紡ぐレジリエンス


 私がこの家にお世話になり始めてから3年が過ぎた。金髪だった髪さブラウン系となり服装も落ち着いた色合いになり自分を取り戻している。

 名前は漢字で書くのは画数が多くて面倒くさいので、最近はもっぱら平仮名を使うようになった。希羅螺、これが私の名前で嫌いな時もあったけれど、今は素敵な名前だと断言することができる。

 それもこれも少し頭のおかしい…いや、風変わりな彼氏の浩平のお陰なのだけれど。


 荒れていた私を、生きることにもがき苦しむ私を、優しい風が吹く木陰のような居場所へと誘ってくれた人、それが浩平だった。そして浩平の両親もまた、私を優しく迎え入れてくれた。心安らぐ、ホッと一息をつける場所を得た私は、そのありがたみを噛み締めながら自分自身を取り戻すことを始めた。

 

 やり直しではなく取り戻し。


 浩平にやり直さなきゃと伝えたら、きららの場合、まずは取り戻しだよと言った。自分で失った訳ではないのだから、まずは取り戻してからだと…。

 恋愛、勉強、生活etc…取りこぼして失ったものを拾い集めながら私は私へと成ってなってゆく。恋愛を1番にしたのは、やはり頼る人が欲しい甘えと浩平を手に入れておけば安泰という打算もあったけれど、今となっては我が家と呼べるこの家ではそんなことすら考える必要などなかったと反省している。

 浩平もその辺りは理解していたみたいだけど、結びついた結果は今に続いているから良しとしておこう。浩平は私が取り戻してやり直しが落ち着くまで、そばに居ても手を出したりはしてこなかった。

 勉強は常に赤点ギリギリだったけれど、2年最後の学期末には上位まで上げることができた。地道な復習の成果だと思う。生活は規則正しさを取り戻していけば自然と良くなっていった。友人関係の見直しはキツかったけれど、上辺の付き合いではない、心を許せる親友を手にすることができた。

 あらかたの取りこぼしを拾い終わると、やり直しに向けて大学受験に邁進した。人に役立つ仕事がしたいと目標を抱き、看護学科のある近場の大学を目指して必死に勉強を重ねていく、やがて、それはしっかりとした実を結んだ。


「浩平、受かった!!」


 自分のタブレットで受験票を読み込み15463番を探してゆく、やがて、それを見つける。座っていたソファーから飛び上がるようにして立ち上がり、反対側のソファーで本を逆さにして読んでいた浩平に思いっきり抱きついた。

 

「おめでとう、きらら」


 優しい両手が私を包み込んでくれる。その温かさに包まれながら嬉し泣きを続けると、背中をゆっくりとゆっくりと摩ってくれる浩平が抱きしめる力を強めてくれる。私もますますそれに埋まるようにして両腕に力を込めた。


「ごめん・・・、ありがと」

「ううん、来年は僕がこうなると思うから」

「そうだね、次は逆になるね」


 そんなことを言い合って軽くキスして、私は浩平の隣に座ってスマホのグループRainにスクリーンショットと共に合格を伝えたのだった。

 

 その日の夕食は記念で記憶に残るものとなった。

 食べに行くという選択肢もあったけれど、絹子さんと一緒にキッチンに立ち調理を進めていく。

「食べたいものがあるなら言ってね、もし、作りたいものがあるのならそれを作りましょう」

 とRainが来て、私には作りたいものがあった。母が生きていた頃、お祝い事の時には赤飯と肉じゃがを作ってくれたのだ。長いこと忘れていたその味が凄く食べたくなった。

 牛肉、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、糸こんにゃく、それらを仕事帰りの絹子さんと合流してスーパーに寄った。スマートフォンの画面に今はもう書かれることのない母の字で材料が記されている写真を見ながらバスケットへと材料を入れていく。最後の項目に「黒糖」と書かれていた。そうだ、これが隠し味だと母が言っていたと思い出し、母さんが大好きだった銘柄の商品を購入して今に至っている。

