家庭は忘れても空腹と酒は忘れない

 父は、典型的な昭和の男だった。家のことは日本特有のワンオペで、育児に関わっていた記憶は数少ない。家庭を忘れていたわけではないとは思うが、きっと」家に帰った時くらい、ゆっくりさせて欲しい」という思いが強かっただけだろう。何も父に限ったことではない。そういう日本人男性であふれかえっていた時代だ。

 平成や令和に入り、男性も家事や育児に入る割合は、少しずつ増えていったはずだ。兄も私も自分の家族を持ってからは、家事や育児に可能な限り参加してきた。幼稚園のバスに送り迎えをする父親はかなり増えてきたと思うし、子供に関心をもつ男親が増えたことを改めて感じる。寧ろ、今のご時世に全く顔を出さない父親を見ることも多くはなくなった。

当時は、父親が稼いできて母親が家庭のやりくりをするというのが暗黙の了解で決まっていた時代。そんな時代でも、父親の稼ぎだけではままならなければ、母親も働く共稼ぎをする時代だ。共稼ぎをしても尚、母親が育児、家事をやらなければならない時代だった。その母親の働きをワンオペと呼ぶが、海外に行くと逆になる。ワンオペとまではいかないが、父親の方が家庭に関わることが多い。

当時は、週末に友達と遊べればいいが、未就学のうちは、親を離れて子供だけで遊ぶということも少ない。公園で遊びに行くなら親がついて言っていることだろう。今でもそれは変わらない。しかし、その頻度はかなり少なかった。

男の子であれば、サッカーや野球をする時代で、母親が付き合ってくれるという例よりは、父親と一緒に遊ぶというのが普通だった。週末遊ぶ約束を父としても、疲れてテレビを見たい父親はよく「これが終わってから行こう」と言っていたのを覚えている。

しかし、テレビが終わると外は夕暮れ。遊びたくても花火くらいでしか遊べない状況だ。また今日も一日が終わったと落胆する週末には慣れっこだった。

とは言っても、こういう週末の流れは、私の家庭に限ったことではないと推察する。恐らく当時は、父と同じようにスルーされる家庭は多かったと思う。父も忘れていたわけではなかったと思うが、「上手くいけば、このまま今日を乗り切れるにちがいない」と思っていたに違いない。私も今未就学児を抱えて、全く同じ思いで、「もしかしたらこのまま乗り切れるかも…」と乗り切ったことが何度もあるからだ。そんな時、「やはり血は争えない」と思った。

そんな乗り切ろう主義の父も、酒に関しては乗り切れない。子供と遊ばずに乗り切ろうと思う日は続いても、酒がなくなったまま乗り切ろうという気持ちは起きず、次の酒を買いに行くまでのフットワークは実に軽い。子供がおもちゃを欲しがれば、お金がないと乗り切ることはよくあるが、酒がない時にお金がなければ、どうすれば捻出できるかを考える程のグロースマインドセットの持ち主だった。酒にかかれば、どんな予算でも捻出する優秀な上司に代わる。



父への手紙

 幼少期、親父と一緒に時間を過ごすことは少なかったけれど、私に対して無関心なのか、という感情は幼かったから感じることはなかった。ただ、遊んで欲しいという稟議がなかなか通らないことで、このアプローチをしても、このプロジェクトは進まないという感覚は芽生えていました。

 それから私は小学校へ上がるまで、何かしらで遊んでいたんだろうけど、唯一記憶に残っているのは、ミニカーやNゲージで家で遊ぶということを覚え、ミニカーで遊ぶときは、多くの鉛筆で道を作り、そこにミニカーを通して遊ぶ、都市開発について学び、Nゲージの曲線レールを繋げて丸を作り、バスの運転手の真似をすることで、あるものから新たなものを生み出す、商品開発の術を教わったような気がします。 この経験は、今のキャリアでマーケティングに生かされることになりました。

 また、漸くねだって買ってもらったファミコンも、新しいソフトを買って盛らないことで、既存事業が育たず、ファミコンを友人に譲渡する、今でいう不採算事業の譲渡という術を教わりました。

 無関心で終わらせれば簡単なことも、その裏にあった意図を紐解いていくと、親父が言いたかったことは、経営者として如何に人材の流出を防ぎ、組織を守り成長させていくのかという、マネージメントとしての基礎が込められていたんですね。

 幼い子供に分かりやすく教える言葉が思いつかなかったことから、リーダーが行動で示すことで部下を動かすということを体現されていたのだと思います。

 その教えを守りつつ、組織改革の書物を多く読み実践していった結果、実に八社中六社において、会社都合で退職することになりました。親父の教えには続きがありました。「そのまま実践すると痛い目を見ることもある」という意図を当時見抜くことができませんでした。

 この転職人生の中で、組織の中で自分の信念を捨てずに、どう自分を成長させていく必要があるのか、また、自分が経営者となった暁には、組織を組織たらしめている要因が人であるということを学ばせて貰いました。

 知識、技術、経験をいくら持っていたところで、組織は、人と人通しが共感しあわなければ、少しずつ壊れていくということを、さすがに幼少期の私にわかる言葉では教えるのは難しかったのだと思います。荒療治でぶっつけ本番をさせた親父の、「ライオンは我が子を谷底へ落とす」「かわいい子には旅をさせろ」を実践したのだと思います。

 その甲斐あって、また転職活動を迎えました。早く落ち着きたいという気持ちで一杯です。

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