異形の血族

色街アゲハ

異形の血族(前編)

 今では細かく切り売りされ、小さな住宅が所狭しと犇めいて、当時の景観は見る影も無くなってしまったが、嘗ては広大な敷地を有し、その中に幾らか古風ではあるが、豪華な佇まいの屋敷に住む、何時の時代から続いているかも定かではない程に古い歴史を持つ一族が存在していた。

 この手記の書き手である私もその内の一人であり、今となってはその血を有する唯一人の者となって仕舞った。まだ私があの屋敷に住んでいた頃は、そうではなかったのだ。両親は既に鬼籍に入っていたが、その子供は四人居て、上から長男、長女、次女、次男、と続き、この私は二番目、次女に当たる。お互いの仲は、決して良い方とは言えなかった。妹とはそれなりに話す仲ではあったが、兄とは険悪、と云うより、向こうが一方的に此方を嫌っていた。いや、嫌っていたなどと云う生易しい物ではあれはなかった。憎んでいた。これ以上ない程の増悪を込めて私に当たって来ていた。弟はまた別の意味で話にならなかった。そもそも会話が成立しないのだ。此方の言う事が果たして通じているのか、それすら怪しい物だった。

 

 皆が皆、何かしらの問題を抱えていた。旧い歴史を持つ一族としての弊害だろうか。その身に流れる血が、様々な形で心身を苛み、人としての日常を営むのに著しく支障を来す程にその血は濃く、且つ悪性の物であり、皆それに振り廻されて、全く身動きが取れなくなっていたのだった。現状を切り開く事など出来る筈も無く、何もせずとも早晩滅び行く一族だったのだ。

 

 そんな中で、唯一人血の束縛を受ける事無く、普通の人間として何食わぬ顔で日常生活を送っていた私。今にして思えば、兄が私を目の敵にしたのも当然と云えば当然の話だった。

 一族の血の影響を何らかの形で体現していた他の者とは違って、私にはそれらしいしるしが無かった。少なくとも外見からは何一つ見い出せないばかりか、それを良い事に普通の人間の中に紛れて、兄に言わせると〝厚かましくも″人並みの生活を送っていた。

 一度ならず私を床に打ち据え、頭を踏み付けにしながら、兄は言った物だ。〝一族の面汚し″と。


〝お前の様な紛い物に自分と同じ血が流れていようなどと、到底許せる物ではない。″


 苦々しく吐き捨てると、兄は私を踏み付けている足により一層力を籠めるのだった。


〝お前の妹や弟を見てみろ。半端物ではあるが、しっかりとその血を引く徴を有しているじゃないか。妹の奴はその事を嘆いている様だが、全く理解に苦しむね。其れこそ我々誇り高い一族の証だと云うのに。喜びこそすれ、引け目を感じるなど、それこそ恥じ入る事じゃないか。どうせ、お前が余計な入れ知恵でもしたのだろう。澄まし切って凡愚共の真似事だけでは飽き足らず、他の者まで引き摺り込もうなどと、全く以て許し難い。今直ぐにでもその命を断って、亡き両親に詫びるがいい。両親はそれはそれは立派な方達であったのだぞ。野心を持たないが故に、この様な場所に収まってはいたが、その身に宿していた血の力は、他者を寄せ付ける余地の無い、真に偉大な物だったのだ。お前はそんなお二方の顔に泥を塗ったのだ。今直ぐその命で以て償え。何処へなりとも行って、人知れず誰にも看取られないまま、その命を無駄に散らすが良い。″


 口では散々な事を言っておきながら、兄が私に直接手を下す様な事は決して無かった。出来なかった、と云うのが正しいかも知れない。その血の為せる業か、この世の者とは思えない程の美しい容姿を持ちながら、満足に動き回るにも苦労する程に虚弱な体質に生れ付いて仕舞った兄。私を力の限り打ち据えている積りなのだろうが、幼子が戯れにじゃれ付いている様にしか感じられない非力さに、兄の抱く現状を如何ともし難い遣る瀬無さがひしひしと伝わって来て、私は兄に対する、そして私たち一族に対する悲しみが湧き起って来るばかりで、唯彼の気が済む迄、疲れ切ってその場に崩れ落ちて仕舞う迄、為すが儘にされる事しか出来る事は無いのだった。可哀想な兄様。


 妹、私の妹はこの世に生を享けるには余りにその性根が優しすぎた。いや、厳しい言い方をすれば、余りに脆弱に過ぎた。剥き身の、外からの刺激に対して何の守りも持ち合わせていない剥き出しの心は、癒される間も無く新たな傷を増やして行くだけだった。思い出すのは、泣いている姿ばかり。唯一、私が抱き寄せて頭を撫でている時だけは、安心した様にはにかんだ表情を見せていたけれど。

