六十九話 復学と集結と


 チーブス王国とポトム王国の戦争が終わった。

 その知らせは瞬く間に大陸中を駆け巡る。

 戦争は二か国間の国境を変化をもたらした。

 多くの者は戦争が終わった事実に快哉を上げた。


 両国間の国境はまだ慌ただしいが、それ以外の地域では平穏な生活に戻りつつあった。

 戦争に駆り出されていたカーヴェア学園の上級生たちも、その装いを軍服から制服に装いを戻していた。


 ミュール。メアリー、ブルーの三人は早々に学園に復学した。

 シトラスにはチーブスで過ごした約一年分の授業の遅れがあった。

 学園の大人たちで話し合った結果、王国の要請に応じた結果が招いたという事情を考慮して、大幅な優遇措置が取られた。

 それは年内は学園から与えられた課題を取り組み。

 年明けから授業への復学というものであった。


 学園の年末年始の連休が明け、既に復学していた他の上級生に最も遅れて、シトラスもついに学園に復学することになった。


 授業を受けた寮に向かう途中の三人。


 ミュールが大きく伸びをしながら、

「カーヴェア学園に通うのも一年ぶりか。こうして学園に来ると戦争が終わった気がするな」

「うん。でも、ぼくたちがこうして学園に通うのも今年で最後だよ。時が流れるのはほんと早いね。最後まで楽しまないとね」


 笑顔と共に、その口から白い息が漏れる。


 隣を歩く幼馴染は呆れた視線で、

「……シトは楽しみ過ぎな気もするけどな。今年の目標はあるのか?」

 隣を歩くシトラスを見つめるミュール。

 

「最後の目標はやっぱり、対抗魔戦と魔闘会の優勝。最後は姉上のように、優勝で有終の美を飾りたいよね。だから、今年もよろしくね? メアリー」

「まかせて」

 メアリーは頼られて嬉しいのか、形の整ったその胸を張った。


 胸元で赤の輝石がきらりと光る。


「上の世代が抜けたとは言え、下の世代も才能に溢れる奴らばかりだ。特に四年生には要注意だぞ。二つ名持ちで頭一つ抜けた奴がいると聞いている。何でも魔人との混血ミックスらしい」

「ぼくたちも負けてはいられないね!」


 シトラスとミュールは顔を見合わせて歯を見せあう。


 三人が校舎の中庭に差し掛かった時である。

 裸になった大木の木々、その中の一本の足元で、複数人の生徒が群がっているのが目に飛び込んできた。


 シトラスにとって思い入れの深い中庭。


 心の瘡蓋かさぶたがジクジクと疼く。

 その瘡蓋はまだ固まってはいなかった。


 目を凝らすと、一人の生徒に対して、集団で群れを成しているようであった。


 進路を変えて中庭に入ると、シトラスは集団に声を掛ける。

「何してるの?」

「ちッ……。上級生かよ」

「後にしてくんないすか、って七席ッ!?」


 ざわざわと浮足立ち始める生徒たち。


「し、しかも、"狂犬"じゃないか、ひぃいいいッ!」


 先頭のシトラスには不敵な態度を取っていた生徒たちであった。

 しかし、その後ろに立つメアリーに気がつくと、慌てふためいてその場から逃げて行った。

 

