なにせ担ぐ剣より頭一つ分低い少女は、上着のフードを脱いでいるにも関わらず頭の半分は見えなかったし、身をくるんだマントもぶかぶかで、チュニックのような服は通常腰辺りまでのものだが、少女が着るのは裾が踝あたりまであった。歩く度チュニックのスリットからちらりと見えるに、中にはこれまた大きめの長ズボンを履いているようでもあった。袖は幾重にも折り曲げてあるのに両手とも指の先がほんの少し見える程度で、足には大きすぎて歩きにくそうなブーツサンダルを履いている。
何もかもが少女に対して非常に大きかった。
「お、おなかすいた……」
蚊でも鳴くようなか細い声が少女の喉を通って外に漏れる。
「ごーゆ……するんじゃ、なか……た」
どこぞでの出来事を悔やんでいるような呟きだ。高い位置で結んだ煌めく白金プラチナの髪が、力なさげに揺れては何本か汗に捕らわれて首に張り付いていく。こんな時はそれすら鬱陶しいもので、少女は纏わりつく髪を片方の手でばさばさと乱暴に払った。とにかくご飯が食べたい、と蒼白い顔でぶつぶつ呟きながら厚みのない財布をポケットの中で握りしめていた。
そろそろ倒れてもおかしくないと傍目にも分かるほど、少女の身体がふらつき始めたころ、風が白い肌を撫でがてら鼻に微かな匂いを置いていった。すん、と嗅いで、少女の目に生が戻ってきた。
「これは」
あいつだ。
少女の透き通った緑玉の瞳がきらきらと輝く。
「お金の匂いっ!」
先ほどの疲弊っぷりのどこにそんな力が残っていたのか、風が連れてきたその匂いを追って、少女は脱兎の勢いで走り出した。心なしか背の大剣も邪魔にならないように身を縮こまらせたように見えた。
「あっれ〜」
思うところに到着したはずなのに、いると思ったものはいなかった。少女は辺りを見回した。足元の土が馬車の轍の跡に盛り上がって残っている。数日前の雨のすぐ後に通ったのだろう。
ふと、道脇に視線をやると、少女は躊躇いもなく生い茂る叢の中に足を入れた。
そして、それはすぐに見つかった。道のすぐ横から放り込まれた、隠す意図も見えない全体的に赤黒っぽいもの。
ぼろぼろの、服と思しき布切れに包まれたそれは、顔の判別もつかない──。
「……女?」
少女の眉間に皺が寄る。
足元に落ちていた木の枝を取ると、それで死体をひっくり返した。通常であれば木の枝でひょいとなんて人間をひっくり返せるはずもないのだが、髪も身体も服も、全てが赤黒く染まったそれは、極端に厚みがなく、まるで中身は内側から出てしまったかのように薄く、難なく転がり背中を見せてくれた。
下になっていた側のぶよぶよとした触感に眉間の皺をさらに深くしながら、少女はそのぱっくりと縦に裂けた背中を見つめた。
「……間違いない」
その唇の端が少しだけ持ち上がる。
「今幾らかな〜」
「うわぁ、ちょっと遅くなっちゃったなぁ」
アシュリーは急いでいた。荷物が多いせいで軽快に走ることができず、小走りに、ちょこちょことしか進めなかったが。頬袋に木の実を入れられるだけ入れた栗鼠リスが、安定を失いふらつくさまのようなそんな感じの走り方。
日暮れ近く、目指す目的地はもう少し先だった。
こんな時間になったのは、お使い先のおかみさんの話が面白すぎたからだ。それはもう凶悪的に。なにせ彼女は有名な元冒険者、あちこちの土地での逸話に事欠くことはないのだ。毎回行く度に違う話をしてくれて、物語好きのアシュリーが後で持ち帰る荷物の重さを差し引いても自らお使いを買ってでるほど楽しみにしているものだった。
今日は特にアシュリーの興味を惹く話だったがゆえにもっと聞きたくて、そろそろ出た方がいいのではというおかみさんの忠告を、あとほんの少しだけと何度も繰り返し、結果こうして走る羽目になった、というわけだ。
着く頃には間違いなく叱られる時間になるのではあるが、アシュリーの顔は聞いた話を反芻するたびににやにやし、叱られることを思い出しては眉根を寄せた。そうやってくるくると表情を変えながら、休むことなく小走りに帰り道を進んでいく。
日暮れに道の脇で点灯夫が街灯にぽっぽと灯りを灯していくのが見えた。
「うわ!」
もう街灯が点く時間なの?!と声が出た。若い娘が連れもなくそんな時間に外出しているのは好ましくないと、更に輪をかけて叱られちゃうやつだ。もしかしてもしかすると次回のお使いに出してもらえなくなっちゃうかも。
考えて身震いする。そんなことがまだアシュリーは怖いと思っていた。
ふと、店を後にするときに見送ってくれたおかみさんの言葉が脳裏を過ぎる。
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