本と、獣と、ライラ
第11話 馬車にて
夜の森に拓かれた隙間を、馬車の明かりが進んでいた。
馬車は揺れる。ガタガタと忙しなく。雑音を立てながら進む馬車を迷惑だとでも言うように、木々が騒ぎ立てていた。
カイルは腕を組んで、黙って座っていた。目を瞑ってじっとしているが、少し眉間にシワが寄っていたりしていて、見るからに機嫌が悪そうである。
なぜ夜間に移動しているのか。答えは簡単。騎士団に申請した結果、一週間以内に捕まえて来いと言われたからである。カイルとライラは七日以内に結論を出さなくてはならなくなった。ちなみに二回目の夜間移動。
単純な四角い木の荷台、単純な四角い座席。最低限の
夜間に移動しなければならなくなったことも衝撃だったが、カイルの機嫌が悪い原因はむしろこの乗り心地にあった。
ライラの方は特に変わった様子はなく、カイルの顔をいろんな方向から眺めている。
「どうかしたの?」
「いや、別に大したことじゃない。僕なら耐えられる」
これくらいで怒っていては恥だ、とでも言いたいのだろう。
「そう言ってる時点で耐えられてないと思うけど」
その通りだった。
「ああそうだよ。耐えられないよ。安い馬車なのは承知してたけどな、この揺れは明らかに整備不足だし、掃除だって生半可だ。もう少し商売としての真面目な努力を、」
「すみませんお客さん。なにぶん夜間の走行だけが売りなもんですから」御者がふざけた調子で言う。少し掠れた低い声だった。「命懸けの運搬ってことで、今日のところは真面目な努力にしてもらえませんかね」
カイルは自分を落ち着けるための咳払いを一つはさむ。
「失敬。どうかお気になさらず、
すると御者は、「はは」と、細かい息を二回漏らす。もしかして、笑ったのだろうか。
見たところ歳は三十代後半くらい。常識的な清潔感はあるし顔も紳士のそれなのだが、どことなく暗い雰囲気を漂わせている。こういう人間に黒い仕事服は合わないな、とカイルは思った。
彼はカイルの話には入ってきたものの、混在の呪いは効果を発揮しているようだった。
要するにカイルの話はわかるが、その話し相手であるライラには関心が向かないし、それを不自然とも思わないということだ。どうやらちょっとやそっとじゃきっかけにならないらしい。
この呪い、存外にしっかりとできている。カイルはしばし思考に耽る。
あの時。上司がライラを認識するきっかけを作ってしまったとき。カイルはライラの方をチラリと見ただけだった。あの程度の動作がきっかけとなるのに、今この状況ではきっかけにならないのはおかしいのではないか。
カイルはライラを見た。底板から浮いた足をばたつかせながら、馬車の内部をあちこち眺めていた。特に馬車の先頭、御者の両脇に取り付けられた松明は、魅入ったようにじっくりと見つめている。
「ダルいとか言っていた割には楽しそうだな」
言うと、ライラは視線だけをカイルに向けた。
「そう?」
そしてまた松明に戻す。
「ああ。表情以外は」
やはりというべきか、ライラはずっと無表情だ。
あの時もライラはこうして、目の前の出来事と自分が全く関係ないかのように平然としていた。ライラ自身もあの程度できっかけになるとは思っていなかったということだ。
カイルに呪いが効かない理由もわからないようだし、ライラ自身も呪いにはあまり詳しくないのかもしれない。
ライラは
「この乗り物を発明した人はすごいって思った」
「何世紀も前の発明だぞ……」
諸説ありまくるが、教会設立よりはるかに前なのは確かだ。しかしながら人の発明の素晴らしさに古いも新しいも無いという点でカイルは共感した。
「初めて乗る子供なんかは、よくそんなことを言ったりするよな」
「うん、初めて」
「ん?」
「初めて乗る」
急に黙ったので、ライラはカイルに顔を向けた。彼の口が開いていた。
「旅人ではない?」そしてさらに訳のわからないことを言い始める。
「旅人であってるよ」今は夜だよ。みたいにライラは言う。
「え?」
「え?」
「移動手段は?」
「歩きだけど」
「だよな」今の時代、それは衝撃的事実だ。
だが考えてみれば当たり前ではある。ライラは空腹のあまり昏倒までしたのだから、それはつまり金がないということなのだ。食事より高価な馬車を利用できるはずがない。
しかしわからないのはその先である。
「君、今までどうやって旅をして来たんだ?」
「え、」ライラは視線を泳がせた。「まあ、適当に」
「具体的に」カイルの口調がちょっと説教っぽくなる。「どうやって食ってきた」
「えっと、そこらへんの草を、食べてた」
「植物についての知識があるのか?」
「いや……」なぜ正直に答えるのか。
カイルの目がみるみる細くなっていった。
「まさか、バレないのをいいことに盗みをやってたなんてことは————」
「してない!」勢いよく立ち上がってそう言った。
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