第38話 破滅の足音

 ◆王都◆


 ――無統治王国アラロマフ・ドール首都、ロストアンゼルスにて。


 街の北側へと伸びるフレア・ストリート。その大通りに、深夜にも関わらず蹄が石畳を打つ音が鳴り響く。しかし、その生物の嘶きは、馬とは異なる奇声だった。


 それは一頭……いや、一台ではない。無数に在る。

 総勢何騎にあたるのか、とてもではないが見通すことはできない。


 ロストアンゼルスの誇り、玄関とも言うべきこの場所を、設置された街灯を塗り潰すように黒い影がぬらりと舞い踊る。


 個室とも呼べるような大きさの籠を引く、逞しく獰猛なそれらが夜の静寂を切り裂き、やがて走り去ると、それを遠巻きにしていた者たちが恐る恐る顔を出し始めた。


「なんだったんだ、今のは……」

「俺は見たぞ! バケモノみたいだった!」

「人間が乗っていたのか?」

「馬鹿言え、魔物を駆るやつなんて、そいつも魔物に決まってらぁ」


 皆一様にそれに畏怖を抱き、家の明かりを消して震えていたのか。しかしその割に早々に安全を確信しつつ、近隣の住民同士で「凄い怖かったねー」等、世間話を始める。


 ――脳みそが溶け出してる連中だな。どれだけ平和ボケしているのか。


 本代もとしろ・J・バティストは闇の中に消えていった者たちを睨みつけていた。男が立つのは、街でも有数の建造物。フレア・ストリートの顔でもある、最も大きい宿屋の屋上だった。


 レンガ作りの煙突に背中を預けていた彼は、双眼鏡をしまうと天を仰いだ。


 ――この王都で騒ぎを起こそうものなら、俺の命に代えても阻止するところだったが……。最早、俺の管轄ではないな。


 謎の集団が魔物を駆って目指したるは、ここより北。


 組織だった連中が狙うほどの価値があるものが、この王都以外にどれほどあるだろうか。そちらに何が居を構えているかは当然、バティストも心得ていた。


 しかし彼は何の感慨も抱かず、宮殿……プレシデンスドールパレスへと帰還する。


 ――この街に関係ないことは、すなわちちこの俺にも関係ない。


 己の行動指針を今一度露わにするように、彼は遥か遠く、治安維持組織が在る方角へ眼もくれず。……また、自らの多すぎる身内のうちの一人のことなど、その頭の片隅にも浮かべなかった。


 ――それが破門されて久しいのならば、尚更だ。



 ◆傭兵リディオ◆


 ――無統治王国、メイル・ストーン監視塔にて。


「おい、あの騎馬の一団は一体なんだ!?」


 お前がなんだよ。


「……あれが騎馬の一団に見えるなら、とうとうお前のおめでたい頭も終わりだな」


 言いながら射撃窓より身を乗り出し、外の様子を窺う。弓を構えるつもりは毛頭ない。そんな俺に、唾を飛ばしながら相方が何事かを喚く。それを一顧だにせず、「あれは最早どっかの軍隊だろ……」どうすべきかを考える。


 戦う? 止まるよう命ずる? 冗談じゃない、俺は自分の命を危険に晒すために、この仕事についた訳じゃない。


 大体傭兵ギルドってのは、酒場の酔っ払いの喧嘩を仲裁したり、迷い込んだ小型の獣みたいなモンスターを数人でフクロにして生計を立てたい奴らの集まりだろ。あんなのと戦いたいと思える……そんながしたい奴は、冒険者をやっていればいい。そして勝手に早死にしてろ。


 俺たちはな、立派な鎧に身を包んで、安心を胸に、一方的に戦うべきなんだよ。

 それが見ろ、あの軍隊はなんだ。


 馬、と称するのも馬鹿らしい図体のでかい生き物が、十……二十、三十……数えるのも馬鹿らしい。それに騎馬隊っていうのは、大体の場合“本陣”じゃない。後ろを見やれば、更に“吐きそうになる光景”が広がっている。


 騎馬の馬にあたるそいつらは、黒々とした巨体を剛毛が包み、眼は赤く輝き、頭には無数の角が生えていた。蹄は大きく、いや、そもそも足がバカ太く、どれだけの筋肉を秘めているのか想像もつかない。あれに蹴られでもしたら、巻き込まれでもしたら。


