六十八話 帰還と王弟と


 チーブス王国を突如として強襲したベルガモットとヴェレイラは、シトラスの身柄の引き渡しを要求。


 これ以上の戦火の拡大は両人の望むところでもないため、ジンジャーはこれを受諾。

 その身柄を譲り受ける為、北西部の都市セイカへと訪れた。


 ありあまる強大な力を制御できないチーブス王国のシーヤ姫の下への人身御供として、御守役の名の下に預けられていたシトラスであったが、セイカで半年ぶりにジンジャーと再会することになった。

 

 その屋敷での対談は波乱に満ちたものであったが、最終的にシトラスはシーヤの下を去ることを決意。

 それに錯乱したシーヤの凶行に襲われるも、ジンジャーの手で間一髪この危機を回避することに成功した。


 以降床に伏せってしまったシーヤに直接別れを告げることなく屋敷を後にしたシトラスは、ジンジャーの手配した馬車に揺られ、その身柄の引き渡しのために、ベルガモットの率いる軍と対陣するチーブス王国軍の野営地に訪れていた。



 ベルガモットたちの率いるポトム陣営。

 昨年末のチーブス王国のポトム王国侵攻を発端とする戦争。

 四月の半ばにチーブスの捕虜となり、一ヶ月を天幕で、六ヶ月をセイカで過ごした後に今に至る。


 約半年ぶりに、シトラスはチーブス王国から解放されたのである。


「シト、大事ないかッ?」

 シトラスの記憶の中より、いっそう心配する様子を見せる姉のベルガモット。


 ベルガモット・ロックアイス。

 この戦争を経て、今や隣国チーブスにも"風の王シルフィード"という二つ名で畏怖されるほどの女傑壱。

 シトラスとお揃いのサラサラとした金橙髪。

 宝石のような浅葱色の瞳。

 均整の取れた抜群のスタイル。

 道を歩けば誰もが憧れる魅惑の女性。


 優れているのは容姿だけではない。

 前述の二つ名が示す通り、風を手足のように扱い、大陸の歴史上でも稀である浮遊魔法の使い手。

 生まれてこのかた天才の名を欲しいままにしていた。


 天幕に帰ってくるや否や、彼女はシトラスを抱きしめて動かない。

 卒業して以来、約二年ぶりとなる再開であった。


 その隣には、瞳を潤ませる人並み外れた巨躯を誇る女性の姿もある。


 ヴェレイラ・ボガードマン。

 この戦争を経て、今や隣国チーブスにも"不動の巨人デイダラボッチ"という二つ名で畏怖されるほどの女傑弐。

 橙髪の肩にかからない長さの毛先に癖のあるボブヘアー。

 垂れ目がちな愛嬌のある大きな瞳。

 そして、蠱惑的なスタイル。

 彼女は何もかもが大きかった。

 人としての規格が大きい。遠目には細身で、男なら垂涎もののメリハリの効いた体だが、近づくと一班男性の二倍近い体躯。

 幼少期はそれにコンプレックスを抱えていたが、シトラスの言葉でそれを克服。


 実力の面でも、友人でもある天才ベルガモットと、実力で肩を並べることができる数少ない人物であった。


 ちなみに、ヴェレイラも寝泊まりするこの天幕には天井がなく、頭上は本陣のように吹き抜け状態であった。

 

 ジンジャーとの交渉の席で、思い焦がれたその姿を見た瞬間から、抱きしめたい衝動をこらえにこらえ、自身の天幕に入るや脇目もふらずにシトラスを引き寄せ、その胸の内に抱きしめていた。


 しかし、その内すんすんと鼻を鳴らし始めるベルガモットに、

「ベルばっかりずるいッ!」

 ヴェレイラが、シトラスを抱きしめるベルガモットごと、抱きしめるように彼らに覆いかぶさった。


「うわッ」

「こらレイラッ」


 顔を寄せ合った三人の笑い声が天幕に木霊する。


 ひとしきりじゃれ合った後に起き上がると、ベルガモットの風魔法で服に付いた土埃はあっという間に綺麗になる。


「この後のことだが――来たか」

 口を開いたベルガモットであったが、途中で言葉を止めると天幕の入口に視線を送る。

 それはヴェレイラも同様であった。


 首を傾げるシトラスであったが、

「来たって、何があああぁぁぁ――?」

 答えの方からやってきた。


 天幕の入口が跳ね上がったかと思うと、飛び込んできたその影がその勢いのまま、立ち尽くすシトラスのお腹に突撃した。

 声を置き去りにして、影諸共吹き飛ぶシトラスであったが、風がそっとその体を包み込むことで、その体が地面にぶつかる際に衝撃はなかった。


 再び仰向けに地面に倒れたシトラスに馬乗りになっているのは、一人の少女であった。

「シトッ!」

 

