絶対飯は食う

 父は、どんな環境でも、どんなに文句を言っても、飯だけは食う、絶対死なないルーティンを持つタイプ。医者の知り合いに、自分の子供が発症する病気について聞いた時、「食べている?」「ぐったりしている?」という二つをよく確認されるが、嘔吐したり、熱があったり、咳がひどかったり、色々な症状が出ていたとしても、しっかり「食べて」いて「ぐったりとしていない」なら、そこまで心配はしなくても大丈夫とよく言われる。父は、この2つを常に持ち合わせている。

 アルツハイマーを発症し、歩けなくなり、目も見えなくなり、話せなくなり、寝たきりになった今でも、介護士の方からは「よく食べている」というお言葉を頂いている。

 現役時代は、大衆向けのレストランを毛嫌いしていた。外食をする際、手頃な価格の大衆レストランの文句ばかり言っていた。現役時代は、接待もありいいものが食べられるのもあり、贅沢病があったのだと思うが、そんな時代でも、いざ大衆食堂に行くと、綺麗に食べている。

 私が留学時代、「アメリカの飯は大味で不味いからな」と愚痴ばっかり言っていたが、私の卒業後の旅行で、オーソドックスなアメリカンフードを食べても、綺麗に残さず食べつくし、決して文句は言わない。

 定年を迎えると贅沢はできなくなってくる。定年後、家族が集まって外食する際も、地元の大衆レストランに行って食べることがあるが、あれだけ毛嫌いしていた父も、逆に「美味い」と言って平らげている。

 母が、私の次女が生まれる前後に手伝いをお願いし家を数ヶ月空けている時、父は留守番をしているわけだが、夕ご飯が毎日コンビニ弁当でも黙って平らげている。

 また、父は基本的に食事やテレビを見る時以外、家族と同じ空間にいることは少なかった。昔はテレビが居間にしかない環境だったため、子供である私たちの方が部屋にこもっているようなイメージがあったが、父の部屋にテレビを置くようになると、父の方が部屋に籠るような生活になっていた気がする。それでも、決まった時間になると、「食べる時間」だと脳が判断し、巣穴から出てきて餌を探し始める。餌を食べると、また巣穴に戻る。まさに本能で生きていた晩年だった。

 父は、私の観察眼から行くと、海外生活でもうまくいくタイプである。留学や移住生活を通して思う、「海外生活に向いている素地」の最たるものは、「現地の食事に適用能力があるかどうか」である。

 駐在待遇で行けば、先進国に赴任になれば、ほぼ日本食スーパーが存在し、毎日のように日本食を作ることが出来るかもしれないが、そうでない限りは、現地の食材で現地の料理に馴染むしかない。勿論、現地の食材で日本食を作ることは日常茶飯事だが、野菜類は日本のように、ほぼすべてのスーパーが一級品を販売している日本とはことなり、一級品以外が普通に並んでいるのが私が見てきたアメリカのスーパーマーケットである。韓国スーパーマーケットに関しては、傷だらけのものが多いが、その代わりに、非常にお手頃価格で販売されている。強いて富裕層向けの話をするとすれば、オーガニックスーパーマーケットが普及していて、富裕層が住む地域にはウェグマンズやホールフーズが立地している。

 韓国スーパーの野菜に、傷だらけのものが多くおいてある理由を聞いてみたことがある。傷がついてしまった野菜は、廃棄されるか、一部の小売店が購入してくれるかという選択になるが、廃棄になると廃棄費用が掛かる。しかし、二束三文でもスーパーが引き取ってくれれば、農家は廃棄費用を払わなくて済むし、仮に無償で引き取ってくれたとしても、廃棄費用が追加されるよりかはダメージは少ないのである。また、スーパー側もダメージ品が売れ残れば廃棄になるわけだが、廃棄をすることになっても、この方法だとほぼ確実にいくらか利益の方が残るとのこと。

 話を元に戻すが、基本的に現地の食材を使って日本の味を出すため、同じ味を出すことは難しい。限りなく近い味を出す努力はできるが、そんな努力をするより現地の食に対して、楽しめるくらいまで慣れることの方が、将来的な喜びの幅も広がるし、ストレスも大幅に軽減できるのが実情だ。

 そういう経験則を元にして考えると、父にはグローバルな環境で生き延びる素地が備わっていると言える。だからこそ、英語が話せないという自分の不足分を将来を生き抜く私に託したのだろうと思う。もし、父が英語を話せていたら、私が存在する家族は出来上がっていなかっただろうし、父にも違う今があったに違いない。


父への手紙

 親父の「必ず食べる」という習慣は、食べたり食べなかったりを選択する人間特有の習性に反して、動物が生きるために備えた生き残りの本能をしっかり備えている当然の能力にも思えるものの、人間がルーティンでその習慣をしっかり守れるのは、簡単ではなく尊敬に値します。

 そういうルーティンの中で生きていれば、長生きをするだろうと思えるし、執筆をしたいと夢見ていた親父であれば、第二の人生を執筆者として始められたのではないかと思えて仕方がありません。

 アルツハイマーという制御不能な状態にならなければ、叶えられた夢なのかもしれません。癌も昔と比較すると、早期発見であれば直せるものも出てきたし、医療の発展によりいつの日か、アルツハイマーが克服できる世界になる日が来ることを祈るばかりです。

 高齢化社会の日本においては、アルツハイマーや認知症の親を持つ人たちは数多くいて、財政的な理由で医療機関に預けられない家庭もあるでしょう。特に医療費の高いアメリカでは、覚悟のいる選択になります。日本の保険制度の中で生まれたことを、日本人は感謝しなければならないかもしれません。

 親父は、「絶対飯は食う」という生き方で教えたかったのは、「健康でいれば、いかなる生産活動も可能で、それは富を掴むことが出来る基本である」ということを我々に教えておきたかったのでしょう。世の大富豪は皆同じ事を申しております。逆に言うと、名だたる富豪達と同じグロースマインドセットを持ちながら、周りが親父についていけなかったことによる没落を身をもって我々に見せてくれたのだと解釈するようにしています。貴重な教えをありがとうございます。

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