 俺の身体が容易く二つか三つに分かたれちまうってことだけは想像がつく。


 背中に装着された鞍の上に、白と灰色を入りまぜたソリッドな意匠の鎧を纏う騎士どもが座している。フルフェイスの兜は感情を一切感じさせず、ただ一心不乱に目的地へと突き進む意思だけを窺わせる。


「……いいか、願わくば関わってくれるなよ……!」


 無視だ、無視。ここで人生終わらせてえのか。


「お前らっ! 依頼人の無事は確認取れたのか!?」


 外の光景に釘付けになっている仲間の注目を引くために、手をパンパンと叩きながら叫ぶサムエル隊長。


 その声色にも、若干の震えが見られた。

 知りたくもないことを、確認しなければならない。


 最悪の場合、依頼人の無事を確保するために、外に出なければならないなんて状況になるのが一番恐ろしい。だからこそ、その芽を潰したかったのだろうが。


「隊長、あの薬師くすしがいません! 話では、高原に薬草を取りに行ったとか!」

「ちくしょう! くそったれ!」


 机を蹴り飛ばすサムエル。怒りを一瞬で発散する才能があるのか、彼はすぐに荷物を纏めはじめる。具体的には、ハードレザーを着こみ、兜を被る。


「隊長!? どこへ行こうと言うのですか!?」

「そんなこと、言わずとも解るだろうが!!」


 臆した部下を一喝するサムエル。同意だ。いや、「俺もついて行くぜ」とかではなく、隊長が何をしようとしてるかなんて、見ただけで解れって意味だ……トールビョルン。お前は本当に頭が足りないな。


 再び窓の外に視線を戻すと、騎馬どもはもう三十秒もすればこの監視塔の真横を通り過ぎようかというところまで来ていた。


「いや、これはもうどうしようもないだろ……」


 天災だと思って、過ぎ去るのを待つしかないって……。そう思い、殴られるのを覚悟でサムエルを思いとどまらせようと見れば、彼の姿はもうどこにもなく、ただ力なく揺れる扉だけがそこにはあった。


 ……ちっ、馬鹿隊長が!


 ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 お前が自分の人生を投げ出そうがお前の勝手だがな。


 ――扉、開けっ放しにしていくんじゃねえよ。


 揺れる扉に飛びつくように取っ手を掴むと、それを力いっぱい閉じながら、思えばいつの間にか俺は外に飛び出していた。


 背中を「リディオ!?」という声が激しく打った。後ろ髪引かれる想いで転がるように道に飛び出すと、サムエル隊長は両手を水平に構え、通せんぼするように構えていた。


「止まれぇぇぇぇええええええぇぇぇええぇぇぇええええぇえええええええええええええええっっっ!!!!!」


 先頭の騎馬は既にすぐそこまで迫っていた。全く止まる気配はない。近くで見ると、更に大きい。頭部の位置は……二メートル近くあるんじゃないか。ちびりそうだ。


 だが、得てして怒りと言うものは、火事場において特別な力を発揮するものだ。

 俺は、自分に向いている力の使い方を知っている。


 俺は逃げること、避けることが得意だ。

 だから、今も全力で力を行使できる。


 道の真ん中に陣取るサムエルに、全体重を乗せたドロップキックを放つ。「がばっ」サムエルは道の反対側まで吹っ飛んで行った。その傍らを、死と表現しても差支えない巨体が土を抉りながら通り過ぎた。それが一騎目だった。


 ――わあい、化け物が一匹、化け物が二匹……って、数えてる場合か!


 急いで後ずさりをする。サムエルを救った代わりに自分が死ぬとか、それこそ俺の美学に反する。


 俺たちには目もくれずに過ぎ去っていく黒い嵐を呆然と見つめながら、これの受け入れ先、どうなるんだろうな……なんて想像しかけて、かぶりを振った。


 ――こいつらが過ぎ去ってから薬師だけ探して、そいつが無事なら……減俸は免れる。


 世界の存亡なんていちいち気にして生きてない……ただの一傭兵にとっては、それだけでいいじゃないか。

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