第13話 王子殿下の婚約者①
やあユリウス、という朗らかな挨拶がやけに大きく聞こえるのはこの場所のせいか。日差しを遮るための半球状の屋根の内張は王子の声を柔らかく反響させた。
懐かしいその声に胸がぎゅうっと痛む。あの優しげな顔を真正面から見るのが辛い。緩く波打つ金色の髪に透き通る青い瞳。この世の春を思わせる微笑み。歩いている様さえ優雅な王子は、あの夢で見た姿よりもやや若い。
そうか、あの時より五歳もお若いのだ。とすると公爵同様に二十二、三歳。前世ではまだお会いして間もない頃のお姿だ。そう気が付くと胸の痛みが鋭くなった。
前世ではここから五年後、あの朗らかな笑みが消え失せ冷たい瞳で処刑を宣告された場面の記憶が蘇る。身も心も凍らんばかりに震えが這い上ってきた。
いたたまれなくなった私は椅子から立ち上がり、公爵の後ろに下がった。
「殿下、御用があればお呼びください。こちらから伺いましたものを」
「堅苦しいことは言いっこなしだ。私とユリウスの仲じゃないか」
「乳兄弟とはいえ今の私は公爵の位階を賜っていますからね。こちらにも立場がありますよ」
傍から聞けばちくりと釘を刺したような公爵の言葉も、王子は意に介した様子はない。陽気に笑い飛ばして、館の主に勧められる前に椅子に腰かけてしまった。そこは私がさっきまで座っていたところです、とも言えない。言えるわけがない。
もちろん公爵も侍従もそれは指摘しない。公爵は給仕の侍女に命じて新しいお茶を用意させた
居場所を失った私は立ち往生状態である。声も出せず小さくなったまま、公爵の後ろでうつむいているだけで、どうしてよいか分からなくなった。
今更アメリアのところへ行こうにも、立ち去る前に挨拶をしなければいけない。使用人というわけではないが、ただの家庭教師が王子に声をかけるなんて無礼なことである。公爵が下がれと命令してくれればよいけれど、その気配もない。
この場にいることが苦しい。かつて恋しかった人の、穏やかな顔を見ているのが辛い。処刑の恐怖を思い出したくなくて、絶対に会いたくないと思っていたのに、こんな形でお顔を見てしまえば以前感じていた愛しさが蘇ってしまう。
しかし二人は私のことなど眼中にもないように、お茶の入ったカップに口を付けた。
「わざわざおいでになったのは一体どんなご用件で?」
挨拶らしい挨拶を交わしたのち、口火を切ったのは公爵だった。王子はそれを聞くとふうっと肩をすくめた。
「先日の件さ。どうやら今期の聖女候補者はすこぶる不作らしい」
聖女、という単語に私の体はぴくりと反応した。
今期というのは、前世で私が聖女試験に合格したころである。不作と言われるほどだっただろうかと記憶を手繰り寄せるが、あの頃は自分の修行に必死だったため同期の顔などほとんど思い出せなかった。
「不作などど、そのような言い方はお控えください」
「いいじゃないか、よそでは言わないよ」
「ならばよいのですが」
「でも君の前では少し愚痴らせてくれよ。今年の候補生、いまだに試験合格者が一人もでないんだ。一体どういうことだと思う?」
「どうもこうも。候補者はみな聖女の証を発現した者たちでしょう。試験が難しすぎたのでは?」
「慣例通りだということなんだけどね」
慣例通りであれば私が受けたときと同じ試験であるはずだ。全員で筆記試験を受け、そのあと儀式の実技試験、占いと祈祷の実技試験を経て結果発表があった。おそらく私の場合は筆記試験が満点だったのではないかと思っている。問題は実技だ。
正直、普通に勉強していれば筆記の難易度はそれほど高くないはずだ。実技試験の方は立ち居振る舞いから神にささげる歌、踊り、儀式の進行など一から十まで細微な動きを再現せねばならないので難しい。祈祷に至っては祈りの種類や場面によって全て呪文も動きも違い、面倒くさかったことこの上ない。
我ながらよくやり遂げ、その後五年も聖女として仕事を全うしたものである。
「皆、実技試験で合格の水準に達しないんだ。どうしても一連の動作のどこかで間違ってしまうんだと。この間の試験の時にはあやうく火事を出しそうだったと聞かされびっくりしたよ」
火事……。ということは占いの実技か。
「火事とはそれは大事ですね。候補生や試験官にケガは?」
「神職と試験官が大勢見ていたからね。すぐに消し止められたらしい。しかしおかげで最近では父上も神職たちも、今期の聖女は神に祝福されていないと言い出してね。場合によっては今の聖女の任期を伸ばして対応するかということになるかもしれん」
「今の聖女様の任期を? それはなかなか不憫なことでは」
「だよなぁ。任期が延びれば延びただけ、彼女の婚期も遅れてしまうしなぁ」
前任の聖女は確か伯爵家の遠縁の方だったはずだ。なるほど、適任者がいなければ任期を延ばすこともあるだろうけれど、貴族の令嬢の婚期が遅れて責任問題になるのは厄介だ。
聖女は高位の貴族たちの前で儀式を行うためその場で見初められることも多い。そのため歴代の聖女は任期を全うすると貴族の子息や隣国の貴族に輿入れするのだと聞いていた。
だから私も、前世では王子に見初められ婚約をしたのである。
そこであれ、と思った。
今期というのは私が前世で受けた試験だ。そこに合格者が出なかったということは、どういうことだ。候補生は等しく厳しい修行を課せられる。それを修了した者たちが悉く不合格になるというのは不自然で、それはあたかも合格するべき者がいなかったと神が判断したかのようだ。
前世でその試験に合格したのは私だ。でも私は自分の内ももに発現している聖女の証をなかったことにした。まさか、そのせいで――。
「アルベルト様!」
ぐるぐると渦を巻く思考は、アメリアの元気な声で遮断された。
顔を上げると、人見知りであるはずの公爵令嬢は大きく手を振りながらこちらへ走り寄ってくる。それに気が付いた王子も立ち上がって両手を振り回した。
「やあアメリア! 久しぶりだね。大きくなった」
「ご無沙汰しております、アルベルト様!」
東屋に飛び込んできたアメリアは、勢いよくアルベルトの胸に抱きついた。日頃はおとなしい令嬢だというのに、これはどういうことだろう。ふと公爵の顔を伺うと、苦虫をかみつぶしたように眉根を寄せている。
「アメリア、無礼だぞ。控えなさい」
「気にすることはない。そうだ、学校へ行くのは取りやめたと聞いていたけれど、元気だったかい?」
「いやだ、お兄様ったら。アルベルト様には内緒にしてって言っておいたのに」
「いやいや、君の様子をきちんと聞かせてくれと私が頼んだのさ」
ね、と王子はアメリアの頬に唇を寄せた。公爵令嬢は頬を染め、嬉しそうに王子の首に抱きつく。そのほほえましい風景に私の胸がずきりと痛んだ。
今この瞬間、この場から消えてしまいたい。それが叶わないのであれば、神様に耳と目を塞いでほしい。
しかしそんな願いは叶うはずもなく、王子の口は滑らかに動き続けた。
「未来の奥さんのことだもの。ダメかな、我が婚約者さま?」
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