第2話 聖獣は特別

 昼休憩に中庭でカスパーとサンドイッチを食べていると、看護師のコニーがやってきた。

 コニーは二年前からここで働きだし、マイネを兄のように慕っている。


 男オメガのコニーは、誰もいない中庭で声をひそめて言った。


「なんでも王族が人間のオメガを探してるらしいよ」


「…そうなの」

 つられたマイネも声を落とす。


「王太子殿下の婚約者探しなんじゃないかって、言われてるんだ」

 美少年のコニーがマイネに顔を寄せた。

 

 マイネが知っている王太子は、まだ幼かった。十歳ぐらいになったのだろうか。


「俺がもうちょっと若ければ」

 十八歳のコニーは愚痴る。


「そうだね。コニーは可愛いからありえたかもな」

 マイネは笑った。


「でしょう。そうだ、王弟殿下でもいいな」


 マイネはコニーの言葉に息を飲む。心臓が高鳴る。

 アンゼル王国のディアーク王には三人の弟がいるが、マイネの脳裏を過ったのはその中の一人だけだった。


 声が震えないように口にする。

「王弟殿下は婚約者がいただろ。無理だよ」


「そうだったっけ?どうせ、いてもいなくても雲の上の人の話だけどね。マイネは聖獣見たことある?」

「…遠くからならあるよ」


 王族の血を継ぐ獣人のみが変化できる聖獣は特別だ。

 背中に翼があり飛行できる獣型は他にはいない。


 その姿を国民が間近で見ることは難しく、稀に大空を飛行する影を目撃できるぐらいだった。


「いいな。俺も見てみたい」


「僕も、見たい」とカスパーが高らかに手を挙げる。


「お父さん、どこで、見た?」

 カスパーの金色の目が好奇心でいっぱいになった。

 

「どこだったかは忘れたけど、遠くの方を飛んでるのを見たんだ」


 本当は忘れてなどいない。

 見上げた空に羽ばたく黄金の姿を、はっきりと覚えている。


「かっこいい?」

「そうだな。すごく神々しかった。綺麗だったよ」


 昼食を終えると、カスパーを再び領主の屋敷に戻し、マイネも仕事に戻る。

 しかし、今日のマイネは上の空だった。


 王族が人間のオメガを探しているのは、どうしてだろう。

 もしコニーの言うような婚約者探しならば、人間と限定するのは理解できない。

 

 マイネを探している可能性はないだろうか。そう考えて否定する。


 五年前、マイネはベータだと偽っていた。

 オメガを探しているならマイネのはずがない。


 安心すると同時に落胆する。

 あの人がマイネを探しているのではないかと甘酸っぱい期待をしてしまった。


 カスパーは聖獣を見たいらしい。

 獣型に変化できるようになった時、カスパーはマイネになんと言うだろうか。


「マイネ」


 病室の掃除をしていたマイネは呼ばれて振り返った。

 

「院長が呼んでる。掃除が終わったら部屋に来てって言ってた」

 それだけ伝えると、コニーが忙しそうに通り過ぎていく。


 エモリーの部屋に行くと、ゲリンも呼ばれたようで部屋の中にいた。


 エモリーが揃った二人に告げる。

「また二人でリサの所に行ってくれないか。明日に行けるかい?」


「はい」とゲリンとマイネが頷く。


「カスパーはいつも通りこちらで預かるからね。朝は屋敷の方に来てくれる」


 リサというのは山の麓で暮らす薬剤師のことで、一ヶ月に一度、オメガ用の薬を仕入れに行く。

 オメガ用の薬は様々あるが、発情期に服用する抑制剤はマイネも常備している大事なものであった。


 オメガの発情期は、三ヶ月に一度の周期で五日間発症し、性的欲求が増しフェロモンの濃い匂いを分泌する。

 その症状は、アルファとの性行為か抑制剤でしか抑えることができない。


 獣型したゲリンの背に乗って、何度も往復している慣れた道だ。

 問題はないはずだった。


 


 翌朝。

 エモリーの屋敷にカスパーを預けると、エモリーから背中に背負う大きな鞄を渡される。


「リサに渡して」

「はい」

 返事をしたマイネが背負うと、ずっしりと重かった。


 この鞄の中身が、希少な薬草や鉱石が入っていることをマイネは知っている。 


 ゲリンが一瞬で獣型に変化した。

 鼻が尖り大きな口が現れ、全身が長毛で覆われた狼は、人型と同じように二足歩行で歩くことができる。


 獣型に変化しても着衣のままの獣人が多く、ゲリンも変化に耐える服を着たままだ。

 もちろん言葉も話せる。

 

「気をつけて、行ってきなさい」


 エモリーの声と同時に、ゲリンが伏せの姿勢をとり「おいで」とマイネを背に乗せた。

 マイネは落ちないようにゲリンの服を掴んだ。


「行ってきます」

 

 狼のゲリンが両手と両足で地面を蹴り、駆け出した。

 狼の足は速く、マイネの髪や服が風に吹かれる。


 ぐんぐん見慣れた景色が遠のいていく。

 その時、過ぎていく朝の風景の中に、懐かしい顔が見えた。


 思わずマイネは叫んだ。

「ゲリン、止まって!」


「どうした?」

 ゲリンが足を止める。


 マイネは通り過ぎた道路を見渡す。

 いない。見間違いだったのだろうか。


「知り合いがいたような気がして。似てる人を勘違いしたみたいです」


 動揺しながらマイネは言った。


 影のように、あの人に従う秘書官ハンがここにいるはずがない。


 再び駆け出したゲリンの背にマイネは頬を寄せる。


 ゲリンの匂いがした。

 ゲリンの紺色の長毛は、もふもふで気持ちが良い。

 

 舗装された道から土道になると、家より畑が目に入るようになる。


 綺麗な澄み切ったサン湖に着くと、しばらく木陰で休憩を取った。

 サン湖の湖面は鏡のように凪いで、空の色を写したように青く美しかった。

 ゲリンの横にマイネも腰を下ろす。


 一時間以上、走っただろうか。


 

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