 絹子さんの邪魔にならないよう調理を進めていると、手つきを褒めてくれた。もちろん、危ないときには注意もされるけれど、母が生きていたならきっとこうやって教えてくれるのだろうと思える優しさだった。

 

「合格おめでとう!」

「ありがとうございます!」


 食卓に上った料理を囲んで祝福を受ける。皆の笑顔に囲まれて食卓は華やかだ。肉じゃがに箸をつけて食べた時のことだった。


「きらら、合格おめでとう。よく頑張ったわね」


 突然、母の声が耳元で聞こえてくると、頭を優しく撫でられた。その撫でてくれる手つきは間違いなく母のものだった。


「頑張ったよ。お母さん」


 小声でそう言って私は鼻を啜る。やっぱり浩平の言う通り私は大切にされていたのだ。


「どうしたの」


 鼻の啜りに気が付いた浩平が心配そうな顔でこちらを覗き込んだ。


「ううん、なんでもない」


 作り笑顔でない笑みを浮かべて私が微笑むと浩平が顔を真っ赤にして照れた。後で聞いたら今までの中で一番の最高の笑顔だったらしい。肉じゃがは好評だったし、赤飯も旨く炊けていた。由美香ちゃんがごま塩を気に入ったらしく、しばらく、彼女のご飯の上にはごま塩がかかっていた。いつものように食後の団らんの時間を過ごして、由美香ちゃんと絹子さんがお風呂へと向かい、陽介さんが書斎へと戻っていく、同じように部屋に戻ろうとした浩平の手を私は掴んだ。


「どうしたの?」

「ちょっと、お願いがあって・・・」


 互いにソファーへと座り直して互いにいつものように肩を寄せ合ってもたれ合うと、私はスマートフォンに地図アプリを開いてある場所を見せた。


「中津川?」

「うん、家族が眠ってるお墓があるの」


 岐阜県中津川市、そこが父と母の生まれ故郷だ。

 事故ののちに遺骨がどうなったのか弁護士の先生にお願いをして調べてもらった。叔父の暴力の前に何も聞けなかったあの頃の私と今は違う。そしてどうやら、親族の誰かがこっそりと引き取ってくれて、先祖の墓へと埋葬してくれていたことが判明した。住職さんに連絡を入れると「いつでもいらしてください、きっと、お待ちになられていますよ」と優しい言葉を頂き、受験が終わったら行こうと決めていたのだ。


「お墓参り?」

「うん、できれば二人だけで行きたい、ダメかな?」

「僕は構わないよ」

「ありがと、陽介さんと絹子さんにも相談してみる」

「うん、そうして、僕からもお願いしておくよ」

「ありがと」


 そのあとは二人で映画を見て過ごし、浩平は受験勉強に私はお風呂へと別れた。翌日に相談を持ち掛けた時には2人から二つ返事で行っておいで嬉しい言葉を頂いた。


 浩平と2人、初めての泊りがけの旅行となった。

 

 午前6時発の中央線に乗り甲府、松本、中津川へと乗り継ぎながら、ようやく中津川駅にたどり着いた頃にはお昼を迎えていた。駅前の素敵な雰囲気の喫茶店で昼食を済ませ、宿泊するホテルで荷物を預けると家族の眠る奏泉寺へとバズで向かった。

 天気は晴天で雲一つない青い空がどこまでも続き、遠くに少し雪を被った恵那山が見えている。やがて中央道の下を潜ると立派な山門が道の先に見えてきた。手前にあるバス停で降りて山門を目指して歩いてゆく、風は冷たくはなくむしろ心地よく吹いていた。やがて山門にたどり着くと老齢のお坊さんが掃き掃除をしながら私達に声をかけてきた。住職さんで私達が来るのを首を長くして待っていたのだそうだ。本堂へと案内され、そこで納骨までの経緯を伺った。遺骨を引き取ってくれた親族の方は私がどうなったかを痛く心配していたけれど、叔父が暴力団関係者とも付き合いがあったことから関わり合いを避けたそうだ。別に責める気はない、きっと家族があればそう考えることもあるだろう。叔父から取り戻した遺産はかなり少なくなっていたけれど、大学卒業とその先までは生きていけるくらいは残っている。叔父は公判中に自殺をして逃げてしまったから、その遺産がどこに流れたのかは今もって闇の中だ。