 それは赤髪赤眼の美少女。

 顔の造形は貴族の令嬢然とした美しさがあるが、挑戦的な鋭い赤い目つき。

 胸元まで野放図に散らかった赤髪。

 その雰囲気が彼女の野性的な美しさを演出していた。


 シトラスは自身の上に跨った彼女を認識すると、喜色を浮かべてその名を呼ぶ。

「メアリーッ!」

 彼女はペタペタとその存在を確かめるように、シトラスの顔を両手で触る。


 メアリー・シュウ。

 シトラスの同い年の幼馴染の一人である。

 カーヴェア学園に入学以来、新旧の魔法倶楽部、専門課程、対抗魔戦、北東方面軍でシトラスと肩を並べてきた剣の鬼才。


 そして、遅れて隣に立つもう一人の少女。

「私もいる」

 淡々と自己主張する声。

 

 琥珀髪柑橘瞳のこちらも美少女。

 その頭頂部には猫人族の特徴的な三角耳。

 いつもクールなその表情が今はホッとした表情で、メアリーに跨られているシトラスを見下ろしていた。

 表情以上に豊かに動く彼女の尻尾が今はくねくねと動いていた。


「ブルーッ!」

 シトラスがその名を呼ぶと、くすぐったそうにその目を細めた。


 ブルー・ショット。

 シトラスの同級生。

 学園に入学時からシトラスに目をつけれられて以来の腐れ縁。

 最初は人族であるシトラスを忌避していたが、いつの間にか絆されて、専門課程、新しくシトラスが創設した勇者部、北東方面軍でシトラスと肩を並べた英才。


「おい。メアリー、ブルー。はえーっての」

 そう言いながら、最後に天幕へ入ってきたのは、金髪琥珀瞳で少しツンツンとした硬い髪質の短髪の持ち主。


 シトラスは三度みたび破顔すると、

「ミュールッ!」

「おう、シト。心配かけやがって」


 ミュール・チャン。

 メアリーと肩を並べる同い年の幼馴染の一人である。

 カーヴェア学園に入学以来、新旧の魔法倶楽部、専門課程、北東方面軍で陰に日向にシトラスを支えてきて苦労人。

 対抗魔戦では一貫してブルーの相方を務めていた。

 どこか野性味を感じさせる雰囲気を持つ彼は、元はスラム育ちで学園には同じく東部出身貴族のオーロラという交際相手がいた。


 シトラスは寝そべったまま、天幕に集まった仲間を見渡した。

「みんな、元気にしてた?」

「おいおいおい、それは俺たちのセリフだぜ?」

 ミュールがおどけてそう返すと、天幕は笑い声に包まれた。


 その後、交渉を終えたベルガモット率いる軍は、ポトム王国の首都キーフに向けて東進。

 正式に両国が停戦したこともあって、これ以上の戦いが発生することもなく、シトラスたちはチーブス王国を後にした。


「本当に心配したんだぞ?」

 とはベルガモットの言。


 シトラスたちは二台の馬車に別れてキーフを目指していた。


 片や、ヴェレイラの体に配慮した通常の二倍の大きさの馬車。

 通常二頭引きであるが、この馬車は四頭引き。

 これに乗るのはベルガモット、ヴェレイラとシトラス。


 残りの三人は、しぶしぶ別の普通の馬車に乗っていた。

 二つの馬車には、貝殻の形をした通信用の魔法具があり、会話は筒抜けであった。


 通信魔法具越しのミュールの問い。

『そうだぜ。変なことされなかったか?』

「……変なこと?」


 シトラスが正面に座るヴェレイラに聞き返すと、顔を赤くしたヴェレイラは、何でもないの、と言葉を濁した。

 魔法具越しに何かを殴る音が聞こえてきた。


 仕切り直すように、こほん、と咳払いをしたベルガモットが、

「よければ私たちに話してくれ。シトラスがチーブスで見たもの。感じたものを」

 優しい目で隣に座るシトラスを見つめる。


「そうだね――」


 シトラスはチーブスでの経験を、思いを共有する。


 初めて戦った時のこと。

