ふくしゅう

みにぱぷる

1:芸人

1


「牛乳のネタやぞ」

 佐々木優は相方の西田陸斗に言った。西田はこくりと頷き

「準備は万端。いつでも戦えるさ」

 と笑った。西田は励ますように佐々木の肩を叩き、佐々木も応じて強く頷いた。佐々木にとっても、西田にとっても、牛乳のネタは自分が作った過去一のネタ、最高傑作だ。バーコードの史上最高のネタだ。ウケないはずがない。これで、ついにバーコードもS1グランプリ決勝の舞台へ行ける。

 

 「バーコード」は、佐々木優と西田陸斗の二人からなる結成6年の漫才師で、毎年準決勝へは進めずにいたが、2022年、悲願の準決勝進出を果たした。

 ツッコミが佐々木優。ネタを作るのは主に佐々木。佐々木がネタを提案して、西田がそこに修正を加えていきネタを完成させるというやり方を結成当初から変えずに続けてきた。佐々木は相方西田陸斗の3つ年下。大学生の頃は漫才サークルに入っていた。佐々木が漫才に出会ったのは中学生の時。偶然テレビで見た漫才が、その時特に趣味も何もなかった佐々木に刺激を与えたからだった。しかし、すぐには漫才にはハマらなかった。だが、時が経つに連れ、どんどん漫才にのめり込んでいき、ハマってからは、好きな芸人から普通の芸人まで、様々な芸人のライブに行き、沢山のネタを見るようになった。そうして、いつしか、佐々木の夢は最高峰の漫才師を決める大会、S1グランプリで優勝することになっていた。

 そんな佐々木は友達経由で今の相方西田と意気投合した。

 誘ってきたのは西田の方からだった。お前と歴代最強の漫才師になりたい、そう強く誘われ、佐々木は承諾して結成する運びになった。

 佐々木は大阪生まれの大阪育ち。関西弁のツッコミで場をしっかり盛り上げられる。一方、西田は、東京生まれの東京育ち。完全な標準語を話す。そんな二人だが、佐々木がツッコミで、西田がボケ。東京育ちの発するボケに、関西弁でツッコむしゃべくり漫才がバーコードの持ち味だ。

 バーコードという名前は佐々木が名付けた。なんだかバーコードの縞々が、自分たちのネタの雰囲気にあっているように感じたからだ。自分たちのややチグハグだが、息のあった感じが。西田もその名前を気に入ってくれた。

 結成初年からS1グランプリに挑むも、3回戦敗退、2回戦敗退、準々決勝敗退、準々決勝敗退、準々決勝敗退、となかなか伸び悩んだ中での結成6年目。ついに、準々決勝の壁を破り、準決勝進出を成し遂げたのだ。準決勝を突破すれば、次は決勝、それを突破すれば優勝だ。準決勝で敗退しても敗者復活はあるのだが、敗者復活は人気投票的側面も強い。一般投票でひと組が復活するという形式だとどうしても、お笑いに詳しくない人が有名コンビに入れてしまい、無名コンビの復活チャンスは薄れてしまうのだ。なので、基本有名なコンビが決勝に行ってしまう。つまり、決勝に行くためには、絶対にこの準決勝を勝ち上がらなければならない。

 しかし、準決勝に出ること自体に結構な意味があり、準決勝進出だけで有名になった芸人も一定数いる。それだけ重要な戦いが目の前に控えているのだ。

 

 西田は緊張していなかったが、佐々木は激しく緊張していた。手は震えていた。ネタが飛ばないか不安で仕方なかった。だが、そんなことを気にしてはいられない。

 佐々木の緊張を若干ほぐしてくれたのは、親や恩師からの激励の言葉だった。

「お、佐々木やん。バーコード、今年期待してるで」

 興奮を沈めるため、廊下でお茶を飲んでいると、もうネタを終えた先輩芸人たちが通りすがりに声をかけてくる。

 当然、準決勝となると知名度の高い漫才師たちが多くいる。決勝進出経験のある者も多数いる。さや高に、ユカポスター、パパタルトといった決勝進出有力の芸人たちが声をかけてくれると嬉しくもなるが、逆に緊張してしまう。

「噛むのだけはやめてくれよ」

 西田がニヤリと笑う。準々決勝で佐々木が二度噛んだ言っているのだろう。

「大丈夫、あの後、アメンボ赤いなあいうえお百回言った」

「あ行だけじゃ意味ないぞー」

「噛むよりマシや」

「ちょっとトイレ行ってくる」

 西田は足早にトイレの方へ走って行った。彼は緊張していないようだ。緊張でずっと全身が震え、さっきも蓋を開けっぱなしで持っていたほぼ満タンのペットボトルの水が手の震えで跳ねて水滴が何滴か溢れてしまった。そういった出来事自体が佐々木を不安にさせる。胸に手を当てて、自分を励ます。大丈夫、準々決勝ではウケた。同じネタだから行ける、ウケるはず。ミスをしても西田が助けてくれるはず、多分。

「おーい、ライバルー、佐々木ー緊張してんのかー」

 佐々木が振り返ると、親友のジクウが笑って立っていた。ジクウは同い年で、大学の漫才サークルで仲が良かった親友。大学の頃は、二人でコンビを組んでいた。プロになった今でも頻繁にライブを一緒にする仲だ。当然、彼の名前、ジクウというのは芸名だ。

「お前はまだなん?」

「俺らの番はお前らの2個後かな。え、お前は誰の後にネタやるの」

 ジクウは余裕そうだ。

「それが、最悪やねん。木製バット」

「うわー、それはだるいな。今年最終年だし、ゴリゴリに面白いネタ仕上げてくるだろうしな。結構会場の雰囲気持ってかれるかもな」

 最終年、というのは、S1グランプリの出場資格には結成15年以内でなければならないというルールがあるからだ。

「お前緊張してるな」

 佐々木の指が震えているのに気付いたジクウが言った。佐々木は苦笑いして

「西田は緊張してないんやけど、俺はやっぱ。励ましの言葉は色んな人から貰ったけどな、やっぱ緊張するわ。ウケんかったらどうしようとかより、失敗したらどうしようっていう」

「まあ、俺もそうだったよ。俺も初めて準決勝に出た時は死ぬほど緊張した。心拍数上がりすぎて、まじやばかった」

 彼は売れっ子芸人で、お笑いコンビ「クズノロマ」のツッコミ。クズノロマは昨年も決勝進出をし、決勝で5位という堂々たる活躍をした。それ以前にも何度か決勝に行ったことのある実力者だ。結成した年はバーコードと全く同じなのに戦歴には明らかに差がある。特にジクウのツッコミの才能はピカイチで、お笑い界でもトップレベルのキレ味を持つ。ネタを作ってるのも彼で、ネタの安定感もピカイチだ。ダブルピカイチでバラエティ番組にも結構出演している。そのため結構忙しいのだが、その中でもしっかりネタを仕上げてくるぐらい、とにかく漫才に、S1にかける思いが強い。

「相方は?」

 佐々木が尋ねると、ジクウは

「ネタ前に美味いもの食べたいとか言って、どこかに行った。まあセブンにでも行っているんだろうな」

 と標準語で説明する。彼は関東人で、標準語。彼の相方も関東人だが、数年前に天下の笑いの台所である大阪に修行にやって来たのだ。近年では、関西で売れた芸人がもう一花咲かせるために関東に行くことが多いので、クズノロマはやや例外的である。しかも、わざわざ修行に来なくても結成一年目から十分やれていたように佐々木には思えるので、妙に差を見せつけられているような気がして複雑な思いだ。

「俺らは本気でS1優勝する。お前もそれぐらいの心意気できてるよな」

 ジクウは力強くそう言う。

「そりゃあそうだろ。一応お前のライバルなんだからな」

 ライバル、であるはずなのだが、正直ジクウと佐々木の間には明らかに隔たりがある。

「ま、決勝で熱い勝負したいなー」

 彼は飄々とした様子だ。表情は珍しく引き攣っているが、S1への緊張はほとんどないのだろう。いや当然の話だ。彼らは決勝に出れるか出れないかの勝負ではなく、優勝するかしないかの勝負だ。

「バーコードさーん、舞台袖で待機してください」

 廊下に大会役員の女性がやって来て言った。

「いよいよや」

 佐々木は緊張する自分に向かって言う。

「そういえば、西田は?」

 ジクウが思い出したように言った。

「トイレやろ」

 去年も一回戦で同じようなことがあった。西田が呑気にギリギリまでトイレにいっていたのだ。あの時、どれほど佐々木は焦ったものか。

 もう慣れているので、その時同様、佐々木は舞台袖に先に向かった。役員の女性には、彼はトイレです、と伝える。

 佐々木の脳裏では三年前の準々決勝のことがぼんやりとまるで楽しい思い出であったかのように浮かんでいた。三年前の準々決勝で、バーコードは大滑りをかました。ジクウに、そのネタで行ったら滑るかもしれない、別のネタで行け、と直前まで散々言われといて、その忠告を無視しての敗退だった。正確には、佐々木はジクウのその助言を受け入れて、別のネタで勝負しようと考えたのだ。しかし、西田が猛反対した。西田は、僕らのコンビだから僕らで決めよう、そう言ってきたのだ。西田の方が歳上であったからかは覚えていないが、佐々木は西田のその提案に乗り、結局敗退した。多分、バーコードが成長したのはあの年からだろう。結果的に、西田の発言が佐々木を強くした。他人に頼ってばかりの芸人がS1で優勝することができるか。二人で話し合えるというのがコンビの利点だ、他者に助けを求めてどうする、まずは自分たちで協力しあうべきだろう。そのような考えが佐々木の根元に定着した。

