二章五節 虜囚編

六十一話 姫と御守役と


 他の天幕より分厚い布地で覆われた特製の天幕。

 室内に置かれている調度品はどれも豪華絢爛。それだけで、この空間の主の格がわかる。


 部屋の中央に設置された空間には、大きなベッドとその上に座る一人の少女。

 少女の特徴は、何といっても身の丈を越える美しい濡れ鴉の黒髪。髪の隙間から覗く瞳も、その美しい髪と同じく黒色。その瞳はどこか虚ろであったが、それは少女の美しさを損ねるものではなかった。


 部屋にはもう一人。

 特徴的な金橙色の髪と瞳を持つ少年、シトラス・ロックアイスの姿があった。


 チーブス王国に侵攻したポトム王国。

 その一部隊として、チーブス王国北部の都市と近隣の村々を占領したポトム王国北東方面軍。


 しかし、占領から半年も経たないうちに、チーブス王国軍の攻撃を受け、北東方面軍は瓦解。

 北東方面軍の一部隊としてシトラスが駐屯していた村も、奇襲を受けた。


 かつての上官、アーゼー・クレモの裏切りと卑劣な作戦で、共に部隊に派遣されていた学園の仲間たちと離れ離れになったシトラスは、一人チーブス王国の虜囚に身をやつしていた。

 

 シトラスは案内された天幕で、戸惑いの中にいた。


 シトラスは自身が捕虜になったということを自覚していた。

 にもかかわらず、シトラスには拘束具一つ付けられていない。あまつさえ、女中に姫と呼ばれる立場の少女と密室で二人きりである。


 天幕へ向かう途中で女中から言われた内容は二つ、

『姫を退屈させないこと』

『天幕の外に出れば殺害する』


 シトラスは、女中の言葉を反芻しながら、部屋の中央に用意された大きなベッドに座る少女を見つめる。


 彼女はベッドの中央に座っているだけで、身じろぎもしない。


 心ここに在らず。


 シトラスは部屋に入って以来、否、部屋に入る前から彼女の存在に釘付けであった。 


 不意に少女の口がその小さく開く。

「そち……名は?」

 身じろぎひとつせず、か細い声で尋ねた。


「ぼくの名はシトラス。君は――ッ!?」

 シトラスの問い掛けに反応して、彼女の焦点がシトラスを見つめた。


 シトラスは腕を交差させ、顔を庇う。シトラスの髪が勢いよく舞い上がる。

 厚手の布地で覆われた天幕が激しく波を打った。


 シトラスの持つ、魔力視の魔眼。

 その眼は捉えていた。彼女から流れる膨大な魔力の奔流を。


 今まで出会った人物の中でも、圧倒的な魔力量。

 無意識に漏れ出す魔力が、現実に干渉するほどの力。その魔力量は天幕の外からでもわかるほどの規格外であった。

 

 シトラスの反応に、彼女はベッドの上で膝を立てて揃え両脚を両腕で抱えると、抱えた腕に顔を埋める。それは他でもない彼女が自身の強大な力に傷ついているように見えた。


 乱れた髪を手櫛で整えながら驚くシトラス。

「……すごい魔力量だね。こんなの見たことがない」


 シトラスは笑みを浮かべると、恐れることなく一歩を踏みだした。


「名前は?」

「……」


「君はいつもここにいるの?」

「……」


「いつも何をしているの?」

「……」


「お誕生日は?」

「……」


 何を話しかけても、自身の殻に閉じこもって返事をしなくなった少女。


 シトラスは幼少期を思い出していた。

 朧げな過去の記憶。これに似たような態度を取っていた赤毛の少女がいたことを。


 今じゃベッタリになった彼女の姿が脳裏に浮かべると、クスリと笑みが零れる。


 ――彼女とはどうして打ち解けたっけ? あぁ、そうだ。

「剣で手合わせする?」


 もちろんするがわけない。




 彼女は、深い昏い孤独にいた。


 ――あぁ。まただ。どうせ目の前の男も直ぐにいなくなる。 

 