 彼女の名前は、尾ひれのついた話と共に学園中に轟いていた。


 呆れたようにその背中を見送るミュール。

「とんだ小物たちだな……」


 その場には、男物の制服に身を包んだ一人の生徒が残された。

 身に纏う厚手の男性用の制服は、湿った土で汚れていた。


 その容姿を司る二色の色。。

 それは――白と黒。


 髪の右半分と右目が白、左半分と左目が黒。


 シトラスは逃げて散った生徒たちには一切関心を見せない。

 いまだ地面に尻もちをついているその生徒を不思議そうに見下ろしていた。


「君も何してるの?」

「……え?」


 不思議そうな表情を浮かべたまま、差し出す手。

「めちゃくちゃ強いよね、君。なんでやられたフリをするの?」


 一瞬躊躇ったものの、その生徒はシトラスの手を取った。

 その胸に輝く輝石は橙色。

 学園で最上位の赤に次ぐ成績優秀者にのみ与えられる色。


「……目をつけられるわけにはいかないんだ。魔闘会で活躍するまではッ」


 ミュールが何かに気がついた表情を浮かべると、

「その特徴的な髪色とオッドアイ。橙色のくせに見ない顔だと思ったら、お前が噂の四年生か。魔人の子。"二律背反トゥーフェイス"」


「知ってるの?」

 シトラスの問いにミュールは頷くと、

「噂だがな。俺たちの一個下で三年前の新入戦の優勝者だ。ただ、その後はとんと名前を聞いていないな」


 新入戦。カーヴェア学園に入学した生徒が最初に体験する学園行事。

 新入生同士のトーナメント戦である。

 学園のヒエラルキーが最初に決定づけられる場。

 入学時点での実力差を示す格好の場でもあった。


「新入戦で優勝……。それが本当なら凄いじゃん。そんな才能のある人がどうして?」


「母さんのためだ。……自分で言うのもなんだけどボクには魔法の才能がある。魔人である母の影響なのかはわからないけど、物心ついたときから魔法が大好きで、魔法商会や武具屋の展示に目を輝かせては、よく母さんを困らせたものだよ」


 わかるー、と相槌を打つシトラスに、話し手の生徒はさらに気を良くしたのか頬が緩む。

 その耳は人間と同じ場所に付いているが、耳輪が後ろに尖っているのが特徴である。


「……でも、ボクの家は決して裕福じゃ……ううん、貧乏なんだ、正直言って。学園にいることが場違いなくらい。だから、ボクも学園で学ぶことは諦めていたんだ」


 魔法商人や武具屋の登場で、かつては上級臣民に独占されていた魔法技術も下級臣民に普及した。

 しかし、そうは言っても魔法具は高価な物が多い。

 その入手難易度に生まれの壁が存在した。


「ただでさえ貧乏な生活の中、母さんが生活を切り詰めてまでさ。ボクの受験費用を貯めてくれてたんだ。……嬉しかったな。『子どもの夢が親の夢』だってさ」


 心の底から嬉しそうに笑う。

 その笑顔は母親に対する感謝と情で溢れていた。

 釣られて、その表情を見たシトラスとミュールの表情も緩む。


 しかし、一気にその表情が硬くなる。

「――だけど、母さんがこのままと、長くない……」

「どういうこと?」


 話の雲行きが怪しくなる。

 シトラスが眉を寄せる。

 その表情は、心配、の一言に尽きた。


「母さんはいま床に臥せっているんだ。入学してから毎年の年末年始と夏季休暇に母さんに手紙を出していたんだけど、昨年の年末年始から返事がなくて……。それで学園長に無理を言って、夏季休暇に会いにいってみたら、ね……。慌ててお医者さんに見て貰ったら、難病だった。治せないわけじゃないけど、それを治すのには凄いお金がかかる……」