 駐屯した村で見聞きしたこと。

 アーゼー・クレモ中尉との決闘。

 駐屯部隊の隊長代理としての奮闘。

 隊長代理となった村で初めての収穫。

 アーゼーの来襲と牢屋。

 脱獄と裏切り。

 アーゼーに敗北し、虜囚の身となったこと。


 アーゼーの下りでは、ベルガモットは眉を顰め、ヴェレイラは彼の立ち回りに、信じられない、とぷりぷりと怒る仕草を見せた。


「――そう言えば、ごめんね姉上。姉上から頂いた宝玉のついたネックレス、村のお金のために売っちゃった……」

 申し訳なさそうにそう言うシトラスに対して、

「いいんだシト。お前が無事なら。それで。それに私はあげたんだ。どう使おうが責めはしないさ」

 なんだそんなことか、と言わんばかりに、変わらず優しい目つきでそれを肯定する。


 シトラスの話は駐屯していた村からセイカへと移る。

 御守役としてシーヤとの出会い。

 彼女との一ヶ月の天幕暮らし。

 護国騎士団のウィップとカスタネアとの出会い。

 セイカの屋敷で始めた四人暮らし。

 冒険迷宮ダンジョンの浅層と中層。

 そして、彼らとの別れ。


 同じ馬車に乗る二人は、シーヤの名前の登場にひどく驚いていた。

「チーブスのシーヤ姫って、あれよね? "暴虐姫タイラント・プリンセス"のことよね?」

「あぁ、間違いないだろう。北東方面軍をたった一人で壊滅させた傑物だ」


 口を抑えるヴェレイラに、ベルガモットがそれを頷いて肯定する。


 シーヤは元より、ウィップもカスタネアも決して口にしなかった彼女の二つ名は"暴虐姫"。

 その名は二つ名の中でも悪名に分類される。

 制御できないその力で、歴代の御守役や関係者、はたまた軟禁されていた施設を消し飛ばしていたことから付けられた異名。


 しかし、全く制御できないのか、と言われるとそういう訳ではない。

 ウィップ、カスタネア、ジンジャー、それにシトラスに意識的にその矛先を向けたように、指向性を持たせるぐらいには制御できていた。

 ただ、精神状態で時折、意図せず暴発するというものであった。

 

 全てを無に帰するその力に目をつけたジンジャーが、今回の戦争で国王に掛け合いにその力を軍事運用。

 その試験的な試みは、周囲の失敗に終わるという予想に反して、大金星の成果を上げることに成功。

 たった一度の従軍で、その名をチーブスのポトムの二国間、そして耳聡い者たちへと轟かせた。


 ベルガモットとヴェレイラの口から、シーヤの噂が語られると、 

『ひぃえ~、おっかねーな。範囲殲滅型のメアリーって感じだ――』

 ミュールはその言葉を言い切ることはなかった。


 再び何かを殴る音が、魔法具を通じてシトラスたちの乗る馬車に届けられた。

 色々と懲りない男である。


 その懐かしいやり取りは、シトラスに仲間たちの下へと帰ってきたことを実感させ、その口元には笑みが浮かんだ。


 時間と馬車の景色は、止まることなく流れていく。


 休憩を挟みつつ、シトラスがチーブスについて話し終えると質問タイムとなり、

 それが終わると、今度はシトラスから逆に不在時の近況の話へと移った。

「――国王陛下の体調があまり芳しくない」

「王様の? ご病気?」


 今回の戦争におけるチーブスへの侵攻は、今生陛下の望むところではなかった。

 しかし、今生陛下はチーブスがポトムに攻め込んできた時期を境に本格的に病に伏せり、まともに政務を行える体調ではなかったのだ。


「そうだな……有り体に言えば、寿命、だな。歴代の先王たちと比べても、今生の陛下は王位に大変長く在位された。その間に、国は富み、争いらしい争いもこの戦争前まではなかった。軍縮を掲げ、その浮いたお金を市井に回すなど、今生の陛下は国内外から名君との誉れが高い」


