十八話 再会と七席と


 残暑も失せ、いよいよ寒くなる季節。

 生徒たちが、一枚上着を重ね始める時期。


 陽はその半身を地平線に沈め、空は黄昏時を迎えていた。


 シトラスは中庭で木刀を振るっていた。入学以来、こうして木刀を振ることが、彼の日課であった。


 木刀を振るう影は一人だが、その傍にはもう一つの影。その影は座りながら、シトラスが剣を振るっている姿をぼっーと眺めている。ミュールもシトラスの隣で振るうことが多いが、この日は所用で、彼の傍を離れていた。


 額に浮かぶ汗。木刀を振るたびに、額から汗がしたたる。

 どのくらい剣を振るったのだろうか。まくった彼の袖の下からは、薄っすらと蒸気がのぼっていた。


 中庭にはシトラス以外にも、自主練に励む生徒の影が多数見受けられるが、そこには上級臣民とも呼ばれる貴族の影はシトラス以外にはなく、彼以外は下級臣民であった。

 上級臣民は出自による魔力量に加え、加えて、そのほとんどが魔法倶楽部に属しており、それぞれのエリアで勉学、鍛錬に励み、時に俱楽部同士で鎬を削っていた。


 愚直なまでの反復動作。だが、一振り一振りに念を込めて、全力で振るう。日没後の食事時までそれを繰り返す。そして、食後は魔法の鍛錬。


 シトラスの隣では、ゆらりゆらりと頭を揺らすメアリー。


 彼女の胸のブローチは、灰色がかった紫色に光っていた。

 彼女と、ここにはいないミュールは新入戦の本選出場の実績により、シェリルによって、その輝石に評価に応じた魔力を与えられていた。


 日はすっかりとその姿を地平線に沈め、夜が訪れ始めていた。


「よぉ、シトラス。今日も精が出るな!」

「ふぅ。ありがと。エイトは今日の自主練はもう終わり?」


 タオルを首にかけて近づいてきたのは、エイト・ワード。シトラスの二学年上の先輩である。

 シトラスとエイトは、中庭での鍛錬仲間として二人は知己を深めていた。


 視線をちらりとシトラスの右後方に送るエイト。

 彼の視線の先ではメアリーは、自分の拳ほどの石をやわやわと握りしめていた。


「あぁ。今日はこのくらいにするよ。それにしても、相変わらずお貴族サマなのに珍しいことで。お前くらいだぜ? わざわざ中庭で汗水たらして剣を振るっている貴族なんて。貴族サマっていうのは人前で努力しない印象だったんだけどな」  

「そう? どこで汗をかいても一緒でしょ?」


 シトラスの素直な言葉に一瞬間を置いて「違いないな!」とエイトは声を上げて笑った。


「今から大講堂に向かうけど、どうだ? 今夜は一緒に食べないか?」


 エイトの誘いにシトラスは、メアリーも一緒でいいならと返す。


 当の本人は手にしていた石を、まるで泥団子のように、いとも簡単に握りつぶした。


 それを見て、思わず生唾を飲み込んだエイトだが、後輩に対して、声が引き攣らないようにする為に幾らか労力を要するのであった。その甲斐あって表情は誤魔化せたが、腕に抱えたローブごと無意識に腕を体に引き寄せており、その緊張は隠しきれていなかった。






 木刀を腰に差し、食事をとるために大講堂へと向かう三人。


 日が暮れると、城内から翼の生えたカンテラが現れる。宙に浮かぶカンテラは、まばらに中庭を照らした。

 宙飛ぶカンテラは、蝙蝠のようにゆらゆらと絶えず飛び回り、人を見つけるとその上空について回る特性を持っていた。彼らの内の一匹が、校舎に向かって歩く三人の下へと飛んでくると、瞬く間に暖かい色で三人を照らしだした。


