男女差、種族差

 ◆ヒガサ◆


 自動車にもっと近づいてみよう。軽い気持ちで歩き出した先で、まさかこんなことになろうとは。


 運転席に乗り込んだのは、見覚えのない小柄な女性。私より五つは年下だろうか。随分と若い。髪は明るすぎない赤毛で、瞳の色まではこの距離では分からない。


 一応、≪ヴァリアー≫に所属して長い方だという自負はある。恐らく、彼女はデル国より自動車と共にやってきた技術者だろう。


 どうやら瞳の色は青らしい。帝国人に多い色だけど、赤い髪から推察するに、デル人とのハーフだろうか。いや、そこまで単純な話ではないかもしれない。先祖にそれぞれの血が入っていれば、現代では

どんな髪と目の組み合わせで生まれてもそれほどおかしくはない。そのあどけない顔立ちは……同学年の男子には大層人気だろう。


 何やら騒がしい。何かを叫んでいる?


 はしゃいでいるのかと思ったが、違う。それもそうだ、デルより来訪した技術者なら、普通に自動車が発進するだけで騒いだりしないだろう。


 そこまで考えたところで、レンドウ君も気づいたらしい。


「……動いてんな」

「動いてるみたいだね」


 黄色く大きな金属の塊は、二人を焦らせるほどではないスピードで、ゆっくりとこちらに向かってきている。


「不具合だと思うかい?」


 そうレンドウ君に問いかけてみたが、答えは前方からもたらされた。


「すいませ~ん!! 止めて下さ~~~~~い!!」


 レンドウは頷いた。


「そうらしい」


 ――止めるって言ったって、どうすればいいだろう?


 隣にいる吸血鬼の少年を見やる。ヴァリアー内でどれだけ悪い噂が流れようとも、決して屈しない、歯牙にも掛けない強さを持った真紅の少年。


 女の私と比べるまでもなく、あらゆる人間を凌駕した腕力と、魔法のような力を持っている。彼が引き受けてくれたら万々歳だが、人間の頼みを易々と引き受けるだろうか。無いかもしれない。


 幸い、自動車の速度は“徐行”もいいところだ。実物の車を見るのは初めてだが、どんなものか確かめておくのも悪くない。


 どうせ、周りにいる見物人達は役に立たないだろう。ほら、ただひたすらにどよめいているだけ。「おい、助けた方がいいかな」「どうだろう、でもあの二人がいるぜ」そんな声がチラホラ聴こえる。所詮、役に立たない男性諸君ということか……。


 いや、だからって非力な女性が出張ってきてもフォローが大変だから、別にいいんだけれど。


「傘、持ってて」

「え、でもよ……」


 日光が苦手な吸血鬼に日傘を押しやると、前に出る。

 本当は私だって、紫外線は浴びたくないけれど。

 こちとら、ヴァリアーじゃ色々と断りづらい、面倒な立場なんだよ。


「ああああえっと、、女子一人じゃ難しいと思います~!」


 すぐ近くまで迫った運転席で少女が喚いているが、果たしてどんなものだろうか。


 ――いざ。


 自働車の鼻面に手を突いてみると、容赦なく身体が後退を始めた。


 ……ごめんなさい。正直、舐めてた。


 ズザザザザザザザザザ……。


 両足で踏ん張ってみても、自動車の前進速度は全く変わっている気がしない。私のブーツだけは着実にすり減っていく。地面がやわらかい草と土でまだ助かった。


 額を汗が滑り落ちる。肉体労働は私の柄でもなかったか。これじゃ大きな口は叩けそうにない。まぁ、今までのは口には出してないからセーフだろう。


 解決に遠く及ばない全力を込めつつ、殆ど三十度になって(恥ずかしさで)下を向いていた私は、後方で日傘を持ってもらっているレンドウ君の元までたどり着いた。いや、運ばれた。運ばれてしまった。


「……手伝ってもらっていいかな?」


 アハハ、と力なく笑ってごまかすことしかできないのが情けない。


「……まァ、いいけど……」


 彼は言葉少なに了承すると、右足を上げて――驚いた、日傘を手放さないのか――私の隣で自動車を“蹴り抑えた”。


 その片足だけで、車の移動は完全に止まった。勿論、押さえつけるのを止めれば、また動き出すのだろうが。


 彼は、随分と自分の力に対する自信があるらしい。私のように探り探りじゃなく、“止められる”という確信があって、力を行使したんだ。


「――おい、大丈夫か? ヒガサ」


 そう問い掛けてくるレンドウ君に、弱者を憐れむような色は感じられなかった。純粋に気遣われていると感じた。両者の区別は難しいと思うが、他ならぬ私が悪い気はしなかったから……いいんだ。ちょっと自分が現金すぎる奴かなとは思うが。


「ありがとう、大丈夫だよ」


 そう言って、私なんかの助力があろうがなかろうが彼に対して影響は無いのだろうけど、惰性で力を込めつつ顔を上げると、再び少女の申し訳なさそうな顔と対面するのだった。


「はわわ、ありがとうございます! すぐに原因を調査するのでー!」


 はわわって。なんだ、その気の抜ける声は。もしかすると可愛い天然女子を演じているタイプなのか? 肉体労働を強いられているからか、少しばかり思考が攻撃的になっているような気がしないでもない。……反省しないと。


 レンドウ君は、空を見上げて呟く。


「いつまでこのままでいりゃァいいんだ」


 あ、いや、空は見えていないか。真っ黒な日傘の内側を見ているってのが正しいんだけど、そう表現するのは……何とも寂しい現実じゃないか?

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