 彼女が覚えている最初の記憶は、自分を見る恐怖の表情。


 いつだってそうだ。誰もが彼女を恐れてきた。


 実の両親ですら、彼女を恐れた。

 最終的に要らない子のように王都を追い出され、田舎の古びた城に軟禁され、ここまで生きてきた。


 唯一出会ってきた者たちの仲で彼女を恐れないのは、有能ではあるが奇人としても有名であるジンジャーぐらいであった。


 彼女の持つ力は、人々が彼女を恐れる力はいたって単純。


 その圧倒的な魔力量である。

 

 平均的な魔法使いの何十倍もの魔力を持つ彼女は、魔力が切れるということを知らない。

 そして、彼女の感情が高ぶった際には、その魔力は現実を侵食した。


 初めてその力が認知されたのは、夜泣きで使用人ごと城の一室を吹き飛ばした事件であった。


 その事件以来、何重にも警護という名の見張りの兵士のもと幽閉されていた彼女だが、彼女が夜泣きする度に、警護に当たっていた兵士と彼女の部屋が永遠に葬り去られる。


 兵士たちにとっては、警護という名の死刑宣告であった。


 頭を抱えた両親は、苦肉の策で孤児院に彼女を預けるも、その孤児院は預けた翌日には更地に返っていた。

 

 両親は苦肉の策で、ありったけの魔力抵抗を施した地下室に軟禁。


 夜泣きによる魔力放出の被害は、ぱたりと止んだ。これで問題が解決したと、誰もがそう思った。


 しかし、今度は軟禁されたストレスにより魔力が暴走。

 魔力は感情に大きく左右される。


 夜泣きのように無意識下の魔力解放ではなく、ストレスによる負の感情の爆発に伴う魔力解放。

 被害は魔力抵抗の施された地下室に留まらず、周囲一帯の地を消滅させた。


 王都に置いておくのは危険と判断された彼女は、母方の実家の領地の田舎への移転を命じられ、僅かばかりのお供とともに都落ち。


 以降は辺境の城でひっそり暮らすこととなった。

 ときおり御守役という名目で、王都から様々な人間が送り込まれてきた。


 兵士、女中、使用人、大道芸人、噺家、演者、音楽家、冒険者などなど。

 しかし、生きてその任を全うした者はこれまでに一人しかいなかった。


 彼女の御守役に選ばれた者で、唯一生き残ったその者こそが、法服貴族となる前のジンジャー。

 しかし、今のジンジャーを彼女の御守役にするのは役不足であった。


 なん十人、何百人と御守役が変わる中で、その顔ぶれも随分と変わった。

 最初は兵士、女中、使用人と言った宮仕えの者たちだったが、いつしか、市井の大道芸人、噺家、演者、音楽家となり、無頼漢の多い冒険者まで。ついには、シトラスのような敵国の者を傍におくまでになっていた。


 ――すべてがどうでもいい。


 彼女の周りを渦巻く魔力。


 今もなお成長し続けるその魔力量は、ほんの小さな感情の変化でも周囲に甚大な影響を及ぼす。

 

