雨降るひとときこの世界は海になる

 殺風景な白い砂地が続く。

 視界の端まで広がる砂の原はひたすら平坦でどこまでも開けている。時折目に入るのはところどころで小さな群れを成す草木や岩などの静物たちくらいで、足元に広がる白い砂と対照的にそれらはどうしてか全てが青に染まっていた。

 他に何かないものかと見回してみるも、辺りはぼんやりともやのようなものが掛かっていてどこかすっきりしない。地平線は曖昧で空との区別は付かず、その空も色を見失っているようだ。

 おぼろげな白と青の世界は静寂に包まれており、砂を踏む足音だけが耳に届く。


「何も無いところだね」


 ノーマッドの肩から退屈そうなカダルの声がこぼれる。

 歩いても歩いても景色が変わり映えしない。こんな場所を歩くことも珍しくはないし慣れている、……慣れてはいるけど、退屈しないということもない。砂に足を取られ歩きづらく足取りがいつもより重いのも相まって尚更だ、景色が変わり映えしない。

 何か面白いものはないものかとこれで何度目か、おぼろげに霞む先に目を凝らしてみる。と鼻先にぽつりと冷たいものが落ちるのを感じた。


「雨かな?」


 カダルにも落ちたらしく、宙を見上げる。霞む空の向こうから、ぽつりぽつりと雨粒の筋が零れるのが見えた。

 この程度の小雨なら気にしないんだけど。と雨の様子を窺ってみるも望みとは裏腹に、雨音は止まる気配を見せずに徐々に強く早くなる一方で、だけど雨を防ぐ場所は見当たらない。

 やだなあ、雨の苦手なノーマッドはぼやきながら雨具を出そうと影に向き合う。もういいかい、その声に呼応し影からトランクがとぷりと浮かぶ。


「……どうかした?」

「……あれ、なんだろ」


 ふとノーマッドの伸ばした手が止まり、その様子にカダルは不思議そうに覗き込む。ノーマッドの視線はトランクに向いておらず、カダルはその先を目で追った。

 そこには白い砂地の上を、宙を、ゆらりと漂う青があった。例えるならば水に溶けだす絵の具のように、宙をゆらゆらと漂い、そして雨粒に当たると滲んでいった。


「なんだろうね、さっきまで気付かなかったけど」

「一体どこから……あ、あそこ」


 ――青が溶けてる。

 ノーマッドが指差す方には先ほどから目にしていた青に染まる草木と岩、その青が、雨に濡れて溶けている。

 青は雨粒の撫でる場所からゆらゆらと浮かび上がると宙に彷徨いだし、そこでまた落ちてくる雨粒に触れると次は宙にとけ混んでいった。

 気付けば辺りは溶けだした青で染まりつつあった。


「ねえ見て、青の溶けたところ」


 視線を周囲を包む青から佇む静物の群れに戻す。青が包み隠していたのか、雨が流したそのあとには紅、桃、橙、黄、翠、とりどりの色彩を纏う草木や岩が顔を覗かせ始めた。それらはまるで本来の姿を取り戻したように、青がすっかりと流れた後は雨に濡れるほど輝くように鮮やかさを増していく。

 おぼろげで色の乏しかった世界が徐々に華やいでいった。


「なんだか面白いね、ほらこの木、幹の色がピンク」

「青色の木も十分変だった気がするけど?」

「それもそうだけど、なんか、みんな青色だったからあまり気にならなかったかも」


 それにほら、葉っぱはもっと変わってる、ひとつひとつの色が違って――

 彩りに惹かれ鮮やかに色付く木々に近寄ってみて、おや?と思う。風もないのに木の葉がわさわさと揺らいでた、それは雨が強くなる程にどんどんと。

 どうしてだろう?好奇心で手を伸ばす。と、触れようとした瞬間に木の葉はその手から逃れるよう、一斉にばあっと宙へと飛び散った。


「……魚だ」


 それは魚だった。木の枝にくっついていたものは葉ではなかった、魚だった、木の枝に留まり休んでいた魚の群れだった。

 魚たちは散り散りに宙へ飛び上がったかと思うと二人の頭上でまた集まりだし、そしてまるで水中に在るかのように雨の中を自在に泳ぎ回った。青の溶けた魚たちもまたそのひとつひとつが鮮やかで、群れともなると色彩豊かなグラデーションが織り成された。

 カラフルな魚群は雨粒の降り注ぐ中を華麗に旋回する。


「あはは、なんだか海底にいるみたい!」


 青に染まる世界は水の中のよう、鮮やかな装いで佇む木や岩は珊瑚のよう、ゆらゆらと雨に踊る草葉は海藻のよう、そんな景色の中で宙を泳ぐ魚を見上げながら追いかけていくのは、なんだか海の底を歩いてるような気分だった。

 そうしてノーマッドが楽しげに声を上げて笑う様に、カダルは少し意外そうな声を上げる。


「いいの?濡れちゃうよ」


 いつの間にか雨具を出すために呼んだはずのトランクは仕舞われていて、もちろん雨具は身に付けておらず、増すばかりの雨脚にノーマッドはすっかり頭のてっぺんから足の先まで滴るほど濡れていた。肌に服に雨が当たっては流れもう染み混む隙もないほどだ。

 普段あれだけ濡れるのを嫌がるのに、それはもう、雨が上がるまで旅の歩を止めてしまうこともあるくらいには。


「えー、だって」


 ノーマッドは濡れるのも全く気にしていない様子で、重くなった衣服も意に介せず、楽しそうに両の腕を広げたままくるりと回る。


「海の中で傘なんて差さないでしょ?」

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