 そして、ついに準決勝と考えると、あの三年前の敗退は、今日のための伏線であったかのようにも思えてくる。

 舞台袖に着くと、嫌でも緊張して手が震えてきた。初の準決勝の舞台。ウケるかウケないか以前に、妙な高揚感と不安が共存しており、その相反する感情が響き合って体を震わせてくる。

 準決勝の舞台にも慣れているジクウは、幾つか準決勝でうまくウケるコツを教えてくれた。そのコツを思い出しながら、興奮する自分を落ち着ける。

「結成15年、木製バット」

 名前のコールと、漫才の出囃子には似合わないS1準決勝のテーマ曲である激しい曲が流れて、出番順一つ前の木製バットの二人が舞台上に行く。そのベテランの背中を見ながら、佐々木は改めて緊張してしまった。強敵に立ち向かっていくということを再認識して若干恐怖に駆られたからだ。

 ウケるはず、大丈夫なはず、単独ライブでは、牛乳屋のネタが結構ウケていたから、大丈夫、と必死で自分に言い聞かす。

 決勝に行く。西田と共に栄冠を手にする。その思いは結成当初から変わらない、いや年々強くなっている。

「どうも、木製バットです」

「はい〜お願いしますー」

 木製バットの声が聞こえてくる。

「俺さ、芸人辞めるんよ」

「おい、キャラに合わないこと言うなや」

 観客の笑い声が聞こえてくる。笑い声を聞くと、どんどん緊張してしまいそうなので、佐々木は耳を塞いだ。しかし、塞いでも声は聞こえてくる。

「俺、芸人辞めてやりたいことあるんよ」

「あんたが芸人辞めたら俺はどうしたらええねんな。俺ピン芸人みたいなメンタル強いおっちゃんの間で揉まれるの無理やで」

 また小さな笑いが起こる。会話の節々で笑いが聞こえてくるあたり、流石結成15年目のベテランコンビだ。

「俺芸人辞めたら、牛乳屋やりたいんよ」

 佐々木はそれを聞いた瞬間は、無心になり、数秒して意識が戻ってから、がっくりとその場に跪いた。袖で待機していたバーコードの次にネタをするコンビが驚いたような目でこちらを見ている。

 ネタ被り。これほど辛いものはない。ネタが被れば、会場にいる客は、またこのテーマか、と思ってしまい、集中力は若干の低下、そして既視感によりウケ量の低下は避けられなくなる。

 今から、牛乳のネタはやめて、別のネタを使おうか。しかし、自信作は牛乳のネタで、このネタで、準々決勝で確かな手応えを感じたのだ。決勝進出のチャンスを掴むには、牛乳のネタをやるしかない。多少のウケ量低下と審査員のイメージ低下は諦めるしかないのか?

 こうなったら、自分より慣れている西田に判断をしてもらおう。そう思ったが、西田はまだトイレから戻って来ていなかった。佐々木は段々苛立ってきて、貧乏ゆすりをする。

「乳搾りをしたいってことやな?」

「お前、S1のお客さんと審査員舐めんなよ」

「何がやねん」

「下ネタで笑いを取ろうとするんちゃうぞ」

「乳搾りのどこが下ネタやねん」

 笑いが起こる。佐々木はさらに焦らされる。

「とにかく、牛乳屋をしたいねん! 話はぐらかすな!」

「なんで俺怒られた」

 また笑い。

「早朝でも、早く起きて牛乳瓶を配る、あんな大変な仕事をしたいねん」

「お前、そっちの牛乳やなんか。あんな仕事今はもう死語でっせ。あと牛乳やって何や」

 拍手笑いが起こった。

 終わった、佐々木は眉間を押さえた。今にも涙が出そうだった。それは拍手笑いが聞こえて緊張が増したからではない。木製バットとネタだけでなくボケまでも被ったのだ。もうこうなってくると牛乳のネタは使えない。あるいは、今のボケをカットするか。でも、そうすれば後々の伏線に若干の影響が出てしまう。ネタ全体が変わってしまうので、カットは難しい。

 そして、中々西田は姿を現さない。全てが佐々木のストレスとなっていく。


2


「いやボケが秀逸だな」

「それ言っちゃおしまいだ。どうもありがとうございました」

 拍手の中で、パンダと砂島の二人は舞台から捌ける。

「うまくいったな」

 パンダが、袖に置いていたペットボトルのお茶を飲みながら言うと、砂島は

「初の3回戦進出いけるかなぁ」

 と気のない返事をした。

「めっちゃウケたのに敗退することも結構あるから、油断はできないだろうけど」

 パンダはペットボトルのお茶をゴミ箱に投げ捨てる。

「3回戦はどのネタで行く?」

「いいネタは準々決勝に取っておきたいしな。どれにしようかなぁ。まあ2回戦と同じでいい気もする」

 そんな会話をしながら、2回戦のホールである『令和関西ビッグホール』から出る。

 「オセロリバーシ」は結成4年目の漫才師。パンダと砂島の二人の織り成す関西弁の会話で笑いを誘うネタに定評がある。

 去年になって、ちょっとずつ頭角を表していて、『若手本格派完全しゃべくり漫才師』という長い看板をぶら下げて、準決勝進出経験のあるまずまず有名な芸人のライブや、知名度の低い深夜の漫才番組などに出演して徐々に仕事を増やしている。しかし、正直殆ど稼げていない。芸人としては稼げておらず、お互い週五のバイト頼り。ライブの収入は少なく、昔から仲の良い芸人のライブには呼ばれるもののそれぐらいで、当然単独ライブを開けるご身分ではない。

 互いに漫才以外にすることなどなく、漫才とバイトだけの生活だ。

 『令和関西ビッグホール』の前に公園があり、二人はその公園のベンチに腰掛けた。

「ちょっとほっとしたなぁ、ある程度ウケてくれて」

「稼げてる人は平気であれぐらいウケるんやろうな」

「人に笑ってもらって、それで金も稼げたら、正直最強の職業だよな、芸人って」

 パンダは、大声で笑いはしゃぎながらブランコで遊ぶ小学生たちを、ぼんやりとみつめる。

「金も稼げたら、な」

「俺らもちょっとずつ食えるようになるはずや。前のアメリカンス主催のライブでもまあまあウケてたし、ちょっとは好きになってくれた人もいるんちゃう?」

「まあまあな。でも、もっとウケな。単独ライブもできない身じゃ、食っていけない」

 砂島はどこか寂しそうに言った。砂島は基本的に保守的な意見が多いが、漫才に対する熱意は十二分にある。

 パンダが砂島と出会ったのは、インターネットでの、相方募集掲示板。しゃべくり漫才をしたいという点と、年齢が一致して、即結成ということになった。出会いがインターネットであることもあって、パンダは砂島のことを殆ど知らない。当然、相方であり、仕事仲間である。

 出会いはインターネットだが、互いに漫才熱は強い上に見ている方向性も一致しており、結構長い時間一緒にいる。ネタ合わせ以外でも二人で遊びに行ったり(本当に質素な旅行だが)もする。そんな関係なので仲もよく、親友だ。でも、砂島のプライベートは知らない。砂島の最寄駅ぐらいは知っているが、彼の趣味や出身地は全くわからない。そんなものないようにも、パンダには見える。

「3回戦のネタ合わせはいつする? 俺明日明後日、フルでバイトあるからきつい」

「明々後日は俺がきついから、四日後で」

「りょ」

「結果発表って何時からやっけ」

 砂島が時計を確認して尋ねる。

「七時やったはず。今何時」

「六時半」

 日も少しずつ暮れてきている。

「俺ら結構ネタ順後半やったから、結果発表がすぐやな」

 パンダは自信があるので、胸を張ってそう言った。だが、砂島は不安そうだ。

「会場あったまっててほんま助かった」

「どうしたん? 今日元気ないな」

「多分緊張で疲れたんや。今年はqtbお笑い新人賞も取ったし、ちゃんと結果残さなっていう緊張もあったしな」

 qtbお笑い新人賞とは、qtb放送局というラジオ局が運営する三分以内のショートネタの新人賞で、結成7年目以内の芸人たちがトーナメントで勝負するラジオ番組。ポイントはラジオでのネタということで、身振り手振りや動作は一切使えない。声だけで笑いをとらなければならない。審査員は皆芸人で、別室でそのラジオを聞いて採点を行う。

 その大会で、優勝したのだ。

 しかし、優勝賞金はたった10万円。大きな賞レースではなく、コアなお笑いファン向けの番組だ。

 今回で三回目の大会だが、初代優勝者のウルトラスパークズは今年は三回戦敗退、二代目優勝者のザッツグッドは今年の頭に解散、と、優勝者のブレイクは今のところなしで、ここで結果を残したとてではある。

「それにしても、すごい芸人はやっぱすごいな。午前にネタやってたアメリカンスとか」

 砂島はしみじみと言う。まるで、敗退したかのようなテンションだ。

「アメリカンスみたいな安定感ある感じ、俺らも出したいよな。関東の方ではどうなんやろ。有名どころはちゃんと通ってるんかな」

「平成マロンはちゃんと2回戦通ったらしいな」

「流石やな。今年こそは決勝行くかな。あれは? 笑いの部屋」

「当然2回戦通過」

「流石」

 「笑いの部屋」はよくライブを一緒にする芸人で、昨年のS1決勝進出コンビ。特にツッコミの葛井はパンダにとって憧れであり、古馴染みの友人である。彼らの漫才は佐々木の理想だった。

