あの苦海の見える公園と
unbeautyeye
第1話 faster
『自己嫌悪は自己への甘い執着さ、
好きなだけやってやる』
少年は、最後の散歩に出ていた。コースはいつもと変わらない。地元で二番目に大きく、登ると南の方角に少し海の見える丘のある公園に行って、そして帰るだけである。最後だと決めていたのに特別感は微塵も感じることはなかった。そのことは多少なりとも少年を揺さぶるものであったが、歩いているうちにどうでもよくなっていた。
公園に着くと少年はスマートフォンのロック画面を確認した。時刻は十七時になろうとしている。時刻の下には、流し聞いている音楽のアルバムジャケットが表示されている。そこには、肥満気味の女性を三方向から撮った写真とその上に「THE HOLY BIBLE」と書いてある。写真の下にも英語で何か書かれているが、あまり気にしたこともないし、散歩中に読もうとも思わない。何より、強い西日を受けているせいで画面がよく見えない。開けた丘の上では、少年の行動は制限されてしまう。いつものベンチに座り、音楽を嗜む。普段なら途中の自動販売機でトマトジュースを買ってベンチで味わうのだが、今日は財布を持ってくるのを忘れてしまった。仕方なく、ジュースの代わりに西日に包まれた空気を飲み込む。たいして空気が美味しいとは感じないが、問題はない。気分転換するためではないから、空気の味なんてどうでもよいのだ。見える大きな海は、少年を優しく肯定した。
ある程度大きい公園だというのに、少年以外に人は見当たらない。この世界には、八十億もの人間が生きているというのに、少年の視界の中には誰一人とし人間はいない。強く孤独を感じるが、あまり気にしすぎないようにすることにした。少年は、まさに最後の散歩の途中だからだ。
―こっちにおいで。
ひとしきり西日を浴びて、少年は帰ることにした。いつもの音楽を聴きながら、足早に家に向かった。少年はこれから自殺をすると決めていた。
散歩をすれば多少は考えが変わるだろうと思っていたが、むしろ彼の決意を固くしてしまったように感じる。少年の歩きは加速的に早くなる。もう向かう先は決まっている。
「これでいいんだ。」
少年は、少し大きく独り言をつぶやいた。
―その調子だ。
公園を出ると大きな通りがある。信号など待てるものではなかった。自動車が通らないタイミングを見計らって、少年は急いで道路を渡った。道路を渡ると広く砂利の敷かれた月極駐車場を突っ切って、小道に入る。家へと続く細い小道が、早く帰りたいときの最適解である。小さい頃は通り抜け禁止だと学校に言われていたその道は、今となっては自分にお似合いのように思える。少年は、その小道を競歩選手のように早く歩く。冷たく澄んだ空気を掻き切るように足早に。道の途中、民家の敷地から松の木がせり出している場所がある。いつもなら避けて歩くが、今日はそんなことはしない。せり出した枝をくぐるように進む。枝は服を引っかけて、少年を止めようとする。ちょっとの時間が少年にはとても惜しいものに感じた。せっかく決意が固まってきているのだから、無駄にしてはいけない。少年は、自分の部屋に少しでも早く着きたかった。
いつもより三分の二ほどの時間で家に着いた。両親はまだいない。少年は自分の部屋へ流れるように向かった。少年のベッドの下には収納ボックスが四つある。そのうち三つは少年の趣味に関わるものである。野球の応援グッズ、好きなバンドの特集が組まれた雑誌、ギターのピックや交換用の弦などである。もう一つのボックスには、薬が細かく仕分けられて収納されている。少年が今まで飲まなかった、もしくは、飲み忘れていた薬を保管していた。それは、少年が意図して溜めていた薬であった。
少年は迷わず薬のボックスを取り出した。より強く体に影響しそうな薬だと思うものをピックアップする。いままで飲んだ中で少年の体がよく反応したと思われる薬を選んだ。そして、ベッドに放り捨てられたペットボトルに半分くらい水が残っていることを確認した。
「十分だ。」
小さくつぶやき、一粒ずつ薬を包装から出す。どれだけ飲めばいいかなんてわからない。飲めるだけ飲むのだ。少年の手は震えていた。というよりもむしろ訳が分からなくなっていた。それは、死に対する恐怖なのか、多少の躊躇いなのだろうか。少年は、自分の選んだ道が正しいのか分からないまま、目の前に出した薬の粒をペットボトルに残っていた水と共に飲みほした。手だけでなく体も震えていたように感じる。いくつかの錠剤は口に入らず、手からこぼれ落ちて少年の膝の上に転がる。落とした薬のことなど気にしてはいなかった。少年はそれからただ茫然と座ったままで、止まってしまった。
少年は、軽く興奮していた。いままで、オーバードーズをしたくなったことはあったが、行動に移したことは初めてであった。そして、それまで心を押し潰そうとしていた謎の力から解放されたように感じた。
少年の心の底から、幸福的な笑いが発生した。
これまで少年の心を縛り付けていた全てを気にしなくて済むのだ。少年の心の底から何か湧き出てくるものがあった。それは飲んだ薬による直接的な作用ではなく、少年の思い込みによるものであることは確かであった。少年は「救い」というものを感じていた。
しかし、薬を飲んで二十分くらい経ったころ、少年は強い倦怠感と吐き気を感じた。胃に不快感を覚え、意識が混濁してきた。少年は、懸命に手を伸ばし、声にならない叫びで助けを求めた。家には誰もいなかったから、その行為は無駄であった。少年の視界がどんどん暗くなってくる。すべての意識が後頭部から抜けていくようだ。完全に意識を失うまで、三分もなかった。あっという間に、少年は暗く深い闇の中に引き込まれていった。
少年が、目を覚ますのは数時間後であった。
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