 一度目を伏せる。


 次にその目を開いた時、その瞳には力強い光が宿っていた。

「――だから、ボクには負けられない理由がある。対抗魔戦と魔闘会で名前で好成績を残せば、これまでの成績から言って、ボクは間違いなく学園の表彰に選ばれる」


 学園の表彰者は国王陛下に謁見が叶うのと、合わせて副賞として魔法金属の加工品が授与される。

 魔法金属は貴重価値が高い。

 それを売って母親の治療にあてるつもりのようだ。


「名乗りが遅れたね。ボクはオニキス」

「ぼくはシトラス。で、こっちの金髪のツンツンがミュールで、こっちの赤髪がメアリー。五年生だよ」


「オニキス、と言ったな。対抗魔戦は誰と組むんだ?」

 ミュールが口を挟むと、オニキスはその視線を逸らして頬をかきながら、

「それが、魔人の混血と組んでくれる人がいなくて。それで、なりふり構わず誘っていたらさっきの奴らに目をつけられたんだよ」


 亜人蔑視の思想が強い者にとっては、絶好の機会というわけであった。

 相手が強く出られないことをわかっていたからこそ、実力的には格上の相手にも強気でいられたのである。


 突然シトラスは振り返ると、

「ねぇ、メアリー。オニキスと対抗魔戦に出てくれない?」

 ぼやっと立っていたメアリーにそう尋ねた。


 先に反応したのは、隣に立つミュールであった。

「おい、シト。何言ってるんだ? メアリーがこいつと出たらお前はどうするんだよ? 俺と出るか?」

「うーん。それもいいけど……今年はやっぱり魔闘会に集中しようと思う」


 嘘は嘘でも、それは優しい嘘。 


 ミュールが何か言いたそうにシトラスを見つめる。

「……いいのか」

「うん」


 それ以外の言葉は二人には必要なかった。


 二人のやり取りを聞いていたメアリーは、顔色一つ変えず。

「……シトがそれを望むなら」


 とんとん拍子に話が進む。


「え? え?」

 戸惑うオニキスをよそに、

「よかったね。対抗魔戦は君とメアリーのコンビだよ。大丈夫。彼女こう見えても強いんだよ?」

「う、うん。もちろん知っているよ。学園七席の一人"狂犬"、だよね。学園新聞部が全校生に調査した『学園で最も戦いたくないランキング』殿堂入りの」


 それはもうぶっちぎりであった。

 ベルガモットが在学中で当ランキングで一位を取るぐらいである。

 彼女の卒業後に敵はいない。

 昨年度より票の無駄遣いということから、殿堂入りという名目で、彼女への当ランキングへの投票は無効化された。


「大船に乗ったような気持ちでいてよ」

「……舵は効かないけどな」


「え? え? え?」


 オニキスの受難と栄光が始まった。



『メアリーとオニキスのコンビが止まらなぁぁああいーーッ!!』


 歓声に沸く魔法闘技場に、魔法具で拡声された実況の声が木霊する。

 闘技ステージ上には、審判と二人の生徒の姿。


 メアリーとオニキス。


 毎年二月の恒例行事である対抗魔戦。

 行事の一ヶ月前に即席で組まれたコンビは、予選を危なげなく突破。

 七席に名を連ねるメアリーはもちろん、魔人の血を引くオニキスも橙色の輝石の色に恥じない実力の持ち主。

 対戦相手をまったく寄せ付けない。

 息を合わせるどころか協力することもなく、単純な個人技でゴリ押しであった。


 ミュールとブルーもコンビを組んで出場。

 チーブス王国との戦争で駆り出され出場できなかった昨年度を除き、入学以来四度目となる出場。

 これは在校生の中では最多の出場回数である。

 亜人であるブルーの出場に難色を示す生徒はいまだ一定数いるが、その実力には誰も文句の付けようがなかった。


 その実、オニキスと言うと――

「メアリーッ! やめてッ! やめろーーッ!」


 追い打ちをかけるメアリーの制止に終始追われていた。

 ミュールが十年以上の交友関係でもって制御できないメアリーを、出会って一ヶ月のオニキスが制御するには荷が重すぎた。


 観客席からシトラスの声が飛ぶ。

「メアリーッ! それまでだよーーッ!」


