第28話 盾ゲット
吸血鬼の祖先は、みな高慢な貴族肌というか、潔癖症のきらいがあったとかいう話がある。信じられないね、だったらこの俺サマの人柄の良さはどう説明するんだっての。
……まぁ、俺の人格指数は置いといて、それにしても我慢ならないことがある。
埃だ。埃っぽいのだ。
固まった土をくり抜いて作られたような洞窟へと足を踏み入れた俺だが、さっそく後悔し始めている。
崩落などという心配はしなくても良さそうだが、壁に手をつけばパラパラと砂埃が舞うし、固まってこそいるが、うええ。蝙蝠の糞の上を歩いてしまった気がする。
――そういう意味では、俺もちゃんと吸血鬼の血族としての特徴を受け継いでいるって言っていいのか。
やっぱ人生は清潔でこそだよ、ウン。
いつもなら独り言の一つでも吐き捨てるところだけど、今はできれば口を開きたくない。何か汚いものを吸いこんでしまいそうな気がするから。
幸いと言っていいか、全く光源が無く何も見えなかったらどうしよう、と思っていたのだが、入口から入り込む明かりと……どうやら向かう先、真っ直ぐ奥に揺らめく光により、視界は良好だ。
あれは出口だろうか? 早歩きで進んでいく。
視界は充分。だがそれは、俺に限っての話だ。先に行ったレイスは多分、いや絶対に俺ほど夜目が利かないだろうし、ここを日常的に利用しているであろう先住民の方に翻弄されることは必至だろう。こりゃ急いで追いつかなきゃやばいぜ。
人工的に掘られたことが察せられる、いやに真っ直ぐな洞窟の先に見えるのは、どうやらかなり広い空間であるらしい。上り坂になっているのか、残念ながらあまり遠くまでは見通すことは叶わないが、青っぽい光源でもあるのだろうか? 松明を初めとした、火を起因とするものにはとても思えない。
その光源に引き寄せられるように歩いていた俺だが……その歩みはいつしか次第に遅くなり、今は止まっていた。
――何かの気配がある。
誰の動く音もしない。だけど、確かに何かを感じるんだ。五感か、もしくはそれ以外の何かで感じる。
魔人やレイスが見当たらず、何の物音もしないのは……レイスは何らかの理由で動けないからではないか。
手っ取り早く結論を求めるなら……あいつが既に相手に負けちまって、捕縛されてるとか。……ありそうだ。俺だってレイスを捕まえたことはあるし。
だとしたら、相手はそのレイスを抱えて先に進んだのか? 魔人一人を抱えて、スイスイと前に進めるものだろうか。……や、相手が一人とは限らないのか。
だったら相手は複数で、レイスを拘束して拠点まで引っ張っていった。これは充分にありえそうだ。だとしたら、急いで救出に向かわないといけない、
――と、焦って考えるのが一番まずいのだ。
俺の狩人としての勘が、洞窟を抜けて広場に出た瞬間が危ないと警告を発していた。一体どんな景色がそこに広がっているのかは定かではないが、そんなものに見惚れている暇もないほど、一瞬で首を狩られる自らの姿がありありとイメージできる。
かつて猪を捕えるために山に入った日を思い出し、極限まで集中すれば……隠れている敵の息遣いが聴こえてきた……ような気がする。それと、何かが流れる音も。微弱な鳴動。水ほどの音量ではないが……なんだ、これ?