「エイトは今三年生だよね。毎日鍛錬して将来の目標は近衛?」

「あぁ、【七席】は無理にしても、卒業までに魔闘会の本選にさえ出場できれば、そのチャンスはある」


 ぐっと拳を握りしめるエイトに対して、シトラスは聞きなれない単語に首を傾げる。

「七席?」


 言葉馴染みがないシトラスに、エイトが言葉を説明する。

「ん? ……あぁ、一年生ならまだ知らないかもしれないな。七席っていうのは、この学園のトップだよ。知れば誰もが憧れる学特権階級。七席になれば個室の寝室。授業の出席の自由、禁書の閲覧、空き部屋の占有権。もちろん卒業後の進路だってバラ色だ」


「”七席”っていうことは七人いるんだよね。大会で勝ち残るより、誰か一人くらい倒す方が簡単じゃないの?」

 シトラスの発言に恐れ多いという表情を見せたエイトは、

「……馬鹿言うな。王国中の金の卵の頂点たちだぞ? その挑戦が命懸けだ……。それに誰でも挑めるわけじゃないんだ。俺たちが胸に付けている胸の輝石。その輝石には、行事や試験で好成績を収めると、魔力が付与されることは聞いているよな? 輝石は内包された魔力に応じて、その色を変えるんだが、灰色から始まって、紫、藍、青、緑、黄、橙、赤となる。赤は学園最上位の七席だから、実質的には橙色が最上級の色だ」


 自信の胸元につけられたブローチを指で弾く。確かに彼のブローチの色は、シトラスの光沢の無い灰色と異なり、緑がかった青色に輝いていた。


「赤のブローチを持つ者、つまり、七席は橙色からの挑戦は必ず受けなければならない。だけど、黄色からの挑戦を受けるかは任意だ。まぁ、面倒だから一部の戦闘狂バーサーカー以外は、まず受けてくれないな。緑色以下はそもそも挑戦資格を持たない」

「そうだったんだ。七席も大変だなー」

 真剣な表情を作るエイトの声が、より一層まじめな声音に変わり、

「何より大変なのは、さっきも言ったが……。この挑戦が文字通り命懸け、ってことだ。つまり、この席次争奪においては、殺しすら許容されているんだ」

「……どういうこと?」

「言葉通りさ。普段の学園生活では、基本的に授業以外では魔法は使えないし、魔闘会とかの学園行事で対人魔法を使えたとしても、殺傷能力の高い攻撃は禁止だし、そこで仮に怪我をしても学園の教授とか運営に直ぐに助けてもらえる。だけど、その点で席次争奪戦は……ほんとに別なんだ。言わば私闘なんだ。つまり、なんでもありだ。怪我をすれば自分で治すか、医務室まで辿り着けなければ……最悪死ぬ。学園の四大行事の裏で、死の三大行事なんて言われているくらいだ」


