交換日記

秋葵猫丸

#1 誰かの秘密

「いやっ、一週間先送りってどういうことですか?!」


 バアンッ!!と室内に響く台パンの音。それぞれの本を手にしている周りの生徒たちは、ほとんどが一斉に綾乃あやのの方を振り返る。


「静かに!場所をわきまえなさい!」


 綾乃の担任兼、図書室の司書である女性教諭・前橋まえばし先生は、大声を出して騒ぎ立てる綾乃を、カウンター越しに咎める。


「だって、今日から新しく本棚に入荷されるって、あそこに―――」


「そうだったんだけれどね。図書館から連絡があったのよ。冊数が足りないことが発覚したから出荷を送らせてほしいって」


 綾乃の通う公立高校の図書室に置かれている本たちはすべて、近くにある県の図書館から送られてきた品々だ。


「そんなこと言われても、私、今日までずっと待ちわびてたんですよ!今日、帰ったらお母さんに、本の感想言う約束しているのに―――」


「ちょっと落ち着きなさい!そりゃ、あなたのお母さんの本が読めないのは残念なことです。でもこればっかりは仕方のないことよ」


「でもっ…!」


古川ふるかわさんあなた、もう高校生よ?少しは自分の欲求を抑える力を身に着けなさい」


 前橋先生は静かに諭すように、だけれど厳しい口調で綾乃を戒める。先生にこうも言われると、綾乃はいつだって何も言えなくなる。


 彼女は言うことは何一つ間違っておらず、ただ正論を並べているだけだから。



【※※※】


(はーあー、せっかくこれだけを楽しみにして学校来たのに…)


 綾乃は不機嫌そうにぶつくさ呟きながら、本棚に並べられてある本たちを眺める。


 一ヶ月後の四月から高校二年生になる古川綾乃。彼女の母親は、小説家だ。


 世界的に名が知れ渡っている有名作家―――とまではいかないが、これまでも何作も文学小説を出版し、それなりに人気もあり稼いでいる作家だ。


『先生の書いた物語に救われました』


『先生のお陰で生きてみようと思えました』


 自宅に度々送られている母宛のファンレターからは、母親が物語を通じて何人もの読者を救ってきたという事実が、ひしひしと伝わってくる。


 あっ、『お母さんが書いた本なら、お母さんに直接見せてもらえばよくない?』と言われるかもしれないが、綾乃の母親は自分の小説を娘に見られるのが恥ずかしいようで、見せてくれないのだ。


 母宛のファンレターも、実は内緒でこっそりと見ている。


『だったら書店で買えば?』となるだろうが、綾乃は現在、絶賛金欠中だ。友達との遊びに、お小遣いをすべて使ってしまったため。


 まぁそんなこんなで綾乃は、母親のことを何もよりも誇らしく思っていた。


 母親の書いた作品にはすべて目を通し、友達に『この本、お母さんが書いたんだよ!』と自慢し回っていたほど。


 だからか、よく友達からは『マザコン』とからかわれるのだが―――別に構わない。あんな良い文章を書ける作家の娘として生まれてきて、綾乃は心から幸せだと思っている。


(んまぁ娘の私には、その才能は引き継がれなかったみたいだけどね…)


 小学生の頃、授業や宿題で書かされる作文や読書感想文を提出しても、毎回と言っていいほど『やり直し』と返されていた。


 まぁ、支離滅裂な文章を書いている自覚はあるから、仕方ないのだけれど。


 でも母親の文才の一つくらい、私にあっても良くない?そう不満に思いながら、適当に目をつけた文庫本を手に取ろうとして――――ふと、目を疑う。


 本棚の一番端、人目につかなそうな場所に、妙な本を見つけた。


 普通だと本は背表紙に、誰が見てもひと目で分かるようにデカデカと題名が書いてあるはずだか――そう、その本の背表紙には何も書かれていなかったのだ。


 そのまっさらな空白を見て、怪訝そうに顔を顰める。


 何?これ、小説?出しかけた文庫本を戻し、綾乃は恐る恐るその本に手を伸ばす。


 すっ、と少しだけ本棚から出してみる。長年置かれっぱなしだったのか、少し埃っぽい。

 

