第27話 オティリオとカスパー

 男はカスパーの腕を掴み首元に短剣が突きつけた。

「止まれ!近づくんじゃねぇ!」


 マイネ達を牽制し、カスパーの首によりいっそう刃を近づける。

 あと少しでカスパーの柔らかい皮膚に血が流れそうだ。


「やめろ!」

 マイネが青ざめ悲鳴をあげ、怯えるカスパーが泣き出した。


 入ってすぐの待合室は、あまり広くない。

 通路のように細長い形だ。


 入口にいるマイネとオティリオとゲリンから、十五歩程の距離に男とカスパーがいる。

 その奥に数人の看護師と患者もいた。


 マイネは、爪が食い込むほど拳を握る。


「そこの二人、剣を寄越せ」

 犯人に従い、ゲリンとオティリオは鞘に入った剣を掴んで投げた。


 男の顔は狂気に歪んでいる。

「デールはどこだ!」


 デールとは入院中の十六歳のオメガだ。

 暴力を振るわれ衰弱していたデールは一昨日から入院している。


 幼い頃から家族に虐げられ軟禁状態だった、と病院は把握していたが油断をしていた。

 デールに執着する者がいるとは考えず、対策を怠っていた。

 

 男がぶつぶつと呟く。

「デールは俺のもんだ」


 こんな事態になるとわかっていたら、外で遊ぶカスパーと離れなかったのに。


 どうする。

 男とデールを会わせることはできない。

  

「人質を交換しないか?」

 オティリオが男を刺激しないように穏やかな声で提案した。


「は?」

「僕が人質になるよ。子供では逃げる時に邪魔だろ。どうやって逃げるつもりだ?」


「はっ。俺はデールの家族だぞ。逃げる必要がどこにある?悪いのは病院だ。病院がデールを閉じ込めてんだろ!俺は連れて帰るだけだ!」

 犯人はオティリオに気を取られ、短剣がカスパーから離れる。


 その隙を狙い、カスパーが自ら果敢に脱出しようとした。

 男の腕に歯をたて、力任せに噛みついたのだ。

  

 意表をつかれた、犯人が「ぎゃっ」と呻く。

 男の腕から即座にすり抜け、カスパーはマイネをめがけて駆け出した。


 同時に、ゲリンも床を蹴っている。

 再びカスパーが捕まるより早く、ゲリンが男に接近した。


 すると、ゲリンは素早く男を蹴り上げ、男の右手に持った短剣が回転して床に落ちる。


 両手を広げてカスパーを包み込んだマイネは安堵の息を吐いた。

 マイネにしがみつくカスパーは、まだ震えている。

 