 屋敷の裏に小さな庭園があって、妹は其処で静かに物思いに耽るのが好きだった。季節の花が時期に応じて顔を覗かせ、色褪せた敷地内でも珍しく、目に鮮やかな明るい色彩に溢れる場所だった。

 私も妹も、気の滅入った時には(と云って、この屋敷に居る以上、殆どがそうであったのだけど)、其処に行って気を静めるのが常だった。過去も現在も、そして何より未来に何も見い出し得なかった私達にとって、この場所がせめてもの慰めの場所だったのだ。例え其れが仮初の物に過ぎなかったとしても。

 だから、私は手間暇掛けてこの場所に花の絶える事の無い様、手入れを惜しまない様にしていた。

 妹もそれを手伝おうとしたのだが。ああ、今でも思い出す。其れこそが妹を絶望の淵に突き落とし、生きる気力を根こそぎ奪われる事になる切欠になって仕舞ったのだ。


 その日は珍しく気分が上向きだったのか、何時になく明るく振る舞っていた妹は、目に彩な花々を見るにつけ、実に楽し気にはしゃぎ、手を叩いて庭園中を歩き回っていた。色取り取り、形も様々、見る者の気分を晴れやかにさせるだけの様相を、その日の庭園は確かに備えていたのだった。


〝見て、姉様、このお花なんて、とっても綺麗。″


 妹が手を伸ばし、花に触れたその瞬間だった。今迄表に出る事無く、鳴りを潜めていた妹の血の徴が発現したのは。目の前の芳香漂う、瑞々しい花弁が見る見る内に萎れ、茶色く変色したかと見ると、千切れて落ちた。其れに重なる様に、無邪気な笑顔は消え、その頬に射していた赤味が潮の引く様に退いて行き、後には白蝋の様な表情の無い仮面に、黒い虚ろな眼窩が覗くばかりで、其処には最早命を感じさせる何物も見出す事が出来ず、刹那、妹が死んで仕舞ったかと思ってしまう程だった。其れ迄明るく灯っていた蠟燭の炎が不意に搔き消されて仕舞ったかの様な喪失。そして、所狭しと咲き誇っていた花畑は、妹を中心に枯れ萎んでいき、乾き生命の抜け切った、死の庭園へと変貌を遂げていた。妹は自らが惹き起こした事から目を背け、顔を覆い、唯首を振り続けるばかりで、目の前の現実を受け入れる事が出来ず、其れを表す様に、内より生じた黒い茨が、忽ち妹を取り囲み、やがて其れは庭園中に迄広がって行き、嘗て生き生きと生命の息吹の満ち溢れていた庭園は、何物も寄せ付けない死の領域と化して仕舞ったのだった。

 

 庭園中に張り巡らされた、鉄条網の様な茨の茎は、周りの生命を悉く吸い上げ、枯渇させて仕舞おうとする為、事有る毎に一族の血の力をあれほど賛美していた兄ですら近付こうとしなかった。当然、私などが何か出来る事などある筈も無く、時折遠巻きに声を掛けるのが精々で、其れすらも返事の帰って来る素振りすら無いとあっては、己の無力さに只々苛まれるだけだったのだ。

 屋敷内で此の様な事態になっているにも拘らず、外では何食わぬ顔で(少なくとも表面上は)学園生活を送っていた私は、確かに兄の言う通り、体裁を取り繕う事しか頭に無い、鼻持ちならない卑怯者に違いなかった。遠くから声を掛けた処で、其れが妹に届く訳も無く、ただ自分の後ろめたさを誤魔化す為の自己欺瞞な行為。返事が無いのも当然の事。我が身可愛さの繰り言で妹の心を揺り動かす事など出来る筈も無く、却ってますます妹が内に籠る結果になって仕舞ったのではないか。其れを思うと今でも身を捩る様な思いに駆られる。

 自身の行いでますます妹の心を追い詰め、徒に悲しみを募らせていただけだったと。其れと知りながら、尚も真っ黒な茨の檻に隠れて姿の見えない妹に呼び掛ける事を止める事は出来なかった。未だ閉じ籠る前の、時折見せてくれた、あのはにかむ様な笑顔。ほんのりと徐々に花弁の開いて行く様な、此方を信頼し切った笑顔。妹は私に依存気味な処があったかも知れないが、何の事は無い、私の方があの笑顔にどれだけ救われた気分になって、其れ無しでは居られなくなっていたか。