 彼女の思考が昏く落ち込んだ時、

「えい」

「あうッ……!」

 シトラスはそんな彼女の脳天に優しくチョップするのであった。


 虚を突かれ、霧散する室内に渦巻いていた魔力。


「な、なな、何を、そちはわらわが――あうッ」

 シトラスは笑顔でもう一度チョップした。


 口をわなわなと震わせ始める。

「ぶ、ぶぶぶぶ――」

「ぶーぶー」

 それすら揶揄ってみせるシトラス。


 意思を持つように、ゆらゆらと波打ち始める濡れ烏色の美しい長髪。



「無礼者ーーッ!!」



 魔力が爆ぜた――。


 魔力抵抗が施された天幕がけたたましく揺れる。


 調度品と一緒になって天幕の布地まで吹き飛ばされるシトラスは、分厚い天幕の布地にぶつかると逆さまになって頭から地面に落ちる。

「あたッ」


 鼻息荒く逆さまになっているシトラスを見つめる少女。

「ふー、ふー、ふぅー……何がおかしいのじゃ?」


 シトラスは逆さまになって笑みを浮かべていた。

「やっとぼくを見たね?」


 態勢を直して立ち上がったシトラスに、少女は驚いた表情を見せる。


「たまには息抜きもしないとね。ぼくはシトラス。君は?」


 困惑を隠せない少女は、

「なんなのじゃ、そち……?」


 シトラスは彼女の座るベッドに歩み寄る。


「ぼくはシトラス」

「名を聞いておるのではないッ!」


 再び魔力の波動が天幕を打つ。


 シトラスは仰け反ったものの、彼女へと歩み寄る足は止めない。

 ついにはベッドの上に上がると、再び彼女に手の届く距離まで近づき、止まる。


 笑顔で真っ直ぐに彼女の眼を見つめると、右手を差し出した。

「ぼくはシトラス。君は?」


 根負けしたように息を吐いた少女は、

「……シーヤ。わらわの名はシーヤじゃ無礼者」

 名乗り返したが、彼女はその手を握ることはなく、ふんと顔を背けた。


 そんな彼女に笑って右手を引っ込めると、

「よろしくねシーヤ」


 この日から孤独な姫と、孤独な虜囚の奇妙な関係が始まった。



 御守役に選ばれたものは寝食を共にする。

 排泄時以外は、四六時中一緒にいると言っても過言ではない。


 シーヤの湯浴みを手伝うのも、御守役の役目である。


 高貴な身分の者にとって、下人に等しき御守役に裸を見られても何も感じない。

 湯浴みを虫けらに見られて興奮する者などいないのと同じである。


 御守役の取る食事は、シーヤに用意された食事の毒見である。


 シトラスがシーヤの昼食を毒見しながら口を開く。

「――へー、じゃあ、シーヤって本当にお姫様なんだね」

「そうじゃ、わらわはチーブスの王室に連なる者ぞ……とは言っても今じゃ傍流も傍流じゃがのう」


 数日を共にするうちにシーヤについてシトラスがわかったことは、最初の印象ほど彼女が無口ではないということだ。


「ぼくも、シーヤ姫、って呼んだ方がいい?」

「……よい。そちはそのままで」


 彼女の興味あることには、彼女から口を開くこともある。

 特に今彼女が心を惹かれているるのは異国の暮らし。


「それより、今日はそちの国の話の続きを聞かせよ。昨日はカーヴェア学園とやらに入学するところまで聞いた。わらわは学舎に通うたことがないからな。実に興味深い」 


 軟禁されて育った記憶しかないシーヤにとって、シトラスの話はいい娯楽であった。


 毒見兼昼食を済ませたシトラスは、料理を口にするシーヤに学園で起きた話を、多少脚色して伝える。


「それでね――。あっ、シーヤ。お汁が零れてるよ」

「む。そちの話に気を取られ過ぎたかの」


 シトラスが手ぬぐいで、汁物が零れたシーヤの服を優しくふき取る。

「そう言って貰えると語り部としては嬉しいよ」

「じゃがにわかには信じがたいの。空飛ぶ女子おなごとは」


 シトラスの姉であるベルガモット・ロックアイス、

 風魔法の極致とも言われる浮遊魔法は、魔法使いの中でもある種のおとぎ話のような扱いであった。


「本当なんだよ。戦争が終わって、平和な時代になったら紹介するよ。ぼくの姉だから」


 シトラスの姉という言葉に反応して、悪戯な笑みを浮かべたシーヤは、

「そちの姉か……お主と似て、ぽやぽやしてそうじゃのう」


 キョトンとした顔を見せるシトラスは、

「ぽやぽや……?」


 姉であるベルガモットを脳裏に思い浮かべたが、それぽやぽやはおよそ彼女に似つかわしくない言葉であった。 

 