「あとは、ショートジャンパーズとかは?」

「ん? ああ、当然2回戦通過」

「流石」

 ショートジャンパーズも、葛井が個人的に尊敬している漫才師だ。もっともっと売れて欲しいと思っている。

「俺らも2回戦通って、3回戦通って、準々決勝通って、準決勝通って、決勝通って、最終決戦まで行って、優勝したぁぁい」

 パンダが突然大声を出したので、そろそろ帰路に着こうとしていた子供達は驚いて一瞬パンダの方を見る。

「そう考えると遠いな。優勝」

「いや、言うほど遠くないぞ。3回戦で一個、準々決勝で一個、最終決戦で一個ネ

タがあればいい。準々決勝と準決勝と決勝はネタ使い回しでいいでしょ」

「3個、しかも面白いネタ? きつ」

「今日のネタは3回戦に使い回すのもあり。それで準々決勝は車のネタ」

「まあ車のネタはウケるだろうけど。最終決戦までもし行ったらどうすんの」

「焼肉屋のやつ」

「いや、あれは無理だろ」

 砂島は首を振った。焼肉屋のネタは、笑いの部屋主催のライブで大滑りしたネタである。しかし、ネタを書くパンダからすれば史上最高傑作なのだ。

「あれが滑ったのは偶然だって。まあなんにせよ。2回戦落ちてたら意味ないしな」

「もうそんな時間か」

 砂島は時計を見る。後、十分で結果発表だ。


 結果発表の生配信はSNSで行われた。砂島のスマートフォンにイヤホンを指し、右耳のイヤホンを、パンダが、左耳のイヤホンを砂島が使うという形で共有した。売れない芸人にとっては無駄なお金やギガは使いたくないので、極力節約したいのだ。

「えー皆さんお疲れ様でした。では、早速2回戦の結果発表をさせていただきます。2回戦合格者は、十月二十五日に大阪公共舞台ホールで、3回戦に出場する権利を手にします。

 まず、エントリーナンバー1265、村上二人」

 村上二人のは、過去に一度お世話になったことがあるので、通過は素直に嬉しかった。彼らもオセロリバーシ同様なかなか戦績が伸びないコンビだ。パンダと砂島は自然と拍手をする。

「エントリーナンバー3415、徳川将軍」

 徳川将軍は一昨年決勝に進出した芸歴十年目のコンビで、昨年は思うような結果を残せず、3回戦敗退。実力者にとって3回戦敗退は屈辱、最低でも準々決勝まではコマを進めたいのが実力者なので、徳川将軍の昨年の悔しさは計り知れない。しかし、今年は著名な新人賞も獲得し、以前に増して勢いがある。業界で注目されているコンビだ。

 それから数組が呼ばれた後、オセロリバーシの名も呼ばれた。

「エントリーナンバー268、オセロ、リバーシ」

 イントネーションを間違えていたのが気になったが、無事名前を呼ばれて、パンダは胸を撫で下ろす。隣で砂島は深く息を吐いた。

 二人にとって2回戦合格は流石に自信があったが、それでも結果発表という言葉の重みのせいか緊張してしまっていたので、少し気分は楽になった。

「エントリーナンバー2493、エメラルド。以上になります」

 最後の合格者の名前が読み上げられ、S1、2回戦は終わった。

 その後、改めて3回戦の日時や、注意点についての話があったが、パンダの耳には入ってこなかった。 

 結成してから2回戦に進出したのは4回、1回だけ1回戦で落ちたことがあるのだがそれは結成した年(0年目とでも言うべきか)で、一年目以降は毎年2回戦に出場してきた。昨年はついの2回戦を突破し、3回戦まで進出したため、2回戦突破は今年で2回目となるが、今年の方が、パンダにとっては手応えがある。昨年は、落ちたんじゃないかなと思っていた中でギリギリ受かり安堵したパンダだが、満足に喜ぶことはできなかった。だからこそ、今年の2回戦突破は手応えがあり、パンダとしても満足度は高い。

「突破出来てよかったわぁ」

 生配信が終わってから、イヤホンをしまい、一息ついて、砂島がほっとした表情で言った。

「あんだけ手応えあって落ちたら流石にやってられんわ。3回戦はやっぱり2回戦のネタのブラッシュアップで行こう」

「了解。ネタの改善案はまたメールで送っといてくれ、見とく。とりあえず、お互い明日はバイトあるから早く帰ろ」

「せやな」

 パンダはそう言って立ち上がった。今年こそは3回戦を突破して、準々決勝に進出することができるような気がしてきて、拍動が早くなっていく。


3


「あ、西田陸斗先輩からメールが来た。2回戦突破おめでと、やって」

 帰り道の電車で、砂島はスマートフォンを見て言った。

「お、葛井からも来てる。3回戦頼むぞ、やって。頼むって言われてもな」

 砂島は苦笑する。パンダもスマートフォンを取り出し、メールを確認した。同じく、西田や葛井から来ていた。そして、母親からも。

「お前母親からメール来てるやん。ええなぁ。俺んとこは家族の応援なしやからな。メールなんて来るはずもないわ。まあ逆に言えば、今んとこは芸人やってるのバレてへんってことやから嬉しい話やけどな」

 砂島は芸人の道を選んだことが親にバレれば、叱られるとわかっているため、今は隠している。幸い、砂島の親は特に漫才に興味があるタイプではないらしく、一向にバレる様子はない。

「にしても、今日楽しかったな」

 パンダはポツリとこぼした。

「めっちゃウケたもんな。あんだけウケてくれれば気持ちいいもんある」

「でも、2回戦終了後の取材はなかったけどな」

 2回戦終了後、有名な芸人や今年ブレイクが大きく期待される芸人、賞レースをとった芸人は公式から一、二分程度の簡単な取材を受ける。その取材動画は後日S1の公式YouTubeにアップロードされるのだ。

「qtbお笑い新人賞、取ったのにな」

「まあ有名な賞レースやないからな」

 そう言いながら、パンダはTwitterを開き、「2回戦突破! 今年は決勝行くぞ」とツイートした。フォロワー数は七百人程度。無名さを嫌でも痛感させられる。自分の先輩の中には数万とフォロワーがいる人がたくさんいて、親友葛井もフォロワー九万。

「お、2回戦がトレンド入りしてる」

「なんかあったんか」

「メイキングオブミーが敗退したらしい」

「まじで」

 メイキングオブミーは昨年の決勝進出者で昨年は決勝4位。その前年も決勝まで進出している結成13年目のコンビだ。そんな力のある芸人が2回戦で早くも敗退したことは結構意外なことだった。

「ネタ悪かったんかなぁ」

「会場の雰囲気もあるとはいえ、流石に早いな」

「あー、浦島太郎たちが叩かれてる」

「怖いなぁ」

 浦島太郎たちは初の2回戦出場だった芸歴5年目の若手で、2回戦を突破して3回戦まで駒を進めたようだ。

 メイキングオブミーが敗退したのに、浦島太郎たちという誰ともわからない芸人が2回戦を突破した。この事実に、メイキングオブミーのファンは憤っているのだ。

〈浦島太郎たち言うて面白くなかったし。メイキングオブミーの方が面白かった。ふざけんな〉

〈審査員にハマるハマらないや、場の空気もありますが、メイキングオブミーの敗退は流石に予想外。一方で、前のコンビが場の空気を持って行った状態で出番になって、前のコンビの空気感のまま笑いを取れて2回戦を突破した浦島太郎たちは正直卑怯だと言う他ない〉

〈誰や浦島太郎たち。別に実力重視なことに反対はない。けど、メイキングオブミーは大して滑ってなかったのに落とすのは意味わからん〉

〈現地観戦勢です。正直、意味がわからない。審査員の目も疑いたいです。浦島太郎たちもあんまりウケてなかった。メイキングオブミーのネタが弱かったというのは感じましたが、それにしてもです。今すぐ、審査員は浦島太郎たちを落とすべきです〉

 と批判コメントで溢れかえっている。

「滅茶苦茶やな。何で浦島太郎たちばかり批判するねん。通過した順位は浦島太郎たちより下の人いるかもしれんやんけ」

 砂島がTwitterのアンチツイートを見ながら言う。

「結局面白かったから通った、面白くないから落ちた。その世界なんやから、しょうもないケチつけんなよな。メイキングオブミーさんが落ちたのは確かにショックやけど」

 パンダは、浦島太郎たちのTwitterを眺める。

 Twitterの最新の投稿〈感動。2回戦突破しました。絶対優勝します〉のリプライには酷い言葉が並んでいる。

「純粋に浦島太郎たちを応援してあげられる奴はいないんかな」

「あいつら結構真面目やし、気にしちゃうかもしれんな」

「なんかちゃうよなぁ」

「謝罪するんかなぁ、浦島太郎たち」

「理不尽やな、ほら、このリプ見てみ」

 パンダは砂島にスマートフォンの画面を見せる。〈お前らのせいで負けてる芸人がいるのに調子乗んなよ、失礼やぞ。消えろ〉という無情な言葉の凶器が踊っていた。

「俺らも知名度は浦島太郎たちとあんま変わらん。だから、俺らがこんな風に叩かれる羽目になる可能性も結構あったんやろ。そう考えると怖いな」

「せやな」

 砂島はため息をつく。ちょうどそこで、南宮駅につき、パンダは、んじゃ、と挨拶して電車を降りた。砂島は南宮駅の四つ先、武宮駅が最寄りだ。

 南宮駅からパンダがシェアハウスをしている家までは徒歩十分ほど。3回戦にしっかり勝ち上がった喜びからも、パンダはつい早足になり、すぐに家に辿り着いた。

「3回戦まで行ったぞー」

 パンダがハイテンションで家の扉を開けると、シェアハウスをしている三人の芸人たちが笑顔で迎えてくれた。

「流石」

「まあ流石にちゃんと通ってくれると信じてたわ」

「今年は行けるんちゃうか!」

 と口々に褒めてくれるが、パンダとシェアハウスをしている三人の中で最も知名度が薄いのはパンダである。

 一方、最も知名度が高いのは、EIGOSの木下通洋。パンダの三つ年上の先輩で、主にコントが主戦場。百八十近い身長で、ガタイもいい巨漢だが、見た目とは裏腹にネタは緻密で正確。三年前に最高峰のコント師を決める大会、ベストコントの決勝に進出し十組中三位の成績を残した。それからも毎年準決勝までは駒を進めている実力派。漫才でもここまで三年連続準々決勝進出と実力は十分にある様子だ。彼らの本職はコント師だが、もしコントでブレイクのチャンスを掴めなかったらと漫才の方でも賞レースに出ているのだ。彼は関西出身なので、パンダと同じ関西弁で、どこか喋りやすさがある。

