第13話 偽りの恋人
「五日間だけの恋人になってほしい」
オティリオが突拍子もないことを切り出し、俺の口からワインを吹き出させようとした。
食堂で向かい合って座り、遅めの夕食を始めたばかりだった。
改まって銀ノ宮に呼ばれて食事に招待されたからには、あまり人に聞かれたくない話なのだろう、とは思っていたが。
「どういう意味ですか?」
ごくりとワインが喉を通る。
前菜の新鮮な野菜とチーズは、すっきりとしたワインによく合う。
温かみのある木目調の長方形のテーブルの上に、どれも美味しそうな料理が並んでいた。
「隣国ドラジスから第二王子のイザベル王子と使節団の外交訪問が一ヶ月後にある。陛下から、そのオメガの王子と僕の政略結婚を仄めかされた」
聖獣の王がいるアンゼル王国では、唯一の番を大切にするため、愛情のない政略結婚は珍しかった。
しかし、他国との親交を深めるために、王族同士の政略結婚は少なからずあるようだ。
「ただ姉上の件もあるから、僕に恋人がいれば無理強いはされないはず。だから、イザベル王子が外交訪問に来る期間だけ、僕の恋人になってほしいんだよ」
姉上の件とは、エリーゼ王女のことだ。
先の国王が決めたダイタとの婚約に反発し、恋人と一緒に死ぬことを選んだ王女。
俺も会ったことがある。
「俺と殿下が、突然恋人になったと言って信じてくれるでしょうか?」
「来月の訪問に合わせて、今日から付き合ったことにしよう」
勝手に話を進めるオティリオに呆れてしまう。
「俺は一言も承諾してませんけど。他に頼める人はいないんですか?」
「いないから、頼んでるんだ。いっそのこと、本当に恋人になってもいいね」
「いやですよ」
俺は即答した。
「冗談に決まってるだろ。五日間だけの偽恋人でいいんだ。僕のパートナーとして、王子の歓迎会に出席してくれるだけでいい。あとは、自分でなんとかする」
政略結婚の駒にされるのも、可哀想だと同情心が湧く。
恋人がいた経験のない俺に恋人の真似ができるのか疑問ではあるが。
懇願するような眼差しの碧眼に見つめ続けられて、躊躇いながらも頷いていた。
「……わかりました。五日間だけですよ」
「やったぁ。ゲリンなら助けてくれると思った。これで陛下に釈明できるよ。来月の歓迎会は、僕とお揃いの服を贈るから、楽しみにしてて」
オティリオは肩の荷が下りたとばかりに、上機嫌でワインを飲み干した。
「さあ、ゲリンも遠慮せずに飲め」
オティリオの頬は、うっすらと赤く染まり、濡れた唇を綻ばせた。
俺は香辛料が効いた白身魚の料理を口に運んだ。美味しい。
デザートまで食べ終わると、帰りがけに高価そうなワインも貰った。
金ノ宮に戻る途中で、オティリオの偽恋人になるなんて、無謀だっただろうかと後悔するものの、ワインの重さが撤回できないと示しているようだ。
嘆息しながら玄関を入り廊下を歩いていると、マイネに声をかけられた。
「ゲリン、おかえり」
俺の自室は、本来客間だった部屋を与えられ、カスパーの部屋にもほど近い。
視察に出かけたルシャードは珍しく今夜は帰ってこないらしい。
「ワインをオティリオ殿下から貰ったんだ。カスパーが、もう寝たなら一緒に飲まないか?」
俺がワインを見せると、マイネが微笑した。
「おっ。いいね」
マイネの部屋に移動して、ソファに座って飲み始める。
「ドラジス国の歓迎会にオティリオ殿下のパートナーとして出席することになった」
俺が伝えると、マイネは胡乱げに顔を向けた。
「パートナーって意味わかってる?」
「オティリオ殿下に偽の恋人役を頼まれたんだよ」
マイネにだけは、偽の恋人だと教えてもいいとオティリオに言われていた。
マイネの瞳に猜疑心が浮かぶ。
「なんで?」
「第二王子との政略結婚を断りたいからだそうだ。歓迎会はマイネも出席するんだろ?」
俺は空になったマイネのグラスにワインを注いだ。
「出席する。妃教育でも隣国ドラジスと王子について学んでるところなんだ」
「今回の王子訪問の目的って何?政略結婚だけが目的なの?」
「そうなんだけど。一年以上前からドラジスに隣接したイリス領から獣人の子が拐われてるらしくて。ドラジスで奴隷として売られてる疑いがある。だから、王子を差し出して政略結婚で問題をおさめたいんじゃないのかな」
奴隷。いやな話だ。
ドラジス国には貴族制度や奴隷制度があり、産まれた瞬間に身分が決定してしまうらしい。
奴隷の子は奴隷のまま生涯を遂げる。
一方、アンゼル王国に奴隷制度はなく、貴族制度も王族貴族の公爵家が存在するだけで、他の爵位はあってないようなものだった。
才能が重要視され、難関とされる王立学院の入学試験に合格できる学力があれば、権威や富を手に入れることが可能だ。
ドラジスとアンゼルのどちらが正しいのかなんてわからないが、他国の獣人の子を拐い奴隷にするなど犯罪でしかない。
マイネは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
「イザベル王子って、相当な獣人嫌いらしいよ」
「そうなのか?だからオティリオ殿下が政略結婚に選ばれたのか…」
「ゲリン。気をつけろよ。何をしてくるかわからないぞ」
「あぁ。嫌いな獣人が邪魔になるってことだもんな」
オティリオの偽恋人は危険が伴うならば、俺が適任だとオティリオが判断したのにも頷けた。
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