第16話 風穴
触手はまるで極太の槍のようだった。
少しでも角度を間違えれば剣は使い物にならなくなる。剣が使い物にならなくなれば、その時は死ぬしかない。
ヒュンっと音がして、しなる触手が飛来する。
冷静に見て、槍の側面に剣を当て体ごと横にズらす。
受け流しなど考えてはいけない。躱すための補助であり保険。
続け様に遥か上空より突きがもう一撃。
カイルは剣の腹に手を添えて、攻撃に追従するようにあてて寸前で身をよじる。
凌いだのは三撃。革の鞘はそれだけでボロボロに擦れていた。
内に秘められた刃が微かに見え始めている。それがカイルの焦りを加速させた。
真っ黒い球体は少しずつ大きくなっているように感じられた。炎が成すカーテンも少しずつ高くなっている。
怒っているのかもしれないな、とカイルは思った。
それを裏付けるかのように、次ぐ攻撃は二本同時だった。
しかしカイルは冷静に見極める。相手の方が大きい以上、攻撃が交わる一点が必ず存在する。そこに身を置かなければ二段攻撃として対処が可能。
カイルは両側から飛んでくる触手の片方に近づいた。
剣をあて、上空に体を逃がすと、飛来する二本目に空中で剣をあて、自身の軌道を逸らして躱す。
カイルは昔、闘技大会で三メートルを超えるのではないかという巨漢と戦ったのを思い出した。
あの時は細かく反撃を入れることで倒したが、この場合だとその手は使えそうにない。
というか、そもそもこの場合は勝つことが不可能だ。
再び同時攻撃。同じようにいなす。
改めて考えてみればあんまりだ。こんなのはただの悪あがき。
強い弱いという話ですらない。あまりに理不尽だ。
もしもライラがいなかったら、僕はこうして戦っていただろうか。とカイルは思った。
希望の見えない悪あがきを、しただろうか。それとも逃げていただろうか。
攻撃の本数が三本になった。
思考の猶予など消え失せる。だが同じようにやればいい。
一段目は跳びながらいなし、二段目を空中でしのぎ、三段目は着地と同時に捌く。
鞘の側面が一部欠損し、銀色の剣の腹が露わになる。
ほんの少し、体がよろけた。三段目で体捌きを誤った。僅かな触れだが、それがあまりに大きかった。
気づいた時には、目の前に無数の触手が迫っていた。
隙間がない。躱すことは不可能。
「……いや、」
まだだ。隙がないなら、
「作ればいい!」
カイルは歯を噛み締めて地面を蹴る。攻撃が交わる前に一本を一か八かで受け流す。
そういう、算段だった。
足は地面から離れなかった。絡め取られて動かなかった。
反射的に見てみれば、足元から真っ黒い触手が伸びていた。
カイルの思考が崩壊した。全身の力が抜ける。
「ああくそ」
その言葉に乗ったものは、怒りの感情にどこか似ていた。
パラパラと、ページがめくれる音がした。
次の瞬間、ピタリと音がしそうなほど不自然に、触手の動きが停止した。
カイルは目と鼻の先にある真っ黒な凶器に視点を合わせると、地面にへたり込んだ。
ライラは球体の方を見上げながら、読み上げる。
「『支配の先の幸福を。』〈空執事〉」
パタン。
「キイイイイイイイイイイィィィィィィ」
金属音のような咆哮。
空に浮かぶどこまでも黒い球体が、引っ張られたように伸びて一本の柱のようになる。
そして、まるで雫が滴り落ちるように、木の中へと姿を消した。
触手はぶつりと途切れて消え失せる。
「……生きてる」
カイルは眺めていた手のひらを地面について立ち上がる。
集中から解放されたライラは後ろからその様子を見ていたが、カイルが一度転んだのですぐ駆け寄った。
どうやらスリルを味わいすぎて、足から一瞬だけ力が抜けたらしい。
「平気?」
「……ああ」
カイルは情けなく地に触れながら、背後から近づいてくるライラに応答する。
続けて何か言おうとしたが、何も浮かばない。恥ずかしさとか、礼とか、謝罪とか、その他色々なものが混じって、最初の言葉が出てこなかった。
兎にも角にも、カイルは二度目でしっかり立ち上がる。ライラがすぐ側で立ち止まった。
カイルはとりあえず礼だけは言おうと思って、ライラの方を振り返った。
その時、
「ライ————」
カイルの視界に映ったライラの体が、上方向に跳ね、空中で静止した。腹に穴を開けた状態で。
黒い触手などは何もない。何も見えないのに、何かに貫かれている。あの時と同じだ。
炎のカーテンが激しく燃え上がった。
名前を呼ぶ声が、豹変する。
「ライラあああ!」
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