6.春のちカミナリ

「今日は心理カウンセラーの講師の先生に来ていただき、思春期の心についての

 講演を行っていただきます」


 6月の初め、僕らは体育館に集められた。文化祭から半年、僕らは3年生となり、クラス替えが行われた。僕のいるクラスにゼンノウちゃんはいない。ゼンノウちゃんはもう、この学校にいない。


 先月、ゼンノウちゃんが消えた。文字通り、消えてしまった。


 4月、春休みが明け、気だるさを感じながら僕は登校した。この学校は1学年6クラスあり、進級のたびにクラス替えが行われる。年度初めの登校日に自身のクラスが張り出されそれを見てから教室に向かう。


 僕は「ゼンノウちゃんと同じクラスになりますように」と祈りながら張り出されたクラス表を見る。僕のクラスは3-d、僕は自分のクラスの名簿を上から下までくまなく見る。そこにゼンノウちゃんの名前はなかった。どうやら彼女は別のクラスのようだ。落胆しながら他のクラスの名簿を見る。ゼンノウちゃんの名前は3-aの名簿に載っていた。


 3-dの教室に入ると、アポロとエビが僕を出迎えてくれた。二人とも僕と同じクラスらしい。『話せる人がいなくなる』という最悪の未来は回避できたようだ。


 それから2週間と少し過ぎた頃。ゼンノウちゃんの姿を見ることは少なくなってしまったが、僕はアポロとエビと共にそこそこの学校生活を送っていた。廊下でたまに見かけるゼンノウちゃんは少しだけ元気がないように見えた。最近気づいたが、僕は物理的に近くにある人や物のことしか知ることができないっぽい。ゼンノウちゃんと別のクラスになってから彼女が考えていることや彼女の行動を知ることができなくなった。


 1か月近く過ぎた頃、僕は耳を疑うような噂を聞いた。ゼンノウちゃんがいじめを受けているらしい。どんな学校でもいじめはあるが、そのいじめの対象が彼女になってしまったようだ。


 何が原因なのかと考えたが、ゼンノウちゃんのことが好きな僕には思い当たる節が無い。いつでも明るくて天真爛漫で何に対しても全力なゼンノウちゃん。もしかしたら、その明るい性格が誰かの鼻についたのかもしれない。いじめのきっかけなんて、大抵が小さなことだ。きっと気の強い女子がいじめを始めたのだろう。


 僕は心配になり、今すぐにでも彼女の下へ行きたかった。しかし、そんなことはできない。文化祭の時とは状況が違い過ぎる。僕は普段から彼女と話すような仲でもないし、今は同じクラスですらない。他クラスの事情に首を突っ込むような理由も道理もない。できれば、いじめについての詳細を知りたいが、いじめに関与するような人物がいない今のクラスでは難しそうだ。


 僕は状況が好転することを祈ることしかできなかった。


 いじめの噂を聞いてから、彼女を見るたびに元気がなくなっているようだった。廊下で見る時もいつも一人だ。噂は本当らしい。


 噂を耳にしてから数週間経ったある日、事件は起きた。


 その日、僕は移動教室のために廊下を歩いていた。すると、前の方からクロノスさんが走って向かってくる。その顔は焦り、少し怯えているような表情だった。


「こっちは危ないから行かない方がいい」


 クロノスさんは早口で僕にそう言ってくる。何のことか分からない


「え? どういうこと? 今から移動教室なんだけど」


 僕は状況が理解できず聞き返す。危ないって一体なんのことだ。


「ゼンノウちゃんはもう手がつけられない、彼女は消える」


 その時、僕はクロノスさんの考えていること、いや、恐らく彼女が能力で見てしまった未来を知った。


 それを知った瞬間、僕はクロノスさんが来た方向に走り出した。状況を全て理解できたわけではないけれど、ゼンノウちゃんとゼンノウちゃんへのいじめの加害者が危ない。


 僕は全速力で廊下を走る。角を曲がり、目の前には女子トイレが見えた。その瞬間、女子トイレから大きな物体が飛び出してきた。それはゼンノウちゃんと同じクラスの女子生徒だった。その生徒は自ら飛び出してきたのではなく、吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。女子トイレからは悲鳴が聞こえる。


 僕は驚き、一瞬足が止まる。すると、別の女子生徒がトイレから飛び出してきた。今度は吹き飛ばされたのではなく、しっかりと自分の足で走っている。しかし、その顔は真っ青で明らかに怯えているようだった。


 その生徒の後を追うようにしてまた別の生徒が出てくる。良く知った顔の女子生徒、ゼンノウちゃんだ。でも、いつもとは様子が違った。全身は濡れてスカートから水が滴り、制服は擦り切れた部分がある。そして、その目は、悲しみと憎しみが入り混じりどこか覚悟を決めたような深く暗い目をしていた。


