第57話 誓い
「いや……今にして思えば、
あいつの得意技は、鞘に納めた刀を抜きながらの一閃なんだから。
俺が呟くと、
「私もそれ、変だなとは思ってたけど」
「そういえば、いつもは鞘に刀を収めたまま立ち回ってるんだっけ」
ヒガサとミンクスから同意を頂けた。
「聞けば聞くほど、アドラスって男がよく解んなくなるなぁ?」
ダクトが自分の頭を拳でグリグリしながら言った。それ、癖なのか。
「いい人、ではあるんだと思うけどね。沢山お世話になったし」
ヒガサは笑みを湛えていた。先ほど刀を向けられた相手に対し、思うところは特に無いみたいだ。これが信頼か。
エイリアを縦断するように歩きながら、俺たちは途切れることなく会話をしていた。
それは多分……これが最後の会話になると知っているからだ。
別れを惜しむように、俺たちはゆっくりと歩いていた。
「ヒガサが副局長に拾われた、ってのは何歳の時なんだ?」
「えっ?」
驚いたようなヒガサの顔が意外だ。
「お嬢様、そんなことまでこの吸血鬼に……?」
俺に言葉を返したのはミンクスだった。吸血鬼て。そんな他人行儀な呼び方。まあ確かに、親交は無かったけどさ。あと、もう人目を
「えー、話した記憶ないんだけどなあ」
記憶を
ちなみにどれだけ記憶を漁ろうが、そこに求める答えはないぞ。
「ピーアが言ってたんだよ。アドラスが拾ってきた時より、ヒガサは明るくなったー、とかそんな感じのことを」
「あのピーアが、そんなことを……」
ヒガサは虚空を見つめ、感慨深げに呟いた。
彼女らの関係は、いまいち分からない。仲は良かったのか、悪かったのか。
だけど、先ほど揺れ動いていたピーアの行動こそが、それの答えとなるんじゃねェのかな……。
「レンドウ君のさっきの質問に答えるなら、私がアドラスに拾われたのは……≪ヴァリアー≫に入ったのは、十五歳の時。五年前だね」
五年間も所属した組織から追い出されるってのは、どんな気持ちなんだろうな。
……ああ、里に戻れないみたいなもんだと思えばいいのか……。
ふふ、と彼女は笑うと、
「この際だから、全部言っちゃうとね。私の本当の故郷は……サンスタード帝国じゃないんだ」
「まじかぁ」
ダクトが後ろで適当に相槌を打つ気配。
彼にとっては、意外でもないらしい。
「お嬢……」
ミンクスは驚いたようだけど、もう情報の流出を止めるつもりはないらしい。
お嬢様の
「まぁこの髪の色じゃ、帝国出身には見えないよね」
ヒガサはそう言って、己の藤紫の髪を右手の指でクルクルしてみせた。
「そうか? 別に色は……染めてるかもしんねぇってだけだから、人種を疑う理由にはなんねぇと思うけど。そう言うってことは、それは地毛だったんだな」
高確率で帝国の血が入っているのだろう金髪をしたダクトの言葉に、ヒガサは頷いた。
「そうだよ。二人は知らないだろうけど、この世界を包む≪嵐の海域≫。その向こうにある大陸で暮らしてた……あ、これでも貴族だったんだよ」
「……いや、貴族なのは意外でもないけどな」
隠せるようなもんでもないだろ、そのオーラは。
「そう?」
「高貴な感じがしてたし……」
「……ありがとう」
少し照れた様子で彼女は言った。
……≪嵐の海域≫、か。
前にレイスに描いてもらった地図にもあったな。暗黒大陸の方は知らないが……少なくとも今俺たちが足をつけているイェス大陸周辺の海を取り囲むように展開されている、人知の及ばないエリアのことだ。
“災害竜”の異名を持ち、個体名をテンペストという……想像を絶する大きさをしたドラゴンを親玉に、数多のモンスターがその嵐の中に巣食っていて、決して越えることは叶わないそうだ。
だからこそ人類は、その先には別な大陸が存在するという伝承の真実を、もう何百年にも渡って確認できていないままなのだという。
一体何が起こればその嵐に隔絶された先の世界からこっちに入ってこれるのかは想像もつかないが。きっとそれは生半可な偶然では成しえないもので……本人の意思で、自由に行ったり来たりすることはできないんだろう。出来るなら、とっくに中と外で情報が共有されてるハズだもんな。
「やっぱり……帰りたいのか? ……帰りたいよな」
傷つけたくないという気持ちはある。
でも、どうしても気になるから。しどろもどろになりながら問いかけた。
「それはまぁ……うん。帰りたくないと言ったら嘘になるね」
ヒガサは笑みを絶やさぬまま、それに答えてくれた。
「でも、アラロマフ・ドールは……≪ヴァリアー≫は、もう私の第二の故郷だから。いつか絶対、ここにも帰ってくるよ」
「……あ」
「おうよ!」
ああ、と頷こうとしたんだが。背後よりヒガサの背中を叩きながらのダクトの強い同意に持ってかれた。
ちっ。親しげにしやがって。
……そりゃ、まぁ?
