タランテラ
那降李相
序章 『闇鬼』
会いたくない時に重力は都合良く効果を発揮してくれる、と
「はぁ・・・」
正直気が滅入る。長門がこれから相手するのは今まで会ってきた精神異常者の中でダントツに若い。
(15歳か・・・)
まだ高校生ではない未成年の少年。それが長門のようなカウンセラーの下に来た。
「もったいない」
長門の本音が漏れた。若ければチャンスはいくらでもある。最近の情勢はクソだが、長門が学生の時よりは考えるための媒体がゴロゴロと転がっている。もし長門が記憶を持って現代の学生に舞い戻れるのなら、絶対にこんな仕事はせずに自分で会社でも開く、はずだ。などと現実逃避する自分に嫌気がさして早足で廊下を進む。
(そんなこと考えても何も変わらないのに)
後悔ではない、これが結果なのだ。自分は様々な選択をして今ここにいる。隣の芝生は青く見える、つまりそういうことなのだ。光景としては確かに絶景なのだろうが実景として見れば暗く霞んだ闇なのだ。同じ土台に立たなくともデータで分かる。現代とは非常に正確なのだ、それこそ非情なほどに。
扉の前に来てノブに手をかける。傍らに持つ数枚のデータが長門の味方だ。
(圧されるな、折れるな、押し通せ)
今の仕事に就く前に長門が決めたのがこの教訓だ。どんな相手であっても気圧されず、心を折らず、自分を押し通す。たったそれだけだ、難しいことではない。同情と共感こそこの仕事の天敵だ。
(よし!)
大きく呼吸をして、ノブを思いっきり回す。部屋には机と椅子がそれぞれ置いてある。周りはコンクリで覆われ、少し寒い。だが寒いのはコンクリだけではない、長門の対面に座っている少年が何故かサングラスをしているのだ。そこから漏れ出る威圧が長門の背筋から冷や汗を流させる。
(なっ・・・・!?)
少年は手と足が拘束されている。何か出来るわけではない、けれど首筋に冷えたナイフを当てられているかのような気分にさせられる。
「やあ」
一瞬呆気にとられて声の主が少年だと気が付かなかった。
「どうした先生、座らないの?」
声はやはり、というか当然なのだが、若い。まだあどけなさが残る声の中に底知れぬ怒りが漂ってくる。
「あ、ああ。すまない。最近仕事が忙しくてね、ハハ」
咄嗟に思いついた言葉を並べて、椅子に座る。
「大変だね、大人って」
相槌のつもりなのだろうか、少年が苦々しく笑う。長門はなるほどと思った。
この少年は、今の言葉で言うなら親ガチャを外したか、親との相性が悪かった。しかし長門はそれだけでこの少年がここまで変わるとは到底思えなかった。
この世代は無闇に怒りをバラまいたり、鬱症状になって籠ったりする。これがよくある例だ。もう少し年齢が上がると非行に走ったり、酒やたばこ、あとは性的な暴走をしたりする。
(だが)
長門はこれはデータでは分からないと判断した。決して同情したわけではない、百聞は一見に如かずという話だっただけだ。目こそ見れないが彼は深く絶望している。それも親ではなく他者から自分を遠ざけるように、深く深く自分に絶望している。可哀想に、と一言で言えば終わってしまうレベルではない。これまで見てきた中で彼は最も良識的に・・・見える。それに彼はこの時点でしっかりと話せる程度の正気は保てている。彼は、そう依然正気を保っているからこそ『私と話そう』という判断が出来ているのだ。
(あとは・・・)
衝動を確認したかった。よく小説である殺人鬼の血の本能が~や先祖代々受け継がれたなんたらかんたらが衝動によって湧き上がる可能性がある。ようは感情の発露によって彼は正気を失うか理性を保てるどうか、これが知りたかった。長門の中でとりあえずの目標は定まった。
「ハハハ、まあ仕方ない。大人には責任が伴うからね」
長門は愛想笑いを浮かべながらそう答える。感情の発露に必要なものは何にしてもまずコミュニケーションだ。それが無い状態で発露させてしまえばただの煽りになってしまう。それだけはいけない、と長門は思う。自分を頼ってきた人がいるにその人物を良く知りもせずにただ煽るのは馬鹿のすることだ。自分がもしそんなことをしたとしたら、さっさとクビを切る。これがこの仕事に対して長門が負っている責任なのだ。
(データは・・・見た)
彼は恐らくもう大人を信用しない。それほどまでに彼の近くにいた大人たちの業は深い。いい加減子供には戻れないということをどうして自覚出来ないのか!彼は最善の行動を取ったまでだ、彼が必死で作った砂の城に放置と無責任の泥で瓦解させるなど美徳を持ち合わせている人間とは到底思えない!
