第2話 乱入者

「貴様……!!」


 ダクトを蹴り倒した突然の乱入者に、灰色男……ガンザが、唸り声をあげて突撃……しようとして、足を止めた。


「何しやがんだ……って言いてェのか……?」


 声色からして、男のようだった。それも中々に若々しい。少年だろうか。

 突然の乱入者……黒いローブの人物。その口が動いているかどうかはレイスからは窺えないが、とにかくそれは、ガンザの足を止めさせるだけの迫力を持っていた。

 怒り狂っているのは、ガンザだけではなかったのだ。


「――そりゃこっちの台詞だろうが」


 黒いローブの男はそう言うと、足元に転がっていたダクトの腕を掴んだ。

 そしてそのまま、引っ張り上げる。


「ぐ……ああッ!?」


 肩の関節が外れたのだろう、ダクトは不幸にも気絶できずに、長く痛みに悶えることになる。

 黒いローブの男は、ダクトを引きずりながらガンザに迫り……ダクトを武器として、振り回した。


「なっ……」


 あまりに予想外の非人道的行為に、レイスの顔が驚愕に染まる。

 ガンザは、とっさにダクトの身体を受け止めようとした。そうすることで、彼を救いだそうとしたのかもしれない。

 だが、相手はそれすら予想済みだった。

 ダクトを受け止めようとして両腕を伸ばしたガンザ。しかし振り下ろしていたはずのダクトから手を放していたそれは、予想以上に簡単に仲間を取り戻せて、安堵と困惑を浮かべたガンザに、倒れたと見まごうほどの前のめりで接近していた。


 またも。


 レイスが注意を促す前に、ガンザの足が払われていた。体勢を崩したガンザに馬乗りになる為に、そいつは邪魔だと言わんばかりにダクトを乱暴に横に投げ飛ばした。


「が……はっ……」


 ダクトの体が地面に激突したが、そう簡単には止まらなかった。彼の体は二、三回と地面をバウンドし、公園の遊具に激突してようやく止まった。


「どうしたよ人間ン! この程度かァ!? 反吐が出るなァ……弱ェくせに調子こきやがってよォ! オラッ!」


 そいつは叫びながら、ガンザを何度も殴りつけた。


「雑魚がッ! 雑魚の学ってやつか!? 人質取って、それで勝ちだって!? ――馬鹿にしやがって!!」


 殴りつける。


 殴りつける。


 ガンザに既に意識は無い。


 また殴りつけた。


「くそっ!」


 レイスは担いでいた吸血鬼を地面に下ろすと、片手用の細剣を鞘から抜いて、走り出した。目標は勿論、ガンザに馬乗りになっている黒ローブ。

 レイピア。刺すための剣であり、細身だ。その為、鞘も細い――剣を抜いたら鞘など邪魔にしかならない――レイスは、鞘をそいつに向けて投げた。

 それが肩に命中すると、多少はこちらに興味が移ったのか、肩越しにギロリとこちらを睨みつけた黒ローブ。

 その眼差しを受けて、レイスは思った。


 ――この相手は、のかもしれない。


 ――説得とか、交渉とか。話しあいで解決できるような相手ではないかもしれない。


 ここで躊躇していたら、大切な仲間達が殺されてしまうかもしれない。

 レイスは歯噛みして、言う。


「リバイアちゃん……」


 やってくれ、と。


 ……わかりました。


 そう返事が聞こえるより早く、レイスはそれに向けて飛びかかっていた。

 それが腕を伸ばしてきても、顔面を潰されそうになっても、レイスは怯まなかった。


(仲間のためだ……勝負度胸には自信がある)


 レイピア如きでは、相手の攻撃を受け止める事もできないだろう。その瞬間に、ポッキリいってしまう可能性が高い。それを知っていたからこそ、レイスは動けた。

 レイスがそいつの死角――気付かれている可能性しか考えていなかった――からレイピアを大きく横薙ぎに振るえば……やはり、相手は即座に反応した。


「馬鹿じゃねェの」


 その程度の攻撃でどうなるというのだ。黒ローブはそう吐き捨てながら、何も恐れず、レイピアを砕くように拳を放った。


 レイピアは刺突剣である。

 横に振っても……斬っても、斬れない剣なのである。それを知るレイスが、わざわざ自分の武器を破壊するために攻撃したはずはない。しかし、戦闘による高揚感のせいか、黒ローブはそれに気づけない。無残に真っ二つになるレイピア。


