小学校の作文で主演男優

 小学校へ入学すると作文や読書感想文という執筆に関する勉強を始めることになる。夏休みの宿題や国語での課題など、作文や感想文となると、なかなか文章を書きだせずに悩む子供たちが出てくる。その中で、私は最初からよくかけたものだった。理由を問われても答えられないが、思ったことを何でもアウトプットすることが好きだったし、何かしら頭に浮かんでいるような子供だった。

 何をテーマにする作文だったかは覚えていないが、父を題材にした作文を書くことがあり、週末の父との平凡なやり取りを原稿用紙数枚にまとめ上げた作品が、昭和の団塊世代のオーソドックスな父親像を見事に書き記しており、ハリウッドがこの実話をもとに実写版を完成させていたとすれば、主演男優賞を貰えていたに違いない内容だった。

 

 作文は、いつもの日曜日の父と息子のやり取りを如実に表しており、息子の心理描写も、同じ世代の人間が読めば共感できるような内容になっていた。

 日曜日になると、私は両親よりも早起きをして、まだ眠っている父親を起こすことから始まる。正直、記憶はうっすらとしかないが、父の日曜日は、子供よりかは遅く目覚め、遅めの朝食を家族で取り、寝っ転がりながらテレビを一日中見るか、ゴルフに行くか、競馬に行くかしかない。

 当時は、まだ競馬にのめりこむ前だったので、ゴルフの予定がなければ、寝転がりながら、テレビを見ていた。テレビの内容は、ゴルフかテニスか時代劇。これ以外で考えられるのは、マラソン系か報道番組。

 まず、朝食を済ませた私は、暫く一人で時間を過ごしていた。父は、その間に見たい番組を見つけ、寝転がりながら見始めた。

 一人遊びに飽きた私は、父の下へ行き、外に遊びに行こうとお願いをする。丁度、天気も良く外で遊ぶにはいい日和だった。テレビに夢中の父は、終わるのには数時間かかるだろうと思われる番組を見ていた。ゴルフかテニスかは覚えていないが、はっきりと覚えているのは、父が頑張っているのに、全く上達しない何かだった。逆算しても、テニスかゴルフしかない。

 実践では上達しない割に、父は意外と根っからの勉強家で、テレビでプロの試合をよく見ていたし、当時「ベストテニス」「ベストゴルフ」と呼ばれる教則番組も放映されていて、毎週よく見ていたのを覚えている。しかも、その番組に合わせた教則本も販売されており、テニスとゴルフ両方購入して手元にあったのも覚えている。

 よく速読に関する書籍を読むと、「読むばかりでは記憶には残らない、アウトプットをして初めて記憶に残る」なんていう文言が必ず出てくる。大抵、記憶に関する専門家や医者が執筆したものが多いので、恐らくその通りだろう。しかし、この説は、私の父に至っては事実と異なる。

 父は、ゴルフもテニスも一定期間やっていた。テニスは、テニススクールに通い、住んでいるマンションに併設されていたテニスコートを予約して週1か2回、家族でテニスを練習していた。それ以外に、NHKで放映されていた「ベストテニス」に出ていた神和住純コーチのフォームや指導内容を見ながら、日々復讐するほどの徹底ぶりで、全くうだつは上がらなかった。ここまでくると、人は奇跡と呼ぶ。

 ゴルフは、いわゆる接待ゴルフに定期的に行っていて、地元のドライブレンジで練習するか、NHKのベストゴルフを見て、倉本プロに倣うかなど、テニスと同じように自主練を欠かせなかった。接待ゴルフについていくことはできないため、父がどれ程の腕前なのかも知らなかった。大学を卒業後、両親とハワイで落ち合ったことがあり、そこで父が一人でコースを回りたいと言い出した。当時私はゴルフをやったことがなかったし、父は英語が話せなかったので、外国人と一緒にコースを回ることが出来なかったからだ。

 ホテル側は、一人でコースを回る事に同意をしてくれた。レンタルのクラブを借り、ゴルフボールを一ダース購入して、コースを回り始めた。私は、ゴルフカートの運転をして、父の雄姿を見守ることにした。結果、ハーフを回り終えるまでに購入した一ダースがOBで全てなくなり、新たに一ダースを購入するため受付までカートで戻る羽目になった。

 あれだけ接待ゴルフで日曜に家を空け、ベストゴルフの動画でも雑誌でも研究して、ドライブレンジでアウトプットする。それで、これだけゴルフボールメーカーに売上を献上するなら、損切が必要なのではと思ったものです。 それにも拘わらず、ゴルフだけはプレーを辞めても試合中継をテレビで見るのは辞めませんでしたね。その経緯があってからの、私からの「一緒に外に遊びに行こうよ」の声掛け。父からすれば、何とか私を巻きたいわけで、「これが終わったら行こう」と直近の2時間くらいを稼ぎます。

 子供である私は、そのゴルフがあとどれくらいで終わるのかが分からないものの、また部屋に戻って一人遊びをします。何をして遊んでいたのかも覚えていません。

 暫くして父の所へ戻ると、先ほどのゴルフは終わっているものの、また別の番組を見ていて、それがまたいつ終わるのかも分からない。同じように「もう終わったから、遊びに連れて行ってよ」とお願いをすると、「これが終わったら行くから心配しないで」というような返答が返ってきます。

 いつもの流れなので、子供心に最悪の結果になるような気もしていたものの、やはり直感は的中して、外は真っ暗になってしまった。それでも、依然、父はテレビを見続けていた。

 この内容を「おおきなかぶ」の絵本のような調子で、

『「ぼくは、おとうさんに、あそびにつれていってよ」といいました』のくだりが、「おおきなかぶ」でいうところの「うんとこしょ、どっこいしょ、うんとこしょ、どっこいしょ」のように語られ、「このテレビが終わってから」の下りが「それでも、かぶはぬけません」の問答の繰り返しのように作文で語られたわけです。結局、息子をうまく巻いて勝利を得た父の話で終わるわけですが、そんな父でも文章にしてしまえば、存在感の出る役回りを演じられるのだなとつくづく改めて感心しました。


父への手紙

 親父と遊んだ記憶が人生の中では少なく、だからこそ遊べた記憶は鮮明に残っています。

 キャッチボール

 凧あげ

 レンタルビデオ

 図書館

 数え上げたら、枚挙にいとまがございます。レンタルビデオと図書館に関しては、もはや遊びの範疇には入っていません。レンタルビデオに一緒に行ったとき、お金がそこを尽いた頃で「頼むから借りるのは1本にしてくれ」と頼まれたことも覚えています。その頃に、目には見えないけど、自分が大海原へ航行したと胸を張っていた船には穴が開いて、タイタニックのようになっていたんだということを知りました。ただ、レンタルビデオと図書館に関しては、大人になってから大きな影響力を発揮した2つの要素になっています。

 レンタルビデオで洋画を見続けた結果、英語により興味を持つようになり、図書館に通った結果、読書が好きになり、生涯学習に対して多大な影響力を与えているのは事実です。

 親父が私を巻いたのは、今の転職活動や営業活動にも実に役立っています。転職先のとの面接や顧客との商談で、相手がこちらに興味がない時のこちらへの返しが直ぐに分かるようになったのも、親父のこの巻き具合により鍛えられたからだと思っています。

 世の中の世知辛さ、信じるだけでは救われない、身内こそ一番の敵、愛社精神を持つな、信用できるのは給料だけ、という人生の一番辛い部分を教えようとしていたのですね。

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