 彼女は右手に瓦礫を、左手に大きな板状の物を持っている。板状のものは恐らく個室トイレのドアだったものだ。無理やり取り外されボロボロになっている。その板には鮮やかな血がついていた。僕が変わり果てたゼンノウちゃんの姿に呆然としていると、彼女は右手を大きく振りかぶった。


「待って、待て!」


 僕の制止とほぼ同時に彼女は瓦礫を投げ、怯えながら僕の後ろを走る女子生徒に命中させた。走っていた女子生徒は「うっ……」といううめき声と同時に倒れ込む。


「何してるの!? 落ち着いて!!」


 僕は声を荒げながらゼンノウちゃんを止めようとする。ゼンノウちゃんは深く暗い目のまま口を開く。


「何してるかって、分からないけど、やろうと思ったことができたんだよ」


 彼女の声は震えていた。僕が何と答えればいいのか、何と言うべきなのか迷っていると彼女は再び口を開いた。


「私、どうすれば、私は……」


 その瞬間、一気に空が暗くなり、視界の全てが突き刺すような光に覆われた。その光の後、建物全体が揺れるような大きな雷鳴が轟き、僕は反射的に目と耳を塞ぐ。数秒、視覚と聴覚が奪われ、何が起きたか分からない。目と耳が痛い、雷鳴は身体全体に響き、頭痛がする。


 混乱しながらも僕は目を開け、あたりを見回し、ゼンノウちゃんの方に目を向ける。


 そこにゼンノウちゃんはいなかった。


「皆さん、皆さんは中学生で大人になる途中の年齢です。今は多感な時期です。

 いわゆる思春期というものにもなりますし、色々と不安になったりすること

 でしょう。悩みがある時は迷わず、先生や親御さんに相談してください。

 学校でも様々な取り組みがあります。例えば……」


 ゼンノウちゃんが僕の目の前で消えた日から1週間。体育館に全校生徒が集められ、カウンセラーという職業の人の話を聞かされた。内容は『思春期の心について』、要約すると、悩みは1人で抱え込まず誰かに相談しましょうというものだ。この講演はゼンノウちゃんがいなくなってから急遽開かれた。


 あの事件の後、僕とクロノスさんは先生に呼び出され、状況の説明をさせられた。そこにいた大人たちはただ暗い顔をして僕の話を聞くだけで、ゼンノウちゃんの行方や何が起こったのかについては何も教えてくれなかった。


 一通りの説明を終え、僕とクロノスさんは職員室をあとにする。あの場で何が起きたのか、ゼンノウちゃんがどこに行ったのか、何故大人たちは教えてくれないのか、分からないことだらけだ。


「”カミナリ”ってどういうことだろう」


「……小さい頃、親に言われなかった?」


 僕の何気ないつぶやきにクロノスさんが答える。確かに小さい頃、親にはよく言われた。「不思議なことができても、しちゃだめだよ。カミナリが落ちるよ」と。




 僕はその後、カミナリの意味を知った。『不思議なことをしてしまうとカミナリが落ちる』これは比喩でも暗黙の了解でもなく、ただの事実だった。何も知らない子供が感情に流され、自分の能力で他人を傷つけると、どこからともなくカミナリが落ちて、その子供は消される。これがこの世界のルール。法律でもマナーでもなく、時が流れたり風が吹くのと同じようなこの世界の常識。


 そんな常識によってゼンノウちゃんはいなくなってしまった。何でもできてしまうゼンノウちゃんは自身が加害者になることもできてしまった。まだ自分が何者なのか、何ができるのか、そんなことが一切分からない子供なのになんでもできてしまった彼女は本来幸せだったはずなのに常識という名の不幸によって消されてしまった。


「最後にもう一度言いますが、悩みや不安があった場合は迷わず先生や親に相談して

 ください。私たちはみなさんの味方です」


 その言葉とともに講演は終わった。全能だった彼女には味方がいたのだろうか。彼女が『自分は何でもできる』と知った時、周りに味方がいただろうか。


 僕は彼女の味方になりたかった。今思えば、僕は彼女の味方でだっただろうか。僕は彼女に少しだけ想いを伝えた。そして、「君はなんでもできる」と彼女に言った。その結果、彼女は消えてしまった。僕があの時空き教室であんなことを伝えなければ、彼女は消えはしなかっただろうか。消えなかった彼女は笑えていただろうか。


 いつも明るくて友達に囲まれた彼女だけど、追い詰められたその時には周りに味方がいただろうか。少なくとも周りに大人はいなかった。


 出る杭が打たれ、若い芽が摘まれ、周りに合わせることが正しい世の中で何も知らない子供の味方はどこにいるんだろう。


 それを知る日が来ること、自分が誰かの味方でいれることを願う。できれば、消えた彼女の味方に。


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全知くんと全能ちゃん @moyasai

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