 再び其れが見れるなら、其れが無理でも、せめてあんな全てを失った者しか持ち得ない虚ろな目であり続ける事の無い様に。そう思って、折に触れ、物言わぬ黒い檻にそっと、驚かさない様に声を掛け続ける事しか、私には出来る事が無かったのだ。

 

 外の世界では目まぐるしく季節が移り替わっていると云うのに、妹の居る檻の世界は、其処だけ時が止まって仕舞ったかの様に何一つ変わる事無く、思い返そうにも、もう妹の顔すら朧気になりつつあり、掛ける言葉も、最早居なくなって仕舞った人に対する物の様な、遠くに向けて投げ掛けている様な気になって来る程、薄らいだ物になって仕舞った。

 或る日、私が最早惰性でしかなくなって仕舞った黒い茨の檻へのお百度を澄まし、自室に戻ろうと踵を返したその時、ふと呼び掛ける声が聞こえた様な気がして、何気なく振り向いた。其処に何も変わった様子は無く、力無い溜息と共に向き直ろうとすると、今度こそ聞き間違え様の無い、此方を呼び止める声。其れは紛れも無い妹からの物。今にして思えば、その声こそが、私の血の徴が目覚めつつあると云う何よりの、そして、残された一族の終わりを告げる呼び掛けであったのだ。


 〝姉様。″


 しかし、その声は音としてではなく、直接心に響いて来る類の物。其れに接して私は全てを察して仕舞った。何て事だろう、あの日妹が黒い茨に閉じ込められて仕舞ったとばかり思っていたあの時には、既に自ら生み出した茨の塊に妹の身体は吸い取られ、跡形も無くなっていたのだと。こうして語り掛けている声、其れは辛うじて残された妹の意識の残渣に過ぎない、と云う事に。檻の中に閉じ籠った妹に向けて語り続けた今までの日々は全て無駄な物だった。


〝姉様、御免なさい。御免なさい、姉様。″


 恐らく妹はずっと前から私に向けて語り続けていたのだろう。唯私の心が在りもしない妹の姿に向き続けていたが為に、その声が届く事が無かったのだ。又しても私はやってしまったのだ。自分の身勝手な思い込みで妹の本当の声に耳を傾ける事もせず、自分の作り出した幻影を追い続け、徒に時間を浪費し、挙句妹を失望させるだけだったのだ。


〝姉様、お願いがあるの。どうか、私をこの軛から、この絡まった茨の檻から解き放って。″


 妹の懇願に私は困惑するしかなかった。一体此の私の何処に妹を開放するだけの力が有るというのか。そんな力が有るのなら、既にそうしていただろうに。そもそも妹をこんな目に遭わす事も無かった筈だと云うのに。


〝そんな事無い、私を助けられるのは姉様だけ。″

 無理だ、私にそんな力は無い。

〝だったら、″


 そうして、妹は私が今迄に無意識の内に避け続けていた事実を告げるのだった。


〝どうして姉様は、私の傍に居て平気でいられるの?″


 刹那、目の前が弾ける様な感覚と共に、私は今や妹其の物である目の前の黒い茨に手を伸ばす。互いに固く絡み合い、どうあっても解けそうには見えなかった茨の塊が、拍子抜けする程あっさりと解れ、其の儘、くたり、と崩れて落ちた。見る間に其れ等茨の蔓は解ける様に消えて行き、後には花も茨も無い、空虚な空き地が広がるばかりだった。

 突如として発現した己の血の徴に振り廻されていた為か、その時の私は妹に手を下した事に何の感慨も抱かず、いや、むしろ朧げな記憶ではあるが、口元には笑みさえ浮かべていただろう。

 今迄抑え付けられていた本当の自分が漸く表に出て来た解放感に、それ以外の事など最早どうでも良い些末な事でしかなかったのだ。その恍惚感は想像を絶する程強烈な物だった為、もし消え行く妹の今際の際の言葉が無かったら、私は其の儘自らの血に翻弄されるがまま、唯力を振るうだけの意思の無い者と化していただろう。助ける積りが、又しても妹に救われる形になって仕舞ったのだ。どうか不甲斐ない姉さんを許してね。

 

 視界が赤く染まる程の極度の興奮状態にあった私の頬を、不意に撫でる様な微風に、其れ迄の荒れ狂った感情が嘘の様に鎮まり、風と共に消え行こうとする間際に、耳元にそっと添えられた最後の言の葉。


〝有難う、姉様。どうか何時迄も健やかに。″


 微かに残る甘い香りの様な余韻を漂わせながら、妹の気配は其れ切り消えた。永久に。


 

 



 

 

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