 倒れ伏した対戦相手の生徒に今にも飛び掛かろうとしていたメアリーが、その声を聞いてピタリと止まる。


 オニキスが彼女の後ろで胸を撫で下ろす。


 オニキスにとって、メアリーは対戦相手より緊張感が必要な相手。

 噂は以前から聞いていたが、実態はそれ以上であった。

 明確な格下には見向きもしないが、本選にまで出場するような実力者には、歯を剥いて剣を振るう。


 魔法すら切り裂く彼女の刃を止められる生徒は、学園にも数えるほどしかいない。


 その後も、西の四門の嫡子、かつ七席を務めるボルス・ジュネヴァシュタインを下したメアリーとオニキスのコンビは決勝へと駒を進めた。

 青髪碧眼で隆々たる筋肉を全身に身に着けた大丈夫――ボルスの実力はメアリーに勝るとも劣らないものであったが、コンビの実力差が勝敗を分けた。


 メアリーたちの決勝の相手は、南の四門の嫡子、かつ七席を務めるエステル・アップルトン。

 シトラスと所縁があるエステルは、準決勝でミュールとブルーのコンビを下していた。


 入学時よりその容姿の端麗さで評判が高かったエステル。

 最上級生となった今では、男ながらに傾国と言われる美少年にまで成長していた。

 それでいて家柄も良く、おまけに剣も魔法も優れている。

 そんな彼にはいつの間にか学園でファンクラブまで創設されていた。


 準決勝戦も七席の戦いということもあって盛り上がりを見せたが、決勝戦も七席同士の戦いとあって派手に盛りあがった。


 結果は、エステルのコンビの辛勝。

 戦略勝ちであった。

 搦め手を使ってメアリーを場外へ追い落とした時点で、勝敗は決していた。


『優勝はエステル・アップルトン、アイル・デピノスの南のコンビだぁぁああーーッ!!』


 勝者としてエステルの名前が場内に呼ばれた時、その歓声は最高潮へと達した。

 それはまるで倒されるべき悪者が退治されたような盛り上がりであった。


 興奮冷めやらぬ生徒たちが、魔法闘技場を去ったあと。

 闘技ステージには、ガックリと項垂れるオニキスの姿。


 シトラスが勇者部の面々を従えて、そんなオニキスに歩み寄る。


「惜しかったね」


 夕日が沈む中、オニキスは半壊したステージに立ち尽くしていた。


「……ごめんね。”狂犬”まで借りたのに優勝できなくて」

 俯くオニキスに対して、シトラスは、

「残念だったけど、仕方ないね。準優勝も十分凄いよ。次は来月の魔闘会だね!」

「この借りは必ず……!」

 顔を上げて、拳を握りしめた。



 オニキスが雪辱に燃える魔闘会であったが、

「――なんだって?」


 対抗魔戦の翌週のこと。

 学園に貼り出された魔闘会への出場者の名前。


 しかし、そこにオニキスの名前はなかった。


 シトラスとミュール、メアリーの名前はあるものの、ブルーの名前もまた掲示された出場者の名簿にその名はなかった。


 推薦を頼んでいた勇者部の顧問であるアドニスに、

「どういうことアドニス先生ッ!?」

 シトラスが詰め寄った。


「はぁ……。今年は学園の後援者スポンサーからの強い要望がありまして、人族以外を出場させることができないんですよ。残念ながら」

「そんな……!?」


 シトラスは、オニキスの事情をアドニスに話す。

 魔人と人族の混血ミックスであること。

 母親の治療のために、どうしても輝石の魔力を溜める必要があるということ。

 対抗魔戦で準優勝したその実力はお墨付きであること。


「はぁ……。事情はわかりました。話は学園長に――」

「――話は聞かせてもらったよッ!」


 勢いよく部屋の扉が開いた。

 そこに立っていたのは今まさに名前が挙がった学園長――白髪白眼の童の容姿をもったネクタルその人であった。


「学園長、いったいいつから……?」

「一度でいいからこういうのやってみたかったんだよね。……こほん、後援者の意向とは言え、才能ある若者の芽が摘まれるのは僕としても本意じゃないんだ。それにオニキス君の母君についても理解している。そこでこういうのはどうだろう? ――君たちで行事を作るんだよ」


