梟の見た夢

亥之子餅。

第一章 梟の見た夢

 彼女は若くして、ひとりでその店を切り盛りしていた。

 市街地から少し外れた所にある、小さな雑貨店。温かみのあるモダンな雰囲気のお店で、こぢんまりとした店内には、お洒落な小物やハンドメイド品、日用品などが所狭しと並べられている。


 客の入りは、お世辞にも良いとは言えなかった。売上も、生活費を除けば何も残らない。なけなしの貯金を切り崩すような月も、珍しくはなかった。

 しかし、そのことは彼女にとって特に問題ではなかった。雑貨店の経営も、生活のためというよりは趣味でやっているのに近かった。むしろ、ゆったりと時間が流れる今の店の空気に、彼女は心から満足していた。 

 

 ***


 とある昼下がり。店内には、やわらかい春の風が遊びに来ていた。

 彼女はお気に入りの白いマグカップを片手に、脚の短い木製の椅子に、ちょこんと腰かけた。子供用にも見えるその椅子は、比較的小柄な彼女でも、少し窮屈そうに見えた。

 ミルクたっぷりのカフェオレを、小さな金色のティースプーンでかき混ぜる。


 しんと静まりかえった店内を眺める。

 革製の小物入れに、ガラスでできたお花のイヤリング、温もりのある陶磁器の食器や、少し変わったデザインの文房具……。

 窓から差し込んだ黄色い日差しが、さながらスポットライトのように、棚に置かれた商品を照らして輝いている。

 まったく人の声がしないものだから、なんだか客を待つ小物たちが、こちらに聞こえない声でおしゃべりしているような、そんな気がしてくる。まるで、親に隠れてをする子どもたちのように。

 カフェオレから立ち上がる、ゆらゆらとした湯気越しに見た店内は、まるでおぼろげな春の夢のようで、彼女はゆっくりとまばたきをした。


 店先の植木で、羽を休める小鳥が鳴く声。風に揺られて、さらさらと木の葉が囁く音。

 レジ代わりのカウンターにマグカップを置いて立ちあがると、ふらりと店内を歩き始めた。

 何となく眺めて目に留まった商品を、ひとつ、またひとつと手に取っては、ポケットから取り出したハンカチで、わずかに付いた埃を丁寧に拭き取って歩いた。棚に敷いた綿のクロスの皺を伸ばして、商品をそっと元に戻す。


 すると、店の一番隅にある棚に置かれていた、ある小さな木彫りの置物の前で、彼女の足が止まった。


「あれ、この人形……」


 鳥をかたどったと思われるそれは、どこか歪で、所々不恰好に彫刻刀の傷がついていた。

 間違いなく鳥ではあるのだが、スズメやツバメなどとは形が少し違う。どちらかというとこれは……。


「フクロウ……かな?」


 木の温もりを感じる、いかにも手作り感のある形相だった。

 彼女は不思議そうに首を傾げる。


 というのも彼女自身、こんなものを買った覚えも、貰った覚えも、ましてや自分で作った覚えもなかったのだ。

 商品の仕入れ先は、ほとんどが個人的に付き合いのある作家さんである。仕入れると言っても、タダで譲り受けたりすることも多く、それも大箱に無差別に入った状態で貰ったりもする。そんなだから、すべての商品を完全に把握しているかと言われると、彼女も自信はなかった。


「何かに混ざってたのかな……?」


 言いながら、彼女はきょろきょろと店内を見回す。すると、手の中の置物以外にも、あちらこちらに記憶にない商品が置かれていることに気づいた。


「このお皿も……そういえばあの時計も……」


 戸惑い、眉をひそめながら、再び例の置物に目を落とす。いくら見つめても、掌にすっぽりとおさまったフクロウは黙ったままだ。


 だが実は、彼女がこのような経験をするのは、初めてのことではなかった。

 以前にも何度か、今日のように店内を眺めていたとき、いつのまにか知らない商品が増えていたことがあった。

 こんなことがあるたび、彼女はいつか読んだ『小人の靴屋』の絵本を思い出した。貧しい靴屋が朝起きたら、いつのまにか靴ができあがっている、といったお話だった。詳しいところまではもう憶えていないが、好きで何度も繰り返し読んでいたのだと思う。あの絵本はどこへやってしまっただろうか。

 だから、この知らない小物たちも、夜中にこっそりと小人が……なんて、つい想いを巡らせてしまう。しかし、あまりに非現実的な妄想に、毎度ひとり赤面して首を振るのだった。


