ルーティンはイチロー並み
父は、家庭では家族に無関心でも、会社では仕事ができたという。できているところを目撃したわけではないが、最終的に経営者にまで上り詰めたのと、赤字に陥った拠点を黒字回復して回る役割をさせられたということを聞くだけで、仕事ができたのだろうということは、容易に理解できる。そもそも、仕事ができない人が、赤字拠点や部署を黒字回復することは至難の業だし、経営者にさせるにも、相当な政治力がない限りは、大義名分が見つからない。
そんな父を見ていると、行動パターンにルーティングがある。ほぼそのルーティンをはみ出ることはない。父の引退後の行動パターンを観察してみた。
起床は、早いわけではない。皆が起床した後に起床し、部屋から姿を現す。その様子は、野生動物が腹を空かせて餌を物色しにくる行動に酷似している。餌を自分で用意するのではなく、母が餌付けをする。夫が稼ぎ、妻が家庭で育児と家事をこなす。夫が帰ってくると妻は餌付けをする、飼育係のようなルーティンは、団塊の世代の多くの家庭で見られる生体であり、団塊の世代の特徴的な行動と言える。
引退前は、餌付けの内容に不満を漏らす行動も見受けられたが、引退後は、狩猟能力が衰え、その罪の意識を感じ始めるのか、文句も言わず黙って平らげる。
実は、現役時代と引退後で、食卓のルーティンが大きく変化した。
現役時代の夕飯は、まず、酒を飲むことから始まる。専ら、日本酒とウイスキーに限定されており、ビールを飲むことは稀、ワイン飲むなら、ぶどうジュースを飲むことを選ぶだろうと思えるくらいにワインを口にしているところを見たことがない。
お酒が全く切れている時は、コーラが大好き。コーラの飲みっぷりは、コマーシャルで起用されてもおかしくないくらい、美味しそうに飲む。コーラを飲む際の喉仏の上下運動の振り幅は、動きの激しい株価そのものと言ってもよい。あれだけ動けば、仏冥利に尽きるだろう。
その酒には、おつまみがないとキレる。現役時代は、漬物が定番。漬物が浅いつかり方をしても、機嫌は宜しくない。父は、非常識なくらいつかりすぎている漬物を好む。ぬか漬けであれば、もう「おつとめ品」としても使えないくらいお勤めを終えたくらいに使っている、舌がビリっとするくらいに使っているとご満悦。全くもって、面倒なライオンそのものだ。
お酒とおつまみの下りが終わると、メインディッシュを食らい始める。この時に流れているテレビ番組は、報道番組、討論番組、たまに演歌、若いころは野球中継が多かった。
子供の頃、私と兄は、「ひょうきん族」が好きだったが、父は、「くだらない番組」と一蹴。裏番組のドリフを見ては大笑いしていた。特に「8時だよ、全員集合!」の放送が終わって、「志村けん」だけになったドリフを見ては、大爆笑していた。「ひょうきん族」を馬鹿にしていたが、笑いのレベルでは、目くそ鼻くそレベルだ。
父は、行動は、予測可能なもので構成されていたと言ってもいい。人間によてプログラムされた人工知能が、予測通りに動く過程で少しずつ新しい知識を学んでいき、下手すれば大暴走を起こしてしまう危険性もある、そんな人工知能を人で表現したような人だった。
実際に、父の一日を観察していると、行動ルートに見えないレールがしかれていて、その上を決まった時間になったら動く、人間バージョンの鳩時計の陽だった。
遅めの起床
新聞を取りに行く
朝飯は絶対、トーストとインスタントコーヒー
巣に戻る
お昼過ぎに巣穴から顔を出し、衛星放送の映画を見る
映画の後、素に戻る
夕方近く、巣穴から顔を出し、散歩に出かける
通常30分くらい、長い時は一時間弱
巣に戻る
夕食時に巣穴から顔を出し、母による餌付け
巣に戻る
皆が寝静まった後、巣穴から顔を出す(夜中近い)
歯を磨く(延々と10分くらいは磨いている)
就寝(12時頃)