 敵の武器を潰したと、会心の笑みを浮かべるそれに、


 ――リバイアの一撃が直撃した。


「――――――――ッ!?」


 悲鳴は聞こえなかった。

 雷鳴のような攻撃の音に、他の全ての音がかき消されたためだ。

 黒ローブは一体自分が何をされたのか、想像することさえできなかった。


 はぁ、はぁと荒い息を吐くリバイア。全身全霊の“魔法”の一撃に、自らが持つ全ての力を注いだのだろう。それにしても、強力すぎる力ではあったが。


 カラン、と。


 リバイアの“魔法”が炸裂する寸前、間一髪離脱していたレイスの手から、折れた剣の柄が零れ落ちた。


 (一瞬の……時間稼ぎくらいは、できた……かな……?)


 どんな働きも、この圧倒的な破壊の前では霞んでしまうのかもしれないが。

 先ほどまで立っていた場所に、巨大なクレーターができていた。


「倒した……のかな……?」

「油断しないで……ください……ぅ……」


 先ほどの一撃に全ての体力と気力を消費し尽くしたのか、リバイアがその場に崩れる。


「リバイアちゃんっ!」


 すぐにでも駆け寄りたいレイスだったが……そうもいかなかった。

 後ろで、土を踏みしめる音が聞こえたからだ。

 レイスは振り返る。


 いる。


 起き上がった黒いローブの男は……もはや黒いローブなんて纏っていなかった。


 彼のローブはリバイアの一撃で焼けていたのか、彼が立ち上がると同時に、地面に崩れ落ちた。

 そこにいたのは、異常なほど長い髪を揺らす、長身の少年だった。

 黒いローブを失ってもなお、その印象は不変。


 漆黒。


 彼のどこまでも黒く、どこまでも長い髪が、顔を覆い尽くすようで。

 そして、黄色い目がギラギラと輝いていて。

 そして、その口元には――。


「な……君は…………――!!」


 レイスが相手の正体を知り、相手の意図をおぼろげに察した時――。


嘔亜オア亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜亜――――」


 黒い少年が、吠えた。


 理性など、もはや残っていなかったのかもしれない。

 いつの間にかレイスの目の前まで移動していた少年の背中には、何かが生えていたような気がした。


 レイスは少年を迎え撃とうとは思わなかった。

 いや、思えなかった。


 ただ、原始的な感情につき動かされていた。

 それは、恐怖。


「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 ――少年が、レイスの右腕に喰らいついていた。


 レイスの腕に伝わる感触は、これが通常の人間の歯型では無いものだと告げていた。


 二つの、強烈な食いこみ。まるで、


 ――尖った犬歯が二本、自分の体内に入り込んでいるような。


 今、この腕の中で何が起こっているのかなんて、想像も出来ない。


「放せ、はなせぇぇぇぇ!!」


 必死に叫ぶが、相手は動じない。

 絶叫が轟き、それが長く闇を切り裂いて。


 ……やがて、レイスは解放された。


 少年は一息に距離を取って、こちらを見つめている。

 それは、これから何が起こるのかを知っているかのようだった。


 ――まるで、「自分はもう手を下す必要はない」とでも言うかのように。


「う……あ…………っ!?」


 今、自分の体内では何が起こっているのか。

 血液は正常に巡っているのか。

 そんなはずが無い。

 断じて正常ではない。


 この少年が。

 目の前にいるこのヒトが、


 ――吸血鬼なら。


(……僕は、死ぬ……のか……)


 そう考えた途端、レイスは全身からふっと力が抜ける感覚を味わった。

 汚れた地面に倒れ、体を動かす事もままならない。


(そうか。死ぬんだね……)


 痙攣する体の中で、何かがせめぎ合っている気がした。

 自分の体と、吸血鬼の血が戦っているのかもしれない。


 ――なんにせよ、勝つ事はなさそうだった。


 急速に迫る眠気を、レイスはむしろ喜んで受け入れた。

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