「でも、棚に並べた覚えもないなんて、そんなことあるかな……」


 念のため、商品は書き留めておかなきゃ。そう呟いて、置物を裏に下げようとした。

 と、そのとき、



「あっ、それ……!」



 背後――店の入り口から、突然呼びかける声がした。

 驚いて振り向くと、若い男性が呼び止めるようにこちらに手を伸ばしかけていた。

 ベージュのコートを羽織った上品な風貌ふうぼうに、端正だがどこかあどけなさの残る顔立ち。歳はちょうど彼女と同じくらいに見える。伸ばしたもう一方の手には、誰かへのプレゼントなのか、小さな可愛らしい紙袋をげている。


 素敵な人だなぁ。直感的にそう思った。

 もともと常連がいるような店ではないが、その男性はおそらく初めて来てくれたであろうお客さんだった。


 ……まずい、ついぼーっとしてしまった。我に返ると同時に、反射的に挨拶をする。


「は、はい!いらっしゃいませ!!」


 口から飛び出た自分の声は、思っていたよりも大きくなってしまって、はっとして頬を赤らめる。店内の落ち着いた空気に似合わぬ、まるで居酒屋の店員のような威勢のいい声。今日最初のお客さんだったこともあって、声のボリュームが狂ってしまった。

 焦って言葉を続けるが、


「……き、今日はどちらから?」


 ……しまった。口からこぼれると同時に、彼女はひどく後悔した。

 間違えた、絶対に入店直後のお客さんにする質問じゃない。たぶんレジ前とかでくやつだ、これ。

 男性も、戸惑ったような驚いたような、何とも言えない表情を浮かべたまま硬直してしまっている。入店して十秒で客いじりみたいなことをされたら、そりゃあそんな顔にもなるだろう。


 いったん落ち着こう。小さくひとつ呼吸をする。

 気づけば太陽は薄雲の後ろに隠れ、店内にも陰が落ちていた。少しだけ、ひんやりとした空気が入り込む。


「えっと……何かお探しですか?」


 ひとつひとつ、言葉を並べていくように、ゆっくりと問いかけた。

 男性はまだ少し動揺していたようだったが、やがて恐る恐る口を開くと、


「その、フクロウの置物————」


 彼女の手元を指しながら呟いた。


「え?……ああ、これですか」


 そこにいることも忘れかけていた、物静かなフクロウと目が合う。


「えっと、これは……」


 返答に困ってしまった。彼女自身も、この置物がどういうものなのか、どこから来たものなのか分かっていないのだから当然だった。


「実はこれ、今朝いつの間にか、ここに置いてあったんです」

「……いつの間にか?」

「はい。買った覚えも、貰った覚えもないんですけど」

「…………そう、なんですか」


 いつの間にか品物が増える――そんな不思議な現象、にわかには信じ難いのだろう。案の定、男性はまた戸惑うような顔をした。

 しかし少しして、


「――――もし売り物として置いているなら、いただきたいのですが」


 男性は真剣な目でこちらを見据えて呟いた。


 出所でどころも何も、詳細が一切わからない置物……。

 とはいえ、ここに並んでいるということは、おそらくどこかで仕入れたか誰かから貰ったもので、商品として売ってしまっていいものだろう。それに、知らない商品が増えているのは、なにもこれが初めてではない。そこまで気にしなくてもいいだろう。