このルーティンは、ほぼ絶対に守る。もっと趣味があったり、1週間の中で、ルーティンが変わるものがあってもいいのだが、本当に鳩時計のような生体をしていた。
退屈と言われる生体かもしれないが、健康的なのかもしれない。父は、この執筆を終える前にアルツハイマーから、老衰で亡くなったが、火葬場の骨を集める下りで、骨を骨壺へと入れる作業がある。この担当官が、丁寧に、歯切れよく骨を入れていくのだが、壺に一杯になって蓋が閉まらない状態になった。
運動は散歩くらいしかしていなかった父だが、納骨係曰く、ここまでしっかりと骨が残っているのは、アスリートや病気知らずで薬などもあまり服用していなかった人に多いという。
考えてみると、父は、思い当たる運動は散歩しかなかったが、肥満にもならず、大病もしなかった。アルツハイマーになって、施設に入所した後も、病気をせず、是が非でも飯を食うことだけは、本能的に忘れていなかった。話すことも、見ることもできなかったが、面会の時にコーヒーゼリーを口元に持っていくと、ひな鳥のように「俺が俺が」的に口をパクパクさせていた。最早、本人の意思でと言うよりは、本能による反射のように見えた。
アルツハイマーになる前は、退屈な人生に思えた父の行動も、今思うと、あそこまで規律通りに動けるのも才能と呼べるだろう。普段、シャワーを浴びてなくても、歯医者を含めた医者に会うということになると、途端にシャワーを浴びて、綺麗な格好をして出かけていく。「シャワーを浴びさせたかったら、無理やり翌日に医者のアポを取ればいい」。そんな悪魔の囁きめいたものが、母の脳裏に浮かんだのを言うまでもない。
父への手紙
親父の行動は、競馬場への暴走を除き、生きた人工知能のようなルーティングと機械学習を見せられていたようなものでした。恐らく、近い将来、世の中は、自分のように規律通りに動く人工知能とマシーンラーニングを必要とすることを教えてくれていたことが、天寿を全うした今、漸く理解できました。
この行動が、人間の仕事を楽にさせて、より一層クリエイティブな仕事へと集中できる環境を整えてくれるだろう、またそれにより、奪われる仕事もあるから、そのコンフォートゾーンからいち早く抜け出せというメッセージをおくりたかったのだろうと思います。それを口で伝える前に、話せない状態になった自分を、一層歯がゆく感じたのだろうと察します。
昨今では、人工知能がもてはやされ、出尽くした感も否めないものの、人工知能の暴走によるリスクは、未だ机上の理論にとどまっています。親父が競馬による暴走を、ある意味、再現VTRしてくれたことで、我が家は、将来的にリスク回避をできるものと信じています。
暴走後、完全に財布の紐を奪われた姿は、羽をもぎ取られた渡り鳥のようにも映りましたが、そこは臨機応変、飛べないダチョウのように足を使うことに集中した散歩が、結果的に、納骨係が壺の蓋を閉められなくなるほど、多くの頑丈な骨を最後に残せたので、もう悔いはないでしょうね。納骨係の方が、骨を押し込むために、骨を割るというか、折るような作業が印象に残っています。それをしてでも、最後蓋を閉める際に、骨が壺から顔を出していて閉められず。納骨係の方が、上から半ば体重をかけて「ガシャン」と閉めた映像が鮮明に脳裏に焼き付いています。
まるで親父が「いやっ、ちょっ、待っ」てとばかり、壺の中から手で蓋を押し返すようにして、閉めようとする上からの圧力に抗っているようにも見えました。
でも、満足のいった顔をして最期を迎えられたのは、家族ともども安心しました。安らかにお眠り下さい。我々も、そのうちそちらへ参る日が来るでしょう。その時は、この手紙を持っていきます。
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