「行事を作る?」


「そうさ、今でこそ四大行事だなんて言われてるけど、その行事も開校時には、魔闘会と魔法試験しかなかったんだ。つまり――?」


 シトラスがハッとした表情を浮かべると、

「行事は作れる?」


 ネクタルが満足そうに笑い、

「そういうことさ。ただしもちろん誰でも自由に――なんてわけじゃない。条件は三つ。

 まず、日程は魔闘会と同日であること。そうでないと授業に支障がでるからね。

 次に参加人数と後援者。最低でも百人は欲しいよね。

 最後に、行事の後援者。学園は慈善団体じゃないからね。先立つものは必要なのさ」


 そう言って、どこからか取り出した参加者と後援者の名簿を手で叩く。


「ひゃ、ひゃくにん……」

「それに魔闘会の日まで一か月を切ったのにいきりなり後援者だなんて……」


 あわあわした表情を浮かべるミュールとオニキスの二人。


「君たちの本気を見せてご覧よ」


 そう言ってネクタルは、書類を机の上に置くと教室を後にした。


 シトラスがネクタルの残した書類に取り掛かる中、ミュールとオニキスが教室内を右往左往する。

「友達すらまともにいないのに、急に百人の参加者だなんて……。おい、オニキス。心当たりあるか?」

「あるわけないだろ。あったら、もっとボクの学園生活は気楽なものだったよ。それに後援者なんて……。貴方たちは貴族なんだろ? なんとかできないのか?」

「あー、無理だ。いまシトの実家は色々あって王家の管轄領だから、そこから金銭面の援助は微塵も期待できない」

「じゃあ、どうするんだよッ!?」

「それを今考えてるんだろッ!?」


 歯を食いしばって、顔を取っつき合わせる二人。

 その瞳には火花が散っていた。


 睨み合う二人に胸を張ったシトラスは、

「ぼくにまかせて」

「シト?」


 シトラスは大きく息を吐いた。 

 それは大きな大きな深呼吸。


「ブルゥゥウウウーーッ!!」

「そんなんで――」


 来るか、と言葉を続けようとしたミュールであったが、


「――呼んだ、シト?」

 風となって彼女はやってきた。


 開いた口が塞がらない。

「来たよ……。お前そんな奴だったか? いつの間にかメアリーに寄ってないか?」

 いつもシトラスの左が定位置と言わんばかりに陣取る幼馴染メアリーを連想させた。


 ブルーは、メアリーとなぞらえられたのが不服そう様子。

 しかし、一瞥こそ寄越したものの、特にそれに言及するでもなかった。

 それを言葉にすれば、虎の尾を踏むことになりかねないと判断したのかもしれない。

 彼女とメアリーの関係は時と共に軟化したが、それでもそこには明確な序列があった。


「知り合いに声かけてみるよ! ブルー、これを急いで大図書館に提出してきてくれない?」


 そう言ってシトラスは書きなぐるように書いた手紙をブルーへと差し出した。


 ――このとき学園の歴史が動いた。


●とある商会


 とある商館のひと際、豪華絢爛な部屋。


 そこには書類の山と格闘している女性。

 肩にかかる軽くウェーブした金緑の髪。

 理知的な大きな金緑の眼。

 ゆったりとした服の上からでもわかる、女性らしい曲線美に富んだその体。


 その容姿の持ち主は美女と言って申し分ない。


 美女は一枚の手紙にその手を止めた。

「王都の学園から速達の手紙? ふふん。待ち焦がれてたんだよ。君が連絡をくれるのを……」


 手紙に目を通した後、差出人の名前に接吻を落とす。

 机の上に置いていたベルを鳴らした。


「会長? お呼びでしょうか?」


 部屋の外から彼女の秘書が入ってくる。


「あぁ、ご苦労。来月の予定なんだけど」

「来月のご予定ですか? 来月は月初から予定が詰まっております。新商品の品評会、それに王城への報告、大小含めた他の商会との会合――」

「キャンセルだ」

「――は?」

「予定は全てキャンセル。来月の予定がたった今決まった」


 ぽかんと口を開ける秘書に対して、美女は実に楽しげに笑ってみせた。


●とある宿営地


 机を叩く音が天幕に響いた。


「手紙ッ!! 見たッ!?」

「もちろん見たよ」


 人並外れた巨躯を誇る美女の手によって、叩かれた机は真っ二つになって砕けた。

 机の持ち主のこちらも同じく美女が、書類を持ち上げて固まっている。


 肉感的で温かい印象を与える美女と、怜悧で冷たい印象を与える美女。


