ふたりは殺し屋 ~SIGMA×GAMMA~

カオル

第1話 イカレた殺し屋

 四月、夜、ワンルームの部屋、淡いピンクのカーペット。

「け、警察呼びますよ!……うっ」

 そのカーペットで、女は蹴り倒された。お尻、背中、頭と地につき、天を仰ぐ状態になる。そこですぐに馬乗りにされた。

「や……やめ……」

 女は手を顔の方へ持ってくるところだった。手のひらを上にして、それはちょうど、強い日差しから目や顔を守るような見た目だったが、いま女に降りかかろうとしているのは、日差しよりも全く、防ぎようのない暴力だった。

 びちっ。

 容赦なく顔を殴られた。

 びちっ、ごきっ——。

 止まることなく殴られた。肉と骨が砕ける音。有無を言わさぬ圧倒的な暴力が、女に降りかかっている。


 びちっ、ごきっ、びちっ——。


 ——。


 ——。


「チッ、死んだ」

 二十秒ほど経って、雁馬ガンマはそう言った。一重瞼で白い肌のあっさりした顔だ。何かのモデルと言われれば、そうかもしれないと納得するだろう。でも実際はこの前まで地下格闘家だった、そしていまは転身した、新人の殺し屋だ。

 肩から首を落とす。行き場を失った力が、背中の辺りから抜けていく感じがする。雁馬は女の腹の辺りに座っている。


 人はこうも簡単に死ぬのか。


 雁馬は思った。死ぬまで人を殴っていいと聞いたから、俺は殺し屋になった。でも人がこうも簡単に死ぬとは聞いていない。だったら俺は殺し屋にはなっていない。地下で強者どもと殴り合っていた方が全然マシだ。


 はぁ……。


 俯いて、ぐちゃぐちゃの女の顔を見ながら、雁馬の脳裏には、魯烏ロウという紳士が浮かんでいる。白髪で細い見た目は、ただの老衰なのか、無駄を削ぎ落とした果ての姿なのか。全てこちらを見透かしているのか、ただそれっぽくしているだけなのか、とにかく、魯烏は掴みどころのない紳士だった。

「……あのクソジジイ」

 とりあえず雁馬にはクソジジイだ。魯烏を想像していると、眉間にピリ、と亀裂が入る。「そのうち殺す」と俯いたまま、静かに言った。


 そこで、

——あれ。


 雁馬はふと、視界に映るものに違和感を覚える。視界に映っているのは、件の、ぐちゃぐちゃの女の顔だ。


 名前は——。


 事前に確認しているはずだが、名前が、妙に思い出せない。この女の名前は——なんだったか。


 死体管理の業者に引き渡す際に、身元の確認が必要になる。その際でいいか、と雁馬はそこで考えるのをやめた。


「獅熊ぁ!」

 雁馬は大きな声で名前を呼んだ。狭くて四角いワンルームに、声が反響する。時刻は深夜一時を過ぎている。

 少しして、呼ばれた男がゆっくり、扉を開けた。

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