第4話 賀田墨村



 以上が、「賀田墨村」に伝わる「にだいおう」の話である。


 確かに、桃から生まれた子供が、村のために戦って英雄となる話だが、桃太郎とは大きく違う。

 というか、桃から生まれた以外に、「にだいおう」は桃太郎との共通点はないと言えるだろう。

 しかし、のちの調査で両者は完全に別物とは言い難い要素も出てくるので、実は何か関連性はあるのかもしれない。それはまた、後述する。




 とにかく、この「にだいおう」の物語は、村人とっては極めて神聖なものとされている。彼らにとっては「聖書」みたいなものだ。



 ちなみに、さっき紹介した賀田墨村文化振興会発行の「にだいおう」の物語は、私が購入したものではない。この村に住めばわかるが、住民のポストへこの絵本が定期的に投函されるのだ。つまり、無料で配布されている。


 この前、これが300円でネットの通販に出品されていたが、基本的に外部へ持ち出してはならないことになっている。


 とにかく、この物語を村に徹底的に刷り込むことを、熱心にやっている団体がいるということだ。それぐらい、大事にされている物語なのだ。




 先述の通り、この村にとって、このファンタジー要素の強い昔話は、事実だと認識されている。「にだいおう」や「燕王」は歴史上の人物として扱われ、そのほかにも物語に登場した要素は全て実際に存在したことだと思われているのだ。




 たとえば、物語では太陽と月の仲が悪いことで、昼夜が繰り返されることが書かれている。これも、村人としては事実として受け入れなくてはならない。


 私も、子供の時、そのように教えられた。もし、これに異議を唱えるならば、必ず怒られる。「にだいおう」の物語に歯向かってはならないのだ。

 また、怒られるぐらいで済むというのは、少しだけ時代の進歩を感じる。一昔前では、物語に意を唱えたものは鎌で八つ裂きにされたらしい。だから、昔と比べれば、この物語への異常な信仰度は薄まってきていると思う。







 しかし、当然ながら、学校の理科の授業では、そのようなことは習わない。昼と夜が交互に訪れる理由は、地球が自転しているからなどと説明される。

 

 村の教育機関はあくまで中立を保ち、「にだいおう」の物語はあくまでフィクションという立場をとっている。だから、村で唯一、学校だけはこの物語の影響を受けていないと言える。



 だから、テストで「昼と夜が交互に訪れる理由は、かつて太陽と月が戦争をして、お互いを嫌っているから。」などと回答すれば、誤答という評価を受ける。


 このように「にだいおう」の物語に一切配慮しない学校の態度を、村人はどう思っていたかはわからない。だが、とりあえず科学的に正しいことを言っているのはわかっていたようで、学校を批判する者はいなかった。



 だから、私たちは幼いなりに、世の中には二つ以上答えが存在する場合があるのだと学んだ。学校では義務教育の内容を、そしてそれ以外の場所では「にだいおう」の物語を基準にして、臨機応変に答えを大人達に提出した。









 さて、私は今、26歳のサラリーマンである。村を離れてしばらく経つが、故郷に伝わるこの不思議な話をもっと広めたいと思い、独自に調査をしてきた。



 その結果を、ここに記したいと思うが‥。



 結論から言うと、私はこの調査で見てはいけない「モノ」を見てしまった。そして、大きな事件に巻き込まれてしまった。


 今、この物語が導く先に、行くべきではなかったと後悔している。







 そして、この「今日だけ存在する歴史」という本は、私が「にだいおう」の物語を調査した記録であり、日記みたいなものである。


 






 





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