 表紙にも同じく、題名は無かった。鮮やかな赤色の上に彩られた、金色の絨毯じゅうたん模様。ノスタルジックな雰囲気があるイラストで、まるで外国の本のよう。


 なんだろう、この本。


 周囲をキョロキョロと見渡すと、本棚の奥の奥、誰も人が居ない場所へ移動する。


 そして食いつくように、ページを何枚か捲る。すると、中には普通の本のような、パソコンに打ち込んだ文字は何一つだって書かれていなかった。


 じゃあ、何も書かれていない真っ白なページがずっと続いていたのか?と聞かれそうだが――――いや、そういう訳でもないのだ。


『10月22日。今日は好きな作家さんの新作の発売日~!帰ったら即買いに行くんだー!楽しみ!それと、今日やっと「TUGUMI」読み終わった!面白すぎて感想書くと止まんなくなりそうだから、やめとくね!そっちはどう?』


 ページのど真ん中には、手書きであろう文字が書かれている。


 小さくて丸みを帯びた字体や、『!』や『~』という記号が多用された文章は、女の子らしさが前面に強調されている。


『吉本ばなな先生の本、面白いよな。俺も結構好き。新作の本の感想もまた聞かせてな。俺は相変わらず勉強。仕方ないけど、受験生だし』


 今度は大きくて少し適当っぽい字で、割と淡泊…というか、簡潔な文章。男子が書いたのだろう。


 この二つの文章が、ひたすらページいっぱいに続いている。


 口語で書かれた手書きのメッセージと、文頭に必ず記される日付で、綾乃はすぐに分かった。


 ……これ、もしかして『交換日記』?


 綾乃も小学生の頃、友達同士でよくやっていた。


 ノートを順番に回し、カラフルなペンで文字やイラストなんか描いて、好きな人とか、誰にも言えないような秘密をこっそり書くのだ。 


 とはいえ、この交換日記はそんなポップな感じではない。普通の黒のペンで、仲が良さげな男女が、ただ有り触れた日常会話をしているだけだった。


 交換日記…男女…二人…図書室……


 綾乃は顔をぽっと赤くさせる。そのワードからは、少女漫画でありがちな『ナイショの恋』だとか『禁断の関係』だとか、そんな言葉が連想された。

 

 うわ、なんだかすごい物を見つけてしまった。綾乃は溢れんばかりの高揚感に身を震わせた。


 どこの誰だか知りませんが、せっかく見つけたからには読ませて貰いますよ。


 綾乃は心の中でそう前置きすると、ページを次々と捲り、中身を読む。


 日記上での会話は、何ページも続いている。かなり長きに渡っての交換日記だったようだ。


 女の子の方は、どうやら読書が趣味らしく、『今日は何ぺージから何ページまで読んだ』とか、『今日読んだ小説が面白かった』とか、本の話が多い。


 一方、男の子は趣味の話はあまりせず、勉強だとか成績だとか、受験の話がメインだ。


 綾乃の身近なもので言えば、ラインのメッセージチャットに近い。


 読み進めて分かったが、どうやらこの二人はこの高校の生徒で、お互い実際に顔を合わせたことはないらしい。


 なんだか甘酸っぱいような、こそばゆいような―――そんな感情に襲われ、だけど目を離すことはできなかった。


 しばらくそのまま読み進めていたが、とあるページが目に入って、綾乃は目を見張る。


『11月5日。今日も先生に怒られちゃった。「いつまでそうしてるつもりなんだ。いい加減、逃げてないで教室に来い」って。逃げてるつもりなんかないけど、先生の言うことの方が正しいだけに、何も言えなかった。』