 エイトの説明を聞いて、隣で絶句するシトラス。


「七席でない限り席次争奪戦は、こっちから申し込まないと発生しないから安心しろ。それに灰色で心配するなんて百年早いぜ」


 脅し過ぎたかと、冗談めかしてシトラスの胸元のブローチを指で軽く小突くエイト。

 エイトの胸元で鈍く光る青色のそれと異なり、彼の灰色のブローチにまだ光はない。


「あわよくば魔闘会で勝つ、あるいは勝てなくても、どこかの魔法俱楽部の目に留まれば言うことなしだ」


 魔法俱楽部に所属して卒業後することは、カーヴェア学園の関係者にとっては、立派なステータスである。


 中庭で鍛錬に励む下級臣民の生徒の全てが、魔法俱楽部の入門を夢見て、毎日汗を流して励んでいた。


 隣で静かに拳を握りしめるエイトを、並んで歩くシトラスが見ていると、どこからかシトラスを呼ぶ声が聞こえた。

 二人して足を止め、薄暗い周囲を見渡すと、城内からこちらに向かってくる大小二つの人影が見えた。


 その影のうち、大きい影が手を振ったかと思うと、シトラスたちに向かって緩やかに駆け出した。

 見る見ると近づいてくる影。ややあってエイトは近づいてくるその影が、そのシルエットから遠目にも女性のものだと気づいた。


「お前、やっぱモテるんだな……」


 僻みから隣から少し恨みがましい視線を送るエイト。


 シトラスの左側に陣取るメアリーも、黙っていればやはり美少女だ。

 そんな美少女がつきっきりなんて羨ましいッ、と言う気持ちが、周囲から定期的に湧き上がるのも無理はない。

 しかし、羨望の後を追いかけるように沸き上がった理性が、でもあのメアリーだぞ? と語り掛け、その情念がスン、となるまでがセットであったりもする。


 二人の見つめる視線の先、次第に露わになっていくその姿。

 小顔で手足が長く、だがそれでいて肉感的なそのバランスの取れた体。


 次第に明るみになる女性の恵体に、エイトの頬が緩む。

「おっ!」


 中でも目を引いたのは胸部のその豊かな膨らみ。彼女の走りに合わせて動くその山脈。

 その自己主張は男性の視線を奪ってやまない。


 エイトの視線は、二つの山脈に釘付けだ。

「おっ!」


 迫り来る山脈。

 それは高さを伴って、どんどんと二人に迫りくる。


 エイトの視線が次第に上がっていく。

「おっ?」


 エイトは思った。


 ――でかくね?


 肩にかかる内ハネの綺麗な橙色の髪。

 そして、その髪の内側で爛々と輝く琥珀色の瞳をエイトがその視界に収めた時には、

「シト――ッ!!」


 緩やかな動きに反して抜群の速度で、その容姿の持ち主は、エイトの隣にいたシトラスを勢いよく押し倒した。


 ガバッ、と一拍遅れて、勢いよく振り返ったエイトの視線の先には、シトラスの体を覆い隠すほどの少女の大きな背中。


 少女の脇から見える手足を見て、少女の脇から両手足が逆向きに生えているように見えないこともないな、などと冷静に場違いなことをエイトが考えていると、隣で肌覚え・・・のある強烈な殺気が爆発した。


 ちらりと視界に入ったのは、獰猛に犬歯を剥き出し、瞳孔の開ききった怪物メアリー小動物エイトは少し内股になった。


 木刀を手放し、一瞬で距離を詰めたメアリー。

 引き剥がすように覆いかぶさる少女の無抵抗の脇腹を全力で蹴りぬく。それは成木すらなぎ倒すような鋭い蹴りであった。


 その蹴り技の速さは、エイトには、彼女の膝下が一瞬消失したかに思えたほどだ。


 その足が止まるまでは。


 蹴りぬいた姿勢で固まった彼女の脳裏に浮かぶは――


 ――山


 それは見上げるほどの大きな山。麓からは頂きの見えない山。


 昔、ピクニックと称して、シトラスやミュールとロックアイスの屋敷の近くの山を登ったことがあった。


 所々の傾斜が急な場面。

 足場を確かめながら登った時に踏みしめた地面。山頂に辿り着いた時に、ここならいくら踏ん張っても大丈夫だと感じた、悠然とそこにあって動かない大自然。


 メアリーは蹴りぬいた姿勢から一転。一瞬で対象から距離を取る。


 無抵抗の脇腹への自分の蹴撃・・を歯牙にもかけない相手。


 そんな未知の相手に、彼女の額には一滴の汗。

 だが、その戦意は微塵も衰えないどころか、むしろその鋭さを増す。剥き出しの犬歯に、獰猛な視線。猛り狂う殺意。


 ――力だ! 力が足りない。それに殺意もだ。もっとだ。もっと鋭く。もっと速くッ!!


 彼女の心の内が聞こえるようだ。


 エイトは眼前の殺意に腰を抜かし、その臀部と掌を土に汚した。

 