こいつの方がずっと付き合いが長いんだろうし。ガマン、ガマン……。
「――じゃあ、これで」
その言葉に、胸を刺されたような気がした。
なんだこれ。
いつの間にか、街の出口の一つまでたどり着いてしまっていたのだ。
別れを湿っぽくするつもりが彼女に無いのは、重々承知しているつもりだった。
――なら……一体何が不満なんだ、俺は。
いつものように……振り返ることなく、片手をひらひらと振りながら去ってしまう高潔な彼女に、何を求めているのだろうか。
「ヒガサっ」
背後で「……レンドウ?」とダクトが訝し気に声を発したが、それどころじゃない。
や、俺だって解んないんだよ。なんで声を出してしまったのか。どうして呼び止めてしまったのか。これ以上なくすっきりとした別れを、何故自分は拒んでしまうのか。
結果……彼女たちは立ち止まり、振り向いたヒガサの表情は……なんと言えばいいのだろうか。
その表情の意味は、俺には解らなかった。
ネガティブな感情、ではないと思うんだけど。
「レンドウ君……」
ヒガサが俺に歩み寄ってくる。
仕方がないなあ、と。そんな感じだろうか。
「そ、そこまでするんですか……!?」
ミンクスが驚いたように声を上げるが、いまいち何が進行しているのか把握できていない俺。
ヒガサは俺の前まで来て立ち止まり、体勢を屈めていた。
片膝を折った姿勢で、
えええっ?
――手の甲に、優しく唇が触れる感触。
「へあ……」
変な声が出た。
……俺は女の子じゃねェのに……ッ!!
賭けてもいいが……今もう一度口を開いても、似たような結果に終わるだろう。
必死に口を噤んだことだけは、評価してもらいたい。
彼女はその体勢のまま……目線を下に、口を開く。
「――我、ヴァレンティーナ・ラーツォヴァー。これより流浪の旅に立つが、我が祖国レピアータの名において、縁の地を捨てることは無い。我が愛する全ての民の騎士として――、」
ここで彼女は顔を上げて、安心させるように。
茫然としたままの俺に笑いかけた。
「――君たちの騎士として、必ずここに戻ることを誓う。……誓います」
そして立ち上がると、「ピーアのことをよろしく」と言った。その時には、一瞬見せた儀礼的な雰囲気は消え去っており、いつものヒガサお姉さんだった。
俺は全力でそれに二回頷いて、今度こそ歩き去っていく彼女をぼうっと見つめた。
なんだよ、今の。それで安心したというか、乗せられたというか、いい気分になっちゃった俺も……なんなんだよ!