「……はぁ?!何それ!?そんなこと言うクソ教師いんの!?」


 つい無意識のうちに、綾乃は怒鳴り声を上げていた。再び周りの生徒たちから怪訝そうな視線を向けられる。


 綾乃はハッとして、『すみません』と小声で呟く。綾乃の悪い癖だ。昔から感情が高ぶると、場所問わずにすぐ言葉が出てしまう。


 どうやら、この女の子の方は所謂『不登校』状態で、教室に代わりに、保健室や図書室に通っている生徒のようだった。


 でも、どうしてそれで先生に怒られなきゃいけないの?と、綾乃は一瞬、疑問に思う。


 綾乃のクラスにも学校に来てない子は居るし、中学生の頃なんかだと、各クラスに数人程度は居たように記憶している。


 でも、そういう子たちが教師陣の指導対象になることはなかった。むしろ、優しく気にかけられていたくらい。

 

 だが、綾乃はすぐに気が付いた。捲っているこのページは黄ばんでおり、書かれている文字は時間が経っているのか、地味に滲んでいる。


 もしかしてこの二人が在学してたのって、今よりもずっと昔?それならこの教師の言動も…したくないけど、理解はできる。


 昭和〜平成初期辺りまでは、『如何なる理由があろうとも、学校に行かないなんてありえない。怠けている』という考えが一般的だったと聞いたことある。それなら…


 ……いや、だとしても、やっぱり酷いって!この子がただの怠惰で学校行ってない訳じゃ無いのは、一目瞭然なのに。


 顔も名も知らないその教師に、怒りが湧き上がってくる。直接、その担任に直談判したい気分になった。


『教室に居る子たち、みんな楽しそう。凄いなぁ。いいなぁ。先生たちは『もっと積極的に周りと交流しろ』って私に言うけど、私はとてもじゃないけれど、あの中であんな風に振舞えない。』


 続きで綴られてある言葉を読んで、綾乃は俯く。


 綾乃はとにかく子供の頃から、『やかましい』だの、『もっと大人しくしなさい』だの、散々そう怒られてきた。


 教室に居るときだって、常に友達と大声で騒いでいるような奴。


 多分だけれど、この子が『いいな』と思う側の人間だ。

 

 綾乃はふと、同じく図書室で本を読んでいる周りの生徒を見渡した。綾乃のように大声を上げている者はおろか、誰一人として言葉を発していない。


 想像でしかないけど、みんなにとってここはなのだろう。


 そんな場所で私、あんなに騒いで…綾乃は改めて、自分が恥ずかしい人間のように思えて、自己嫌悪に陥った。


 その子への返信が書かれてあったので、もう一度、本に目を落とす。


『相変わらず担任はそんな感じなのか。でも俺は、君が『逃げてる』っていうのは違うと思う。本当に逃げている人間は、そんな風に悩んだりしないよ。君を否定する言葉に耳を傾けるな…って言いたいけど、そんなのできたら苦労しないだろうから、「俺は君の味方」っていうことだけ伝えとくわ。なんかあったら、なんでもここに書いて。聞くから。』


「……」


 ――――ウッキャァァァ!やば!イケメンじゃん!綾乃は本をパンッと閉じると、感情のままに手足をバタバタさせる。


 何、こんなことさらっと言える男子、居る!?いや、言ってはないけど!やっば、彼氏にしていいですかって感じ!


 少女漫画の告白シーンを読んだときのような興奮が襲ってきて、綾乃は今にも声を出して騒ぎたい衝動に駆られたが、じっと我慢した。場所、場所をわきまえろ。


 にしても、担任はクソだったみたいだけど…こんな素敵な言葉をかけてくれる人がいて、この子は救われただろうな。


 救われてたら、いいな。綾乃は顔も見たことがない相手に対して、心の底からそう想った。


 すると、予鈴を知らせるチャイムの音が聞こえてきた。おっと、もうすぐ授業が始まる。綾乃は本を急いで元の場所に戻す。


 お母さんの本は読めなかったけれど、でもすごく特別な―――良い『読書』体験ができた。


 なんだか、綾乃まであの男の子に救われた気分だった。


 帰ったら小説の感想の代わりに、あの交換日記について話そう。お母さんも『キャー』と興奮するだろうか。

 

 それと、今度またここに来るときは、もっと静かにしよう。みんなの落ち着ける場所を、奪わないように。


 綾乃はそう自分を戒めると、図書室を後にした。

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