第45話 劫火の接触
◆アルフレート◆
追い
――この部屋の持ち主には悪いが……効率のためだ。
馬鹿の一つ覚えのように獲物を愚直に追うことしか知らない獣ごときが、この俺を追い詰められるはずがないだろうが。馬モドキだけに、馬鹿ってか。丁度角も生えてやがるしな。鹿よりもずっと恐ろしい、
一番乗りに部屋に侵入し、俺へと飛びかかるそいつを後ろに跳躍して躱し、壁を蹴って跳びあがる。そして――――壊し尽くす。
やがて――処刑が終わると……当然、この部屋には俺一人しか生命体はいなくなる。
……いなくなった、そのはずだが。
何かがおかしい。
俺の脳みそのある部分。あえて例えるなら第六感……とでもいうべきものが、近くに何かが“いる”と囁いていた。
「誰だ」
誰もいないはずの空間へ……虚空へと声をかけてみる。傍から見れば、きっと物凄く馬鹿っぽい光景だろう。気が触れたように見えるかもしれない。
だが、俺には確信めいた予感がある。
耳や鼻で周囲を探っても、どんな生物の気配もない。馬モドキはあらかた寄せ集めてから狩り尽したし、隊員たちは未だ一階の宿舎の中などをうろつこうはずもない。
『ほォ……そっちからも分かるもんなのか』
突如響いた声。脳髄に響くような、不思議な声だった。それが声帯を震わせて発した音だとは思えなかった。
『いや、あるいは……長く離れていたからこそ、気づけるのか』
「……とても嫌な気配だよ」
不愉快だ。忘れかけた記憶を無理やり呼び起こすかのような……頭のどこかに釣り針が突き刺さったような気分で、部屋の入り口を注視する。
本当に何者だよ。そいつは人間ではない。かといって魔人と評するのも違う。
もっと別の何かだ。
赤い……光の、集合体が……人を形作っている?
あれに温度はあるのか。体温と言っていいのか分からないが、半透明のそいつの先にある景色が揺らめく。酷く熱いのだろうか。
成人した男性の精神を持ち合わせたかのような雰囲気を漂わせるその人型は、不思議と目に痛くはない。
「お前みたいなのは初めて見る。何者だ?」
どう考えても、外部から侵入した存在。
つまりは、敵の一員だと考えるのが自然だが……。
――そう思い拳に力を込めると、
『待て。今この建物を襲撃している魔王の軍勢とは無関係だぞ、
人型をした赤い光はそんなことを言ったが……それをすぐに信用しろっていうのも、土台無理な話だろう。
「――は? ……というか、今ここを襲ってる奴らは魔王の一派なのかよ」
初耳だぞ。魔王だと。確かに、治安維持組織≪ヴァリアー≫の成り立ちにも関わる相手ではある。奴らのごく一部には知り合いがいると、
だが、奴らの方から今更……?
そして、お前は何故それを知っている。事情に精通しているということはつまり、お前が連中の仲間なのではないかという疑念を強める要素にしかならないだろうが。
光はフゥ、と一息つくように部屋に足を踏み入れる。口も足もないくせに。俺はそれに応じて数歩後退する。構えも解くわけにはいかない。
『
そいつがそんなことを言うものだから、余計に警戒は増すばかり。これ以上会話をする必要も無いのではないか。早々に斬るべきだ、そう結論を急ぎたがる俺がいる。しかし、冷静に考えてみれば、この光は殺せるのか?
こいつに対し、何を持って攻撃と為せばいいのだろうか。
目を細めてそいつを睨みつけていた俺だが、次のそいつの一言に度肝を抜かれる。
『アルフレート。お前に与えた祝福を辿れば、
「な……!?」
『お前の不安も。葛藤も』
どうして俺の名前を知っている。
――いや、本当は分かっている。それを知る者は……とても、とても……限られる。
『……下に、あいつもいるんだな』
何かを懐かしむように、地面の下を“視た”赤い光。
その正体に心当たりが生まれた俺は思わず、
「
目の前の光こそが、そうなのか。いや、だが、しかし。
――どうしてここに。
『丁寧語は慣れてないみたいだな。敬称など省いて構わんぞ』
疑問が尽きない。とめどなく溢れてくる。俺は今、混迷の真っただ中にいる。
俺は、しかし今までに劫火に会った記憶など無い。
なぜならば、俺が物心ついた時には既に――。
「…………いつ、」
何とか、声を絞り出す。この相手を前に、俺は喋らずにはいられなかった。敵対心を失い、構えを解き……両腕は力なく垂れる。
「……いつ、お目覚めになられたのですか」
『ほんの数か月前だ』
「それで、は……人間界に、一体どんな用で」
その俺の言葉に、劫火は強く食いついた。
『それだよ』
その言葉に含まれる仄暗い激情に、思わず息をのむ。
『それに全て集約される。今や、人間界。人間の世界。そう呼ばれるようになってしまった今の“ワールド”が気に食わないからこそ、
溢れ出した溶岩の如く、あらゆるものを従わせる熱に……俺は当てられてしまう。
『我が子らが不当な扱いを受けていることが我慢ならないからだ。……それが例え一族を離反した者であろうとも、だ。第一、
その怒りを形作るは……眷属たちへの愛情、なのか。
『……話を戻そう。まず、目的だが。万物の霊長を名乗る我が物顔どもを
劫火の根底にあるのは、帝国人への怒りか。
恐らくだが……一部の人間が行っているという、眷属への卑劣な行いを知ったのだろう。
『当然、それが容易でないことは十二分に理解している。奴らは数が多い上、人間に肩入れする龍すらも存在する。摩訶不思議な呪物で世を乱す“
そこで一旦言葉を……俺の脳へと直接響く情報の洪水を途切れさせ、劫火は唇をペロリと舐めた……気がした。
『――それを上回る蛮行で、全てを焼き尽くすだけだ』
言っている言葉の意味は、その殆どが俺には理解できないものばかりだった。
しかし、それを意味不明な話と切って捨てることなどできようはずも無く、俺はただ、必死に理解しようと頭を巡らせる。
いつの間にか、劫火は目の前まで迫っていた。
「なっ…………」
『そのためには、アルフレート。お前の協力が不可欠だ』
瞳など存在しようもないのに、近づけられた顔にあたる部分から、威圧するような視線を感じる。
「俺に、何をしろと……」
なあに、簡単なことさ、と。
何も心配する必要は無いと、劫火はそう笑った。
『――その身に刻まれた宿命を思い出せ。そして有事の際には……
ドクン、と心臓が高鳴った。
身体の内側から、焼けるような熱を感じる。
『それが、
……そうして劫火は俺となり、俺は劫火となった。
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