 高い魔力は老化を遅らせる。

 しかし、それは不老であることを意味しない。

 遅かれ早かれ、人は老い、朽ちていく生き物である。

 それは膨大な魔力をもつ王家とて例外ではない。


「そんな凄い人がぼくたちの王様だったんだね。知らなかったよ。それでそんな凄い王様の後を次は誰が継ぐの?」

 

 ベルガモットが声のトーンを一段落とすと、

「……そこが話の肝なんだ。中々子宝に恵まれなかった国王陛下には、御子を三名しか授かることができなかった。そして、上の二人は既に他界している。最後の御子は晩年に授かった御子ということもあり、まだ未成年なんだ」


 二人とも『王弟君の手の者に暗殺された』と宮廷では専らの噂であった。

 それも確固たる証拠もなく、今生陛下も深く追求しなかったため、事故死として処分されていた。

 王弟への要らぬ先入観を与えないため、ベルガモットはこの話は伏せることにした。


「じゃあ、その未成年の皇太子さまが、今生陛下が無くなられた後の次の陛下?」


 首を振るベルガモットは、

「……事態はそう簡単じゃないんだ。ここで登場するのが、今生の国王陛下の弟君だ。弟君は、今生陛下が即位したときから、陛下を支え続けてきた功労者の一人。その弟君が皇太子が一人前になり、その王位を継ぐまでは摂政を務めると公言しているのだが、これに貴族の半数が反対していたな。いま宮中は揉めに揉めている」

「なんで揉めるの? みんなで協力して皇太子を助けてあげればいいんじゃない?」


 実にシトラスらしい回答であった。

 ヴェレイラを始め、魔法具越しにその回答を聞いていたミュールたちの頬も緩む。


「……弟君は長いこと今生陛下を支え続けていただけあって有能な人物だ。ただ彼は思い込みが激しく、強権的なきらいがある。そして、何より欲深いことでも彼は有名なんだ」


 今生陛下が即位した際に、王弟の野心を危惧した宮廷貴族の一人が、王弟の王位継承権の剥奪を目的に、新たに大公家を建てることを画策したが、王弟の今生陛下に対する嘆願からその話は立ち消えた。

 そしてその後、それを画策した宮廷貴族の足取りが一切つかめなくなったという。


 王弟絡みでこういった話には枚挙がなく、さりとてそれを裏付ける証拠もない。


 兄である今生陛下も疑わしい事件が起きる度に、公私にわたって度々諫めた。

 王弟はその度に衆目の眼前で涙を流して、王家と王国への忠誠を熱く誓った。

 また彼には貴族内外に信奉者も多く、不用意に処分できずにいた。


 そして、そのツケを支払う時が近づいていたのだ。



 姉と友人たちとの快適な馬車旅を経て、シトラスは王都キーフへと帰ってきた。


 ベルガモットが率いてきた軍隊は、途中でサウザ率いる部隊に預けたため、キーフへはシトラスたちの乗る荷台の馬車と、その護衛にわずか数十騎の供回りばかり。

 ベルガモットとヴェレイラの乗る馬車に護衛は必要ないが、何事も体裁は重要である。


 供回りの者を先行させ、用意させた湖の橋を渡る一行。


 シトラスにとって地下世界への素通りを除けば、二度目となる王城。

 一度目は、チーブスへの出兵の際に王城の広場を利用しただけである。

 こうして正式に王城内部に入るの初めての経験だと言えた。


 登城後、シトラスたちは別室で茶菓子と共に歓待された後、城内の応接室へと案内された。

 ちなみに、ブルーだけはいらぬ軋轢を避けるために、お留守番であった。

 これにはシトラスが難色を示したが、周囲と本人の説得もあって、渋々これを受け入れた。


 先方が来ておらず、先に腰かけて待つ一同にベルガモットは、

「お前たちは何も喋るな。何もするな。すべて私とレイラが対応する……我慢できるか、シト?」

 シトラスにだけは伺うように尋ねた。


「たぶん大丈夫ッ!」

 シトラスの元気のよい答えに、付き合いの長い彼らの心は一つであった。


 ――これはあんまり信用できない時の返事だと。


 しばらくして、従者が先方の入室を告げると立ち上がる一同。

 ちなみにヴェレイラの椅子だけは個別の特注品である。


 従者の言葉の後にのしのしと部屋に入って来たのは、白髪と顔全体を覆う白髭が特徴の恰幅の良い男性。

 