 このシェアハウスの中では、頼れるお兄ちゃんのような立ち位置だ。

 次に知名度が高いのはピン芸人の細長ロング。芸名の通り、細長い体型で身長百八十センチ、体重五十キロのガリガリ。細身を生かしたネタを主に扱い、ピン芸人の日本一決定戦、P1グランプリではここまで四年連続準決勝進出中とピン芸人界隈注目の若手だ。パンダより二つ年下の後輩だ。

 最後の一人は漫才師、充電100%の飯田蒼介。芸歴二年目、結成も二年目の超若手コンビだが、昨季はS1準々決勝まで進出している業界の注目株。漫才師としての知名度は高くないが、高身長イケメンで知られており、女性ファンが多く、SNSのフォロワーも一万人を超えている。パンダより三歳下。

 そんなメンツに囲まれているのがパンダなのだ。芸歴四年目、S1グランプリ準々決勝進出経験すらなし。3回戦で毎回敗退。賞レースでの結果で言えば、qtbの新人書はあるが、qtb新人賞自体大した知名度がない。イケメンでもなければ、高身長でもなく身長は百六十五前後。二度P1グランプリに出たことがあるが、どちらも2回戦敗退。オセロリバーシでベストコントにエントリーしたこともあるが、無事1回戦敗退。という風に致命的に実力も何もなく、シェアハウス内では浮いているのだ。しかし、シェアハウスのメンバーたちは優しく、パンダの成長を見守ってくれている。パンダが賞レースで奮闘するたびに祝ってくれて、新ネタを見るたびにアドバイスをくれる。ただ、褒めるだけではなく、改善点を正直に列挙してくれるところにも愛情や優しさが感じられた。

 だからこそ、辛い。期待して、応援して、助けてくれるからこそ、結果で応えられないのが辛い。だが、パンダはそんな様子を仲間たちに見せるわけにもいかず、元気に振る舞っている。

「成程、あのネタで行ったのかぁ。まあそりゃウケるわ。あれはまじでお前らの最高傑作」

 木下が何度も頷く。

「3回戦はどのネタで行くの?」

「まあ、2回戦と同じネタで行って、準々決勝は焼肉屋、かな」

 パンダは後頭部を掻きながら自信なさげにそう言った。

「焼肉のやつなぁ。おもろいねんけど、伏線回収とか綺麗やし。でも、ちょっと技巧的すぎるんよな。客は純粋に笑いたいから、もう少し易しくしたらええと思うねんけど」

「前もそれ言ってたやろ」

 木下に細長ロングがツッコミを入れる。

 このシェアハウス内では基本歳の上下や芸歴の上下、成績の上下での敬語は使い合わない。まるで同級生のような間柄なのだ。

「焼肉屋当然修正は加えるよね」

「そりゃあ。でも、まずは3回戦」

「いや、3回戦は多分行ける。今年はやっぱり全体的にネタのクオリティと、間の開け方が本当に面白い。準決勝、決勝もあるレベル」

 稲田は笑顔で言った。

「とにかく、お祝いや。お前まだ夜食ってないやろ」

 木下はにやにやしながら、冷蔵庫から何か取り出す。

「お腹空いてると思って」

「まさかお前ら飯作ってくれたん?」

「アホ、そんなわけないやろ。そこの虎寿司の大盛りセットや」

 細長がツッコミを入れる。このシェアハウス内の立ち位置で言えば彼は主にツッコミだ。普段はパンツ一丁で奇想天外なネタをする彼に正論でツッコミを入れられると逆にどこか気持ちいい。

「よっしゃ食うぞ」

 木下は大盛りセットを机にどんと音を立てておいた。

「そんな雑な置き方をしたら寿司が混ざるぞ」

「寿司に混ざるなんてないわ」

「乾杯するぞ〜」

 続いて木下は冷蔵庫から缶ビールを四本持ってくる。

「よっしゃ」

 細長は奪い取るように木下から缶ビールを取り、木下は雑に扱うなと言いながら、他の二本をパンダと飯田に配った。

「お前3回戦いつやっけ」

 細長がビールを気持ちよくシュカっと開けながら尋ねる。

「確か十月の二十五やったはず」

「三週間ほど後か。では、パンダのその活躍と、俺らの今後の飛躍に期待して!」

 木下もビールを開け、続いて飯田とパンダもシュカっと音を立てる。

「あと、EIGOSのベストコント優勝へ向けて乾杯!」

 木下の音頭で四本の缶ビールがぶつかる。ぶつかった勢いで飛び散った泡は、果たしてパンダの不幸なのか、福なのかはわからない。


「木下、改めてベストコント決勝進出おめでとう」

 飯田と細長が酔ってそのまま寝てしまった後、パンダは木下の肩を叩いて言った。木下の硬い肩がパンパンといい音を立てる。

「おう、ありがたいけど、なぜ突然今」

「いや、後二日やから、こう、檄を飛ばそうと」

「ありがとう」

 木下はにこっと笑った。この優しさも芸人が売れる秘訣なのだろうか。

「ベストコントで思いっきりお前らの面白さぶちかましてくれ」

「言われなくてもわかってるわ、マックス全力出し切る」

「おう」

「何か言いたいことでもあるん?」

 この直感の良さも芸人が売れる秘訣なのだろうか。 

「ええと、実は」

「どうしたん? みんなが寝るの待って」

 内容までは気付いていないようだったが、パンダにはもう全て気付かれている気がした。

「もし、いや、絶対優勝してもらいたいけど。その時、木下はこのシェアハウスから出て行く、行かれますよね...」

 恥ずかしいぐらいぎこちない言葉選びだった。

「出て行くわけないやん。ここまで二年間シェアハウスしてきてめっちゃ楽しかったやん。んで、めっちゃお互い助け合ったやん。何で出て行くねん。今後も助けられないとやっていけんわ」

 木下はそう言って、にっと笑う。しかし、その発言がどうしても信じられず、パンダはもう一度尋ねる。

「ブレイクしてシェアハウスなんてしてるやついないのに?」

「あーわかった。お前、自分のこと気にしてんねんな」

 木下はパンダの方をキリッと指を刺す。ストレートに言い当てられたので、パンダは歯に噛むしかなかった。

「自分だけこのシェアハウスの中で、結果が残せていない。主戦場である漫才でも結果を出せず、ピン芸人としてもダメ、コントもできない。そう自分のこと思って卑下してるんやろ」

 わかっていることなのだが、いざ言葉にされてみるとやはり胸に刺さる。

「何でそんな卑下するねん。お前、賞レースで優勝したやん」

「あれはしょぼい賞」

「しょぼくても出場したということは優勝したかったんやろ」

「いや、片っ端から賞レースにエントリーしてるだけ」

「でも、エントリーしてないのもある」

「まあ」

 パンダは言葉尻を濁すしかなかった。

「十分結果残せてるし、まだお前若いやん。全然未来ある。年々成長してるしな」

「でも、ここの皆と比べたら...」

「それは俺らが早咲きなだけや。芸人の咲き時は人による。野球選手でも、早熟の選手もいれば、結果を残し始めるのは遅くても、球界の名打者となってる人もいるやん。それと一緒や」

 木下はそう言って、パンダの頭をポンポンと叩く。本人は力を入れているつもりはないのだろうが、流石の怪力で、パンダはそのまま地面にのめり込んでしまうのかと思ってしまった。

「とりあえず、お前は3回戦見据えて頑張れ。3回戦突破したら準々決勝や。準々決勝まで行った芸人は大体売れ始める。お前もやっと売れっ子になれるねん。せやから、3回戦頑張って突破しろ。あと、準々決勝向けにいいネタ準備しとけ。今年のお前らには勢いはある。チャンスやねんから」

 そう言われてやっとパンダは自分が愚かな悲観をしていることに気付いた。まだ今年のS1は終わってないのだ。なぜ、もう終わってしまったかのように悲観する。3回戦突破して、焼肉屋のネタを改造して面白くしたら準々決勝突破、準決勝突破、いや優勝もあり得る。まだ、敗退してないのだ。勝つ可能性はあるではないか。やっと、仲間たちに追いつけるかもしれない。今まさに、オセロリバーシは上り時なのかもしれない。

「ま、俺らは絶対優勝する。ベストコント獲って最高のコント師になるって決めてこの業界来たんや」

 そして、木下のこの発言はすぐに現実となるのだ。


4


「優勝はEIGOSです」

 司会の熱の入った発表と同時に大きな拍手が巻き起こり、紙吹雪が散る。EIGOSの木下通洋、伊藤亮が誘導されて一歩前に出る。二人の顔は笑顔でクシャクシャだった。木下は涙を浮かべている。そして、渾身のガッツポーズをし、拳を高く振り上げた。