「シーヤの兄弟姉妹は?」

「……さぁのう」


 シーヤの表情に影が差す。


「わらわは言葉を交わしたこともなければ、会ったこともない。噂によると数人いるらしいがの。仮に今彼らとあったとしても、わらわにはわからんよ」


 カタカタとベッドの上に置いた食器が音を立てて震える。

 室内であるにもかかわらず、天幕を覆う布地が中から波打つ。


「――そち」


 それが急にピタリと止まった。


「そちはほんとに無礼じゃのう……。わらわを許可なく抱きしめるなど」


 背後からシーヤを抱きしめたシトラス。

 そこには性的な匂いはなく、男女の香りもしない。


 シーヤは、自身を抱きしめている腕に手を這わせると、シトラスの顔までその手を動かした。

 そして、その眼と額を覆うように手を翳すと、

「今ここでわらわに頭を吹き飛ばされても、文句は言えんのじゃぞ?」


 目を細めるシーヤに対して、翳された手の下。

「――でも、シーヤはそんなことしないでしょ?」

 シトラスは笑ってそう言った。


 シトラスの言葉にシーヤは相好を崩すと、

「ほんに……そちは」

 シトラスの顔に翳していた手で彼の頬を撫でた。


 そして、くるりと身を翻したかと思うと、

「乙女の心を弄ぶ悪漢めがーー」

 のしかかるようにシトラスを押し倒した。


 けらけらとベッドの上で笑い合う二人。


 シーヤを知る者が見たら、かつての御守役が見たら卒倒する光景であった。

 いつも無愛想で、昏い瞳を持つ少女。日がな心を殺して、ベッドで無為に時間を費やしていた少女。


 そんな彼女のが今は心から笑っていた。


 しかし、それこそが本来の彼女の姿なのかもしれない。

 


 シトラスが御守役としてシーヤのいる天幕に派遣されてから一週間が経った。 


「――そうしてついに国には平和が訪れましたとさ。めでたしめでたし」


 この日は、シーヤを膝の上に乗せて、シトラスは絵本を読み聞かせていた。


 その絵本とは、シトラスが幼少期に愛読していた魔法騎士が主人公の絵本。

 国が違うからなのか、出版元が違うのか微妙に登場人物の名前や物語が、シトラスの知っている絵本の内容と異なったが、概ねの内容は一緒であった。

 



 それは世界を巡る物語。

 いまではないいつか。ここではないどこかのお話


 ある村で平和に暮らす少年がいた。優しい少年は村の人気者であった。

 しかし、ある日のこと。少年が村をあけていたその日、悪魔の手先により、少年は故郷を失ってしまう。


 悲しみに暮れる少年。

 三日三晩泣きはらした後に、少年は旅に出ることを決意した。


 それはあてのない旅であった。


 何かに導かれるままに各地を渡り歩く。

 湖、地下世界、ときに国境まで越えて。

 そこで出会う人、食べる物、広がる景色、異なる文化、培われた歴史。

 そのすべてが少年にとって新鮮であった。


 少年の旅には困難がついて回ったが、いつも少年は優しかった。そして、その優しさに触れた者はみな彼を応援した。そのため、彼の周りにはいつも笑顔が絶えなかった。


 しかし、時には悪魔と争わなければならなかった。少年は剣を手に悪魔と果敢に戦った。悪魔はしつこく、ずる賢く、時には彼らを前に逃げ出さなければならないこともあった。


 旅を通して少年は多くの事を学んだ。

 人族からは知識を、魔人族からは魔法を、獣人族からは力を。

 

 真面目な少年は、彼らから教えてもらったことを熱心に学んだ。


 出会いと別れを繰り返し、やがて少年は剣と魔法を使いこなすほど成長を遂げた。そして、少年を待ち受けていたのは悪魔との戦場であった。


 国を守るための戦いであった。


 戦いには勝った。

 しかし、少年の心は晴れなかった。少年は悲しかった。そして、どこまでも優しかった。

 

 少年は、この悲しみの連鎖を止めることが己の使命だと感じた。

 志を共にする仲間を作り、ときに冒険時代に培った友人たちの助けを借り、己の使命へと立ち向かう。


 しかし、それは簡単な道のりではなかった。なぜなら相手は世界であったからだ。

 悪魔たちはそれを嘲笑った。救いようのない愚かものだと。


 それでも少年は歩み続けた。


 旅は過酷なものであった。

 悪魔の手により、引き裂かれる青年の仲間たち。


 いつしか少年は青年となった。


 青年は旅の途中で、妖精の力を借りることを思いついた。

 基本的に人間には不干渉である妖精。しかし、変わり者の妖精が彼にその力を貸す。


 己の使命を果たす中で、青年は数えきれないほどの血と涙を流した。しかし、それでも青年は歩み続けた。自分と自分を信じる仲間を信じて。


 そうして青年は使命を果たすために走り続けた。残った仲間も志半ばで次々と倒れていく。

 しかし、それでも諦めなかった。そして辿り着いた。青年はとうとうその時を迎えたのだ――!


