第5話 よろしい、ワトソンくん! ついてきたまえ!

 翌日。わたしはお城の庭園で仁王立ちしていた。


「サスペンスの王道と言えば”現場百遍”よねぇ」


 現場百遍……それは事件解決の糸口は必ず現場に隠されているので、百回尋ねてでも慎重に探せという意味である。


「……ということで、こっそりお城の庭園に来てみたけど、何からすればいいのかしら?」


 いい奴だけれど小うるさい小姑のようなギルバードに、真犯人を捕まえようとしていることがばれては一大事である。

 ぶつけた拍子に頭がおかしくなったと思われて軟禁状態にされ、甘々スイーツをたんまり盛られて溺愛されてしまう。


 ギルバートの”お嬢さま愛”は、どこか異常なのである。

 転生してから知ったのだけれど。

 そりゃあ一緒に処刑もされるよな、と納得するくらいにはお嬢さまを可愛がっていた。


 見た目は子供、頭脳は大人!

 と意気込んでみたはいいものの、そもそも前世でわたしは名探偵なんかじゃなかったので大前提が崩れていた。

 終わった。


 唯一の救いと言えば、犯人が分かっていることと、そのトリックにスキル〈金属錬金〉が使われたことを知っている点である。


 つまり、トリックを考えて、それを伯父さまが使ったことを証明すればいいだけなのだ!


 だけなのだ!


 だけなのだ……?


「証明できる気がしないんですが?」


 がっくりと膝を落とした先には、例のぬかるみがある。

 なぜか丁寧に整地された庭園の中で、そこだけが妙に湿っている。

 もう四日前のことなので乾き始めてはいたが。


「あれ、なんかこの岩変じゃない……?」


 ぬかるみのど真ん中に、漬け物石のような立派な岩がどっしりと構えている。

 それをじっと見ていたら、なんだか違和感を覚えた。


 そもそも、薔薇園の庭に岩が置かれているなんて不自然すぎる。

 そして岩の表面がきったない。

 王家の庭だからって岩の表面まで磨けとは言わないけれど、赤茶色の砂がこびりついていて、お寺とかに見る枯山水の岩のような綺麗さが微塵もない。


 どうせ庭園に設置するなら、枯山水みたいな綺麗な石にすればいいのに……。

 って、


「ちょっと待って。砂がついてるの、おかしくない?」


 ガバッと岩に駆け寄ると、その表面に触れてみる。

 間違いなく、隙間ないほどに砂がこびりついている。


 だが、その岩が置かれている周辺の地面は濡れている。


 そもそも、ここ一週間は晴天だった。なのに地面が濡れているのがおかしい。

 しかもここだけ。

 そしてもし雨でぬかるんだとしたら、岩表面にも水が降り注いだはずである。


 なのに、


「もしかして、地面をぬかるませた後に岩だけ置いたんじゃない!?」


 わたし天才かも、と思って岩を持ち上げてみる。

 が、びくともしない。


 当たり前である。

 今のわたしは甘やかされて育った八歳の公爵令嬢。

 漬け物石を持ち上げるだけの筋力なんてない。


 でも、どうしても確かめたい。

 この岩の下が濡れているのかどうかを!