「泣いているんですか」
「えっ・・・」
気が付けば目から涙を流していた。ああ、情けない!まだ何も話せていないのに!
「ごめん、僕は弱虫だからさ」
「・・・・・・・」
彼は静かに僕を見る。その目にはどう映っているかは分からないが、決して良い印象を持ってはいないことは分かる。彼の冷たい目の奥から言葉が紡がれる。
「怖くて、俺が怖くて、泣いているんですか?」
「・・・・・・・・・え?」
「えっ」
何を言っているのかよく分からなかった。彼が怖い?なぜ?
「怖いって・・・どういうこと?」
「えっと・・・・・」
彼は照れたように頭をかいて視線を外す。
「いや、だいたいの奴らが俺に会うと怖いって言うんだ。別に睨んだりしてるわけじゃないのに怖いとか、こっち見るなとか言って。先生、分かる?」
「え、嘘でしょ。君からはそんなのは感じないよ」
彼に対してそんな感情を抱く謂れが長門には無い。データを見ても、彼の顔を見てもそこに恐怖の二文字を連想するのは話が違う気がした。悲しくて悲しくて、それでも解決できないからやるせなくて。彼からはそれしか感じない。
彼は驚くように長門を見て、そして首を傾げた。
「先生、もしかして頭のネジが外れてるとか言われたことある?」
何だって!?長門はその一言に怒らずにはいられなかった。
「失敬な!君はなんてことを言うんだ!初対面の人に君はおかしな人だねって言うのかね!」
すると彼はハッとした表情になり、肩をすぼめてごめんなさいと言った。
「少し配慮に欠けました」
うんうんと頷きながら長門の頭にとある疑問が浮かび上がる。
(・・・・あれ)
手に持つデータと彼を交互に見ながら、長門は彼に質問をする。
「失礼なことを聞くけど、君の症状ってそんなに酷いのかい?」
「症状?・・・・ああ」
彼は長門と視線を合わせて、困ったように笑った。
「大勢いなければ問題ないよ。サシならこうやって目線を合わせても問題はない、かな」
なるほど、と長門は思う。
データには目を合わせれば襲いかかってくるとだけ書かれているから、これは調査班が悪いと理解できた。恐らく複数人が同時にいる状態で質問をしたのがこの結果なのだろう。
(まったく・・・)
思慮が足りないとは思わないがもう少し見る目を養った方がいい。長門は頭をかきながら大きくため息をつく。
「どうしたの、先生」
「ああ、気にしないでくれ。誤記しか出来ない班になんて文句を言ってやろうかと思ってね」
彼は怪訝な顔をして、長門に聞いてくる。
「その資料、もしかして俺のことが書かれてる?」
「まあね。見るかい?」
彼はさらに怪訝な顔をして頷く。数枚しかないデータを彼に見せると彼は怒りもせずにただ食い入るようにジッと見ていた。
「・・・・センスないね、これ書いたヤツ」
それが彼の感想だった。長門は思わず吹き出してしまった。自分と同じことを考えていたのだから笑いを堪えられない。
「ハハハ!やっぱり君はまともだよ、それも普通に暮らしていけるレベルのね!」
「・・・・・それはどうして」
「僕と意見が合うんだからさ」
大きく手を広げて長門は愉快そうに身体を伸ばす。その勢いが良すぎたのか座っていたパイプ椅子が倒れて長門は背中から転がった。
「おいおい、大丈夫か先生」
「ああ、問題ないよ。ちょっと盛り上がりすぎちゃった」
長門は笑いながら立ち上がる。そこに照れの表情は無く、ただ楽しそうに子供のような無邪気な笑顔をしている。
「・・・・・・本当に大丈夫か?」
それでも信用しきれないと彼の表情がそう言っていた。