 だが正直、今彼女が気になっているのはそこではなかった。


「構いませんが……どうしてこの置物に興味を?」


 この置物は、味があっていいとも言えるが、造形も歪んでいて傷も多く、お世辞にも精巧とは言えない。彼女も最初、一瞬何の置物か考えてしまった。

 だから、一見してすぐにそのモチーフがフクロウだと気付いた男性に、彼女はある種の感心を覚えたのだった。


「あ、えっと……」


 男性はまた少し言葉に詰まっている様子だった。語弊が生じないように、あるいは何かを取り繕ろうかのように、慎重に言葉を選んでいる……そんな感じがした。

 次第に、掻き集めたばかりのぎの言葉が並ぶ。


「プレゼント——誕生日のプレゼントを探していて、相手がフクロウを好きなので、それで……」


 なるほど、元々フクロウに関連したものを探していたから、遠目でもすぐに分かったということか。

 その相手というのは恋人だろうか。言葉には出さなかったはずだが、男性は彼女の疑問が伝わったかのように続ける。


「と、友達です。親友……と呼んでもいいのかな。————とにかく、大事な人なんです」


 彼女は納得したように黙って頷いていたが、内心ではまだ疑問を抱いたままだった。

 だって、そんなに大切な人への贈り物なら、もっと綺麗に作られたものを選んでもおかしくないのに。

 一応、彼女は男性に提案をしてみる。


「フクロウがデザインされたものをお探しでしたら、他にもモチーフの小物があったと思いますよ。たしかこっちの方に――――」

「いえ、その置物が欲しいんです」


 店内を案内しようとした矢先、食い気味にはっきりと否定されて、彼女は小首を傾げた。


 手作りの感じがいいという気持ちは、とてもよく分かる。現に、この雑貨屋で扱っている品も、多くがハンドメイドのものだ。彼女自身もハンドメイドの小物をプレゼントされたらとても嬉しいと思う。

 しかし、この置物はなんというか、言ってしまえば子どもの木工作品といった出来栄えだった。これなら、彼が自作してプレゼントした方が、相手にも喜んでもらえそうな気がしてしまう。

 この置物がよほど気に入ったのだろうか。あるいは、この置物でなくてはならない理由があるのだろうか。

 いずれにせよ、これ以上詮索する理由もなかった。


「そうですか……他に何かお探しのものは?」

「いえ……」

「それじゃ、こちらでお会計しますね」


 そう言って早足でカウンターに立つ。男性は頷くと、どこか重そうな足取りでカウンターへ歩いた。


 ***


 電卓を叩こうとしたとき、はっとして手が止まる。


「そうだ、値段決まってない……」


 なにせ、この置物が現れたのはつい十数分前のことだ。仕入れ値もなにもないから、値段なんて付けようがない。

 さらに彼女は、普段からお客さんに合わせてしょっちゅう値引きしている。定価で販売することの方が少ないくらいだ。そんなわけで値札が意味をなさないことも多く、あまつさえ値札をつけ忘れていることもある。


 考えた末、彼女は男性に、申し訳なさそうに問いかけた。


「あの……この置物の値段、決めてもらえませんか?」


 突拍子もない質問に、男性はまた戸惑った様子で、言葉を失ってしまった。

 しかし、彼女が差し出した置物を、男性は両手で丁寧に受け取ると、黙り込んだままそれをじっと見つめ続けた。


 再び店内が静かになる。

 しばらくして、店先の植木から小鳥が飛び立つ音が響いた頃、男性は浅い溜息ためいきとともに、置物を彼女に差し出した。


「……ごめんなさい、分かりません。これの価値を決めるのは、私ではないから」


 すみません、と男性は小さく頭を下げる。

 至って当たり前な答えだ。言い換えれば「この商品にあなたはいくら払えるか」と訊いているのと同じだ。ましてや彼にとって、この置物は友人へのプレゼント……そりゃ、答えようがないに決まっている。


「いえ、こちらこそすみません、変なこと聞いちゃって」


 とすれば、彼女が値をつける他ない。

 そもそも損得で経営はしていないし、なんだったらタダで持っていってもらってもいい……そんなふうに考えながら、男性のように置物をじっと見つめてみた。


 じっと――――向き合うように見つめる。



 掌の上で、不恰好なフクロウがこちらを見つめ返す。

 マジックペンで塗りつぶしたような、大雑把で単純な瞳が二つ。フクロウらしい鋭い眼光はほんの少しも感じない。

 毛並みも彫刻刀でガリガリと削っただけの、とても上手とは言えない質感。脚なんて、ちょっと力を入れたらポッキリ折れてしまいそうな脆さだ。


 誰にでも作れそうな、そんな置物。


 これは記念に差し上げよう。心のなかでそう呟きかけた。



 そのときだった。

 不意に、雲の隙間から太陽が顔を出した。陰っていた店内に、窓から金色の陽光が差し込む。

 風に吹かれたカーテンのように、ゆらゆらと揺れながら光は徐々に広がっていく。

 やがて彼女の両手を、ぎゅっと握りしめるように、優しく包み込んだ。


 まばゆいほどの輝きに照らされて、フクロウの瞳に命がともる。

 


 彼女はその瞬間、フクロウの瞳から、目が離せなかった。さっきまで、マジックで描いたただの模様に過ぎなかったのに、なみなみと光をたたえて、今まさにまばたきをしそうなほど生き生きとして見えた。