 もし元から岩が置かれていたところに雨が降ったのならば、土砂降りでもない限り岩の下は濡れていないはずである。

 そしてここだけ少し濡れている程度なので、土砂降りの線はあり得ない。


「ぐぬぬぅっ。う~ご~け~ぇっ」


 ドレス姿で踏ん張っている公爵令嬢をもしギルバートが見たら、卒倒していたに違いない。

 こめかみに浮かんだ青筋がプチンと音を立てて切れそうになった瞬間、奇跡的に岩が持ち上がって思いっきり尻餅をついた。


「うわっ」


 華麗に身をよじってお腹の上に岩が落ちてくる惨劇を神回避すると、岩が置かれていた地面を覗き込んで、


 にょき。


 覗き込んだ瞬間、土の中から大きなミミズが顔を出した。

 いや、ミミズにしては大きい。

 三十センチは優にある。

 それをひょいっとつまみ上げると、目線の高さまで持ち上げた。


 多分これはアースワームという魔物だ。

 見た目はミミズに似ているが、脱皮を繰り返して巨大化する。

 記録上では十メートル級のアースワームも発見されている。


 基本は土の中に生息し、あまり日の目には出てこない。

 そしてアースワームの生息条件は意外とシビアだ。

 栄養価のある腐葉土であり、適度な水気がなければいけない。


 砂漠にいるようなイメージもあるが、そちらはサンドワームという別種である。

 案の定、土に触れると湿っていた。


「ビンゴ!」


 予想通りに地面が濡れていたことに歓喜しつつ、この世界で出くわした最初の魔物にちょっぴり感動して、ついまじまじと見つめた。

 が、敵側に観察される気は毛頭ないらしく、円系の口をがぱっと開けて鼻先に噛みつかれる。


「痛っ」


 ほぼミミズと言っても、やっぱり違う。

 口には糸鋸のようなギザギザした歯が生えていた。


「なによもー。なんか機嫌悪くない?」


 ぶつくさと文句を居ながら土に返してやろとしたとき、岩の隅っこに潰れているアースワームを見つけた。

 どうやら仲間が死んで気が立っていたらしい。


「うっそ、殺しちゃった!? ごめん!!」


 一応謝ってみたが、よく見れば死骸はだいぶ干からびている。

 殺されたのは数日前だろう。


 そこでわたしはあることを思いだした。

 伯父さんから匂っていたぼろ雑巾のような匂い!

 それがこの死骸からもわずかに漂っている。


「なるほど、あの匂いはアースワームの体液の匂いだったのね」


 確かに袖口には緑色の染みができていたと妙に納得した。


 そのとき。


 突如頭上に影が落ちた。なんのけなしに仰ぎ見て、思わず青ざめる。


「…………カウ?」


 影の主は頭上を優雅に飛んでいた。

 真っ黒な体に三本足が生えた大型鳥類魔物、カウである。


 本来のカウは中国の伝承に出てくるカラスなのだが、なぜだがこの中世ヨーロッパ風の世界にも当然のように居座っている。

 生前はなんとも思わなかったが、なんというでたらめっぷりだろうか。


 ぎろり、と獰猛なカウの瞳は、地面からにょきにょき顔を出しているアースワームと、その隣でぼけーっとした顔のわたしを捉えた。


 まずい。

 今日のドレス、黒色だ。


 魔物といっても根幹のモデルはカラスである。

 そしてカラスは黒色を見ると攻撃的になる習性があり、ゲームでも黒服を着た村人がカウに襲われて、それを討伐するクエストがあったはずだ。


 バサバサバサ!


 思考がぐるぐると巡る中、カウはどうやら薄桃色のアースワームではなく黒色のわたしを標的に捕らえたらしい。

 羽を畳んで矢じりのように鋭くなると、一直線に急降下し始めた。


「ひゃあっ」


 思わず叫んだとき、


「屈んで!」


 どこからか声が聞こえた。

 無我夢中でその声に従うと、ヒュン! と頭上を風切り音が通り過ぎて、


 ギィア!!


 甲高い断末魔とともにぼとりとカウが地面に落ちた。

 その体の真ん中には、サーベルが刺さっている。


 状況が飲み込めずにカウをじっと見下ろしていると、背後から声が掛かった。


「ユフィ? どうしてお城に居るのですか?」


 走ってきたのか、肩で息をしながら甘い声が問う。

 ゆっくりと振り返れば金髪碧眼の天使――ジルベルトがいた。


「あ、ジルさま。ありがとうございます」

「え?」

「どうかしました?」


 お尻に付いた泥を叩きながら立ちがあがる。

 なんだかジルベルトは信じられない物を見るような目でわたしを見ていた。


 そんなにお尻汚いかな?

 黒いドレスだから目立たないと思うんだけど。


「いえ、なんでもありません。……それにしても、こんなところで何をしていたんですか?」


 いいながら、今度は鼻先についている丸い歯形と、手でつまんでいるアースワームを見て眉目を寄せた。


 やばい。

 慌てて後ろ手に隠すが、時すでに遅し。

 アースワームのような虫型魔物を平然とつまみ上げる公爵令嬢がどこの世界に居ようか。


 でも、虫とか全然平気なんだもの。

 しょうがないじゃないよ~。


「ええっと、これは……ジルさまの身の潔白を晴らそうと」


 綺麗すぎる碧い瞳に見据えられて、隠し通せる気がしなかった。

 諦めて正直に理由を告げると、眉根の皺が余計に深くなった。


 あれ、やっぱり言うべきじゃなかった?