「優勝賞金の一千万です」

 大会のスポンサー企業の社長が「¥10,000,000」とでかでかと書かれた板を二人に贈呈する。その後、審査員の一人がトロフィーを彼らに渡した。トロフィーは木下が受け取り、伊藤は賞金の書かれた板を受け取る。

「えーでは、お二人、一言お願いします」

 生放送の終了時刻が近づいており、司会は早口で言う。司会に回されたマイクを震える手で握り、伊藤は叫ぶ。

「夢のようですけど。いや、もう夢です。ありがとうございます」

 そして、木下は伊藤の手の上からマイクを握りしめ、力強くこう言った。

「センスとか努力とかよりまずは魂! 魂だけで上がってこい!」


 テレビの前で食いついていた三人は優勝者が発表されて一気に脱力する。まるで自分たちが一仕事終えたかのようだ。そして、三人は黙ったまま、ベストコントの次の番組、「最速ベストコント敗退者反省会」を見る。正確には視界に入ってくるだけで誰一人その番組を見ていない。

「なあ」

 一番に口を開いたのはやはり細長だった。

「どうした」

「俺らも賞レースで優勝したらああなるんよな」

「せやな」

 パンダは頷く。言葉こそ発しているが、視線は以前テレビに釘付けだった。

「一瞬やな」

 この細長の言葉がどういう意味なのかはパンダにわからなかった。木下たちの優勝の瞬間は一瞬という意味か、優勝するまでの芸人をやってきた期間が一瞬という意味なのか、あるいは感慨深い思いに囚われるのが一瞬という意味なのか。どちらにせよ、何だかあっけないものに感じるのはパンダも同じだった。

「あいつ、ここ残ってくれるかな」

 ふと飯田が呟いた。テレビでは、惜しくも二位で敗退した笑いの部屋のインタビューを行なっていた。二人とも笑顔でインタビューを受けている。笑いの部屋の葛井はパンダの尊敬する師であり、仲良しの友人でもあることもあって、パンダは敗退した葛井の心境を心配していたため笑顔が見れたこともとても嬉しかった。

「残ってくれるだろ」

 細長が腕を組んで言った。だが、ガリガリなせいで腕を組んでいるというより、寒くて凍えているようにしか見えない。

「これから忙しくなってくるだろうし、どんどん儲けると思う。そんな中で、ここで暮らすかなぁ」

 飯田は心配げだ。パンダは、木下ならここに残ってくれると信じていた。本人も残りたいと言っていた。だが、確信を持つこともできない。

「とりあえず、今日は徹夜で木下祝うぞ」

 重たくなった空気を細長が払拭した。

「そうだな」

「俺らにできる最高のパーティーを開くぞ」

「よっしゃ」

 パンダはテレビを消して立ち上がった。

「今家にある最高の酒は?」

「全部同じ缶ビールや」

「ならそれ全部開けるぞ」

「徹夜で騒いだら周りから苦情来るぞぉ」

 飯田はそう言いながらも、もう既に冷蔵庫から缶ビールを四本両手一杯に抱えている。

「ちょ、俺ケーキ買ってくる」

 パンダは挙手して言った。

「ケーキ屋全部閉まってるやろ」

「いやいや、空いてるとこもある。そこのコンビニとか」

「コンビニケーキで祝いとは悲しいもんやな」

「まあいいやん」

「ありったけ買ってきてねー」

「金ないから一人一切れ」

「えー」

 飯田は不満そうな顔をする。

「んじゃ、さっさと買ってくるわ」

 パンダは財布を乱暴にポケットに突っ込んで家を出た。


 率先してケーキを買いに行ったのには理由もある。ただただケーキを買いたかっただけではない。一人になりたかった。

 脳内ではEIGOSの優勝が決まった瞬間の映像がフラッシュバックする。涙を浮かべながらも満面の笑顔の木下、そして達成感溢れる伊藤の顔も浮かんでくる。準優勝に終わった葛井のやり切ったような澄んだ顔が最後に思い起こされた。

「燻ってるわけにはいかない」

 夜道を歩きながら小声でそう言ってみる。

「燻ってるままではだめだ」

 もう一度。そう言っている間に段々コンビニに向かうスピードが速くなる。

 悩んでいた自分に嫌気がさしてきた。なぜ自分は悩んでいたんだ。そんな悩むようなことじゃないだろう。3回戦までちゃんと進むことができた。いいネタを出せば準々決勝も見えてくる、準々決勝を突破すれば準決勝だ。そしてそこを超えれば決勝。そう考えると売れっ子芸人への道はそれほど遠くはないのではないか。

 いや、同じことは過去にも何度も考えたのだ。だが、結局、前向きにはなれないで終わった。だが今の自分なら前向きになれるという漠然とした期待がパンダを包む。

 自分はなぜお笑い芸人になろうと思ったんだ。

 学生時代から自分のアイデンティティを見失い、様々な偽りにキャラを作っては変えてを繰り返し。全く自分を持てなかった。大学に入ってからも、適当にサークルや部活に入っては辞めてを何度か繰り返した。そうしてるうちに、自分に残ったのはお笑いだけだった。お笑いサークルだけは辞めずに続けた。

 だが、白黒つけられなかったのに、なぜお笑い芸人になろうと思ったんだ。

 人々を笑顔にさせたいから? 生計を立てるため? 皆から称賛されたい? そうではない。売れたいからだ。自分の好きなことで売れる。これに夢を見たからだ。諦めるには早すぎる。

 本当にこれが自分の好きなことかはわからない。ただ初めて漫才を目にした時、佐々木の世界は確かに変わったのだ。笑いの素晴らしさに気づいたのだ。大学でお笑いサークルに入った時、最高に充実した日々を送れた。それは紛れもない事実だ。

 そうは言い聞かすも、モチベーションは上がってこない。

 結果的にパンダを吹っ切れさせたのはこのEIGOSのベストコント優勝だった。


5


 S1の3回戦の日が近づいてくる。それと同時にパンダの気分は高揚していった。まるで自分が有名になる日が迫ってきているかのような高揚だった。

 そして、3回戦が近づく中、更にパンダの気分を高揚させる出来事が起こった。

「焼肉屋のネタやけど、ちゃんといじったら結構いいのになると思うんよな。3回戦突破したらあれで準々決勝戦うんやろ? 構成はいいから大きく改造したらウケると思う」

 というベストコント優勝者となった木下の助言を参考にパンダは焼肉屋のネタの大幅改造に踏み切った。改造するたびに相方の砂島や木下に見せ、数日間、バイトの間も、風呂に入っている間も考え続けた。徹夜した日もある。

 そんな焼肉屋のネタの改造バージョン初披露はS1の3回戦二日前の、笑いの部屋主催の単独ライブとなった。そのライブに出演予定の芸人たちには、3回戦突破したらこのネタで準々決勝勝負します、と事前に伝えておいた。そのことを伝えたのは、アドバイスが欲しかったというのもあるが、自分を後に引けないようにしたかったというのもある。

 親友である笑いの部屋の葛井は袖ではなく客席の、しかもセンターに座り、パンダの本気のネタを見てくれた。他にも、2回戦突破してすぐメールをくれた西田陸斗などなど有名芸人たちが楽しみにしているという言葉と共に客席に座る。当然ルームメイトたちも見に来てくれていた。その様子に、自分たちへの期待と先輩たちの温かい想いが感じ取られてパンダはより一層緊張する。

 ベストコント準優勝ということで尚更知名度の上がった笑いの部屋のライブだから、大きなホールに客がぎっしり満杯に詰まっている。ネタの試し打ちとしては上等である。

 オセロリバーシの出囃子が流れた。この出囃子は二人が掲示板で出会い、初めてリアルであった喫茶店でちょうど流れていた曲。漫才師の出囃子としては珍しい方であるクラシックで、オーボエ協奏曲ニ短調の第一楽章。協奏曲を出囃子にしている漫才師には今の所会ったことがない。優雅で、まるで王室で流れているかのような丁重で、でもしっかりした音の運び。この出囃子を聞くと、いつでもあの喫茶店を、そして結成したあの日を思い出す。

「どうも、オセロリバーシと申します、よろしくお願いします」

 パンダは出来るだけ声を張り上げて、挨拶をして舞台に出ていく。その方が落ち着くからだ。どうやらこの協奏曲からの、三十近いおじさん二人登場という構図がウケたようで、出てくるだけで若干の笑いが取れた。無理もない、こんな出囃子を聞いたら、美人なバレリーナ二人が出てくるところしか想像できないだろうから。

「えー私がオセロリバーシの砂島と言いまして。んでこっちは、オセロリバーシです、お願いします」

 掴みで若干の笑いが起こる。笑いの部屋のファンはちゃんと笑ってくれる客が多いのでとてもやりやすい。

「え、俺オセロリバーシの代表なん? 俺オセロリバーシの代表ちゃうから」

「ちゃうかったっけ」

「ちゃうから。よろしくお願いしまーす」

 とりあえず掴みは難なくウケた。そして問題はネタがウケるかである。

「あのー俺、焼肉が好きなんすよ。だから焼肉屋さんやってみたいなと思って」

「あーわかったわかった。んじゃ、今から私、牛やりますから、あなたは農家の人として入ってきてください」

「どこに入るねん。俺は普通に焼肉屋がしたいねん」

 笑い、拍手、笑い、笑い、拍手、笑い。

 砂島のボケが入るたび、笑いが起き、パンダのツッコミがうまくハマるたび拍手笑いが起こる。砂島は結成当初からボケにいい味がある。相変わらず、砂島のボケはしょうもないボケでも面白く聞こえる。

