檸檬

豆腐数

檸檬とレモン

 何週もしたRPGに出て来たレモン入りオムライスの挑戦のため、ケチャップライスにレモン果汁を絞ってかけて三角コーナーに捨てようとしたら、残った皮の向こうに異世界が見えた。千一夜物語の最後の方に載ってる小噺じゃあるまいしそんなバカな。アレはスイカの皮だっけ?


 でも見えちゃったならしょうがないな。私はレモンの皮を台所の床に放り捨て、皮の上に浮かんだ異世界に向かって足を振り降ろす。千一夜物語でもそうしてたはず。


 あっという間に異世界でした。周りの人はターバン巻いて歩いてるし、目の前にはきらびやかなお城。トパーズ、イエローダイヤモンド、イエローサファイア、イエロートルマリン、イエロー……とにかくこの世の黄色い宝石全部使って飾り付けましたみたいなお城。もはやギャグ。


 ダメ元で謁見頼んでみたら通してくれた。旅人は歓迎する方向の国らしい。流石異世界、セキュリティガバガバ。


「ごきげんよう、異国の旅人さん。お父様は今お留守なので、代わりに私がご用件をうかがっているのですわ」


 謁見の間の玉座に座るのは、レモンの果実みたいに輝く髪と瞳をした、小柄なお姫様。成人済私と比較すると小学生くらいの年齢か。頭には宝石で作ったのであろう、レモンの輪切りをかたどった髪飾り、ヒマワリの花びらを縫い合わせたみたいに細やかなドレス。焼けたパンみたいにこんがり小麦肌の健康的なお姫様の名前は、『檸檬の輝き』と言うそうな。そのまんまだけど、名前に負けないキラキラのお姫さまには突っ込む気も起きなくて、ただ、


「綺麗ですね」


 なんてマヌケな感想が出てしまった。しまった無礼だったか? などと思ったけれど、ただでさえキラキラの姫は、そこに太陽が落ちたみたいな笑顔で「ありがとうございます」なんて笑ってる。横の護衛兵士まで笑ってる。良かったー、大らかな異世界で。


 一体どう縫ったのかも分からない絨毯と高そうなテーブルと椅子がある客室に連れていかれて、冷たいシャーベットを出してもらった。当然のように檸檬シャーベット。飲み物までレモンの炭酸ジュース。CCなレモンより癖のある味。レモネードに炭酸を足した感じ?


「お姉さまの名前はなんて言うのですか?」

「実は、私もレモンだったり」


 戸籍上はカタカナのレモン。リンゴ農家の母がレモン農家の父と大恋愛の末に産まれたのが私。私自身にゃそんな浮いた話ないけどね、ケッ。


「まあ! それでは『檸檬の夜空』と言ったところですわね!」


 私のバリバリ日本人の黒髪を見た上での感想らしいが、勘弁してほしい。こちとらボサボサ髪のヨレヨレTシャツにジーパン、女子力ゼロファッションだぞ。床屋(美容院ではない、床屋)だって三ヶ月は行ってない。ニコニコと提案するだけで眩しい、なんだかいい匂いまでするお姫様とは違うのだ。


 って思ったけど、家臣やら召使いやらに全肯定されて生きて来たんだろうなぁ、って感じの黄金の瞳にキラキラ見つめられると反論はしにくかった。


「夜空おねーさまと呼んでもよろしいですか?」

「……どうぞ」


 そう返すのがやっと。私も『檸檬の輝き』は呼びづらいので、輝きちゃんと呼ばせてもらう事に。お茶もそこそこに、オセロのようなゲームで遊ぶ事にする。オセロのような、と言ったのは、石が宝石細工で作った輪切りのライムとレモンのリバーシブルだから。黄色は輝きちゃんに譲る事にする。彼女ほど輝くレモンがふさわしい子もいまい。


「夜空おねーさま、楽しいですわねぇ」


 レモンとライムが盤上でパタパタひっくり返って違う色彩を零すたび、輝きちゃんはきゃらきゃらパタパタ、立派な椅子の上ではしゃぎまわる。何がそんなに楽しいのやら。流石に本物の宝石製だけあって、コロコロ転がすだけでキラキラして、おもちゃの指輪やペンダントで喜んでいた頃の私が蘇る貫禄はあるけれど。社会人経験して、それなりに揉まれてスレた私にゃ、そんな笑顔出来やしない。

 

 ──きっと否定されたり、叱られたりなんて、体験した事ないんだろうなぁ。何着ても似合うし、何で飾っても褒められるし、同じくらいキラッキラの王子様からも引っ張りダコで、ずっと好きだった男の子に、とっときのおめかしして告白して、何か月か付き合って、「悪い、やっぱそんな風に見れねーわw」なんて語尾に草つけてフラれたりなんかしたことないんだろうなあ。