 それを見た者は怪物と呼んだ。その頃にはその名は恐怖と共に国中に知れ渡っていた。そして、青年にとってそれと向き合うこと、それこそが最後の彼の使命であった。


 誰が呼んだか"名前のない怪物"。


 ソレは絶望そのものであった。


 誰も知らない。誰も姿は見えない。誰も触れられない。

 しかし、ソレは知っている。見ている。触れている。


 それは熾烈な戦いであった。王国を賭して戦った。

 王国中の勇者が肩を並べて戦った。


 怪物が言った。これがハジマリだと。

 青年が言った。これがオワリだと。


 これまでにない激戦であった。

 激戦の中で青年は仲間も妖精の加護も失った。しかし、それでも青年はやり遂げたのだ!


 消え去る怪物が最後に笑ってこう言った。

 ――ミテイルゾ。


 そうして、最後の戦いを終えたかつて青年だった男は、争いのない世の王になった。

 彼の使命はここに果たされたのだ。


 しかし、その後も、慢心することなく王はその剣を置くことはなかった。王が睨みを利かせているうちには、生き残った悪魔は何もできず、そうしてついに国には平和が訪れた。




「――めでたしめでたし。ぼくの知っている話と少し違うところがあるけど、やっぱり勇者の絵本は面白いね」

「そちの国だとどういう話なのじゃ?」


 顔だけ振り返って、シトラスに尋ねるシーヤ。


「だいたいは一緒だよ。登場人物の名前や地名が微妙に違うかったり……。でも、一番大きな違いは、勇者、かな? ポトム王国の絵本では、少年は妖精と契約して勇者になるんだ」


 シトラスの言葉を聞いて、改めて最後のページに視線を落とすシーヤは、

「おもしろいのう。チーブスだとそのあたりは特に言及されてはおらんのう。それより、王がいなくあった後はどうなるんじゃ? それにこの怪物とはなんじゃ?」


「さぁ? その後も王がずっといたんじゃない? 怪物はポトムの絵本にも出てくるけど似たような感じだった気がする。あんまり気にしたことなかったかも。物語の最後が幸せならそれでいいかなって」

「……そちはおめでたい頭をしておるのう。だがそうじゃのう……。幸せなら、それでいいのかもしれないのう」


 思う所があるのか目を細めるシーヤに

「――シーヤは今幸せ?」

 シトラスは何の気なしに尋ねた。


「ッ……! 悪くは、ないのう……。なにせ今回の守役は、わらわを退屈させてはくれないからのう?」


 シトラスの胸板に後頭部を預け、見上げるような姿勢で、意地悪く口角を上げるシーヤに、

「お手柔らかにお願いしますよお姫サマ」

 シトラスは両手を上げておどけてみせた。


「でも、故郷、か……」

「……なんじゃ、郷愁か?」


 シトラスの故郷であるロックアイスは、チーブス王国の奇襲により、両親と共に一度滅んでいた。

 それこそが、現在ポトム王国とチーブス王国の間で、戦端が開かれるようになった原因である。


 シーヤに気を使って言葉をを濁すシトラスは、

「そんなところ、かな」


 優しい曖昧な笑顔を浮かべた。


 その態度をどう受け取ったのか、

「……ふん、一年じゃ」

「え?」


 シーヤは不満そうに口を開いた。

「一年の間、守役を全うできたらわらわの名にかけて、そちをポトムへ返してやろう」

「いいの……?」


 膝の上からキッと睨みつけるシーヤは、

「わらわに二言はない」


 シトラスはシトラスを抱きしめ、その髪をわしわしと撫でながら、

「ありがとうシーヤ! お礼にたくさん勇者のお話を教えてあげるッ! 今夜は寝かせないよッ!」

「何を言いだすと思えば、そちはわらわより早くに寝るではないか」

 乱れた髪を抑えながら、シーヤが言い返した。


 ちなみにこの時、女中が湯浴みの準備ができたことを伝えに天幕のすぐ傍まで来ていたが、

『今夜は寝かせないよ』

 という天幕内から聞こえてきたセリフをピンク色に解釈し、二人に声をかけることなく足早にその場を立ち去っていった。

 

 その女中が、そのセリフを拡大解釈して同僚に伝えたため、翌日から女中たちの間では二人の話で持ちきりになった。


 捕虜となった敵国の若者と想いを通わせる自国の姫。


「今日は湯浴みが遅れておるのう」

「何かあったのかな?」


 いつの時代も女性の最大の娯楽は恋物語であった。


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