 笑い、笑い、笑い、拍手、拍手、笑い、笑い。

 パンダの想像の大きく上をいく成功だった。ネタをしながらちらっと砂島の方を見ると、砂島の口元も笑っていた。二人は結局そのまま失敗なくネタを終えた。

「成功だな」

 砂島は袖にはけ切ると、にっと笑った。

「あれだけウケるならS1準々決勝のネタとして十分使えるわ」

 パンダは頷く。正直、ウケない可能性があるのも覚悟だったので、抜群の手応えになった。

「まあ拍手笑い取りたいとこで取れんかったもんもあるからな。そこはちょいどうにかせんとやけど」

 一、二箇所想定よりウケなかった場所はあったが、新ネタ披露にそんなものは付き物だ。

「おつかれぃ」

 パンダが楽屋に戻ると、葛井らが出迎えてくれた。口々にお褒めの言葉を投げてくれる。そして、葛井は

「準々決勝、これを後少し改造すれば余裕で通るぞ」

 と力強く言った。

「3回戦は絶対突破する。んで、準々決勝もこのネタで突破する。お前、もし準々決勝で落ちても恨みっこなしやからな」

 妙な自信満ち溢れたパンダは彼の肩を叩いてそう言う。

「そういうかっこいいセリフは3回戦を突破してから言え。まだ3回戦も突破したことがない身でしょうが」

 葛井はにやにやしている。

「自信と気合があればいける」

「そういや、お前、3回戦いつなん?」

 この会話を聞いていた西田が尋ねた。

「明後日」

 喜びのあまり、敬語をつけ忘れて

「です」

 と付け足した。西田は敬語は別にいいよ、と言うように笑った。

「明後日? まじか! 俺らと一緒じゃん」

 葛井が嬉しそうな声を上げた。

「出番順もお前の次やったりして」

 パンダは笑って、自分の出番を確認した。スマートフォンのカレンダーアプリに記してあるはずだ。

「ちなみに、俺は五番目だったかな。割と最初の方」

 彼がそう言ってすぐ、パンダも自分の出番順を確認できた。

「四だ」

 驚きと運命性への喜び交じりにパンダは呟く。

「俺の前? すごいな。何だか最高だな」

 葛井は目を輝かせてそう言う。学校も同じ親友と出番順が順番になることはとても奇跡的で、ある意味不気味だった。


 その日、ライブお疲れ様の打ち上げということで、笑いの部屋、葛井のイチオシの居酒屋に、(しかも、木下のおごりで)行くことになった。

「いやー、相変わらず笑いの部屋の客層はいいなぁ」

 木下が笑顔で言う。木下の横に座る伊藤も、木下によく似たすっきりした笑顔をしていた。二人ともベストコントを優勝できて、肩の荷がおり、純粋にお笑いを楽しめているのだろう。パンダもいずれはそうなりたい。そのためにも、まずはS1を。

「今日のライブのメンツが良かっただけですよ。ベストコント優勝のEIGOSに、準優勝の俺ら。さらには、S1決勝進出経験者ミニマム、Newαグランプリ優勝の期待の大新人プロポース。そして、qtbお笑い新人賞優勝のオセロリバーシ」

 もう酒が回ったのか、葛井が立ち上がって高らかに言う。

「なんか、俺らだけしょぼく感じるなぁ」

 とパンダは苦笑いするしかない。

「じゃあ、こう言い換えよう、今年の優勝候補」

 西田がパンダと砂島の肩を優しく叩いた。

「優勝はちょっと」

 砂島は苦笑いするが、その目は笑っていない。寧ろ、鋭い目で優勝を睨んでいるように思える。パンダも思いは砂島と何ら変わらない。

「皆さん、いつにも増して上機嫌ですねぇ」

 店員が新しいビールを運んできた。

「嵐の前の静けさって言葉はありますがね、静かにすると嵐は来ちゃうんですよ。だから、騒ぎに騒いで嵐を追い払ってるんですわ」

 木下が快活に語る。どうやら彼にも酔いが回ってきているらしい。

「にしても、いいネタを作ったなぁ、おい。いずれは、お前と決勝の舞台で戦うことになりそうだなぁ」

 酔っている葛井がパンダに肩を組んでくる。

「砂島、いい相方を持ったな」

 西田が笑ってそう言った。パンダは照れと酔いで顔を真っ赤にした。

「人生で一番楽しいです、こいつと組んでからの時間は」

 砂島が更にそんなことを言うのでパンダは恥ずかしくなって大声で

「木下、EIGOSの次の目標は、なんだ!」

 と言った。酔いで態度が大きくなっていたのもあって、思っていたより大声が出てしまう。

「S1優勝! MCの仕事を大量獲得! んで、ついでに歴史に名を刻む」

「なんやそれ」

 伊藤がすかさずツッコミを入れる。

「そんなMCの仕事たくさん来たら流石に俺らの手には負えんやろ。俺らは芸人として売れたいというよりはコント師として売れたいからな。儲けたいけど、コントは続けたい。最近の芸人では、売れた挙句、コンビの活動が漫才師、コント師として映らなくなってる人も多いからな」

「俺らは今年S1優勝してやる」

 伊藤の真面目な意気込みをかき消して、葛井が叫ぶ。

「オセロリバーシの目標は何?」

 西田がパンダと砂島の二人の方を見つめる。

「S1優勝...いや、その更に上だ」

 パンダは立ち上がって堂々と言った。後から考えれば恥ずかしい話だが、後から考えなければよい話だ。

「俺も、パンダと組みたかったなぁあ」

 西田が酔った勢いで茶化す。

「パンダはええやつや。マイベストフレンド」

 葛井も強引に肩を組んでくる。普段のパンダなら嫌そうにしてしまう場面だったが、酔いが回っていたからか、機嫌が良かったからか、パンダからも葛井の方をぐっと組んだ。

「少しは俺のことも褒めてくれや」

 砂島が笑う。

「砂島はボケとしての仕上がりが高いな。あれは演技なのか、それとも根なのか、少なくとも観る側にはわからんわなぁ。あんたはコント漫才やっても大成できるかもな」

 伊藤が砂島の頭をぐしゃぐしゃになるぐらい撫でる。

「一生しゃべくりでやりますけどね」

「しゃべくりでも良さは十分でてる」

 木下も太鼓判を押した。

 このまま、飲み会は暫く続き、他の客が帰り、夜が更けてきたところでお開きとなった。終電が危なくなったからだ。そのあとは、木下が代表して、爆速で会計を行い、全員で駅に向かって走った。なんだか、まるで青春を味わっているかのような体感の若さと、清々しさだった。多分、パンダにとってだけでなく、砂島にとっても心地の良い一日だったに違いない。


6

 

〈#オセロリバーシ 死ね。邪魔やねんお前ら。消えろ〉

 殺意に漲った言葉が並んでいる。その言葉が本当に死を呼びかねないとどうしてわからない。

〈#オセロリバーシ おもんない。さっさと芸人やめろ〉

〈#オセロリバーシ パンダのかおがきらい〉

〈#オセロリバーシ お前の母親、晒してやる〉

 なぜ母親にまで攻撃が及ぶ。

〈#オセロリバーシ 準々決勝で落ちろ。というか笑いの部屋に出場権譲れks〉

〈#笑いの部屋敗退 二人とも滅茶苦茶泣いてた。普通に可哀想。ベストコント準優勝で勢い乗ってて、今年は漫才でも期待やったのに。誰やねんオセロリバーシて。ざけんなよ〉

〈笑いの部屋敗退!? あんな面白かったのに。まじか。オセロリバーシって誰やねん〉

 パンダは怒りより恐怖で震えた。脳裏にはメイキングオブミー敗退時の浦島太郎たちの炎上が鮮明に浮かぶ。初の3回戦突破で喜んだ矢先にこんな始末とは。

 オセロリバーシ以外の無名漫才師の準々決勝進出に文句を言うツイートもあった。だが、出番順が前後だったことや、ウケ量が3回戦合格者の中ではやや少なかったこともあって、オセロリバーシが一番の標的にされた。

 パンダは隣の席に座り、眉間に皺を寄せ、目頭に手を当てる砂島に向かって

「どうなるんだよこれ」

 と弱々しく言う。浦島太郎たちの時と同様に、庇ってくれているツイートもあった。だが、攻撃的なツイートが多く、全方位を敵に囲まれたような気分だった。

 砂島はは首を横に振って

「折角全て順調やったのに。よう考えたらここまで順調過ぎたんかもな。準々決勝披露予定のネタが、笑いの部屋のライブでウケて。お世話になってる先輩の木下さんもベストコント優勝して、超売れっ子になって。全部上手く行き過ぎてるわな。笑いの部屋と出番順も続いて。ちょっとしたサプライズ的な偶然やん、それも。んで、3回戦突破して、初の準々決勝」

 と憤りのこもった口調で言う。

 彼の言う通りかもしれない。うまく行き過ぎていたのだ。ここ数日、全てが順調だった。それがこの結末への布石のようなものだったのかもしれない。出番順が並んでいたから、パンダらが袖で待機しているとき、笑いの部屋の二人も待機していた。パンダが緊張のあまり顔を抑えていると、葛井が肩を優しく叩いて

