落ちぶれ巫女とタタリガミ
キリン
「第一話」落ちぶれ巫女の家出
屋敷の弓庭。
ある程度の距離を挟んだ向こう側に、石造りの壁に立て掛けられた的がある。
私はそれの前に立ち、弓柄を左手で握りしめた。
「──いきます」
意を決し、閉じていた眼を開いた。
まずは右足を後ろへ下げる。次に背筋から姿勢を整え、張った弦に指をかけ、矢筈に弦を噛ませてから弓をゆっくりと上げていく。
微かに指先を震えさせながらも、どうにか的を見据えたまま構えることができた。
──いける。
鏃と的のど真ん中を一致させ、矢筈から手を離した。
ひゅん、と、音を立てて風を切った矢は、的ではなく石造りの壁に当たり。
からん、と、物悲しい音を立てて落ちていった。
「……っ」
大丈夫、まだ矢はある。次こそは必ず──。
「もういい、やめろ。矢の無駄だ」
次の矢に手を伸ばそうとして、真横から重い声が聞こえてくる。
見るとそこには、苦虫を噛み潰したような表情の父がいた。
「……五本」
父は的の周囲に散乱した矢を見ながら、そう呟いた。次に私の方を見て、問う。
「お前は、一体何本矢を無駄にすれば的を射る?」
「……ふん! 弓なんか使わなくても、棒で殴ればいいじゃない。こんな物にこだわる理由が私には分からないわ」
そっぽを向き、私はそう言い切った。
父親はいつものように大きなため息をつき、声を少し低くしてから御高説をくっちゃべり始めた。
「妖魔を殺すだけならば私のような侍でも事足りる……だが、祟神は違う」
「……」
「巫女の真の使命は祟神を鎮めることだ。嘆き悲しむ神々に許しを請い、その無念を矢に込めて天へと放ち還す……なのにお前が考えるのは『敵』を倒すことばかり、その考えは神の怒りや憎しみを膨らませ、いつかは我が天道家に祟りをもたらす。──今のお前は、ただ駄々をこねているだけの子供だ」
悔しいけど何も言い返せなかった。だって、全部事実だから。
私が生まれた家である天道家は、数ある名家の中でも最上位である御三家の一角を担っている。
巫女としての素質や実力は勿論、契約するのは名のある神々ばかり。
次女のライカは雷の神、末っ子のフウカは風の神と契約している。
……なのだが。
長女である私だけが弓の才能も、神に捧げる神楽の才能もない。
故に祟神の怒りを鎮めることなどできず、そんな私と契約してくれる神がいるわけもなく。
要するに、私はこの家唯一の落ちこぼれなのだ。
「いいかヒナタ、別に私はお前に巫女であることを求めているわけではないんだ。お前でなくとも、もう十分ライカやフウカが……」
「うるさいっ!」
伸ばしてきた父の手を引っ叩き、私は後ろに下がる。
「私だって頑張ってるの! でも……全然上手く行かないの!」
「ヒナタ……」
「弓だって下手くそだし、神楽だって上手に舞えないし! ああそうよ、私なんてあんたら才覚に溢れる素敵な人間にとっては、邪魔だしお目汚しにしかならないわよね!」
持っていた弓を地面に叩きつけ、続けざまに背負っていた矢筒も投げ捨てる。
地面に散乱した矢の一本一本が、それぞれカランカランと安い音を立てていた。
「……そうだな」
「──っ」
「お前に巫女は無理だ。私も腹を括るとしよう、天道を継ぐのはお前ではなくライカだ」
「は、はぁっ!? なんで!? だって、私はこの家の……」
「この家の、なんだ? 本妻の娘だからか? この家の長女だからか?」
感情を表に出さない父だったが、抑えきれない片鱗がそこには漂っていた。
「誰も巫女としてのお前を求めてはいない。……話は終わりだ、お前は花嫁修業でもしていればいい」
背を向けたまま上下する肩の動きが生々しくて、恐ろしくて……気づけば私は、震えながら拳を握りしめていた。
「……クソ親父」
向けられた背中に背を向け、私は走り出す。
弓庭を駆け抜けた門の手前には、神楽の練習をしているフウカがいた。
「あれ、姉様……きゃあっ!?」
「どいて!」
勢い余ってフウカを突き飛ばし、そのまま門から外に出て……一瞬、どこに行けばいいのか分からなかった。
それでも私は走ることしかできなくて、ひたすらに走った。
「っ、姉様!」
「止めるな、フウカ!」
低く、それでいて力の籠もった声。
「はぁ、はぁ……ああ、あああ!」
胸の中で、チリチリと熱いモノが燻っている。
何もできない不甲斐なさと、とうとう見放されたことへの受け入れがたい無力感を薪にして。
それを埋め尽くすように、父親や、自分よりも才能に恵まれた妹たちへの恨み言で頭を埋め尽くした。
(くっそ、悔しい……悔しい……!)
落ちこぼれ。
何度、そう言われたことだろう。
きっとこれからも言われ続ける。私がこのままでいる限り、何もできない今のままでいる限り。
ふざけんな。
そんなの、受け入れられるわけがないだろ。
「見てなさいよクソ親父! それからちょっと才能あるだけのクソ妹!」
涙を拭い、想いを叫びながら走る。
「私だって、あんたらが腰抜かすぐらい超強い巫女になって……絶対見返してやるんだから!」
怒りを決意に、無力感を踏み台に。
私は、私のことを笑った奴らへの逆襲を誓った。
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