 用意したお布施を住職に差し出してお礼を伝えると最初は固辞していた住職さんもやがて受け取ってくださり、本堂で家族の為に供養の経を上げてくださった。


「お墓はこちらですよ」


 本堂から道を挟んで反対側にある霊園に先祖代々と書かれた立派なお墓が建っていた。古い石塔でできた墓には綺麗なる墓花が飾られていて、きっと今も親戚の誰かが拝みに来てくださっているのだろうということは分かった。私と浩平で線香をあげて拝み終えると、上を向いて青空を見上げた途端、涙が滔々と流れて出してきた。傍にいた浩平に抱き着いて、私は事故で入院しているうちに消えてしまった家族に出会えたこと、そして、ようやく供養という区切りができたことに安堵して、幼子のように声を上げて泣いた。

 浩平は私をしっかりと抱き留めたままその場にいてくれて、住職さんの読経の声が少しだけ湿っていたように響いていた。


「今日は本当にありがとうございました。」


 鼻を啜りながら泣きはらした目をして住職さんへ深々と頭を下げお礼を伝える。微笑んでくれた住職さんが懐からお守り袋を取り出して私の手に握らせた。これも何かのご縁だと言ってくれて、両親と先祖が眠る寺の守りだから何かの時に手助けとなるだろうとお気持ちを頂き、再びお礼を述べてから私達はお寺を後にした。時刻は夕刻になっていてバスに揺られて駅前へと辿り着く頃には夜の帳が降りていた。

 駅前には仕事帰りのサラリーマンで昼間と比べ人通りが多く、驚きながらも浩平が探してくれた人気のラーメン屋に向かい夕食を済ませたのちにホテルへと帰り着く。


「じゃぁ、明日の朝」


 互いの部屋の前で浩平がそう言った。


「今日はありがとう・・・。ちょっとだけ一緒の部屋にいてもいい?」

「いいよ」


 浩平の一室で私はベッドに腰かけ、浩平は椅子に座って何時もの団らんのように何気ない話をしていく。今日一日の気疲れが癒される日常にほっと安堵していると浩平が椅子から私の隣へと腰を下ろした。


「きらら、本当に色々とお疲れさまでした」


 そう言って抱きしめてくれた浩平に私も安堵しながら抱きしめる。


「無事に全部終わったよ、ようやく家族のことも全部、きちんとできた…」


 心から言える一言だった。

 ようやくすべてを成し得てやり直しを終えたような気がしている。晴れやかな気持ちだ。


「うん、僕もそう思う、きららは強くなって頑張ったんだよ」

「強くなったかな?」

「強くなったよ。心の筋肉を鍛えてね」

「心の筋肉…なんかやだな・・・」

「じゃぁ、えっと・・・レジリエンスかな」

「レジリエンス、ちょっとかっこいいね、でも、1つだけ言えることがある。こうなれたのも浩平のおかげだよ」

「僕は手を貸しただけだから、全てはきららの頑張りだよ」

「そう言ってくれると嬉しいけど、浩平が居なかったら、公園で声をかけてもらえなかったら、今のようにはなれていないと思うよ」

「僕もきららの頑張りに色々と貰ったから、お互い様だよ」


 互いに見合って笑いあう、いつもの2人の関係だけれど、そろそろ、もう一歩を踏み出したいと切実に思った。

 そののちは書いたところで恥ずかしくなるから辞めておく。私が朝、目を覚ましたのは浩平の腕の中で、目の前には幸せそうに眠る顔があった。

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