第三十一話 船旅と海を越えた初めての港街

 しおの香りと青い海で、甲板の柵に手をついたわたくしは目を細めて広い海を眺める。

 潮風しおかぜに髪がなびく中、チャコラは毛が痒いといって中に入ってしまった。


 外来モフモフたちも部屋の中に避難させている。

 海水は塩を含んでいるため、髪の水分を奪って乾燥させることで傷むらしい。


 モスフルは緑に囲まれていて海とは無縁だったから、それだけで新鮮だった。


「お嬢も髪が傷みますよー。メイド長が言っていたじゃないですか」

「言っていましたね……『ルキディア様、潮風しおかぜは海水を含んでいますから、出航したら船内に避難してください』って……。でも、このような素敵な景色を味合わないのは勿体ないです!」

「チャコラは、船内から眺めていると思いますよー」


 もちろん、この船は小型な方ではあるけれど、歴としたモスフル王国の船だから船内からでも景色は見える。

 けれど、綺麗な景色を肉眼でおがめるのなら、船内などと勿体もったいない。


「あっ、レイ見てください! モフモフではないですが、海鳥がいますよ。海の図鑑に書いてありました!」

「さすが、お嬢です。そちらの勉強は積極的ですね」

「うぐっ……そ、それは仕方ないのです……。経済とかは頭を使うので、一から学ぶには時間がかかるものです」


 レイの小言を別なことに向けるため、海の方に目を向けて水面を軽快に走る影を見つけて、思わず身を乗り出した。

 慌てたレイに腰を掴まれるけれど、わたくしの身長では海に落ちることはない。


「ちょっ……! お嬢! 危険行為はやめてください」

「船が揺れない限り、海に落ちたりはしません。それよりも、見てください! 何かが泳いでいますよ」

「はぁ……そうだとしても、こちらの心臓が危ないのでやめてください。ああ……あれは、おとぎ話で出てくる"人魚"のモデルになった海の生き物ですよ」


 わたくしたちの声に反応したように水面から顔を出す姿は、モフモフと反対の性質だと分かる、産毛すら見当たらないツルツルの姿をしている。

 図鑑では文章でしか書いてなく、実物を見てその意味を知った。


「レイ、図鑑に書いてありましたが、本当に毛がありません!」

「そうですね……俺は、実物を見たことあるので知ってましたけど」

「……羨ましいです。でも、これでわたくしも一緒ですね! チャコラは残念ですが」


 人魚もいまではおとぎ話の住人になってしまったけれど、はるか昔には実際にいて、同じ人間側なのに妙な噂が流れたせいで、絶滅したと言われている。


わたくしも、この子たちとも仲良くなりたいですし……人魚さんともお友達になりたかったです」

「仕方ないですよ……人間は醜い生き物ですから、金に目がくらんだ何者かが、人魚の長命を"不老不死"だと言い触らして、人魚戦争が始まった……」


 レイの言葉に自然とうつむいた。

 わたくしも知っている歴史に分類されるおとぎ話。


 人魚と関係のあった商人の男が、子供を奴隷として売り捌こうと誘拐未遂を働いて、仲違いしたことで起きた悲劇の話。

 人魚の肉を食べると不老不死になれると言い触らしたことで、一方的な蹂躙じゅうりんが始まった。


 住処を追われた人魚は最終的に、無惨に殺されるならと密かに自死して終わる。

 殺してから直ぐに食べないと効果はないと言われて放置された死体は海の藻屑となった――。


「――本当に、悲しいお話です。もしも、いまも生き長らえていたとしても、すべての人間を恨んでいることでしょう……」

「そう、ですね……。人間同士も土地を奪い合って争いを起こしていますが、それとは話が別ですから」

「はっ! いつの間にか、あの子たちもいなくなってしまいました……。その代わりに、港街が見えてきましたよ!」


 離れていても分かる。モスフルがある大陸の港街よりも、密集する家々に船の数が倍以上だった。

 わたくしたちの目的である外交をする国の船も停泊ていはくしている。


「そろそろチャコラを呼んで参りましょうか。事前にふみを出していますので、使者が来ているかもしれませんし」

「そうですね。船内に入っことで船酔いしてないといいですけどー……」


 二人で船内に入ってチャコラのいる部屋に向かった。



 ◇ ◆ ◇



「うちの大陸と規模が段違いね! さすが、都会……かしら」

「そうですね! 此処から冒険が始まると思うとワクワクします」

「……冒険じゃなくて、外交ですからね? それが終わってから、少しだけ、周辺を見回るだけですから」


 口を酸っぱくして言うレイの話を聞いてるふりだけで、船から降りたわたくしは、キラキラして見える街並みを両手を合わせて見つめる。

 すると、話をしていた通りわたくしたちに近づいてくる厳かな騎士の格好をした二人組に、レイと自国の兵士たちが前に立ち塞がった。


「遅くなりまして、申し訳ございません。私は、”フェリス国”の騎士団で、副団長をしていますパシュミと申します。長旅お疲れかと思いますので、馬車にて城までお送りさせて頂きます」

「突然の訪問に対して、こころよくお受けくださり感謝いたします。わたくしが、モスフル王国代理人のルキディア・モスフル・トワニと申します。どうぞ、宜しくお願いいたします」

「私は、ルキディア様の専属騎士であるレイと申します。こちらは、専属のメイドであるチャコラです」


 警戒を解いたレイも軽く挨拶を交わす。

 わたくしの後ろに控えるチャコラも首が折れるほど頭を下げていた。


 ただ、わたくしは自己紹介をしてから視線を頭の方に向けてしまう。

 レイから話は聞いていたけれど、フェリス王国は"獣人"が治める国だ。


 チャコラの大きくてモフモフした耳とは違って、小ぶりで細やかな羽毛のような毛の耳に細長い尻尾。


 パシュミさんは女性の獣人族で、王国騎士団で唯一の役職持ちだとレイが教えてくれた。

 チャコラのように灰色の毛で、所々に斑点はんてんが見える。

 そして、宝石のような透き通った黄色い瞳がわたくしに向けられた。

 あまり見てはいけないと言われていたため、自然と視線を顔に向ける。


 わたくしは、一度街中に視線を向けて後ろ髪を引かれる思いで、パシュミさんについて歩き出した。

 おごそかな雰囲気に気がついた住人たちは、囁き合っている。


 王国、国賓こくひん専用の道があるらしく、住人がいない閑散として、けれど綺麗に整った白い海道を通ると、馬車が止まっている港街の出入口が見えてきた。


「あちらです。兵士の方々は、こちらの港街にある宿屋の一つを貸し切りにしましたので、そちらで滞在ください」

「何から何まで有難うございます。それでは、わたくしたちはフェリス城へ参りますので、貴方たちは待機していてください」

「それでは、チャコラから馬車に乗せてもらってください。ルキディア様は私がエスコートいたします」


 何かあったときのために学んだことの一つ。馬車が用意されて、三人ともに乗せられる場合、先にチャコラを乗せてわたくしを真ん中に囲むというものだった。


 これは、他の国でも普通にしていることで、礼儀を欠いた行為じゃない。

 チャコラが乗り込んだあと、差し出される手を掴んで乗車する。そのあと、外を警戒していたレイが乗って馬車が動きだした。


 窓から見える場所には、白い馬に乗ったパシュミさんがいて、王子様にすらみえる灰色の短髪が、風になびいて見惚れてしまう。


 フェリス城は少し離れている場所にあるらしく、ドキドキする胸を抑えて窓から外を眺めた。

 次第に遠ざかる潮風しおかぜに思いをはせていると、急に馬車が止まる。

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