「第二話」落ちぶれ巫女と天才の妹

 パサついた目元に痛みを感じた頃、私はようやく走るのをやめた。


「ぜぇ、ぜぇ……」


 荒い息を吐きながら、近くの木に手をつく。

 周囲を見渡すと、自分が山道の一歩手前に立っていることが分かった。

 そこには『ヒノカゲ山』と書かれた古い看板が刺さっている。

 しかしあまり人の出入りが無いのか、道には雑草が生い茂っていた。


 残った涙を拭い取り、ふぅ、と。

 肺の奥に溜まった嫌な気持ちを、空気と一緒に吐き出してしまう。

 もう泣くのはやめよう、そう自分に言い聞かせるように。


 ──腹の虫。

 思ったよりも大きな音が、鳩尾辺りで鳴り響く。


「っぅ!?」


 無駄だと分かっていてもなお、反射的に腹を抑えてしまう。 

パニックになりながら周囲を見渡すが、幸いなことに誰もいなかった。


 ……とはいえ、恥ずかしいことには変わりない。

 耳まで真っ赤になっているであろう自分の顔に、私は手で風を送った。


(そういえば、朝餉も食べないまま出てきちゃったからなぁ。ううっ、お腹空いた……)


 少し戻れば街があるとは思うが、勢いで飛び出してきてしまったため手持ちが一銭も無い。 

 冷静に考えてみれば寝泊まりする家も無いし、なんなら明日の着替えもありゃしない。

 

 考えれば考えるほど、不安になってきた。

 だが、それでも。


(絶対帰ってやるもんか)


 あの家には積み上げてきた努力ではなく、成果しか見ない人間しかいない。

 そんな家に帰るぐらいなら、私はそこら辺で野垂れ死ぬことを選んでやる。 

 

 たった今、そう誓った。


(……そういえば、今日はライカのやつが任務に出てるんだっけ。確か山に出た妖魔を倒すとかなんとか……ああ、ちょうどこの山のことじゃない)


 流石は才能に溢れた天才様だ、と。 

 いつものように頭の中で色々言ってやろうかと思ったが、ふと私は閃いた。

 

妹の依頼を横から掠め取ってしまおう、と。


 何でも今回の依頼は大変危険だそうで、普段は一人で全部やろうとするライカが、なんと大人しく他の巫女も同行することを受け入れたのだ。 

 これは相当な案件に違いない。


(そして、それを私があいつらよりも先に解決すれば〜?)

「……うひひっ」


 自分の頭の良さに、思わず気持ちの悪い笑みが溢れ出る。 

 そうだ、神と契約してないからって妖魔が倒せないとは限らない。 

 今までクソ親父はそういう理由で私を任務には出してくれなかったが、今回はそうはいかない……そう、私は今日、自分の力だけで妖魔を倒す。 


そして見返すのだ。

私を馬鹿にしてきたクソ親父を!

才能に溺れた妹共を! 


 全ては、失った姉としての威厳を取り戻すために!


「そうと決まれば善は急げ! ライカが仕留める前に妖魔を見つけて、私がガツンとぶっ倒してやるのよ!」


 自分の頬をペチペチと叩き、自らに喝を入れる。 

 脇を締め、丸まっていた背中を正し、そのまま草木の生い茂る山道に向き合う。

 人の気配もない、ただただ巨大で無数の命の巣窟に、私は意気揚々と足を踏み入れた。


 森の中は至って普通だった。 

 草が生い茂り、陽光を遮るほどの巨木が林立し、そこに住まう虫の鳴き声がよく響いている。 


 故に、そこに漂う妖気は異質であり、異物であった。


(意外と近くにいるのかしら? 幸先いいわね……ふふっ、どんなやつが相手かしら?)


 こんな事もあろうかと、常に懐に小刀を忍ばせておいてよかったとつくづく思う。 

 私は小刀の鞘を抜き、柄を握りしめ……そのまま自分の身に宿る力を流し込む。 


 霊力。

 巫女にしか扱うことができない人外の力であり、妖魔に対抗できる唯一の手段。


「どっからでも出てきなさい! 出てきた瞬間、霊力をあんたの中に直接流し込んでやるわ!」


 微かな武者震いを自覚しながら、私は漂う妖気を追う。 

 それにしてもおかしいな、もうすぐ肉眼でも捉えられそうなのだが。 


 そして、私は見つけた。──いいや違う。

 私は、見つかってしまったのだ。


「……っ!?」


 木々の壁を突き破り、真横から飛び掛かってくる異形。 

 剥き出しの骨の四足獣、その見てくれは生物としての常識を逸脱していた。 


 妖魔。

 どこからともなく現れ、人間を喰らう悪しき存在。


『──!』


 唸りながら振るわれる大ぶりの一撃。 

 私はそれを後方に跳び、ギリギリのところで躱した。

 獲物を仕留め損なった妖魔は、涎をダラダラと垂らしながらこちらを睨んでいた。


「で、出たわね化け物! 不意打ちが決まらなかったこと、この私が後悔させてやるわ!」


 先手必勝。

 隙を伺っている妖魔に真正面から飛びかかり、私は霊力を込めた小刀を振るう。

 剥き出しの頭骨に刃を突き刺し、私は勝利を確信した。 


すかさず、ありったけの霊力を流し込む。


「うぉぁああああああああ!!!」


 出し惜しみなどしない、初めから全力。

 体中の霊力を全て腕へ、手へ、そして切っ先へと流し込む……妖魔は苦しみ暴れ、私という脅威を振り解こうと藻掻いてくる。

 しかし私も離さず、ありったけを流し込んでやった。


『──!! ──……』

「……っぁ」


 急に抵抗をやめ、そして倒れ込む妖魔。

 私も同時に振り払われ地面を転がる……駄目だ、もうちっとも力が残っていない。

 恐る恐る地面から起き上がり、私は自分が刺した妖魔の方を見た。


「……動かない」


 握っていた小刀の切っ先で、地面に伏している妖魔を突っつく。


 動かない。


 痙攣も、反応も反撃もない……間違いなく、死んでいる。


「……やった」


 私が、やったんだ!


