瑕日、幽幻なる

伊島糸雨

 


 この街には、誰もが知っていて、けれど誰にも構われることのない噂が七つある。


 ひとつ。終電後の深夜三時四十二分、思ヶ谷しがたに一丁目の踏切が起動し三十三回音が鳴ったら逃げられない。

 ふたつ。夜明けと同時に荒蕗あらぶき二丁目にある小路を行くと辿り着けない。

 みっつ。雨の日に渕浪ふちなみ三丁目にある神社の鳥居前で血を流すと止まらない。

 よっつ。人のいない時に包戸つつど四丁目のマンホールへ呼びかけると返ってこない。

 いつつ。暇を持て余して尾畳おだたみ五丁目の竹林を通り抜けると探されない。

 むっつ。津麦つむぎ六丁目の十字路で小銭を落とすと忘れない。

 ななつ。興附こうづき七丁目にはない。


 すべての噂には打ち消しがつく。彼らは主体を失っており、その欠落によって浮遊している。風説は流動性の音律であり、さらさらとそよぐ落丁の、拾われることのない滲みとして了解される。彼らは確かにそこに在り、そこに在るのが当たり前であるが故に、好奇や関心の的を外れている。

 語られるべき噂があり、一方で語られる必要のない伝承というのも、街にはまた存在している。誰も知らず、構われることなく、記述される意味を持たない伽藍堂。それは主体を得て初めて駆動する天啓であり──偶然という所作によってようやく、偶像を得る流体である。


 この街には、誰もが知っていて、けれど誰にも構われることのない噂が七つある。


 けれど、この話だけは、誰も知らない。

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