#小学一年生(今日は小学校開校の日)

夢美瑠瑠

第1話

(これは、本日「小学校開校の日」にちなんだアメブロブログネタに投稿したものの転載です)



 「ピカピカの一年生」というCMが昔ありましたが、確かランドセルだったか?

 小学校に入ったのは、7歳だから、1970年?大阪万博の年だった。

 一周回って、来年は二度目の大阪万博ですから、今昔の感あります。


 小学校は、エレメンタルスクール、で、元素のエレメントだから、一番の大本というような意味だろう。「人生で必要なことは全て幼稚園の砂場で学んだ」というベストセラーがあったが、砂場でも遊んだし、毎日いろんなことを経験して学習していたと思う。


「賢者は歴史から学び、愚者も経験から学ぶ」という諺は、愚者は運鈍根というか、泥くさくても汗水たらして現実に挑み続けて、なんとか知恵や知識を身に着けていかなくてはしょうがない、ということだろうか?「若い頃の苦労は買ってでもせよ」というのも同じ謂であろう。


 ボクは天才なので?(以下略)


 小学校では、やはり「社会生活」、「集団生活」、そういうものに慣れて、様々な個性の他人と、うまく折り合って、仲良くやっていく、そういう行動を日々、徐々に身に着けていったのだと思う。いろんな人間がいればやはり「いじめ」も起きるし、けんかや、淡いロマンスとかもある。あったよな?「幼馴染の思い出は~青いレモンの味がする~」というようなあれだ。


 だからそういう原初体験はやはり様々にボクの人生に影を落としていますが、今でも重要だったのは、自分には妙に自分の能力とかに過剰な自恃の念というか、自信過剰な?スノッブな?そういう鼻持ちならない態度が、しばしば陰に日向に現れてしまうところで、性格の弱点?かもしれない。


 子供のころにIQテストというのをしたりして、妙に点数が高かったので、思いあがって天狗になり、そのせいでいろいろ後の人生で失敗をした。蹉跌をきたした。


 で、現在は人生のまあ敗残者で、様々な辛酸を嘗めつつ、おめおめ生き恥をさらす日常である。


 そういういろいろなことにはもう狎れきっていて、達観していますが、自分だけの特殊な条件、「接続された女」というSFのテーマになっているような、あるいはフォークナーの「響きと怒り」が暗示していたような、自分の運命的ななにか不可思議な天命というか唯一無二ななんらかの秘跡?オカルティックな命数?


 表現しにくい変なことですが、そういうものにしか、今となっては可能性というか希望はないのだろうか?


 いや、それこそがもともと唯一の希望なのか?


 畸形な人生の晩年に似つかわしからぬような夢物語を、日向ぼっこしている老人は白昼夢で、小学校を改造した福祉作業所に再び入り直した身の上で行く末を儚んでいるのでした。




 

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#小学一年生(今日は小学校開校の日) 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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