第22話 カエルの勇者

 地下ホールは壮麗で圧倒的な広さを持っていた。高い天井には巨大なシャンデリアが輝き、壁には豪華なタペストリーがかかっている。上のアジト内とは打って変わって王の城を連想させるような造りだ。


 そのホールの中央には大きなテーブルがあり、その周囲にはサラフェイン王国の紋章を持つ近衛兵たちが警戒を怠らずに立っている。


 この数の近衛兵がここにいる、王がいるのは間違いない。


 俺は息を潜め、ホールの片隅からその光景を見つめた。

 兵士たちの動きは緻密で無駄がなく、その訓練された姿に一種の緊張感を覚える。


(かくれんぼ延長戦だ)


 リリカの短剣をさらに強く握りしめ、周囲の警戒を払いながらホールの奥へと進んだ。広大なホールを抜け、ふと脇にそれた目立たない通路が目に入った。


 直感がこの通路に何かあると告げている、俺は素早くその通路へ入り込んだ。


 薄暗い通路は、不気味な雰囲気に包まれていた。壁には苔が生え、湿った空気が漂っている。

 狭い通路は曲がりくねっており、ところどころに灯りがちらちらと揺れている。だが、俺のスキルの野生の視覚ワイルドビジョンで暗闇は問題ではない。


 視界ははっきりとしていて、通路の先に何があるかを見極めることができた。それでも、不気味な雰囲気は消えない。通路の奥から感じる不穏な気配に、俺はさらに警戒を強めた。


(これは……血の匂い? )


 通路の先から鉄が錆びたような匂いが漂ってくる。嫌な予感が胸をよぎり、さらに警戒を強めた。


 視界の中に、さらに奥へと続く道が見えた。その先に何が待っているのかを確かめるため、息を潜めて慎重に進んだ。


 通路を進むと、ガラッと風景が変わった。そこには多数の牢屋が設置されており、無数の鉄格子が並んでいる。それぞれの牢屋には、人の姿は見えないが大小さまざまな血痕だけが残されていて、ここで何があったのか想像するのはたやすかった。


(あの時と同じだ。人間たちを捕らえていた施設での一件……魔王を滅ぼすと心に誓ったあの時と。ただ違うのは、モンスターが人間を捕らえているのではなく、人間が人間を捕らえているという事だけだ)


 俺の心に、炎のような激しい怒りが燃え広がる。


(……外道どもが。もう人間でもモンスターでも関係ない、これは悪。いや、闇そのものだ)


 闇は払わなくてはならないと俺の心が強く叫ぶ。

 この想いは勇者としてではない、この世界に生きるものとしてこいつらを見逃してはいけない。


(リリカ、アリミ、アリコ、アリミア、ダリエルやその家族たち。みんなが幸せになれる世界にこいつらは不要だ)


 俺の中で勇者としての理性が囁く。「怒りに任せてはいけない、正義を持って対処するのだ」と。

だが、もう一つの声が聞こえる。「彼らは許されるべき存在ではない。全てを排除することでしか、真の平和は訪れないのだ」と。


 リリカと一緒にいてる時には小さくしか聞こえてこなかったもう一つの声が、俺の激しい怒りに触発されたのか大きくなる。


 分かっている。俺だって分かっているんだ!


 悲劇の種をまきちらすこいつらを全て排除するのが正しいって事は!

 関係者、支援者、その全てを刈り取ることが幸せな世界に繋がるってことぐらい!