 しかし、ほっとしたのは束の間だった。

 舌打ちした男は捕縛しようとしたオティリオを突き飛ばし、服の中からもう一本隠し持っていた短剣をとり出したのだ。


 男が怒りの目をカスパーに向ける。

 差し迫った短剣がカスパーを狙う。


 駆けつけた近衛騎士とゲリンが犯人に飛びかかったが、一歩遅かった。


 ぞくりと背筋が凍る。

 マイネがカスパーを隠すようにぎゅっと抱き寄せた。


 そして、何かがマイネにぶつかる衝撃があった。


 ゲリンと近衛騎士が犯人を拘束し、男は抵抗するようにもがき床に転がったが、手の中に短剣がない。


 倒れたオティリオの背中に短剣が深く刺さっていた。

 守られるべきオティリオが咄嗟にマイネの盾となったのだと気づいた。


「殿下!」

 マイネが叫び、近衛騎士がオティリオに駆け寄る。


 痛みに歪んだ表情でぎゅっと目を閉じたままオティリオは動かなかった。

 ゲリンが居合わせた看護師達に「手術室に!」と指示を飛ばす。


 院長エモリーが手術室にいるはずだ。

 急いで担架を用意し、オティリオを乗せて手術室まで運ぶ。


「殿下」

 マイネが呼びかけても、意識が朦朧としているのか呻き声が返ってくるだけだった。


 オティリオを許せないマイネだったが、こんなことは望んでいなかった。






 拘束された犯人はゲリンに地下牢に連行された。

 デールの兄だとわかったが、王弟を刺した罪は重いだろう。


 オティリオは幸い臓器の損傷はなく致命傷には至らなかった。


 領主館で一番豪華な客間の大きなベッドに寝かされたオティリオは四時間眠ったままだ。

 ベットの傍らの椅子に座るカスパーは、オティリオが目を開けるのを、ずっと待っている。


 ようやく、オティリオの指が動いた。

 

「お父さん、きて。動いたよ」

 カスパーがマイネを呼んだ。

 

 マイネがオティリオを覗き込むと、一瞬、痛みに顔を歪め、うっすらと目を開ける。

 オティリオはカスパーと目を合わせた。

 

 寝たままのオティリオにスプーンで水を飲ませると、喉が渇いていたようで、マイネは何度も繰り返し与えた。


「カスパー。目を覚ましたってエモリーに伝えてきてくれないか」


 マイネが頼むと、カスパーは「わかった」と言って、ぴょんっと椅子から下り部屋から出る。


「カスパーっていうの?」

 オティリオが掠れた声で訊いた。


 マイネは「はい」と返事をすると、押し黙る。

 次に問われることはわかっていた。


「兄上の子だよね?」


 逡巡しながら、マイネは首を縦に動かし認める。

 言い逃れができないほど、二人は似ていた。


「兄上は知ってるの?」


 マイネは口ごもる。

「…まだ」


 オティリオは、眉尻を下げた。

「ごめんね。僕のせいで言えなかったよね」


 その通りだとも言えず、マイネは話しを逸らした。

「刺された背中に傷が残るかもしれないそうです」

 

「……僕の背中には翼がないでしょ。聖獣じゃないから。だから、この背中が大嫌いだったのだけど、傷が残るなら好きになれるかもしれない」


 そう言うと、オティリオがかすかに笑った。

 聖獣でないことにオティリオが劣等感を持っているとは知らなかった。

 

 王家の血を継ぐオティリオはアルファでありながら、人間に産まれたため聖獣になれない。


 カスパーがエモリーを連れて戻ってきた。


「気分はどうですか?頭が痛いとか吐き気とかありませんか?」

 エモリーが体温を測る。


「今のところはない」

「もしかしたら、今夜あたり熱が出るかもしれません」


 カスパーがオティリオの指を握った。

「助けて、くれて、ありがと」


 オティリオは瞬きをして、ルシャードに似たカスパーを眺める。

「カスパーに怪我がなくて良かった」


「僕の、名前、知ってるの?」

「マイネに教えてもらった」


「ふーん。お父さんの、友達?」

「そうだよ。マイネに会いにきたんだよ」


 オティリオにカスパーのことを知られてしまった。

 もうルシャードにも隠してはおけないだろう。


 マイネはそっと部屋を出た。

 深いため息を吐き出す。


 そして、懐かしい顔に会った。

 近衛騎士として扉の前にいたのは顔見知りのヨシカだった。


「ヨシカさん!」

「話をするのは久しぶりだな」

 ヨシカは意味ありげに言った。

 

「やっぱり俺のこと見張ってたのってヨシカさんだよね?」


 マイネを見張る獅子獣人がいることはわかっていた。


「うん。ルシャード殿下からマイネの護衛を頼まれてた。今日はオティリオ殿下の近衛も来てたし、少し離れて様子を見てたのが失敗した」


 カスパーのことは報告したのだろうか、とマイネが不安げにすると、ヨシカが声をひそめた。


「あの子のことなら報告してない。俺が伝えていい話じゃないだろ。でも、ずっと黙っておくことはできないからな」


「……わかってる」


 カスパーの存在をルシャードに告げるのは勇気がいるが、もう秘密にしておくことはできないようだ。

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