 その視線の先で、今もなお少女に覆われたシトラス。唯一見える彼の手足は助けを求めるように、宙を掻いている。最初は彼女の背中、そして遂には手で地面をたたき始めた。


 それを視線に収めたメアリーは、その腰を落としたかと思うと、次の瞬間には地面を強く踏みしめ、覆い被さる少女の頭部へと距離を詰めた。


 メアリーは彼女のその側頭部に狙いを定め、駆け出す。

 駆け出すというよりは、それはもはや、爆ぜるというほどであった。


 先ほどより更に鋭い蹴りが放たれる。


 今度は無抵抗ではなかった。


 蹴りが少女の右側頭部を貫く直前、右手にその蹴撃を阻まれる。余波で蹴られた少女の髪が左に靡き、彼女の髪が乱れる。


 にやりと凶悪な笑みを浮かべるメアリー。


 ――なぁんだ。効くんじゃない


 右手で受け止めた足ごとメアリーを押し戻し、少女はおもむろに上体を起こした。


 対して、押し戻された力を利用して、再度距離を取ったメアリー。メアリーもまた髪が乱れていた。


「……邪魔しないでくれる?」


 上体を起こした少女から発せられた大人びた声。よたよたと飛んできたカンテラに照らされる顔。今しがたの蹴りの余波で乱れた橙の髪。その橙髪の内側から覗く琥珀色の眼が、メアリーを映した。

 スタイルだけであれば、既に成熟した女性と言って差し支えない容姿だが、照らされた肌の若さは少女そのもの。


 少女の下で、シトラスが激しく咳き込んでいるのが見える。

 軽い窒息状態にあったようだ。


 メアリーは獰猛に笑っていた。

 視線はシトラスに跨る少女に釘付けである。いつの間にか、その手には手放していた木刀を握りしめて。


 跳ねた髪と相まって、先ほどまでとは全くの別人だ。


 静かに歩幅を開いて腰を落とすメアリー。


 そのまま重心を前に――


 その一歩を踏み出す前に、もう一つの影が二人の間に飛び込んできた。

「たーーいむッ!! たいむッ! たいむッ! たーーーーいむッ!!」


 少しツンツンとした金髪の硬い髪の少年が、両手を広げて静止を呼びかける。

「メアリー。落ち着いてくれッ。俺だッ」


 それは、所用でシトラスの傍から離れていた金髪琥珀色の幼馴染、ミュールであった。

 その付き合いからメアリーの性格を把握しているため、必死の形相でメアリーに向き合う。


「退いてミュール。死なすわよ?」


 あかんこれダメなやつや、思わず似非方言がミュールの心の中で飛び出した。


「ッ! シトッ! おいシトッ!」


 ミュールは慌てて、シトラスの方に向き直る。

 

 ミュールの視線の先では、

「レイラ、久しぶり?」

「久しぶりだよシト、なんでこの前は私のところに顔を出してくれなかったの?」

「え、だって姉上があまり長居するな、って」

「その"あまり"っていうのは私と会うくらいなら良いって事だったのに」

「あっ、そうだっだんだ。ごめんねレイラ」

「ううん。いいよシト」


 二人ですごく甘い空気を作り出していた。

 多少スケールが大きいが肉感的な美少女が、少年の上に跨って甘く囁き合っている。構図的には恋人のそれであった。


 ミュールはものすごく寝室に帰りたくなった。


「シトッ!!」

「ごめんレイラ、ちょっと退いてくれる? 友達が何か勘違いしちゃったみたい」


 ミュールの必死な叫び声に、シトラスはヴェレイラを立ち退かせる。


 シトラスの上から立ち上がったヴェレイラは、そのままシトラスの手を引いて起き上がらせた。


 地面から起き上がったシトラスはミュールを通り越し、メアリーに近づく。


「大丈夫だよメアリー。彼女は敵じゃない。ぼくの友達だよ。それに姉上の友達でもある」


 語りかけるように説明しながら、メアリーの乱れた髪を手櫛で整える。


 ゆっくりとメアリーに近づくヴェレイラ。

 立ち上がって並んで見ると、ヴェレイラと三人では、親子ほどの身長差があった。


「初めまして? になるのかな。私はヴェレイラ・ガボートマン。よろしくね」


 差し出された手を眺めるメアリー。

 それをシトラスがメアリーの右手を取って握手を交わさせる。


「彼女はメアリー。ぼくの幼馴染」

「……よろしく」


 視線も合わさずにぼそりと呟かれた声に、ヴェレイラは柔らかく微笑んだ。


 カンテラに照らされた彼女の胸では、その輝石が赤く輝いていた。


 