 俺の中で勇者としての声が小さくなる。


「それでも、勇者はそんな事しない。仮にそうして幸せな世界を作ってみんな喜ぶんだろうか?」


 しかし、もう一つの声が一段とボリュームを上げる。


「お前が言っているのはただの理想だ。理想の果てになにがあった? 血みどろ勇者とまで呼ばれるまで闘い抜いたお前になにが残った? なにもない、それは虚無」


 俺の心がもう一つの声、負の感情に支配されそうになる。


 リリカの純粋で優しさにあふれた言葉に、一度は救われた俺の心。

 その心は、激しい怒りと絶望によってズタズタに引き裂かれていく。


「だめだ! 勇者は……勇者はこんな感情に負けたりしない!」


「違う、もうお前は何者でもないんだ。虚無、ひたすらに敵を狩り尽くす機械だ。そうならなくては、お前はまた全てを失う。リリカでさえな」


 リ……リリカ……。


 崩れ去りそうな俺の心は、リリカの名を思い出すことでその崩壊を辛うじて食い止める。その瞬間、リリカの短剣が淡く優しい光に包まれた。


 そう……だ。俺は……今の俺は……何者でもない……。


「カエルさんはカエルさんだよ?」


 リリカの言葉が心に響き渡り、俺の中で何かが変わった。


 俺は……俺は! 俺はリリカが信じてくれたカエルさんだ!


「甘い、甘すぎる。その希望的観測は、いずれお前やリリカを殺すぞ」


(そうはならない、させない。俺はリリカの信じるカエルの勇者だ)


 俺の心に再び覚悟と決意が芽生えた。その瞬間、負の感情が影を潜めていくのを感じた。


(リリカ、ありがとう)


 リリカの短剣を強く握りしめ、俺は一歩一歩確実に通路を進んだ。すると、目の前に重厚な扉が現れた。


 扉を開けると、暗い部屋が広がっていた。薄明かりの中で見えるのは、無数の書類が散乱したテーブルと、その奥に設置された大きな地図だった。


(ここで何が……?)


 俺は慎重に部屋の中に足を踏み入れ、まずはテーブルの上の書類に目を通した。そこにはサラフェイン王国と組織Dの関係を示す重要な文書が並んでいた。

 手早く目を通すうちに、最重要人物対象番号L-37についてと書かれた文に目がついた。


(対象番号L-37……リリカの事だ)


 そこには対象番号L-37は右手をかざすだけで治癒することができる希少種であり、その価値ははかり知れないと記載されている。


 彼女の存在は国を一つや二つ滅ぼす事が可能だとも書かれていた。


(治癒の力で国を滅ぼす……?)


 思わず眉をひそめる。彼女の治癒の力がどれほど強力であろうとも、それが破壊とどう結びつくのか、すぐには理解できなかった。しかし、詳細を読み進めるにつれ、真相が浮かび上がってきた。


(彼女の力を利用して病を治すことで、戦争での死傷者を圧倒的に減らし、戦力を永続的に保つことができる。敵国の戦力を無効化し、支配を拡大するための道具として利用するというわけか……)


 さらに読み進めると、彼女の力を利用することで治癒した兵士たちを前線に送り込み、戦争での死傷者を大幅に減らす計画が記されていた。これにより、敵国の戦力を削ぎ、自国の優位性を保つ戦略が浮き彫りになった。


(治癒の力で病を治し、戦争での負傷者をまた戦場へ送り出す。まるで神のような力だ。しかし、それが政治的な道具として使われるのか……)


 文書にはさらに、リリカを女神として崇める宗教的なプロパガンダを利用し、国内外から支持を集める計画が詳細に記されていた。これにより、国内の支持を一層強化し、他国に対しても絶対的な優位を誇示する狙いがあった。


(この計画が実行されれば、リリカはその純粋な力を利用され、まるで傀儡のように使われることになる。それは絶対に許せない)


 怒りが再び湧き上がってくる。彼女の純粋な力をこんなにも歪んだ形で利用しようとする連中がいることが許せない。さらに読み進めると、捕らえられた人々のリストが目に入った。ダリエルの家族もそのリストに含まれていた。


(彼らもこの計画の一部として捕らえられていたのか……)


 その時、ホールの方から大きな歓声が上がった。


(大物のおでましか? ちょうどいい、一同に集まってくれるのは都合がいい)


 俺は急いでホールがあった場所へと戻った。

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