家庭には無関心、会社では敏腕

 家庭では家族に関わってくれない父でも、会社では別人。平から経営者にまで上り詰めた優秀な社員でもある。会社の事を家に持ち込まない人だったため、子供であった自分は、昇進をした話を母としているのは聞いても、それがいいことであるのは理解できても、家庭にとってどれだけの恩恵があるのかまでは分からなかった。

 後に経営者にまで上り詰めたが、なぜそこまで上り詰めたのかは後になって母から聞いた。

 自分が社会人になってから幾つかの会社で働いて感じたこととして、日本の企業人の多くは、年功序列という古い文化の影響を受けた人が多く、リスクに対して危機管理能力が甘い。業績が悪くなっても、なんだかんだで日本の企業は淘汰しない歴史的な事実にあぐらをかいている社員が多い。

 これは、令和に入っても同じ。外資系でいくつも働いたが、外資系でも外国人不在で、日系の企業を買収したことで日本への進出を果たしたような外資系には、日本の企業文化がそのまま残り、業績が悪くても自分に関わることだと認識しきれない社員や上層部もいる。

 そんな中、父は赤字になっている海外事業部を一つ一つ立て直していったそうだ。その功績が認められ、最後には経営者に上り詰めたという。記憶では、取締役に最年少でなった一人だそうだ。

 赤字になるのは経営者の責任だが、その責任の尻ぬぐいは部下がさせられることは往々にしてあり、父は、「ザ・尻拭い」の筆頭だったようだ。また、それだけではなく、海外展開の足掛かりを作ったのも父だったと聞いている。

 これは父から聞いた話だが、その昔、数年、いわゆる「窓際族」のような時期があったという。日々こなす仕事は、新聞を読むこと。読書家の父からすれば転職のような職務ではあるが、会社から認められたいと考える敏腕営業マンだったとしたら、屈辱的な職だったであろう。父は営業を得意とする性格ではなかったので、どれだけ営業をしていたことがあったのかは分からないが、この「新聞読み」の転職が父の将来を上向きにさせていった。

 新聞を読めば、世の中の経済の動きは嫌でも分かる。定年退職するまでパソコンのキーボートの叩き方が分からなかった父でも、世の中に何が必要なのか、どこで自分の会社の技術が必要なのかを分析することはできた。

 今思えば、これだけの分析力があれば、コンピュータを使えばどれ程楽だっただろうという発想が湧いてもおかしくない中で、奇跡的にもその閃きが起こらなかったというのは、まさに神の領域と言ってもいい。後に競馬でのレース分析の話をしようと思うが、父が競馬にはまっていた時に書き溜めた競馬のレース記録は、今の時代であれば「競馬予想アプリ」の開発者になれたほどの緻密な分析だった。そこまでローテクで世の中に風穴を開けようとした風雲児なのだ。

 会社の赤字をV字回復する一方で、毒した企業文化も一つずつ改善したのも父の仕事であった。どの企業でも行う「コスト削減」と「企業文化の改善」だ。正直、企業文化の改善において、どれ程の改革を行ったかは直接父からちょっと耳にしたくらいなので詳細は分からない。

コスト削減にかんしては、経営者になってから社用車での送迎があった文化を捨てて、頑なに満員電車に揺られて電車通勤を貫いた。またシンガポール転勤の際、アジアの国では住み込みの家政婦がついていることが常だったが、自分が転勤になったのを機に、家政婦を雇うことも辞めた。

当時、この文化を変えたことには、反発もあった。社長が電車通勤になることで、次期社長も電車通勤になるではないか、と焦った次期社長を狙う役員連中からはさぞかし疎まれたことだろう。

シンガポール駐在者宅への住み込み家政婦を止めにしたのも、次期駐在者が独身だったらどうすんだよ、という連中からの反発も同時にあったに違いない。父は、そういう反発を受ける天性を持ち合わせていた。会社からは、いい思いができる役職なのに、自分を追い詰める(結果的には後任にも影響する)ことを選ぶなんて変わっていると言われていたという。

しかし、アメリカから帰国して日本で就労するようになって改めて思うが、いわゆる経営陣が甘い汁を吸うことを、今まで頑張ってきたのだから、ご褒美だと与える会社という組織が、ここまで日本の企業をダメにしたのだと感じられることが多々ある。

 通常、残業はやむを得ない事情により会社で残って仕事をし、その分の賃金は払いますよ、という制度にも関わらず、安月給だから残業代がなければ食っていくのも苦しくなる、それなら残業を作ればいいじゃないかという文化を作り上げてしまったのが日本の伝統的な企業文化だ。

 その煽りを受けたのが、今の若い世代。安月給だけが引き継がれ、残業代は払わないよという文化に発展してしまった。その残業代が嵩めば、経費がかさむため払わないのだろうが、そもそもコストの管理がずさんなのが国内企業だと改めて感じた。

 こういうどんぶり勘定な企業体質を改善する意味でも、父が行った小さい改革は決して悪くはない。アメリカだって、社長は自分で車運転してきますよ。大企業は知らないが、少なくとも中小企業レベルは、自分で運転してきます。その分、社長には多くの給与を支払い、きっと株での報酬もあるので、いい車を買えるような環境を用意して、社長とそれ以外の社員の価値の違いを表していると思う。

 とは言っても、電車通勤では、価値に色を付けることができないのが残念ではあるが、父の小さな改革の一歩は、今後の企業の発展の大きな一歩となったことには間違いない。


父への手紙

 親父が会社で反対勢力がありながらも、経費削減の一環として、経営者である自分の経費を率先して減らし、従業員目線での通勤努力を最後まで続けたことは尊敬に値すると思います。

 こういうことは経営者はなかなかできない。特に雇われ経営者が、率先して自分にかけられている経費を削ることは多くはないと思います。

 企業側からすれば、社長が電車通勤している最中に事件や事故に遭遇し、命の危険に晒されたら、指揮系統に営業を及ぼすという表向きの理由もあると思いますが、多くの経営陣は、「俺の代になったら、電車通勤かよ!」と感じた人の方が多かったと思います。そういう人は企業にとっては毒なので、自分の行った改革を誇りに思って下さい。

 社長職全般からすれば、小さな一歩ですが、企業文化の進化にとっては大きな第一歩だったはずです。月面着陸の時と同じ言葉を残したということを忘れないで下さい。

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