 一同の前の椅子に腰かけると、鷹揚に手を上げて、

「ふぅ。戦後の処理で遅くなった。君たちも座りたまえ」

 にこやかにそう言って笑いかけた。


「ありがとうございます。王弟閣下」

「ベル。ベルベルベル。儂を王弟閣下なんてよそよそしい。儂のことはマーテルと呼んでくれといつも言ってるじゃないか、ええベル?」


 ベルガモットは瞳の笑っていない笑みを浮かべると、

「ははは、申し訳ございません、マーテル閣下。彼らの手前、私が王弟閣下に対する礼儀を示す必要がありましたので」

 そう言って、横に座る一同に視線を送ると、

「おぉ、話は聞いておるぞ。レイラもこうして顔を合わせるのは久しぶりじゃないか? ん? お前の卒業以来か? ええ?」

 今度はベルガモットの隣のヴェレイラへとその視線が映る。


 ヴェレイラもベルガモット同様にシトラスからすれば、取ってつけたような笑みを浮かべると、

「そうかもしれませんね。なかなか派遣先に慣れないもので、顔を見せるのが遅くなって申し訳ありません」

「ぶはははは、よいよい。苦しゅうない苦しゅうない。此度の戦争、ベルとお主で中々派手に暴れたと聞いておる。そちらの貢献もあって、チーブスの講和交渉はなかなかに楽しいものであったぞ。これからもそちらには期待しているおるぞ。ええ?」

「勿体なきお言葉。ありがとうございます」


「――それで、どれじゃ? ベルの足を引っ張った弟とやらは? ええ?」


 かっちーん。


 ミュールにはどこからからそんな音が聞こえた気がした。

 今日のこの面々では心当たりがあり過ぎた。


 ひとまず、一番大事おおごとになりそうな右隣に座るメアリーに気を配る。

 帯剣していないとは言え、彼女自身が抜身の刃のようなもの。


 すかさずベルガモットがフォローに回る。

「何を仰いますか閣下。この賢弟のおかげでジンジャー様と対等な交渉を引き出せたのです。最初から私ではこうはいかなかったでしょう。やはり、上の失敗・・・・を見て、下の兄弟は学ぶものですね」

「ふーむ……ぶはははは、そうかそうか。お主も苦労しておるのじゃな。うむうむ苦しゅうない」


 その自尊心を満たしてあげると、それ以上追求することなく満足げに笑った。


 それでもはやシトラスに興味は失せたようで、次はメアリーを見つめた。

「して、メアリーはお主か? ええ?」


 彼女は、宮廷貴族たちにとって非常に興味深い存在であった。

 シトラスは知らないことであったが、メアリーはカーヴェア学園で今年度から七席に名を連ねていた。

 他者を寄せ付けない圧倒的な対人戦闘能力。

 集団行動に全く向かない点は欠点だが、用心棒、暗殺者と言った表には出ない要職を任せるには適任であった。

 しかも、この一年間で数多くの貴族が袖の下を通して交渉を持ちかけるも、誰一人として一切相手にしておらず、手つかずの物件である。


「……」


 マーテルに返ってくる言葉はなかった。

 メアリーは、掛けられた言葉を気にも留めずに、正面の壁に掛けられていた風景画を見つめていた。


 そんなメアリーの様子にマーテルは鼻白む。

 しかし、事前に彼女について話を聞いていたため、それ以上は追求することはなかった。


 政争の裏において、彼女を味方につけることほど頼もしいことはなく、敵に回すことほど恐ろしいことはない。


 家も家族もない彼女。

 本人に金銭欲求も物欲も支配欲もない。

 彼女のような人間を宮廷貴族は縛り付けることはできない。

 ある意味で無敵の人であった。


「……ふん。まぁよい。お主たちは今年が学園の最終学年じゃったな? ええ? 表彰式で待っておるぞ? 特にベルの弟。いつまでもうえの背中を見ているだけじゃダメぞ。喰らいつき、追い越す――ぐらいの気概がなくてはの、ぶははははは」


 ベルガモットとミュールに挟まれて座るシトラスは、終始無言でマーテルを見つめていた。

 その瞳に映る彼の魔力の輝きは、酷く濁っていた。


 ちなみに、ミュールはマーテルに一人その存在を言及されず、ちょっぴり寂しかった。


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