「いける」

 と声をかけてくれた。これがどれだけいい励ましになったかは言うまでもない。葛井と一緒に準々決勝に行きたかった。

 そして、二人は自分たちのできるベストを尽くした。2回戦でウケたネタをそのまま使っているので、安定して笑いを取れた。手応えもあった。

 そして、3回戦の結果が発表された。砂島と、結果を確認したかったので、二人はビジネスホテルを一泊予約して、そこで結果発表の生放送を見た。

「エントリーナンバー2112、粋な男たち」

 合格者発表が始まる。

「エントリーナンバー10、上の階」

 どんどん名前が呼ばれていくが、一向にオセロリバーシの名前は呼ばれず、二人が肩を落としかけたところで、最後に呼ばれたのだ。

「エントリーナンバー268、オセロリバーシ」

 この瞬間二人は驚いて顔を見合わせて、そして涙を流して笑った。結成4年目にして、ブレイクへの扉の鍵を手に入れたのだ。

 この喜びの直後、先輩の西田陸斗からメールでTwitterを確認してみろと送られてきて、確認した結果がこれだ。

「なんなんだよ」

 砂島はホテルの机を強く叩いた。

「面白いやつが通る。そういう大会のはずやろ」

「こうなったら準々決勝でめちゃウケてやるしかないだろ。この事件のおかげで知名度は上がった。多くの人がアップされる俺らの準々決勝のネタ動画見てくれるはずや」

 パンダはポジティブに考えようと無理して奮ったが、砂島の返答は予想以上に重いものだった。

「解散や」

 一瞬聞き間違えかと思った。

「解散や。解散しよう」

 だが聞き間違えでもなんでもなかった。

「解散しかない」

 それを繰り返す彼にパンダは抑えきれず掴みかかる。

「なんでや」

「仕方ない」

「何が仕方ないや。いい加減にしろ。俺らは準々決勝に出れるねん。ネットの意見なんて気にすんな。俺らは俺らを貫けばええねん」

「そーいうことじゃないねん。俺だって芸人続けたいよ」

「じゃあなんで。俺に不満でもあるのか? ここまで俺らは対立しつつも仲良くやってきたやんけ。互いにリスペクトし合って、ネタやってきたやんけ。ちっちゃい賞やけど、qtbの賞も取ったやん。それで、満を持して準々決勝の舞台やん。今年はマジでチャンスの年や。それなのに」

 彼との結成してからの日が走馬灯のように駆け巡る。

「ちゃうねん。有名になったらあかんねん」

「なんで...」

「前から言ってるけど、俺親に芸人やってること教えてないねん。芸人やってること隠してんねん。やから、有名になって、俺が芸人やってるってバレたらどうなる。もうおしまいや」

「それでも芸人続ければええやんけ。親の圧力で諦めないといけないことではないやろ」

 パンダは必死になって説得する。砂島と自分にしか織り成せない漫才がある。それを失いたくない。ある種の芸術家的な感性が動いたのかもしれない。

「家によって親の発言力っていうのは違うやろ」

 砂島はそう言いながら涙を流していた。彼の芸人を続けること、オセロリバーシへの愛は嘘ではないことがわかったからか、パンダは少し落ち着き、彼を掴む手を離した。

「ここで解散すれば、寧ろ俺らは可哀想な奴として社会に見られる。そうなったら、俺らを叩いてた奴らを叩く側の人間が急増する。そしたら、俺らのこの炎上は無くなるやろ。お前はいいネタを書けるし、力ある。ピン芸人としてでも、別でコンビ組む形としても結果は出せるはず、だからこそ、お前には失敗して欲しくない。この解散は実はお前のためでも俺のためでもあるねん」

 パンダはすぐに否定しようとしたが、言葉が出て来ない。彼の言うことはもっともだった。そして、彼が冷めてしまった時点でコンビとしてはおしまいだとどこかで気づいていた。

 その後も揉めた。だが、最後はパンダが折れた。


 所属事務所からオセロリバーシ解散が発表された。パンダが砂島と会うのは、あのホテルが最後となった。砂島はどこかに行ってしまった。

 砂島は結成した当初から、まるで砂のような男で、パンダは彼と親友と言える仲だったのは誰にも否定できない事実で、知り合いの芸人誰に聞いてもそう答えるだろうが、そんなパンダでも砂島という男は計り知れないところがあった。そんな彼だから、そのままどこかへ行ってしまったことに大した疑問は湧かない。

 親友だった彼だが、もう連絡先も何もわからないので、会いたくてももう会えない。

 事は砂島の読み通り運んだ。二人は批判の的から、可哀想な若手芸人へと移り変わった。多くのお笑いファンがころりと意見を変えて、復活して欲しいや、好きだったや、乗り越えて欲しかったなどと都合の良い言葉を並べた。一方、相変わらず批判してくるお笑い好きも十分おり、この程度乗り越えられないやつ芸人やめて当然だ、解散してくれてほっとした、などといった厳しい言葉が未だに散見される。パンダはまだ再起するか悩んでいるところではあるが、再起は難しそうだ。

 そして、パンダにとってもう一つの大きい出来事があった。それは、シェアハウスからも出て行くことだ。このまま芸人を続けるのかもわからない身でここにいるのは何だか申し訳なくなったから、これも一因だが、一番の要因は木下がシェアハウスを去ったからだった。木下はやはりベストコント優勝の効果で有名になり、もっとテレビ局に近い場所に住んだ方が効率がいいということでの、退去だった。木下はシェアハウスに残りたかったようだが、マネージャーがそれを許さなかったようだ。パンダにとっては木下は心の拠り所で、別に木下以外が大事な仲間でないわけではないが、シェアハウスに居る理由は無くなったのだ。

 また、そろそろ自立せねばと思っていた頃でもあった。金はないが、頼ってばかりではダメだ。小さなボロアパートでもっと苦労するべきなのだと思い始めた。

 それから暫くして、落ち着いた後、パンダは、一緒に飲まないかと誘われた。誘ってきたのは意外な相手で、西田陸斗だった。

「遅れてすいません」

 芸人行きつけの居酒屋にて先に西田はカウンター席に座って待っていた。

「まあ座って。今日は僕が奢るから」

 親しくしていた先輩であるとはいえ、突然こんな風に呼ばれると違和感を覚えざるを得なかった。パンダが怪訝そうな顔をしていることに気づいている様子だが、西田は更に言う。

「芸人続ける気はある?」

 核心を突く質問だった。すぐには答えられなかった。今のパンダにはすぐに答えられるだけの自信がなかった。

「僕は続けてほしい」

 西田は瓶ビールを注ぎながら言う。ありがとうございます、と頭を下げて、パンダは一杯飲んだ。鼻の中にビールの匂いが充満してくる。ビールを飲むのは久々で、純粋な感動と、虚無感に襲われた。

「続けたい思いはないわけじゃないんです」

 パンダは乱暴に言葉を吐く。

「じゃあ続けてほしい、いや続けてくれ」

 どちらかというとドギマギとした温厚な性格であるイメージの強い西田のきっぱりした口調にパンダは動揺を隠せなかった。西田はその様子を見てか、話を続ける。

「オセロリバーシのネタを書いてたのはパンダだっただろう? お前のあの正統派漫才が見たい。あんな正統派漫才久々に見た。きっちりとした構成、これぞ漫才だった。もっとネタを書いて欲しい。そして、お前の書いたネタがやりたい」

 一度も喋ったことのない同級生から突然告白された時もこんな気分になるのだろうか。パンダは何と返事すればいいのか全くわからない。

「僕のために、ネタを書いて欲しい」

「作家になって欲しい、と...?」

 パンダは首を傾げる。

「いや、そういうことではなく」

 西田に否定され、パンダは顔を赤らめた。自意識過剰を恥じた。

「コンビを組んで欲しい」

 一瞬、耳を疑った。いや、彼を疑った。タチの悪い冗談だろうか。

「僕の新しい相方になってくれ」

 西田は頭を下げる。

「でも、西田さんは、笑いの部屋が...」

 お笑いコンビ、笑いの部屋のボケ担当、西田陸斗。ツッコミの葛井の巧みなツッコミに飲まれない安定したボケが売りの西田陸斗。彼にはそのコンビがあるはずだ。

「笑いの部屋は解散する。お前は知らないかもしれないが、結構喧嘩がちになっててな、最近。やっぱな、ベストコントでは準優勝したが、本命の漫才で3回戦落ちした。この事実は結構重いんだよ」

「すいません」

 つい謝罪の言葉が先行する。

「気にするな。お前は悪くない。そんなことより、お前のネタをやりたい、お前とネタを考えたい、お前とネタをやりたい。砂島がずっと羨ましかったんだよ。俺は別に葛井が嫌いなわけではない。ただ、お前の方が好きなんだ。頼む、パンダ」

 西田は更に深く頭を下げた。

「パンダって呼び方はやめてください。俺はもう芸人やないんですから、芸名で呼ばれても」

 そう言って笑うしかない。芸人としての活動をやめてから、一ヶ月が経とうとしている。そんな時期に、突然西田からこんなことを依頼されたことが信じられない。だが、運命的なものだと受け入れられそうでもあった。

「それもそうだな。なら改めて。頼む、コンビを組んでくれ、佐々木優。もう一度この道を歩まないか? 僕とS1で優勝して、正真正銘、歴代最強の漫才師になろう」

 オセロリバーシのツッコミ、芸名パンダ。本名佐々木優。

 佐々木が幼い頃から抱えてきた葛藤である白か、黒か。それを象徴する名前として、パンダという芸名を選んだ。そして、オセロリバーシというコンビ名で結成するよう砂島に頼み込み、オセロリバーシという名前で漫才師を始めた。オセロリバーシも白黒を象徴する名前である。

 佐々木は西田の頼みを受け入れた。願ってもない勧誘だった。笑いの部屋は電撃解散となり、佐々木優と西田陸斗で新しくバーコードというコンビが結成された。このコンビ名を提案したのも佐々木である。当然、白黒が所以だ。