「大丈夫。そんなことより話を進めようか」
「・・・・・・・・・・・・」
ケロッと変わる長門の表情に彼の顔の皴が増える。もし好感度メーターがあればここでグッと下がったことだろう。
「ハハハ・・・ちょっと調子になりすぎちゃったかな」
「別に構わないけど、さっきの言葉は訂正しないでおくことにする」
「さっきの言葉?」
「ネジが外れてるってやつ」
「あ、ああ・・・ハハハ」
彼の顔に失笑が漏れる。
「さて、これでやっと話せるかな」
「・・・・・・・・・・・・・」
長門の問いに彼は答えない。
「とりあえずお互いに自己紹介から行こうか」
「そういえばしてなかったっけ」
やはり似たもの同士なのだろうか。お互いが一切名乗らずにここまで話が進んでいた。
「お見合いだったら確実に不成立だね」
「ハッ!違いない」
彼に先程の尖った雰囲気はない。ようやく彼は話す気になった、と長門は感じる。
「じゃあ僕から言うよ。僕は鹿網長門、ただのしがないカウンセラーでいいかな」
「俺は・・・・そうだな」
彼は困ったような表情を浮かべる。
「どうしたの?」
「いや、その、肩書きというか職業みたいなものが無くて」
なんだそんなことか、長門はため息を吐く。
「普通はそんなものなんてないの。僕だってこんな肩書欲しくてこの仕事をしてるわけじゃないし」
「じゃあなんか勝手に言われてるのを勝手に言ってるだけ?」
「そうそう」
大体誰の許可を得て揶揄をしているんだと長門は思う。本人が許可していないのにその本人に別の名前を与えるのはある意味冒涜的行為に等しいはずなんだけど、それが別の効果を持つ場合もあるからなんとも言えない。
まあ、何にしても、だ。
「世の中言ったもん勝ちだよ。何時如何なる時代においてもそうでしょ?」
その一言で彼は大きく目を見開いた。おや、なんだこの手応えは。あまりにもいい感触に長門も驚きを隠せなかった。彼の状態を見ていたがこの言葉にそれほどの効果が出るとは思えなかった。だが、事実は予想とは異なるらしい。結果彼の口から笑いが溢れているではないか。
「ハハハハハハハハハハハハッハハハハハ!!確かに、そりゃあ、ハハ、確かにそうだわ!ハハハハハ!!」
「え、えっ、えっ?」
「いや、うん、大丈夫、大丈夫」
笑いすぎたのだろう、彼の目から涙が零れ落ちている。
「はぁーーっ、スッキリした。なんか心に刺さってたものが取れた気がする」
「うん、それは、良かった、ね?」
長門は彼のペースに困惑しながらも確かな手ごたえがあったことに小さく拳を握る。ここからだ、これがまず彼との第一歩なのだ。そう自分に言い聞かせる。
「それで」
長門は切り出す。
「君は一体誰なのか」
もちろん彼がどういう少年なのかは何日も前から把握済みだ。しかし今は彼の
「・・・・・・・・・・・・うん」
彼は少し間を置いてから頷き、答えを出した。
「俺は、あ、いや、僕は山河海人。昔は『闇鬼』なんて呼ばれてたけど、そんな
長門はそこでホッと安堵の息を漏らす。始まりとしては随分と長い気がしたけれど、これが彼とのスタートなのだと感じるとなかなかいい滑り出しな気がした。
(まだちょっと結論を出すには早いけどね)
身を乗り出し机越しに手を伸ばす。
「これからよろしくね、山河海人君」
「こちらこそ、鹿網長門先生」
お互いに固い握手をして、僕は彼の担当医になった。
タランテラ 那降李相 @gasin2800
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