第28話 聖獣が舞い降りた

 翌日の午後。

 病院の中庭を歩いていると、マイネの眼前に音もなく金色の聖獣が舞い降りた。

 すでに翼が消え、人型のルシャードに変化する。


 突如、現れたルシャードに、マイネは驚愕して息をするのも忘れる。

 地上に着地する聖獣は、どんな獣よりも優雅だった。

 

 ルシャードは、マイネに近寄りながら言う。

「マイネ、会いたかった。六日ぶりだな」


 王都からアプトまで飛行してきたとは、思えないほどルシャードは平然としていた。


「俺も、会いたかったです」

 今まで言えなかった胸中が、するりとマイネの口から出る。

 ルシャードは笑みをこぼした。


「ここの病院でオティリオが刺されたと聞いたが、マイネは大丈夫だったか?」


「オティリオ殿下が庇ってくれましたので無事でした」

 マイネが答えると、ルシャードは少し不服そうにした。


「オティリオは王宮に帰れそうか?」

「移動は無理ということです。一週間は領主様の屋敷で治療に専念した方がいいそうですよ」


 さきほど屋敷に到着した侍従長のティノが、長期滞在に備えていた。


 ルシャードが躊躇いながらも口にする。

「……オティリオとは王都を出た後も会っていたのか?」


「いいえ。昨日、お会いしたのは四年半ぶりです」

 否定すると、ルシャードは喜色をあらわにした。


 発情期のたびに見る夢がある。

 ルシャードに「好きだ」と言われて抱きしめられる夢だ。


 あれは現実だったのではないだろうか。

 愛されていると錯覚しそうになったが、錯覚ではなかったのではないだろうか。


 マイネはルシャードの金色の瞳を見入った。

 答えを探すように。


「どうした?」

 ルシャードが訊く。


「俺が王都からいなくなった日、今後のことは明日、話そうと言われてました。どんな話をするつもりだったのですか?」


 ルシャードは覚えているだろうか。

 忘れてしまっただろうか。


 マイネが生きていると信じ、探し続けてくれたのはなぜか知りたい。

 王都に戻ろうと言ったのは、マイネと一緒にいたいからだと思いたい。


「今日も同じことを言うつもりでここへ来た」

 ルシャードがマイネを抱きしめると、バサっと背中に翼が出現した。


「飛ぶぞ。しっかり捕まれ」

「えっ!」


 マイネの足がふわりと地面から浮く。

 ルシャードがマイネの腰をしっかりと抱き寄せ、右腕をマイネの膝に回すと横抱きに持ち上げ上昇した。


「狼が、こちらに来て邪魔をされそうだった」


 マイネは聖獣に変化したルシャードの首に腕を巻きつけ、地上を見ると、中庭に出てきたゲリンが二人を見上げていた。


 ゆっくりと病院の最上階より高く飛ぶ。


「怖いか?」

「怖くはないです」


 怖いどころか、見たこともない上空からの景色に感動していた。


 遠くまで続く石造りの三角屋根のオレンジやブルーの間を木々のグリーンが埋める。

 病院を上から見るとロの形をして、中庭があるのがわかった。


 風が、まったくない日だった。

 地上の音がかすかに聞こえる。


 リサとエリーゼが住む、山の麓まで見渡せた。 


「虹があります」


 マイネが指をすした方向に、街並みのはずれにある山中に小さな虹がかかっていた。

 

「滝に虹ができてるな。行ってみるか?」

「虹にさわれますか?」

「叶えてやりたいが、それは無理だ」


 ルシャードは虹に向かって羽ばたいた。

 浮遊感に襲われ空気を切るように飛ぶ。


 風が吹いて一瞬だけ目を閉じたマイネは瞼を開けると、黄金の聖獣の顔を見上げた。

 光の粒を纏ったように煌めく獣は美しい。

 

 ルシャードと空を飛ぶことができるなんて。


 山頂近くにたどり着くと、空中に静止して滝と虹色の幻想的で壮麗な景色を堪能した。

 上空から見る地上は、夢のような世界だった。


 虹に手を伸ばす。

 ルシャードが「触れたか?」と訊き、マイネが「無理みたいです」と返した。


 旋回し虹を追う。

 虹は近寄りすぎると消えてしまい、離れると再び虹は現れた。


 水飛沫をあげて落下する滝の横を、ルシャードも下降し地上に降り立つ。

 マイネも地面に足をつけた。


 水の音が聞こえる。

 

 翼が消え人型になったルシャードは、マイネの菫色の瞳を覗き込んだ。


「マイネ」

 ルシャードが改まった声で名を呼んだ。


 ルシャードの金色の瞳の中にマイネだけが映っているに違いない。

 優しい眼差しだ。


「マイネを愛している。生涯かけて幸せにすると誓う」


 マイネの鼓動とルシャードの鼓動が溶けあって満ちていくのを感じた。


「番になってくれるか?」


 マイネは目を瞠った。

 ルシャードはマイネの想像よりも遥かに大きな愛情を示した。


 獣人のルシャードにとって番とは、生涯一人だけだ。


 四年半前も同じことを言うつもりだったとは。

 マイネは少し混乱する。


 ルシャードがマイネの返事を待っている。

 そのルシャードのあまりに愛おしい表情にマイネは、甘い痺れに襲われ蕩けそうになった。


 返事がしたいのに胸がいっぱいで言葉がでない。

 

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