 大講堂。

 入学式でも使用したカーヴェア学園で最も大きい講堂。


 学園内での表彰や食事のそのほとんどが行われる場所。

 昼休みには生徒たちが思い思いに食事をとっている部屋。


 シトラスたち五人は・・・隅の席に陣取った。シトラスを挟むように右側にヴェレイラ、左側にメアリー。向かい合うようにエイトとミュール。


 ヴェレイラのその大きさは座っていても際立った。


 五人が座った席には、周囲から好奇や奇異の視線にさらされる。

 シトラスは気づかないが、視線の持ち主のそのほとんどが上級生であった。遠くの席に座る者の中には立ち上がって様子を伺う者までいる始末。


 大講堂に向かう途中から、エイトは腕に抱えていたローブを羽織り、緩ませていた胸元のボタンを締めなおしていた。体の火照りが収まったかと思えば、その額には大量の汗。顔色も悪そうである。


 ヴェレイラとミュールが合流してから、その口は重く、「あぁ」「うん」「そうだな」という相槌を繰り返す相槌マシーンとなっていた。途中からシトラスもそんなエイトの様子には気づいていたが、人見知りなのかな? と思うぐらいで詮索はしなかった。


 シトラスは大講堂に用意されていた移動式魔法陣スクロールから食事をとり終えると、一足先に食事を終えていたヴェレイラに話しかけた。


 シトラスが食事を終えた時には、エイト以外は食事をとり終えていた。

 エイトだけは、まるで手にしたナイフとフォークが鉄塊のように、遅々として手が進んでいなかった。


「それで、レイラはどうして?」

「シトに会いたくて」

「……それだけ?」

「それが一番だよ。後はおまけでベルからの伝言。『俱楽部に参加しないか』って」

「姉上からの伝言か……。俱楽部って魔法倶楽部だよね?」

「そうだよ。それには私も参加しているの。彼にはシトの所までの案内を頼んだの」


 シトラスが抱いていた質問に先んじてヴェレイラはそう言うと、ミュールの方に視線を送る。

 ミュールは、送られてきたシトラスの視線に軽く首を落として、ヴェレイラの言を肯定した。


 エイトはスープを口に運んだ姿勢のまま、固まって三人の成り行きを見つめていた。


 メアリーは先ほどとは打って変わって、シトラスの横でぼうっとした表情で我関せずの様子。

 

「……うーん」


 実はシトラスは入学して間もなくの頃、こっそりと姉であるベルガモットを訪れた際に、同様の提案をされていたが、その誘いをやんわりと断っていた。


 その理由は、縛られたくないから、というもの。


 そして、その思いは今も変わっていない。


 しかし、先日の新入戦で実力不足を痛感したのも事実。

 姉の提案を断ってから朝に夕にと鍛錬と重ねてきたが、同学年の実力者に手も足も出なかった衝撃は忘れがたい。シトラスの視線が左上に動くと同時に、無意識に大腿部にかかるローブを握りしめていた。