 天幕の入口ごと吹き飛ばして入って来た肉感的な美女は、机を壊したことを気にも留めず、興奮気味だ。その鼻息も荒い。

 怜悧な美女は、肉感的な美女が手に握りしめた手紙に目を通しているところであった。


 無言で再度手紙に視線を落とした彼女であったが、

「またあの子は面白いことを考えるな。学園で魔闘会の日にイベントなんて……。普通なら人が集まるわけがないんだけど……」

 手紙を読み終えるとクスリと笑ってその顔を上げた。


「私は休暇を取っていく予定だけど」

 肉感的な美女が試すような口調で伺うと、

「馬車は手配してくれ」

 怜悧な美女はそう言葉を返して、手紙を丁重に折り畳み懐にしまうのであった。


●とある地下世界


 石造りの宮殿内。


 その一室で、部下から手紙を受け取ったのは、褐色の肌をもった外見年齢が二十代半ばの青年。

 左腕全体に刺青、左側頭部を極端に刈り上げた黒髪。

 やや左寄りに結われたおさげ。

 身に纏った麻の一枚布で作られた衣服、

 キトンは右肩のみ留められており、その特徴的な青年の体の左側をいっそう強調していた。キトンの上には毛皮のコート。


「面白い手紙が地上から届いたものだ。それにあの子を預けてからすっかり姿を見せないと思ったら――チーブスなんぞに捕まっておったのか。なかなか波乱な生活を送っているようだな」

 手紙に目を通すと、ククッ、と笑いを漏らした。


 どうしたものか、と男が思案していると、

「くんくん、シトの匂い、シトの匂いがするッ!!」

「ぬッ。お主どこから湧いた?」


 手紙の匂いを嗅いだのは、黒と見まがう深紅の髪と瞳をもつ美少女。

 男と同じく麻のキトンと毛皮のコートを身に纏った少女は、手紙の匂いに嬉しそうに声を上げる。

「教えて、あげる!」

 たどたどしい口調でそう言うがはやいか、少女は素足でペタペタと部屋から走って出て行く。


「おーい、走ると兄者にまた怒られるぞ、ってまったく聞いておりはせん……」


 小さくため息を吐くその口であったが、その口角は微かに上に上がっていた。


●とある屋敷


 薄暗い屋敷。

 ぶち破るような勢いで居間への扉を開けたのは、一人の桃瞳桃髪の美少女であった。


 居間にいた白髪まじりの黄髪の少年が、

「なんだ。騒がしい。もう少し静かにできないのか?」

 非難する色をその黄色の瞳に浮かべるも、

「できないッ! ひ、姫はどこ!? こ、こここれ見て! これッ!」


 少女は震える手で、握りめていた手紙を少年へと差し出した。


 手紙の握りしめられた彼女の手を見ながら、胡乱気に、

「なんだって言うんだ……手紙? また、王都からか? ついこの前に、姫は体調が良くないから動かせない、と伝えたばかりなんだが……」

 面倒臭そうにそう呟く。


 少女は震える声で、しかし確かな喜びの声音で、

「ち、ちがうわよ、シトッ! シトからッ!!」

 そう叫ぶと、

「は? シトから? 何の用だ? 俺にも見せろッ!」

 打って変わって、少年も少女が手にした手紙をひったくるように奪い取った。


 そして、素早く広げると視線を手紙に落とす。

「裏魔闘会の誘い?」

「来月にあるみたいッ! シトの学校の催しみたいねッ!」

「来月、って……それはまた急な。両国の講和交渉もまとまったばかりだぞ?」

「じゃあ、お留守番ね。私と姫で行くからッ!」

 つーん、と突き放す少女に、慌てて弁明する少年。

「ま、まてッ! 誰も行かないとは言ってないだろ! ただ、大丈夫か? 姫は……」


 案じるのは、彼らの今の主人。

 思い人が去ったあと、生気を失い、かつてのように引き籠りになってしまった少女。


 しかし、

「わらわは行くぞよ」


 二人が振り返った先にいたのは、件の少女であった。


「姫ッ!」

 二人の声が重なった。


 かつて四人で和気あいあいと生活していたときのように。

 かつて思い人が隣にいた時のように。

 彼女は覇気のある佇まいを取り戻していた。


「ジンジャーめに文を出す。そちらは今すぐに支度せい。今すぐに一等の馬を用意させるのじゃ」


 活力を取り戻したその瞳と声に、二人は威勢のいい返事を返す。

 返事の後には、すぐさま仕事に取り掛かるのであった。 


 これらのシトラスが各地に送った手紙をきっかけに、学園の教師たちはその頭を悩ますことになるのであった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る