「ねえ、夜空おねーさま、もしよろしければ、この城に留まって、ずっとわたくしのおねーさまとして傍にいてくださらない?」


 石を置きながら、上目遣いのおねだり。きっと家臣や召使いなら、コレで倒れんばかりに悩殺されて、その場で八つ裂きになれといわれたら喜んでなっちゃうやつ。その顔を見てたら、


「生憎、」


 私も石を置く。石はパタパタひっくり返る。緑の領地が増える。


「お姫様なんて柄じゃないし」


 石を置く、置く、置く。一方的に檸檬の輪切りをひっくり返していく。カビみたいにライムの領地が増えていく。


 千一夜物語みたいに、流行りの異世界転生、転移みたいに異世界来てみたけど、やっぱり私には合わないみたい。アイツが食べてみたいって言ってたレモン入りオムライスは、何度挑戦してもケチャップ味に負けてレモン味なんかしないし。


 それに、果物の皮で来れる異世界って、千一夜物語でも嘘っぱち扱いなんだよね。漁師のお嫁さんに横恋慕した愚かな王様が、漁師を陥れる為に出した無理難題。赤ん坊が語る、頭の先から足の先まで嘘っぱちの物語を聞かせろって。シェヘラザードの語る物語、作中作の中の作中作。レモンみたいな厚い皮に、何重にも包まれた架空の世界。裸の王様よりバカな王様が手を叩いて喜んだ、ウソの中のウソのお話。


「貴女みたいに温室育ちの、苦労も失恋も知らないキラキラレモン、あんまり好きじゃないんだよね」


 恋に浮かれた両親が浮かれて名付けた名前も嫌い。私をあざ笑ったアイツも嫌い。そんなアイツを何年も引きずってる自分も嫌い。っていうか檸檬の酸っぱい味も嫌い。盤上をキラキラの緑カビでびっしり埋め終わって顔を上げたら、お姫様のキラキラの目が呆然と見開かれていた。


「──どうして、そんな事言うんですの?」


 宝石細工の檸檬の瞳から、ポタリ、ポタリと涙が落ち始める。


「どうしてだろうね」


 なんで異世界なんか来たんだろう。レモンの皮なんて、そのまま捨ててしまえば良かった。レモンと、レモンのパチモノみたいなライムのオセロを腕で振り払う。オモチャが大きな音を立てて机から落ちる。あーあ、傷くらいついちゃったかも。目の前のお姫様の心みたいに。


「千一夜物語の登場人物って、感情表現が豊かで大げさで、失恋したくらいで死にそうになったり、本当に死んじゃったりするんだけど、輝きちゃんはどうなんだろうね?」


 輝きちゃんに話しかけた時にはもう、異世界はどこにもなかった。作りかけのケチャップライス、踏みつぶしたレモンの皮、小汚い台所。いつもの私の現実。


 私はしょっぱい足に踏まれた酸っぱい皮を拾い上げて──、三角コーナーに捨てた。


 あれから、レモン味のオムライスには挑戦していない。必然、レモン皮の向こうの世界を観測する事もない。そもそもアレはなんだったのか、嘘っぱち世界の中の嘘っぱち世界、普通にただの幻覚かも。


 なんて思いながらおじいちゃんから譲り受けた、先祖代々父のレモン畑でしぶしぶ収穫作業を手伝っていたら、そのうちの果実の一つが光り輝きだして、ドサッと大きな音がした。


 旅衣装、土まみれになってなお髪の毛お目目キラキラの輝きちゃんが、尻もちついてそこにいた。


「やっとお会い出来ましたわ、夜空おねーさま」


 輝きちゃんが語るところによると、あの後輝きちゃんが三日三晩流した涙から檸檬の木の芽が出てジャックと豆の木みたいに天井を突き破り、それが遥か彼方、天空まで続いているように見えたものだから、お父様のこれまた三日三晩に渡る制止も聞かず、食料と水を積んで十月十日登っていったら、こっちにたどり着いたそうな。


 んなバカな。って思ったけど千一夜物語も大概バカな展開まみれだった。失恋で死ぬ女もいれば、軍隊ひとつ、一人で潰す女傑もいた。女と駆け落ちする女もいた。


「今度こそ、逃がさないんですからぁ~」


 輝きちゃんがじりじり距離を詰める後ろで、ロマンティストの父は「なんだ、異世界から来たお姫様か?」と輝きちゃんのただならぬオーラにテンション上がってるし。檸檬味のオムライスも、それを食べたがったあいつも、私の中で小さくなっているのを感じた。


 やるじゃん、異世界。

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檸檬 豆腐数 @karaagetori

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