 ジルベルトと同じくらい眉間に皺を寄せたとき、天使が慌てた様子で笑顔を取り繕った。

 完璧な王子さまスマイルだが、さっき見た本心を思わせる顔がもはや脳裏から離れない。


「大変ありがたいですが、あなたの傷は紛れもなく僕の不始末ですよ」

「そんなことはありません!」


 わたしが大声を上げると、貼り付けた王子さまスマイルが再び歪んだ。

 でもちゃんと言っておかないと、婚約されてしまう~。


 畳みかけるように濡れた地面を指差した。


「このぬかるみを見てください! 岩が置かれていた下の部分も濡れています! つまり、誰かが地面をぬかるませた後、わざと岩を置いたのです!」


 途端に、ジルベルトの目が瞠られる。

 顎先に手を当てて、しばらく考え込んだあと、小さく頷いた。


「なるほど。一理ありますね」

「ですよね!」


 同意されたことにほっとして手放しに喜ぶ。

 と、ぽーんとアースワームが綺麗な放物線を描いて吹っ飛んだ。


 人間は動くものを目で追う習性がある。

 宙を舞うミミズを見ながら振り返ったとき、それまで岩などの局所しか見ていなかったわたしの目に、庭園の全貌が飛び込んできた。


 目の前にはぬかるんだ地面。

 その横並びには、ぬかるみを挟むように二本の木が立っていた。

 わたしは何かに吸い寄せられるように、そのうちの一本の木に駆け寄って――……。


「ユフィ!」


 グン、と手を引かれて、たたらを踏んだ。

 また転ぶかと思った。


 手を引かれた方向、つまりジルベルトの方をきりっと睨むと、びっくりしたような顔になる。

 まさか王子を睨む公爵令嬢がいようとは思わなかったらしい。


 ぱっと手を離すと、王子さまスマイルを浮かべ直した。

 わたしに一歩近づいて、諭すように言う。


「あなたは病み上がりなんですから、お屋敷に帰りましょう。お送りしますよ」

「いや、でも謎が――」

「そんなものはありませんよ」


 頑なに言い張るジルベルトに、とうとうわたしの堪忍袋の緒が切れた。


「あるったらあるんです! 現に泥の下は濡れているんですよ! これをどう説明するんですか!!」

「それは……」

「ジルさまがなんと言おうとも、わたしはこの謎を解いて見せます! ジルさまを必ずや、この悪意から救ってみせます!!」


 ジルベルトが救われれば、わたしの死亡フラグはかき消える。


 情けは人のためならず!

 ここで引き下がるわけには行かないのだ!!


 鼻息荒くまくし立てると、ジルベルトは数回瞼をぱちくりと上下させた。

 ふっと息を呑んで何かを言いかけるが、結局きゅっと唇を引き結ぶとため息をついた。


「……仕方ありませんね。僕も手伝いましょう」

「手伝う? ジルさまが?」

「あなたをいち早くお屋敷に返すためには、手伝った方が早そうですからね」


 諦めたように、頭を振ってジルベルトが吐き捨てた。

 そんな顔を見ていたら、言葉がつい口をついて出た。


「探偵の助手……。ワトソン……? ワトソン王子……?」

「ワトソン? 誰ですそれは?」


 もううわべだけの王子さまスマイルを浮かべる気力すらないのか、しっかりと眉根を寄せてジルベルトが聞いた。

 わたしはしばらく黙った後、


「いや、悪くないわ。むしろ、いい」


 ぶつぶつと呟いた。

 そしてその手を引いて、一本の木へと駆け寄った。


「よろしい、ワトソンくん! ついてきたまえ!」

「……?」


 生前から調子に乗る癖があったが、どうやら死んでも直らないらしい。


 背後のジルベルトが今までで見た中で一番怪訝そうな顔をしているとも知らずに、意気揚々とその手を引いた。

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