目薬は横にならないとさせない
父のルーティンは興味深い。引退してからは、部屋に籠っていても、薬を飲む時間になれば巣穴から顔を出しては用を済ませ、また巣穴に戻る。この時間的なルーティンは、感心するほどだ。最近は、目薬を差しに巣穴から顔を出すのだが、必ずカウチに横になって目薬を差す。刺した後は、これも必ず、目をつむったまま数分眠ったようにじっとしている。この生態だけは、まだ解明できていない。関心なのは、処方箋を欠かさないということだ。
処方箋の場合、本来であれば、父のようにルール通り全部飲み干すことがいいのかもしれないが、忙しい日々を送っている方々であれば、飲む時間に気が付かない人もいたりするだろう。それこそ、人間的な行動パターンと言える。
しかし、父の場合は、どちらかというと野生動物の本能的なパターンを持っている。どんなに具合が悪くても食事だけは残さず食べるというルーティンは、アルツハイマーになってからも続いた。自分で体が動かせず、声も出せず、目も見えずの状態になっても、食べ物を口元に持っていけば、美味しそうに食べていた。まさに「生きようとする姿」だ。
医者になった知り合いにも聞いたことがあるが、幼児や高齢者でも、食べたり飲んだりできる限り、あまり心配はいらないという。父は、まさにその典型だった。実際に、医者からは、「今年持つかどうか分かりません」と言われたが、歳を明けて3ヶ月も経過した。その間も、様々な機能が衰えることがあっても、食べるという機能は衰えず、病気も患うことはなかった。
母は、頭の固い意固地な父には手を焼いており、結婚当初、父のどこに惹かれて結婚を決めたのだ、って思う瞬間が何度もあったが、もしかしたら、父の野性的な生きる本能に惹かれたのかもしれない。その生き方が、母の愛してやまない「野生の王国」に出演する、チーターから逃げるガゼルの生きのびようとする様が、生きようとする父の姿に酷似しているからだろう。
父は、世の中の先進的な進歩には疎いが、人間の生きる上で必要な「衣食住」に関しては、手を抜かない。基礎を重視したプロの教えともいうべきだろう。
父は、たまに大けがをして帰ってくることがある。本人は、決まって転んだというのだが、どう見ても殴られたようにしか見えない。転んで、目の周りだけがあざになるとは思えない。もし殴られたなら、れっきとした傷害事件なんだから、警察に証言すればいい。殴られたきっかけが自分にあったとしても、法的には殴った方が弱い。
前に話してくれたことがあったが、駅の改札を通る際に、前の人のかかとに、つま先が当たってしまったことがあったという。そんなこと、満員電車に乗る際には、アクシデントとして起こりうるだろう。なぜか、その相手は、それに切れて、父に食って掛かってきたらしい。全くのアクシデントにも関わらず、なぜか毎回相手が悪い。
酒を飲んでかなり酔って帰ってきた時、電車で財布も何度か盗まれている。お財布は、どれくらいの人が、背広の内ポケットに入れるのかは分からないが、私は、小さな財布を、ズボンの後ろのポケットに入れていることが多いので、座っている間は、盗まれにくいが、父は、長財布を背広の内ポケットに入れているので、寝ている隙に盗まれてしまったのだろう。または、意外と電車では寝ていなかったのかもしれない。外のベンチかもしれない。言うと稲妻が落ちるので本当のことを伏せている可能性もある。簡単に言うと、非常に人間味に溢れた父である事には変わりない。
父への手紙
家族の中で、親父と接している時間が一番短かったのは、恐らく私だろうと思う。長いことアメリカにいたし、祖父母がなくなった時も、アメリカにいたままだった。その間、色々な面倒は、兄と母がしていたと思う。
そんな中で、今では母との冗談めいた会話の中で、「いつかぶっ殺してやる」「とにかくムカつく」というご冗談を聞くことも多いですが、その理由の最たるものは、「生態が解明されていない」ことにあるのだと思います。
「目薬はカウチに寝ころばないとさせない」「新聞の切り抜きをした後の新聞の方が残っている(切ったところが欲しいところでしょ)」「殴られて、目の周りが綺麗にパンダみたいになっているのに、『転んだ』しか言わない」「家族の誕生日を祝うのは忘れても、酒とたばこがなくなったことは、しっかり覚えていて、買いに行くのを忘れない」など、枚挙にいとまがない。
父の生態を一言で言うと「人間の脳」。凡そ10%くらいしか、機能が解明されていない。母は、その専門家として長年研究を重ねてきたものの、事件が起きるだけで、その原因や原動力となった要因は、解明されていない。
母も多くの実験を試みたが、出てくる結果は、「怒り」「いらだち」「屈辱」のみで、報告書に書ける内容のものは何一つ見つかっていない。
そんな親父だったが、総じて、人間らしさの表れだと結論付けることはできる。相手をムカつかせるというのは、人間にしかできないことのような気がしてならない。
人工知能が相手なら、こちらの問いかけに対し、正論をぶつけてくるし、最終的に、こちらがグーの根も出ないパンチを繰り出してくるだろう。また、相手が動物なら、本能としての防衛反応で威嚇することはあっても、「ムカつくことをされた」わけではない。
同じ失敗をするあたり、非常に人間臭さがにじみ出ているし、これは大きな教えだと感じている。
企業で働いていると、上司から「失敗は問題ないが、同じ失敗は看過できない」と言われたりする。この言葉を聞いた時、この上司に思うことは2つ。「人間は同じ過ちを繰り返すものということを理解できていない」「結局、どんな失敗も許せない人だ」の2つである。
人間が失敗をする時は、「前例にないことに挑戦した時」で、これを世間ではいい失敗と呼ぶ。しかし、これが顧客に提出する見積もりの誤入力となると、悪い失敗にカウントされる。正直、失敗は失敗。顧客からしたら、完成したものが届いていないことには変わりはない。
失敗をする人は、今後も失敗をするだろうし、そういう体で、会社の仕組みの中でカバーしていくしかない。個人のミスを理由に、最終的に解雇勧告をした会社にもいたことがあるが、そういう企業は、仕組みづくりを全くしていない。社員が同じ失敗をしてしまう隙だらけだ。
親父が教えたかったことは、「経営側に回ったら、真っ先に仕組みづくりに奔走しろ」ということだったのだと今では理解できる。貴重な教えをありがとう。
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