ポストの森の文喰獣と言の葉の郵便屋

 そこはまるでポストの森のようだった。背の高いポールの上には色も形も様々なポストが備え付けられ、辺り一面に立ち並んでいる。

 ポストの森には誰にも届けられることがなかった手紙が届く。届け先を失い行き場がなくなった手紙、迷子になってしまい目的地を見失った手紙、そんな手紙たちがどこからか集まってくる。


 ふと、高くそびえ立つポストの、その足元へと視線を下ろせばそこは一面白で覆われていた。

 ここは雪で覆われた白銀の世界――


「もこもこ」


 と思えばそうではなく、触れた白に柔らかな厚みがあった。ひんやりとした冷たさはなく触れても溶けることもない、それどころか暖かみすら感じるそれは雪ではなく動物の体毛のようだった。

 よく見れば白の塊の中に羊のような頭が付いている。

 辺り一面を覆う真っ白なそれは雪ではなく、その生き物の毛だった。ポストの下を地面の色がわからなくなるくらいの獣がひしめき合っている。


 この羊のような生き物は文喰獣と呼ばれている、ポストの森に届いた手紙を食べているからだ。――正確に言えば、食べているのは手紙ではなく手紙に書かれている文字なのだが。

 文喰獣達はポストの背の高いポールを揺らしてはそこに入っている手紙を落としている。手紙がひらひらと舞い落ちる度、我先にと一斉に顔を上げ必死に口を突き出しめえめえと声を上げては手紙の着地点を追う。

 しんと静まり返った群れは雪原と見間違うほどだったが、一度獣達が餌を求め始めれば先程までとは打って変わりなかなか騒がしかった。


「変わった角をしてるね」


 文を食みまた一時大人しくなった文喰獣を眺めつつ、ふと不思議な形状の角に目が行く。その角は植物の蔦のように細く、そこから幾つもの黒い葉を茂らせていた。

 その葉は文喰獣の食べた手紙の言の葉から出来ていた。文喰獣が手紙を食べれば食べるほどその不思議な成り立ちをした角は大きく立派に育ち、多く葉を茂らせていく。

 真っ白な毛にその黒い角はよく映えた。


「あれ、なんだろう」


 真っ白の視界から何か黒い影が見えた。それは文喰獣達の僅かな隙間を縫うようにして素早く動き回る。

 よくよく目を凝らしその姿を追ってみれば、その黒は文喰獣の半分もない小ささで、止め処なく形を変えながら、というより定まった形がないのか、絶えず体中の黒を蠢かせている。


 それは、文喰獣の食べた手紙からこぼれ落ちた言の葉の残骸だった、言の葉の残骸が寄せ集まりできた塊だった。

 言の葉の残骸は文喰獣達に見つからないように絶え間なく動き回り、そして文喰獣達の食べこぼしを拾い集め自らの体に取り込んでいく。言の葉の残骸は食べこぼしを取り込むほど体が大きくなっていく、しかし拾い集めたそれを留めることができないのか動き回っているうちにボロボロと崩れていきまた小さくなる。

 言の葉の残骸は文喰獣の食べこぼしと自分の零した欠片を延々と拾い続けていた、そうしていないと存在を保ち続けられないのだろう。


 しばらくその様子を眺めていると、絶えず動き回っていた言の葉の残骸は唐突に動きを止めた。どうしたのだろう、と思った次の瞬間にはびゅんと飛び上がり、そしてそのまま背の高いポストの上に登っていく。

 どうやらポストの上で一息付いてるようだ。じっとしている間は体が崩れるのを幾分か抑えられるらしい、小さな欠片がはらりはらりと零れるだけだった。


「ほんとは他の子へのお土産だったんだけど」


 じっと様子を眺めているだけだったノーマッドはしばらくしてそっと歩みを進める。

 文喰獣の邪魔をしないようにその隙間を掻い潜り、言の葉の残骸が休むポストに近寄る。突然目の前に現れた見慣れぬ生き物に驚いたのか、言の葉の残骸はびくりと蠢く体を揺らしたが、竦みからか警戒からか好奇心からか、その場から逃げることはしなかった。ノーマッドは言の葉の残骸ににこりと微笑みあいさつをすると、手にしたトランクの中から小さなコートを取り出した。子供が着るほどの大きさで深い緑をしたコートだった。

 ノーマッドはそのまま、そのコートを言の葉の残骸に被せる。

 すると、不定の黒い塊がまるで服に合わせるかのように人の形を作っていく。言の葉の残骸の意志に関係なくその体は普段よりも盛んに蠢き、そして瞬く間に真っ黒な、影のような小人のような姿へと変わった。


「気に入ってもらえるといいんだけど」


 言の葉の残骸はきょとんとした様子で与えられたコート越しに自分の体を確かめる。少し大きかったのかコートはだぼだぼと袖が余ったが、人の姿を得て体を留める形を手に入れたためかそれまで蠢いてた黒はぴたりと止まり、崩れることはなくなった。

 自分の変化に驚いているのか、喜んでいるのか、言の葉の残骸はその場でぴょんと高く跳ね、そしてそのままポストからポストへとぴょんぴょんと飛び回った。どんなに激しく動き回ってももう体が零れ落ちることはない、それが信じられないと言った様子で言の葉の残骸はさらにぴょんぴょんと飛び跳ねる。


「どうしたの?」


 ひとしきり飛び跳ねまわっていた言の葉の残骸はノーマッドのほうに戻ってきた。

 お礼が言いたいのか感動を伝えたいのか、だぼだぼの袖越しに両腕をぶんぶん振り上げて興奮を露わにする。かと思えば、急に何かにハッとした様子で動きをぴたりと止め、そして次には振り上げていた両腕をそのまま突き出してきた。

 その両腕はノーマッドに、というより、ノーマッドの傍に置かれたトランクに向かい伸びている。


「届けてくれるの?」


 ノーマッドは言の葉の残骸が突き出す手に一通の手紙を差し出す。コートを取り出す際に一緒にはみ出てしまったものだ。宛名は書かれていない。届けられることのないまま、ずっとトランクの中に眠っていた手紙だ。

 誰の元にも届けられることのなかった言の葉の残骸にとって、届けられることのない手紙というものは他人事ではないのだろう。放ってはおけないと言わんばかりの様子でノーマッドから差し出された手紙を受け取る。


「それじゃあよろしくね、言の葉の郵便屋さん」


 ノーマッドの言葉に、ただの残骸でしかなかった言の葉の郵便屋はこくりと頷き、軽やかに跳ねた。先程のようにポストからポストへとぴょんぴょん飛び跳ねていき、そしてそのまま姿は見えなくなった。

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