 フクロウの頬を、指先でそっと撫でる。どこか懐かしい木の温もりが、指先からつたって胸の奥をぎゅっと締め付ける。


 なんだろう、この感じ。

 何かが込み上がってくるような。

 朝が来て、長い眠りから覚めていくような。


 フクロウは何も言わない。

 しかし、その不揃いな瞳で、たしかに訴えかけてくる。いつか誰かに教えてもらったような、何ものにも代えがたい安心感とともに、脳裏に誰かの声が響いた気がした。



 『まだ、君と一緒にいたい』



 我に返ると、男性が心配そうにこちらの様子をうかがっていた。


「大丈夫……ですか?」


 男性は恐る恐るたずねる。

 店の中に差していた光も、どこか遠くへ通り過ぎており、いつもと変わらない光景が広がっている。


 彼女の頬には、一粒の温かいしずくが静かに流れ落ちていた。


「す、すみません……大丈夫です」


 慌てて袖元で頬を拭う。

 なんで泣いているんだろう、私……。

 それから再び、手の中のそれに視線を落とした。


 フクロウは……何も言わない。


 相変わらず不恰好な顔。

 だが、今は見つめていると、言葉にできない懐かしさが湧き上がってくる。


 理由はうまく説明できない。雑貨屋として、おかしなことを言おうとしているのも分かっていた。

 だけど、この置物は――――。



「……やっぱり、売らないでおきます」



 うつむいたままぽつり呟いた声が、店内にやけに響いた。



「もう少し、この置物を眺めていたいなって————そう思うので」

 


 この置物は、きっと特別なもの。

 なぜだか分からないけれど、ずっと大切にしたいと思えるもの。


 一瞬、深い沈黙が流れる。



 やがて、男性が柔らかく穏やかに頷いた。


「…………分かりました」


 どうしてもこの置物がいい、と真剣な様子だったから、もっと食い下がってくると思っていた。反射的に男性の顔を見る。

 むしろ男性は、口惜しそうに、それでいて何かに安堵しているかのように、口元にかすかに笑みを浮かべていた。


「ごめんなさい、わがままを言ってしまって」


 彼女は小さく頭を下げる。男性は何も言わずに、ただ首を振った。

 それから男性は気を取り直したように、少し明るい声色で続けた。


「それじゃ代わりに、何かいただこうかな」

「はい!何にしましょうか?」

「そうですね……」


 男性は目を閉じてしばし考え込んだ。やがて彼女に向き直ると、


「————じゃあ、選んでもらえませんか」

「……え?」


 突然のお願いに、彼女は思わず声が漏れる。


「私が選んでいいんですか?でも、親友さんのプレゼントをお探しなんじゃ……」


 どう考えても、ただの雑貨屋である私なんかより、彼自身で選んだ方がお友達も嬉しいに決まってる。

 だが男性は首を振って訂正した。


「ああ、いえ、そうじゃなくて————私のために」

「ご自身へのプレゼント、ですか?」


 首を傾げる彼女に、男性は微笑んで頷く。


「何か、長く使えそうなものをお願いします」

 

 分かりました、と返事をしたはいいものの、彼女は手を頬に当てて考え込んだ。

 長く使えるもの――ここにある品の多くは消耗品ではないから、ペンなどの文房具を除けば、どれも長く使えるという点には当てはまってしまう。使えるという言い方からすれば、飾るものよりも普段使いできる日用品の方がいいのだろうか。