……まぁ、“敵の気配”なんてものは往々にしてただの思い込みだったりして、杞憂に終わる場合もあるんだろうけど、多分、今回に限ってはマジだ。
加えて今の場合、論理的に考えてみてもだ、町から自分たちのアジトに繋がる通路を警戒している人員――言わば兵隊アリ――がいない方がおかしい。どうも当初考えていたより、相手は大分大所帯みたいだな。
仕方がなしに綺麗とは言い難い壁に背中を預けて、一旦リラックスを計る。広場までの距離は約十メートルってところ。ここで警戒を続けて、ヴァリアーからの応援の人員を待つことにした方がいいだろう。闇に紛れるのも、待つのも得意だ。逆に、相手に奇襲をしかけられるなんて真っ平御免だぜ。隠密は吸血鬼の専売特許であって欲しいもんだ。
……ノコノコと無警戒に飛び出していったら、どうなっていたのだろうか。少し気になるが、その結果が即死じゃ笑えねェからな。大量の矢を射かけられるとか、頭上から襲い掛かられるとかありそう。
ここで、相手の心情を推察してみることにする。
大方、かなり焦っているんじゃないか? 順調にこちらに向かってきていたと思われた獲物が、急に足を止めて何の音沙汰もなくなったのだから。洞窟の中を確認したい衝動でいっぱいかも。
だが、それは悪手だぜ。この狭い洞窟では、数の利を得られない。味方への誤射を恐れるなら、この俺と一対一で戦うことになるんだぜ。あ、向こうは“この俺”の実力を知らないか……。
まぁ、つまりだ。俺様は、応援が来るまでここでのんびりと待っていればいいのさ……。
そう思って、自らの来た道を振り返って眺めていたんだ。
いきなりだった。
驚いた。かなり驚いたけど、奇襲と言うには程遠い。俺が気付いた時に首元に刃が届いているというなら及第点だが、俺が驚いたのは背後に響いた大きな足音だ。
それはつまり、洞窟の出口前に何者かが着地した、ただそれだけしか俺に伝えることはない。死を乗せた刃など、未だ近づきすらもしない。
遅い。生ぬるい。
振り返ると、背の低い影が、こちらに向けて走り出すところだった。
こんなの、余裕で対処可能だろ、ほら対処するんだ……と自分に言い聞かせたかったが、いかんせん俺は結構驚いていた。
――まさか、こんなバカが来るとは、と。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
しかもそいつは、甲高い大声を上げながら向かってくる。それに気圧されるなんてことは無いけれど、重ね重ね驚く。
こいつ、ガキだ。きっと精神がとかじゃなくて、まず年齢が。
その両手に抱えるように何かを――瞬間的に判断はできないが、凶器を持っていない訳はないだろうな――握りしめ、俺を突き刺そうと愚直に向かってきたそいつの軸……から僅かに反れるよう左にズレて、右足でそいつの腹にすくい上げるような蹴りを見舞った。
「ぐぇぶっ」
奇怪な声を上げて吹っ飛んだそいつは、もんどりうって倒れた。脱力したようだ。生きることを諦めているようにすら見える。
あの……今のあなたの格好、追撃余裕なんですが?
そんなんで今までよく生きて来れたな。
「…………ハァ」
呆れた。なんと言っていいか解らないのだが、少年(?)のもとに近づくことにする。別に過度に乱暴をしようという気は全くないのだが、なんというか……。
少年の首根っこを掴む。途端に震えだしたそいつを立たせて、後ろを向かせて、左腕でがっちり抱え込む。
「……盾ゲット、なんつってな」
ぼそっと呟く。アァーッ! 口に埃が入ってしまった!
チッ。舌打ちをすると、少年の震えは更に加速した。
言い方は悪いけど、この盾があれば、俺一人でもこの先切り抜けられるかもな……。
予想はできていたことだが、恐怖に耐えられず先走って攻撃を仕掛けてしまったのだろう哀れな少年の安否を確かめようと、次なる人物が顔を覗かせた。で、そっちもまた悲鳴をあげる。
「ア、アラン! おまえ、アランを離せっ!」
あらまあ、勇敢だこと。こちらも少年のようだ。俺が捕まえているアランとやらより背は高そう。友達だろうか?
いや、褒められた手段での稼ぎではないかもしれないけど、そういうの全部抜きにしてもだ。
共同生活を送っているともなれば、こいつらは家族なのかもしれないな。……家族、か。
家族を人質に取られているって、最低な気分だろうな。
……とりあえず、俺はこういう時どうすればいいの。悪ぶればいいのか? ハハ。
落ち着け。殺しゃーしねーよ、なんて言ったって信頼されるとは思えないんだよなァ。
……よし、決めた。
唇の端を最大限まで吊り上げてみせる。
――悪ぶろう。
「……このガキの命が惜しければ、大人シク従ッタ方ガ身ノ為……ダゼ……?」
――それはそうと俺、ちょっとばかし演技には自信が無いかもしれないことに、今ようやく気が付いたんだ。
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