第三十三話 パリス王子の噂と人魚岬

「――ねぇ、パリス王子殿下ってどうしてメイドの手伝いは一切不要なのかしら」

「本当よねぇ……。あんなに素敵な方だから、色々とお世話をしたいのに。お茶出しや、雑用だけだなんて残念……」


 わたくしの城でもたまにあるメイド同士の噂話。

 話を聞くからに本当のことではあるようだけれど、不思議な話だ。


 王族として生まれたら、男女問わず、着替えからお風呂のお世話までメイドたちがしてくれている。

 これは生まれてからだから、わたくしでも恥ずかしいなどとは思ったことは一度もない。


 男性であっても女性のメイドに変な感情は抱かないのが普通だ。

 メイドたちも、あのようなことを口にしているが、実際は真顔で仕事をこなす。


 壁に体をつけ密かに聞き耳を立てているわたくしとチャコラに、呆れたレイのため息が聞こえてきた。

 すぐあとに、上品な笑い声が聞こえてきて振り返ったわたくしたちは、顔を見て恥ずかしくなって両手で隠す。


「――ルキディア王女殿下は、そのような可愛らしいところもある御方なのですね?」

「あわわ……! ……レイ、パリス王子殿下がいらっしゃるのなら申して下さい」

「……失礼いたしました。今しがた、いらっしゃいましたので」


 パリス王子殿下に失礼がない程度にレイと小声で耳打ちし合うと、わたくしたちに気が付いた様子のメイドたちは慌てたように頭を垂れて去っていった。


 パリス王子殿下は気にしていない様子でわたくしたちを、夕餉ゆうげの席に案内してくれる。

 ただ、当然緊張で震えそうになる中、必死で「わたくしは、次期女王になるのだから」と脳内で復唱した。


「――それで、ルキディア王女殿下は何日ほど滞在されるご予定で?」

「は、はい! その……明確に決めてはいないのですが、初めての外交で訪れましたので、一週間ほどは滞在させて頂こうとは考えております」

「それでしたら、フェリス城に滞在されてはいかがでしょうか? このような素敵な女性と過ごせるのでしたら、とても幸せなことです」

「そ、それは……とても光栄なことですが、ご迷惑では――」


 断る言い訳を持ち合わせているはずのないわたくしは、やんわりとした返事をしたにも関わらず社交辞令ではない好意によって滞在することになってしまう。



 夕餉ゆうげが終わり部屋に戻った瞬間、ベッドに飛び込むという王女らしからぬ行動に出た。

 当然、その行動にレイは聞こえるようなため息をつく。


「いやー、ルキディア様もそうなるわよ。あの空気感……とても親密に見えたけど、いえそうなんでしょうけど。アタシなら耐えられない……」

「ハァ……ルキディア様もですが、チャコラはどうしてソファーに転がっているんだよ」


 ソファーも女性なら普通に寝られるほど大きい作りをしているため、チャコラも、うつ伏せになって寝転んでいた。


「それは、当然! あの空間で、壁に張り付くように二時間も耐えたからよ! ハッ……外に響いてないかしら」

「モスフル城にいる以上に言葉遣いも気をつけてくれ……」

「レイもそんなに叱らないでください。チャコラは、しがらみに囚われる貴族ではないのですから」


 生まれたときから王女として生きてきたわたくしですら、他の国と交流する際は緊張して身近にいるメイドたちを羨ましく思ったことはある。

 村長の娘とはいえ、チャコラには大変な思いをさせてしまっていた。


 けれど、彼女はわたくしのために懸命に尽くしてくれている。


 ――わたくしに出来ることはないかしら……。


「そうです! フェリス城に滞在させて頂くことにはなりましたが。明日、おとぎ話にあった場所に行ってみましょう」

「えっ……? おとぎ話って、なんの話ですか?」

「もしかして、人魚岬ですか? 人魚たちが、最後に絶望して命を絶ったという――」



◇ ◆ ◇



 次の朝、部屋を訪ねてきたチャコラの腫らした目を見てわたくしは申し訳無さでいっぱいだった。


 あれからチャコラに話を聞かせたあと、人魚たちを悲しんで一日中泣いていたという。


 チャコラを元気付けるために、足を運んだのに……逆効果になるなんて。


「ですが、歴史上のおとぎ話を聞いたとき。わたくしも胸を締め付けられました……。遠い過去の話だったとしても、許されない」

「……過去の歴史は、繰り返さないために文字にするとも言います。人魚の悲劇によって、その後、救われた命もいます」

「そうよね……。万病に効く、一角獣の話とか……。森に住む、人間側である妖精の話とか」


 わたくしたちは、昨日訪れた港街ではなく。

 フェリス城から近い、人魚岬と呼ばれる場所にきていた。


 周りには草木も生えておらず、まるで墓標のようにすら感じる白い砂浜は、人魚たちの骨で出来ているのではないかとさえ噂されている。


 ただ、この場所以上に美しい景色はないと言われるほど青い海は光り輝き、岬の近くは緑色をしている不思議な場所だった。


「海しかないのに心が穏やかなになる場所です……」

「ですねぇ……。あっ、なんかまたウルッときちゃいました」

「ほら、これで涙を拭いてくれ」


 態度はわたくしに対して以上に雑なレイも、チャコラの涙は見たくないのかハンカチを差し出している。

 わたくしは二人のやりとりに笑みを浮かべた。


 ただ、二人の微笑ましい姿を眺めていたわたくしは、後ろから近づいてくる何者かに気が付かず、冷たい手に口を塞がれる。


「んっ……!?」

「えっ……? ルキディア様!?」

「どうした、チャコ――ルキディア様を離せ、愚か者!」


 剣を抜くレイに、青ざめるチャコラはわたくしには見えない誰かを一身に見つめていた。

 岬にはわたくしたち以外誰もいなかったはず……。


 海には海賊もいるとお母様に心配されたのを思い出したわたくしは、首に冷たい何かを押し付けられていることに気が付いた。


「……おとなしくしな! さもないと、このお嬢ちゃんが痛い目を見るぜ」

「ぐっ……。海の中から現れるなんて、油断した……」

「か、海賊だって……普通、船の上にいるでしょ!? なんで、海の中から出てくるのよ!!」


 動揺するチャコラの激しい批判が飛ぶ。

 普通なら集団行動をすると、レイにも聞いていた。


 けれど、この海賊は一人きり。

 冷静になって見てみると、刃物を持つ腕に血が滲んでいる。


「……この岬近くを航行こうこうしていたら、船が何者かに沈められたんだよ! 命からがら陸に上がろうとしたら、お前らがいた! だから、金目の物をよこしな!」

「ご丁寧にどうも! だけど、ルキディア様を離しなさいよ! 金品は全部あげるから」

「先に渡してからだ! じゃねぇと、このお嬢ちゃんの綺麗な顔が大変なことになるぞ!」


 品のない笑い声と、言葉通りに刃物が顔に向けられて、わたくしは震えそうになる体をどうにか抑え込んでいた。


 恐怖よりも自分の不甲斐なさに、思わず目をつぶるわたくしの耳に男の悲鳴が聞こえてきた。


「えっ……? 何が起きたの!?」

「ルキディア様!!」

「――レイ? チャコラ? わたくしは――」


 わたくしを押さえつけていた男は横で失神したように倒れている。

 走り寄ってくるレイに、腰を掴まれて海側から離されたわたくしは、振り返って海の上に浮かぶようにたたずむ綺麗な女性の姿に目を奪われた。

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