第35話 成人の祝い
その日の夕食後、意味もなく王都を走り回っていた。
身体を動かしていると、心が落ち着くのだ。
俺はクラウスを好きだと認めてしまった。
五年後、俺に番がいなければ、カスパーの護衛を辞めなければならない。
王宮に住むこともできなくなり、クラウスとの接点もなくなってしまうかもしれない。
どうしようもない。
もともと、会う機会もなかった王弟のクラウスだ。
叶わないと知っていても、もう手遅れだ。
クラウスを想うと、自然に口元が綻ぶ。
すでに恋心は、軽いものではなかった。
そして、闇雲に走っていると、覚えのある飲食店の前を通った。
十六歳の誕生日に、成人の祝いにダイタに誘われて、二人で訪れた店だ。
当時、孤児院で育った十六歳の俺の目には、敷居の高い店に感じられたが、三十歳の俺の目には、緊張するほどの店ではなかった。
懐かしいな。
テーブルマナーも知らない俺は場違いなんじゃないかと、及び腰で席に着いたんだよな。
「ゲリンの夢はなんだ?これから、やりたいことはあるか?」
あの時、ダイタにそう問われて、十六歳になったばかりの俺はなんと答えたのだったのか。
遠い記憶を辿ると、思い出した。
「騎士になりたい」と答えたのだ。
俺は、まだオメガでは騎士になれないという現状を理解しているようでしていなかった。
努力すれば夢は叶うのではないかと、希望をもっていた。
「近衛騎士にオメガはいる?」
すでに近衛騎士団に入団していたダイタに訊くと、予想通りの答えが返ってきた。
「いない」
俺は、それほど落胆はしなかったが、ダイタの方が苦しそうな表情をした。
「けど、オメガだからって諦めずに訓練は続けろ。ゲリンには才能があるんだから」
あの時、ダイタは俺が騎士になれないとわかっていたはずだ。
もし、俺がベータだったら騎士団に入れただろうか、と考えるのは、いつからか止めた。
「ゲリン?」
不意に俺を呼ぶ声が、思い出の中の声と重なる。
大通りの行き交う人混みの中で、ダイタと思いがけず遭遇した。
ダイタの赤髪が人を避けながら、回想に耽っていた俺の前で立ち止まる。
記憶の中の俺が好きだった人は、騎士団長になって、ますます大人の色気を纏っている。
「あ…偶然ですね」
「うん。ゲリンは、今日休みだったよな?」
「はい。身体を動かしたくて、ランニングしてました」
「夕食、まだなら一緒に食べないか?」
ダイタに誘われるが。
「もう食べました」
就寝時間が早い五歳のカスパーがいる金ノ宮は、夕食時間を少し早めに設定されているのだ。
「そうか。残念。この店、覚えてるか?一緒に来たことあるだろ」
ダイタが、飲食店に目配せを送る。
「はい。成人の祝いに、連れてきてもらいましたね」
「お前が緊張してる感じが可愛かったな。あぁ今でも、相変わらず可愛いけどな」
ダイタは、目を細めて笑った。
「俺。もう三十ですよ。可愛いわけないでしょ」
「ゲリンは変わらないよ。俺だけ歳をくってて、不公平だ」
ダイタにとっては、幼い面影が残っているのかもしれない。
「これから王宮に戻るだけなら、ゲリンに話がある。場所移動してもいいか?」
「いいですけど……なんですか?」
ダイタは歯切れ悪く「後で言う」と濁した。
夕暮れから夜空が迫る暗がりで、徐々に月の明かりが輝きだす。
そして、話があると言うダイタに連れて行かれたのは、王宮近くにある一軒の邸宅の前だった。
「ここは?」
「俺の家」
以前は、王宮内で暮らしていたはずだが、こちらに移ったようだ。
「両親は五年ぐらい前に気楽な旅に出かけて以来、年に数回しか帰ってこない」
「だから、孤児院の支援も引き継いだんですね」
「正式な爵位は、まだ継いだわけじゃないんだけどな」
ダイタに案内されて、玄関口に入ると、家令が「お帰りなさいませ」と出迎える。
食堂に案内されて、柑橘類の香りがする紅茶を一口飲んだ。
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