7


 佐々木優は緊張と焦りで吐き気が止まらなかった。木製バットのネタは中盤に入っており、後一分ほどすれば彼らのネタが終わる。それからすぐ自分らの出番。こんなぎりぎりに西田はどこに行ったのだろうか。そして、木製バットとのネタの被りもあって、西田と次に行うネタをどうするか話し合わなければならない。時間はないが少しでも話し合わなければ。笑いの部屋時代にS1で決勝に何度か行ってる西田なら有効なアドバイスをくれるはずだ。これも含めて、西田がどこかに行っていて、帰ってこないという状況は佐々木にとってプレッシャーでしかなかった。

 コンビ結成を頼まれた時の、西田の熱意はどこに行ったんだ。共にS1で優勝しようと言ってくれただろう。

 やっと手にしたチャンスも物にできないのだろうか。

 客の笑い声が耳に障る。集中できない。五月蝿い。静かにしてほしい一人にして欲しい。

 佐々木の苛立ちは最早最高点に到達していた。

 砂島と出会い、コンビを結成した時。

 そして、パンダという芸名で活動するようになった時。

 初の準々決勝進出を決めた運命の日。

 売れっ子芸人、西田陸斗からコンビ結成を依頼された時。

 どれも、苦労がつきものだったが、楽しいものだった。だが、今の佐々木には現状を楽しむほどの余裕はない。オセロリバーシ時代も合わせれば、この業界に入ってから十数年経つ。昔のようながむしゃらで後ろ見ずなところはなく、とにかく勝つ、勝てるネタを準備するという勝利への執念に取り憑かれている。

「牛乳は美味しいですよねぇ」

「なんじゃそれ、あざしたー」

 木製バットのネタが終わった。もう時間はない。佐々木は足早に舞台袖を立ち去ると、楽屋横のトイレに向かった。いつまでトイレをしているのだ。トイレは生理現象とは言え、流石にもう待てない、限界だった。遅れれば失格にされるかもしれない。後十数秒しか猶予はない。

「おい、西田、まだか」

 トイレにいると確定したわけでもないのに、佐々木は威勢よく声を張り上げて、男子トイレの扉を叩く。返事はない。

「おい、西田」

 佐々木は扉を開けた。

 トイレの中には二人知った顔がいた。片方は鋭利な何かを右手に持っている。その何かは血でベッタリと汚れ、男は唇を震わせて何かを言っている。

 もう一人の男は血だらけで倒れていた。胸の辺りを何度か刺されたのが、パッと見て分かった。

「おい、なんだよ。おい、ジクウ」

 死んでいたのは探していた西田陸斗、刃物を持っているのはジクウだった。

「おい、西田を。お前が? なんで。冗談か、夢か、でも。おい、ジクウ」

「俺はジクウじゃない」

 ジクウは大声で叫んだ。

「何言ってんねん。お前はお笑いコンビ、クズノロマのツッコミ、ジクウや」

 佐々木には彼が何を言いたいのか分かっていた。だが、分からないふりをした。自分に、自分はわかっていないと言い聞かせたかった。

「俺はジクウじゃない。俺はお笑いコンビクズノロマのツッコミじゃない。俺は葛井裕だ。笑いの部屋のツッコミ葛井裕だ」

 彼はそう喚き散らした。手に持つ包丁が振り回され、トイレの壁に血がつく。

「過去の話だ」

 佐々木はやけになって言い返した。オセロリバーシが解散になった後、佐々木は西田陸斗とバーコードを結成した。その一方で、相方に振られる形となった葛井も葛井で別の相方を見つけてクズノロマというコンビを結成したのだ。クズノロマの「クズ」は当然葛井の「葛」を取っている。笑いの部屋が解散となり、新しくクズノロマというコンビを結成するに至り、葛井は心機一転として本名ではなく芸名で活動していくことにした。KUZUIを並べ替えて、ZIKUUとし、彼はクズノロマのツッコミジクウとして新たな芸人人生を始めたのだ。

 三年前の準々決勝で、西田が葛井からの助言を聞き入れなかったのももしかしたらこのことがあってなのかもしれない。新しくコンビを組み、バーコードとして新たな漫才師生活を始めた西田に、助言をしてくる昔の相方葛井が不快だったのだろう。西田と葛井の間は深刻に悪かった。そう解釈すれば、あの時西田が珍しく強情に、葛井の助言を聞き入れることを拒んだのが納得できる。

「なぜ西田を殺したんだ。しかも、準決勝っていう大事な場所で」

 パニックで西田に息があって、救急車を呼べば助かる可能性については全く考えなかった。

「わかんねえのかよ。くそが。西田への恨み。そしてお前を困らせるために決まっているだろ」

 葛井は無表情で言う。彼の目には激しい憤りがあった。

「トイレでなぜ事件を起こした。トイレだったら他者に見られる可能性がある」

 佐々木は時間稼ぎのためにも必要のない質問をした。うまく時間を稼げれば、誰かがトイレに来るはず。そうすれば、誰かが彼を取り押さえてくれるだろう。興奮状態にある彼を佐々木一人で取り押さえるのは難しい。

「西田が、準決勝や決勝の直前、興奮と緊張を和らげるためにトイレにいくという癖は以前からそうだったから俺は覚えていた。だからそこを狙った。一番確実に殺せるからな。別に誰かに見られてもいい。こいつを殺すことが目的だからな」

 西田は葛井とのコンビ、笑いの部屋、の際に決勝に行ったことは何度かあった。だから、今日も余裕そうに見えたが、彼は全く緊張していなかったわけではなかったのだ。佐々木には、緊張している様子を隠して、裏ではやはり彼も緊張していたのだ。

「俺を恨んでるのか」

「勿論」

「なぜ。恨んでたなら言ってくれたらよかった」

「わざわざ恨んでいる相手に恨んでいると正直にいうとわけないだろ」

「でも、親しくやってたじゃ...相方を奪った憎むべき俺に以前通り親友として接してくれたじゃないか」

 恨まれていたなんて全く思っていなかった。

「別に接し方なんて何とでもできる」

「むかつくならすぐに殺したらよかったじゃないか」

 佐々木は無心になって喚く。

「ずっと隙を窺ってたんだ。あとは、お前とコンビを組んでも結局結果が出ず、西田は戻ってくると思ってたんだ。でもそんなことはなかった。俺には疑問だった。なぜ売れてる絶頂期に少し転んだだけで西田は解散を決めたのか。そして、なぜ西田が俺を捨ててこんな売れない漫才師と漫才をやりたいと思ったのか。なぜ俺がダメだったんだ。若くしてS1でも決勝に行けたじゃないか。ベストコントで準優勝したじゃないか。芸人として十分売れることができたじゃないか。大成できたじゃないか。なぜ俺で満足できない。俺のどこが不満だ。ツッコミもうまくて、いいネタを作ることができて。全てやってあげてたじゃないか。俺は俺であいつの才能に惚れ込んであいつとコンビを結成したんだ。そりゃ俺は努力するべきだ。だから努力した。それでちゃんと結果が出たじゃないか。それなのになぜこんなしょぼい漫才師に。売れない、迷走している、実績経験がなく、将来性も保証されていない、そんな男の元に行ったんだ。これは裏切りで、浮気で、下劣な行いだ。俺はずっと殺すタイミングを窺っていたが、ただ殺すだけでは気が済まない。そうだ、S1の予選で殺せばいいんだ。そうすれば西田を奪った佐々木優という男も共に苦しめられる。思い立ったらすぐ実行、と行きたかったが、ただの予選で事件を起こしても何の意味もない。胸昂る大舞台で事件を起こせば、彼らを、いや、お前を失意のどん底に落とせる。かと言って決勝に進出するのを待つほど、俺はバカじゃない。お前らが決勝に行けるかなんてそもそもわからないからな。いや、行ける可能性なんてない。ないはずなんだ。お前らには一生無理だ。だから、準決勝に進んだこの好機を見て、西田を刺し殺した。全部伝えたら、あいつは驚いていた。ばかだな。なぜ自分が恨まれていないと思ったんだ。浮気した男が妻に殺されるのと同じだ。元々は、俺の何が不満だったか、全て聞くつもりだった。だが、あいつの顔を見ているうちに無性に腹が立ってきて、質問する前に殺した」

 葛井は興奮して咳き込みながら、そう捲し立てる。

 佐々木は葛井に飛びかかった。反射的な行動だった。彼のせいで、ここまでの十数年間が全て不意になった。シェアハウスの仲間たちの応援も、家族の応援も、全てが無駄になった。やっと、今日、全てがうまくいこうとしていた。今日の本番前、恩師木下からの激励。全てを背負って戦おうとしていたのに。それを全て全て全て。全てをぶっ壊された。抑えられるものではない、殺す。これは西田のためである。自分のわがままや、怒りに任せてやっているのではない。いや、葛井だけが悪いのではない。西田だって、誘って来なかったらこんなことにはならなかった。そもそも、笑いの部屋が敗退したのがよくないんだ。いや、違う。オセロリバーシが解散したから、西田は誘ってきたんだ。なぜオセロリバーシは解散させられた。ネットのクソみたいな奴らのせいだ。もし、それがなければ、もしかしたら砂島と一緒にS1優勝して、頂を掴み取っていたかもしれない。でも、解散を提案したのはあいつだ。砂島がそんな提案をしなければ...誰を恨めばいいんだ。誰のせいでこうなったんだ。

 佐々木は勢いよく葛井からナイフを奪い取ると、それをそのまま葛井の胸に飛び込む。葛井は予想外の反撃に体勢を崩した。そこに覆い重なるように佐々木が倒れる。ナイフが深々と葛井に刺さり、彼は断末魔の叫びを上げる。その声を聞いてか、あるいは出番が来たのに袖にも姿を現さないので探しに来たのか、複数人のS1大会役員がトイレの扉を開けた。

 ここで終わりか。そういえば、砂島は今頃何をしているのだろう。すまない、砂島、俺たちの夢はここまでだ。

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