第9話 三人のアルファ

 翌日。妃教育が終わった部屋に紅茶と菓子を運ぶ。

 俺の仕事ではないが、宰相補佐官の婚約者だという女が気掛かりで、侍従のクリアに変わってもらったのだ。


 入室すると、都合がいいことにレイと二人きりになれた。

 俺はレイの前にティーカップを置き紅茶を注ぐ。

 フルーツのシロップ漬けを横に添えた。

 

「ありがとうございます」

 眼鏡のフレームを眉間で上げるレイの手が、文官らしく綺麗だった。

 

「宰相補佐官はレイ様以外にもいるんですか?」

 何気なくを装い訊く。


「補佐官と呼ばれるのは、私だけです」


 俺はゆっくりと瞬きをした。

 心中は穏やかではなかった。

 

「もうすぐ結婚されるそうですね?ハンさんから聞きました」

「はい。来月に教会で挙式します」


 そう言って笑顔になるレイを、俺は無表情で観察する。


「お相手の方も文官ですか?」

「いいえ。親の商会を手伝っている女性です。家族思いで優しい人です」


 まさか、あの女が優しいわけがないだろ。

 宰相補佐の婚約者だというのは嘘なのか。


 レイの前では優しい女を演じているとも考えられるが。

 それとも、あんな女だと知っていながら、あれを優しいと感じるような宰相補佐は馬鹿なのか。


 俺は曖昧に笑って、聞き流した。

 レイの婚約者が、別人の優しい女性であることを願いたい。


 退出してその足で政務宮でハンを探すと、レイの婚約者について調査してほしいと頼んだ。

 レイはマイネの教育に適してない人物かもしれないから。


 考え事をしていたせいか金ノ宮に戻る途中で、こちらに向かって来るダイタに気づくのが遅れてしまった。

 失敗した。

 赤い髪を認識した時には、引き返すのは不自然な距離にいた。


 王宮に住むようになってから、会うのは三回目だ。

 ダイタに極力会わないように努めていたが、意識しているのが俺だけだと思うと、馬鹿馬鹿しくなり、どうしていいのかわからなくなる。


 ダイタは、じっと俺を見ていた。

「ゲリン、ちょっと話があるんだけど、今いいか?」


「はい」

 俺は返事をして、立ち止まる。


「ゲリンも近衛騎士の訓練場に来て、騎士達と一緒に鍛錬してみないかと思って。毎日とはいかないが、どうだ?」


「……え?いいんですか?」

 かなり予想外だった。


「うん。ルシャードの許可ももらってるから、いつでも来ていい。でも一つだけ条件がある」

「何ですか?」


「発情期が近い時期は、参加できない」

 ダイタが言いづらそうに口にするが、当然そうだろう。


「それだけですか?」

「それだけ守ってくれたらいい。なぁ、やっぱり昔みたいな喋り方に戻せよ。むず痒くてしょうがない」


 一瞬、遠くを見るような眼差しをしたダイタに、俺はわざと淡々とした様子で言った。


「もう十年も前の話です。忘れました」


「忘れたか……酷い奴だな。お前は別れの挨拶もなかった酷い奴だって思い出したわ」

 ダイタは苦笑する。


 別れの挨拶をしなかったのはダイタにも原因がある。

 ダイタは気まずくないのだろうか。

 確かめたことはないが、発情期に慰めたオメガは俺だけではなかったのかもしれない。


 関係があったオメガの一人でしかないのならば、ダイタの態度も説明がつく。

 そう思うと胸が痛かった。


「そんなことより、近衛の鍛錬に参加できるようにしていただき、ありがとうございます」

「ゲリンみたいに実力がある奴が、参加してくれると士気が上がる」


 そこで、後ろからオティリオが近付き、俺の肩を叩く。

「何?ゲリン、騎士に混じって訓練するの?」


 いつから聞かれていたんだ、と俺が訝しげに思っていると、ダイタが代わりに答えた。

「ゲリンにも参加してもらおうと思って、誘ったところだ」


「その時は僕も見学に行こうかな。ゲリンが試合をするとこ見てたい」

「来なくていいですよ」

 俺は素っ気なく言いながら、夢だった近衛騎士に混じっての鍛錬に心が騒いだ。


「お前、嬉しそうだね。尻尾が揺れてるよ」


 オティリオが揶揄うように俺の獣の耳を撫でる。

 オティリオは、ふさふさとした獣の耳と尻尾が好きらしく、意味もなく触ることがある。


「あぁ。もうやめてください」

 オティリオの手が届かないように、無意識にダイタの背中側に回った。


 ダイタが背中を捻って、俺に顔を向ける。

「試合がしたいなら、午後に来るといい。久しぶりに俺とも剣を合わせてみないか?」


 幼い頃、ダイタと俺は一緒に近衛騎士から剣技を学ぶこともあった。

 ダイタが成人するまで僅差だった力は、徐々に引き離されていき、俺が勝つのは滅多になくなってしまったが、それでも、ダイタと対峙するのが好きだった。


 記憶を呼び起こした俺は、微笑を浮かべる。

「騎士団長じきじきに鍛錬してもらえるなんて光栄です」


 至近距離で俺と目を合わせたダイタは、何か言いたげな仕草をしたが、口を閉じたままだった。

 

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