――だって、あれは。
……騎士みたいなのはいいとしても、男性の所作じゃねェのか。
彼女の唇が触れた左手の甲を意識すると、顔中が熱くなるのを感じる。
……完全に、王子様系女子に恋する女子みたいになってるの、めちゃくちゃ嫌なんだが? しかも目撃者が何人かいるし。これが二人きりだったなら、まだ……。
「えーっ、と。あっちはなんか盛り上がってるけど、お前も俺になんかしてくれたりする?」
ダクトが己の頬を指差しながら、茶化すようにミンクスに言ったのか。
「――そこを叩いてやれば満足するの? ……はぁ、馬鹿言わないで。ほんとにきみは……」
ぷんすか、といった様子でピンク色の髪の少女は、「これからも頑張って……死なないでね」とだけ言い残して、先に歩き出していたお嬢様を追って速足で去っていく。
ふふっ、と笑って。
「っかー。つれねぇ女」
何かを吹っ切る様に夜空を見上げたダクトが印象的だった。
最後の瞬間まで背中を見ていようとか、考えないんだな。
いや……最後じゃないのか。
再会の約束はした。なら、彼女たちの背中が見えなくなる瞬間を見る必要は……確かに無いのかもしれない。
……ダクトに倣って、俺もしばしの間、星を数えて過ごすことにしよう。
* * *
「……さて、と。んじゃま、急いで戻らねぇとな」
やがて、顔を下したダクトが言った。それを追いかけるように俺も視線を戻せば、もはや彼女たちの姿は消え去っていた。
「……なんか用事があるのか?」
訊くと、ダクトは言いづらいことでもあるかのように「あぁ……」と前置きしてから、
「
平等院というと、あの栗毛の小男か。なんかせこそうなやつ。
「伝えとかないとどうなるんだ?」
「嫉妬で俺とレンドウが攻撃される」
ダクトの顔は冗談半分、しかしもう半分は真剣だった。
「ああ、そォいう……。確かに、それはやめてほしいなァ」
平等院は態度に出さない様に頑張っているけど、ヒガサ好き好きオーラを隠せない、そんな男だったな。
「知ってて教えなかったなんてことになったら、後が気まずいからな~。正直あいつの恋路はもうバッドエンド直行してんだけど。今からヒガサ達を追って会えるかどうかはともかく、まぁ、努力くらいはさせてやろうかなって」
「いまいちその、平等院とやらの人となりを知らないからなんとも言えねェけど。お前がそう言うなら、急ぐべきなんだろうな」
あん? と振り返って走り出そうとしていたダクトが俺を見た。
「別に、レンドウも全力ダッシュする必要はねぇけど」
善意からそう言ってくれているんだろう。
「いや、ちょっとお前に相談したい事あるし、ついてくよ」
目をパチクリさせた後、それでもダクトは嬉しそうに頷いた。
「オーケィ。んじゃ、いこぜ」
――ゆっくりと歩いてきた道を、二人で駆け抜ける。
傍らを走るこの金髪の男、まったく息を切らす様子がない。とんだ化け物だ。
疲れづらい体の構造をしているのは俺も同じだけど、現代の人間の多様性には舌を巻くばかりだ。俺が読んでた本に出てくる人間という種族より、ずっと強靭なんだよな。
「アドラスが何を考えてるかって?」
ただ黙々と走っている、というわけではない。会話を挟みながらの疾駆なのだ。それでよくこの速度を維持できるもんだよな。
「ああ。なんかあいつッ、戻ったら……俺に今回の事の責任を取らせるとか怖ェこと言ってやがったんだけどッ……なんなんッ、だろ」
あ、やばい。気を抜くと声が震える。まじか。
吸血鬼である俺の方が体力的に劣ってるなんてこと、あっていいのか?
「――ふぅむ」
考えるそぶりを見せた後、ダクトはしみじみと呟く。
「そりゃお前、大分しごかれるだろうなぁ……」
辟易とするしかない。
「あ、やっぱり? 容赦ッ……。無いんかねェ……」
「あの男は周りの目を、空気を気にしすぎるきらいがあるからな。≪ヴァリアー≪の隊員全員が納得するような、そんな見せしめがレンドウには下る……気がする。ゴメン」
うへえ。
副局長アドラスの行動は、その全てが彼の本心のままのものではないってことか。いや、誰しも多少なりともそういう折り合いのつけ方はしてるだろうけど。ちょっと行きすぎなレベルでってことか。
ってか。
「……なんで、お前が謝るんだよ」
はた、と気づいたようにダクトは視線を上へと向ける。
「あぁ? ……なんでだろうなぁ。……人間としてッ。……かな」
「そっか」
……くくっ。
ダクトのセリフの中に僅かな疲労の色を感じてちょっと安堵したのは、内緒の話。
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