「……よかったら私たちの俱楽部を見学してみる?」

「えっ? そういうことができるの?」

「うん! もちろん!」


 嘘である。


 魔法俱楽部のそのほとんどは技術や情報の流出を危惧して、部外者の施設の利用の一切を認めていない。


 スプーンを口にしたエストが喉を鳴らしたのはスープを飲んだからか、はたまた別の理由か。当の本人にも判別はつかなかった。


 回答を渋るシトラスの様子にヴェレイラの脳裏にはベルガモットの姿が思い浮かんだ。



 時が少し遡り、ヴェレイラとベルガモットが所属する俱楽部の最奥の部屋。


 部屋の中央に小さな円卓に席が三つ。


 そこに二人の少女が、隣り合うように座っていた。

 円卓に両肘を乗せ、口元を隠すように鼻の下で手を組む柔らかいくすんだ金橙髪の少女と、円卓に両肘を乗せ、受け皿のように広げた手に顎を乗せる少女。


 ベルガモットとヴェレイラ。


 円卓に顎を乗せたヴェレイラの頭の位置は、ベルガモットのそれより三つ分は高く、後ろから見ると母娘の家庭相談に見えないこともない。


「――ということだ。頼んだぞレイラ」

「うん。シトに会えるから私は別にいいんだけど……。魔法俱楽部の勧誘くらい、ベルが自分で行けばいいのに」

「だめだッ。それで……それでもし、シトにしつこい姉だと思われるようにとなると思うと、私はもう……」

「うーーん。これは重症だね。でも、シトはそんなこと思わないと思うよ? 私がお屋敷に居候していた時からベルのことは随分と慕っていたし」

「だが、入学してから全然私の下に会いに来てくれない……」


 ベルガモットは組んだ手を解いて、金髪の毛先を指でいじり始めた。

 普段は威圧するほどの力強い浅葱色の瞳もどこか泳いでいる。


 無意識なベルガモットの様子に、ヴェレイラは思わず笑みが零れそうになるがぐっと我慢した。


「一回会いに来てくれたんでしょ? その時に何か言ったんじゃないの? ……むしろベルのおかげで私はシトと話せなかったし、それどころか彼の入学以来いまだ話せてないんだけど……」

「あぁ。わからない……。それは…………すまない」


 シトラスが入学して間もなくの頃に、ベルガモットが人払いをした魔法俱楽部にシトラスを招待していた。


 その話の終わり際にベルガモットは好奇心旺盛な弟に『(ヴェレイラに会いに行くは構わないが)あまり長居してはいけない』と釘をさした。

 しかし、シトラスはそれを『あまり長居してはいけない(早く帰りなさい)』と解釈して、ベルガモットの手配でヴェレイラが他の俱楽部団員に先んじてルンルン気分で倶楽部に戻った際には、そこに既にシトラスの姿はなかった。


 悲しいかな、言葉のすれ違いであり、物理的なすれ違いでもあった。


 この件で二人の友情が始まって以来、初めて二人は揉め、魔法俱楽部内に物理的に大きな爪痕を残すことになったことは、二人の所属する魔法俱楽部では公然の秘密であった。


 入学してすぐに二人のような・・・・・・上級生が新入生に会いに行くと周囲に迷惑が掛かるということと、シトラスに悪い虫が寄って来るということで二人はシトラスに会いに行くということは自重していた。


 そのヴェレイラの気持ちを十分に理解しているため、なおさら非を認めづらくて、珍しく言葉を濁したベルガモット。


 最終的には非を認めないベルガモットに対して、ヴェレイラが怒った。

 ヴェレイラが人前で見せた初めての怒りである。


 カーヴェア学園に入学して三年、最後に出会って六年という長いお預けから解禁されたと思ったら、目の前に残されたのは、親友だけ抜け駆けしたという現状。


 赤の輝石同士・・のぶつかり合いが穏やかなはずもなく。この時は後始末が大変だったことは、彼女たち自身の記憶に新しい。


 ヴェレイラは顎を手に乗せたまま肩を竦めると、立ち上がった大きく伸びをした。 


「一つ貸しにしておくね。その代わり絶対シトを連れてくるから」

「むっ……貸しか……。いいだろう。だがどんな手を使ってでも必ず連れて来い。……ただし、私へのヘイト値を稼ぐのだけは厳禁だ」


 真面目腐った顔で、本人以外にはふざけた内容を臆面もなく言うベルガモットに、今度こそヴェレイラは笑いを噴き出すことを我慢できなかった。


 

「シト、私けっこう倶楽部でも偉い方なんだよ?」


 そう言ってヴェレイラは、自身の豊かな胸に押し上げられたローブに光る輝石を指さして、ウィンクを飛ばした。


「赤!」


 胸に輝くブローチが示すは、学園の最上位を示す赤。


 エストとの会話を思い出して興奮するシトラス。

 彼は、ヴェレイラの胸の輝石の輝きに、今の今まで全く気付いてはいなかった。一度会いに行った時には、意識していなかったけど姉はきっと赤なんだろうな、くらいの認識であったの。


「これから招待するよ」


 シトラスは少し悩んだ後、正面で遅々として食事が進まないエイトに視線を送った。

 そして、「エイトも一緒でいいなら」と。彼の脳裏には、自主練からの帰り道のエストとの話を思い出していた。

 

 これに対して、ヴェレイラはシトラスに柔らかい笑みを零して答えた。


「もちろん」と。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る