 彼女は悩みながらも、ふとカウンターに置いたままのフクロウに目をる。それから何となく、フクロウの瞳が見つめる先を辿った。

 そこには、彼女が先ほど置いた、お気に入りのがあった。


「————そうだ!」


 彼女は早足で、出入り口の近くにある棚へと駆け寄った。

 並んでいるのは、白いマグカップ。たしか、彼女が使っているものと、同じ作家さんがつくったものだったはず。ひとつひとつに、それぞれ違う動物が鮮やかに描かれている。


 彼に似合いそうなのがいいな。

 そう思い少しの間眺めていると、そのなかのひとつに、なんだか強く心惹かれるものがあった。引き寄せられるように手に取る。

 なぜだろう、何か懐かしさを感じる。


 彼女はまた小走りで戻って、男性にそれを差し出した。


「…………ウサギ、ですか」


 マグカップの側面では、一羽の可愛らしい野ウサギが、一輪の花を抱えて空を見上げていた。


「……なぜ、ウサギなんですか」


 こちらを見ることなく、男性は独り言のように言った。どこか困惑している様子で、マグカップのウサギをただ一点に見つめている。


「……うーん、なんでって言われると難しいんですよね……なんとなく、これがいいなって思ったっていうか」


 言いながら、彼女は腕を組んで唸った。正直、本当に何か心惹かれるものがあったからで、それが何かも、彼女自身よく分からなかったのだ。

 でも強いて言うなら、と続ける。


「ちょっと気弱そうなところとか、ご親友のために真剣にプレゼントを探す優しいところとか、ウサギさんみたいだなって。——しっ、失礼ですよね……!すみません……」


 思っていたことをそのまま口に出してしまい、慌てて頭を下げる。


「…………」


 男性は、ただ黙っていた。

 怒らせてしまっただろうか。頭を上げ、恐る恐る男性の顔を覗き込む。

 すると、男性の目から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。しずくがマグカップの縁に落ちて筋を描き、床にしたたって染みになる。


「————!! ご、ごめんなさい!!悪く言ったつもりはまったくなくてっ」


 必死で何度も頭を下げる。どうしよう、どうしようとあたふたしていると、男性がぽつりと呟いた。


「……いえ、違うんです。これは違くて……」


 控えめに鼻をすする。

 彼女が何も言えずにいると、男性は深く息を吸って、彼女に真っ直ぐに向き合った。



「ありがとう、本当に」



 そう言って、目を赤くしたまま笑顔を浮かべていた。その表情が彼女には、何か特別なものであるように感じてならなかった。


 ***


 マグカップを丁寧にラッピングし終えると、彼女はそれを男性に渡した。


「その紙袋――ご親友へのプレゼントですか?」


 男性の手元に目線を遣りながら尋ねる。

 お店に入ってきたときから気になっていた、小さくて可愛らしい紙袋。駅の近くにあるデパートのものに見える。


「ああ、これですか……これは————」


 男性は言葉に詰まり、紙袋をじっと見つめる。


「…………いえ、これはただのお菓子です。気まぐれに買っただけで」


 そう言うと、紙袋をすっと彼女に差し出した。


「よかったら、食べてください」

「え? いやいやそんな、いただけませんよ!」


 想像もしなかった行動に慌てて断る。しかし、男性はゆっくり首を振って続けた。


「いいんです。これを選んでくれたお礼と思ってください」


 彼女には、男性が嘘を言っているようには感じなかった。同時に、男性に引くつもりがないことも感じて取れた。

 初めてお店に来てくれたお客さんに、こんないいものをいただくなんて。そうは思ったが、せっかくの厚意を無碍むげにするのも申し訳ない。

 彼女は慎重に、差し出された紙袋を受け取った。


「じゃあ、お言葉に甘えて——美味しくいただきますね」


 そっと中身を覗くと、保冷剤と小さなケーキの箱が見えた。

 すっかり冷めてしまったカフェオレを見る。

 あとで淹れ直そうっと。

 差したままのスプーンを一周からりと回す。白いマグカップの中で、渦を巻いて繊細なマーブルが揺らめいた。



 男性が店の出口へ歩きだしたところで、彼女はふと気がかりになって訊いた。

 

「あれ、それじゃご親友のプレゼントは……」


 紙袋の中身はプレゼントだとばかり思っていたが、そうでないならどうするのだろう。


「ああ、そうですね……」


 男性は歩みを止めると、こちらを向かずに、俯き気味にこぼした。


「————自分で、作ろうと思います。そのフクロウみたいなやつを」


 その声には、照れ隠しのような笑みを含んでいるように聞こえた。可愛らしい回答に、こちらもふふっと笑いが漏れる。


「そんなに真剣に想ってもらえるなんて————そのお友達は幸せですね」


 男性は一瞬、言葉を失ったように立ち尽くした。



「…………———————」



 男性が、消え入るようなかすかな声で呟いた。

 宛名のない声は、春風のゆらぎのなかに吸い込まれて、どこか遠くへと流されていく。


 それからこちらを振り返ると、彼女に向かってはかなげに笑いかけた。



「また来ます」

「はい!お待ちしています!」



 男性は一歩、また一歩、ゆっくりとした足取りで店を後にした。


 カウンターの上のフクロウは、何か物憂げな顔つきで、彼の背中をじっと見つめていた。



 <続>

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