影オイ者

@supu222

第1話 目覚め時

 目を閉じて右手をそっと添える。遠くから聞こえる車の音、儚く地面に落ちる雨音、後ろから聞こえる子供の泣き叫ぶ声。

 雨で悴んだ手から感じられる温もりは段々と冷えていく。最後は氷のように冷たくなるだろう


 目をゆっくりと開く。左手に握った刀をそっと鞘に戻し、深く息を吐いた後、スッと立ち上がり、歩きだす。


 自分の手がまた暖かくなるのは、また安心して握られるのはいつになるのだろう。そんなことを思いながら雨が降る夜の街を見下ろし、ビルの屋上から身を投げ出した。


 ーーーーーーーーーーーーーーーー


 僕の名前は金谷潤。皆からはカネヤって呼ばれてる。東京の私立高校に通う高校2年生。僕は生まれた時から右腕から右手までの部分がが思うように動かしにくいという障害を持っている。


 周りの人は僕のことを可哀想だとか思ってくる。確かに歩きにくかったり、色々と不便なことはあるけどもうこの生活が僕にとっては普通だし特に何も思っていない。


 今は学校に通学中。いつものように人通りの多い交差点を渡り、学校に向かっていた。


 ふと、何気ないいつもの景色の中で、変に思った点があり、僕は足を止め、違和感の正体を見る。


 交差点の向こう側、小さい路地裏に何か黒いもやもやがある。

 人と同じくらいの大きさでその場に立っているような形をしている。周りの人達にはやや見えにくい場所だからか特に気にすることなく歩いていた。


 僕は少しの恐怖、そして多くの好奇心でその黒いもやもやに近づいてみることにした。


 黒いもやもやは僕が近付いているのに気が付くとスーッとスライドするようにどこかに移動していった。

 そこまで速くない、僕もその後を追う。


 黒いもやもやが人気のない道に曲がったのを確認し、僕も同じ道に行こうと路地裏を抜け、角を曲がる。その瞬間、視界が真っ暗になった。


 何も見えない。音も聞こえなくなる。なんなら地面に足がついているような感覚もしない。そんな状態が数秒経った後

 視界が明るくなる。


「ここは…、どこだ?」

 とあるマンションの部屋のようだ。普通の木製のテーブルに普通の椅子。テーブルの上に紙や食べ終わったインスタント食品のカップが散らかっていて、少し生活感は感じるが至って普通の部屋だ。


 ふと後ろから物音がして、後ろを振り返った。

 するとそこには手に小さいバックを持った、全身傷だらけで壁にもたれかかっている20代くらいの女性がいた。

 体中はボロボロで髪も乱れ、息もかなり上がっていた。


 心底驚いた。だって急に部屋に飛ばされたかと思ったら、急に人に会ったんだから。

 運良く彼女は下を向いて呼吸するのに必死だ。なんとか刺激しないようにゆっくり音を立てないようにして歩くが、地面に転がっていた音がして僕を見るとお姉さんも驚いたように目を見開く。


「うわぁ!あなた誰!?」

「いや!僕も来たくて来たわけじゃ無くてですね…!何か、黒いモヤを追いかけていると気がついたらここにいたというか、何か急にここにワープさせられたと言うか…」

 するとお姉さんの後ろからドタドタという足音と怒声が聞こえてくる。声だけで何人もこっちに来ていることが分かる。


「あー、もう!分かった。この子に渡せってことね!じゃ、これ持って早く出てって!詳しいことは後で分かるだろうし!」

 手に持っていたバックから手の平ほどの真っ黒な物体を僕の手に押し込む。

 その物体は今まで見てきた物の中で一番黒く、思ったよりも軽い。それは僕の手にスッポリと収まった。


 訳が分からないままでいると、目の前のお姉さんはいきなり僕の首根っこを掴んだかと思うと、その華奢な体からは想像できないほどに力強く、窓にブンッと放り投げられた。


「…え?」

 その間わずかほんの一瞬。抵抗する間も無く窓は簡単に割れ、僕は空中に放り出された。


 状況を理解するのに脳が追いつかない。


「ウワァァァァァァァ!!!」

 そのまま落下する。ここはマンションの10階くらいの高さ。近くには何もない。


 これまでに感じたこと無いくらいの風の圧力と風の音。無重力のようにジタバタすることしかできない。


 死ぬ…!死んでしまう!嫌だ!こんなところで!まだ母さんに何もさせてあげられてないんだ!


 もう地面に体がぶつかる…!僕は目をギュッと閉め、グッと体を丸めた。



 ……………


 あれ?

 体は地面に叩きつけられてると思ったのに全然痛くない。ゆっくり目を開くとそこはさっきの交差点だった。さっきまで手に持っていた黒い物も落下中は胸に抱えていたけどいつの間にか無くなっている。


(夢を見ていたのか?)

 僕はその後何事もなく学校に着き、いつものように授業を受け、昼休みに入る。

 屋上で弁当を広げ、友達と駄弁る。


「前から思ってたんだけどさぁ、金谷って右手使えないのによく食えるよな。俺だったら絶対に食えないわ。」

「うーん、僕はずっと右手使わないで生きてきたから不便というよりこれが普通というか…」

 たまに聞かれる。友達は単なる疑問から聞いてきたことだということは理解しているが正直あまり聞かれたくないことだ。

 僕の生まれ持ったハンデを何も知らない外部からとやかく言われたくないんだ。

 可哀想だと思うな。不便そうとか思うな。僕はこれが普通なんだ。


 とりあえず友達の話には適当に返事してあしらっていると急に左手がピクピクと痙攣のような動きをし始めた。僕は何も動かしてない。これまでこんなこと無かった。得体のしれない違和感を覚える。


「ご、ごめん!ちょっとトイレ!」

 少し調べよう。思ってその場から立ち上がろうとするも、体が中途半端にしか上がらなかった。


 左腕が動かないのだ。

 まるでそこに固定されたように左腕が動かなかった。そして左手が勝手に中指以外の指を畳み始め、友達に向ける。


「どうしたんだよ〜カネヤ、喧嘩売ってんのかよ〜」

 幸いにも左手はすぐに動いた。友達も冗談で返してくれているから助かった。


「じょ、冗談に決まってるだろ!」

 そう言って僕はそそくさとその場から離れ、トイレの個室に逃げ込む。左手を握ったり開いたりしてみるが普通に動かすことが出来た。


(何だったんだよ…!今の!)

 今日は朝のあれと言い、変なことが多い。

 学校が終わると、友達と話すことなくすぐに家に帰ることにした。


ーーーーーーーーーーーーーーーー

 幼少期過ごしていた家の場所に戻ってきた。と言ってもここはもう別の建物が建っていてかつての面影なんてこれっぽっちも残っていない。

 今は昼の1時。雨が降っていて暫くは止みそうにない。あの時も今みたいなこんな雨が降っていた。

 傘をさしたままビルの片隅に座り、周りの景色を見る。

 昔一緒に遊んだ公園、昔一緒に食べたラーメン屋さん、昔一緒に歩いた道路。どれも懐かしいものだった。だけど肝心のこの家は跡形もなく消えている。

…………

 いつまでボーっとしていたのだろうか、もう雨は止み、少しずつ太陽の光が雨雲の間から漏れ出している。

 もう、行かなきゃ。ビルの隅に邪魔にならないよう花を添え、その場を立ち去る。


「絶対に、あいつを殺すから。だから…だからここで待ってて」

「お母さん。大好きだよ」

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