「やったぁ! やった……やったぁ!」


 疲れすらも忘れ、私はその場ではしゃぎ回る。 

 神の力も才能もない……そんな私が、小刀一本で自分よりも大きな妖魔を仕留めたのだ。

 しかも、天才と持て囃された妹が倒すはずだった強敵を!


「見たかクソ親父! あんたが心底疎んでた娘が、たった今自分の力だけで妖魔を倒したわよ!」


 脳裏に浮かぶ、クソ親父の吠え面。

 妹共も私にひれ伏すだろう。 

 「すごいわ姉様。自分の体一つで妖魔を倒してしまうだなんて!」って!


「……はっ! いけないいけない、ちゃんと倒した証拠を持って帰らないと……えっと、こいつ骨だけだから担いで持って帰れるかな?」


 あんまり触りたくないが、まぁあいつらの間抜けヅラを拝むためならば惜しくはない。

 私は冷めやらぬ興奮の余韻に浸りながら、骨だけの戦利品を担いだ。

 軽い、しかし、私にとっては凄く重い意味を持っていた。


 さぁ、帰ろう。

 帰ってこいつを、アイツらに見せつけてやろう。


 ──鼻の奥を突き刺す、痺れるほど濃い妖気。


(──え?)


 そちらを向いた時には、既に遅かった。

 自分の身の丈の数十倍はあるであろう骨だけの怪物が、私に向かってその巨大な手を伸ばしていたのだ。


(餓者、髑髏──っ!?)


 どうにもならない、どうすることもできない。

 霊力は尽きた、こんな小刀では話にならない……そもそもこれは、人間がどうにかできる相手ではない。


 死んだ。


 私はこいつに握り潰され、そして食われる。

 突如訪れた不可避の死に、私はただただ瞼を閉じて蹲るしか無かった。


「──『雷霆』」


 呟くような声が耳に入る。 

 その瞬間、閉じかけていた瞼をこじ開けるかのような眩い白光と、鼓膜を殴り飛ばすような轟音が響き渡る。

 大地が揺れ、火花が散り……焦げ臭い匂いが鼻の奥を刺した。


「……っ!?」


 目を開けると、そこには黒焦げになり地に伏している餓者髑髏がいた。

 充満していた妖気、圧迫感は全て焼き払われている。


「間一髪、ってとこか」


 バチバチと周囲が帯電する中、背後から声が聞こえてくる。

 振り向くとそこには見覚えのある赤髪の少女。その隣には、神々しい異形が佇んでいた。


「間に合ってよかったよ、ホント」

「……ライカ」


 やけに馬鹿にした言い方をされ、私は思わず奥歯を噛み締めた。

 だが何も言えなかった、だってこいつがいなければ、今頃私は食われていたのだもの。

 ライカは隣に佇んでいた神々しい人型の異形……『雷神』ナルカミに頭を下げた。ナルカミはそれに頷き、静かに消えていった。


「……つーかさ」


 ライカはナルカミがいた場所から、地面にへたり込む私の方を見てきた。


「『今日のヒノカゲ山には近づくな』……お父様に言われてたと思うんだけどなぁ? なーんで言いつけ守らないでここにいるんだ? ああ?」

「……うっさい」

「おいおい、命の恩人にそりゃねぇだろ」


 まあいいか。ライカは心底興味なさげに、私から目を逸らした。


「お父様にはアタシが言っといてやる。だからもう帰れ、危ないから」

「なっ……!? わっ、私だって妖魔を倒せるのよ!? 何もそんな……足手まといみたいに言わなくてもいいじゃない!」

「さっき餓者髑髏ごときに殺されそうになってた奴から聞ける台詞とは思えねぇな。それともなんだ? そのちっこいのがお前の戦果か?」


 怒りを堪えていられるのが不思議なぐらいだった。

 やっとの思いで仕留めた妖魔を馬鹿にされたこと、目の前で差を見せつけられたこと……それも全て、私自身が納得してしまっていて、それがどうしようもなく悔しかった。


「夜になったら、あんなのはいくらでも湧いてくる。だから、ほら……っておい!? どこ行くんだよ!」

「うるさい! うるさい!!」


 気がついたら、私は走り出していた。

 逃げるように、いいや実際逃げていた。

 自分の不甲斐なさ、どうしようもなさ、何より分かっていたはずの「差」から。


「……あ、ぁぁああん」


 泣いて、泣いて。

 それを拭うことすらもう嫌になって。


(もう、やだぁ……)


 今すぐ消えてしまいたい。

 そう願いながら私は、ただただ走り続けていた。


 もう嫌だ、我慢の限界だ! 


 どうして、どうしてこんなことに。


 私だって認められたかった! 

 妹たちみたいに、立派な巫女になりたかった!


「はぁ、はぁ……あ」


 走っていると、いきなりやけに拓けた場所に出てきた。

 何だここは、なんというか……今までいた山の雰囲気とは、少し違うような。


 気配。

 思わず振り向き、身構える。


 そこには、見上げるほど大きな鳥居があった。


 鳥居だけではない。

その向こう側には社が、社の手前には狛犬の石像が左右に向き合って一体ずつ……しかしところどころが朽ち果てており、繁茂し、手入れがされていない。


間違いない、ここは。


「……廃神社」


 そこには人々から忘れ去られ、寂れ、廃れ、信仰を失った神の社が在った。





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