Case.大女優から依頼とは――
テーブルに向かい合って座っている俺と一ノ瀬さん。ニコニコとわかりやすーい笑みを浮かべている一ノ瀬さんに対して、俺は一体、どんな依頼を受けるのやらとヤキモキする。
「それで俺に依頼ってのは? 大女優からの依頼となれば、それはさぞ無理難題を吹っかけてくるのだろうな」
「ちょっと、何? 私が皇くんを困らせる依頼を吹っかけてくると思っているの?」
うん。思っている。何しろ、俺が一ノ瀬さんから無理難題じゃない物乞いを受けた記憶がないからだ。
「困るわ。こんな私のお願いを聞けない男なんて初めて見た気分。私のお願いを平然と切り捨てる人間がいるなんて酷いと思うわ」
表情は穏やか。でも、声音は剣のように鋭く、何人たりとも喉元に突き立てられた刃から逃れることはできない。何より、周りの視線が痛い。
大女優、一ノ瀬明澄のお願いを平気で聞き流そうとする野郎に男女問わず、俺へ視線が注がれている。
痛いし。めちゃくちゃ圧迫感があるのですが……直接向き合っていないのにこの圧迫感は嫌な気分だ。この状況だと俺と一ノ瀬さんのどちらかが白旗をあげないかぎり収拾がつかない気がしてならない。
一ノ瀬さんは絶対に白旗を挙げないと思うので必然と白旗をあげるのは……
「わかったわかった。俺が悪かった。もうそんな言い回しをしないでくれ」
俺であった。俺が白旗をあげないと話が進まない気がした。
フフッと笑っている。まるでこうなるのをわかっている笑みだ。
怖い怖い。
俺は一度、咳払いして一ノ瀬さんに話の続きを促す。
「――で、依頼ってのは探偵の俺に依頼するぐらいだ。さぞ、無理難題なんだろ?」
「実は――」
一ノ瀬さんは俺に頼んでもらいたい依頼を告げようとしたけど、何やら周りを気にしている素振りをしているので場所を変える必要があると俺は思った。
「わかった。場所を変えよう。幸い、今日は水曜日で午後から講義がない。話を聞く時間はいくらでもある。一ノ瀬さんの予定は?」
「私も仕事がないから問題ないけど……」
彼女はやけに周りを気にしている。まるで誰かに見られている。付けられているみたいな手振り。
なるほど。一ノ瀬さんが俺に依頼してきたのは調査だな。しかも、悪質かつ陰湿な調査と見た。
「はいはい。大凡の内容はわかった」
「え?」
ん? まさか、お願いしたい内容を見抜かれて驚くことか? 俺がどういう男なのか一ノ瀬さんなら知っているはずだろうに――。
やれやれ、困ったお嬢ちゃんだ。
とりあえず、家に帰らせるべきだな。俺に頼むぐらいだ。何かと神経をすり減らしているに違いない。ひとまず、このことを彼女の親に伝えて――
「…………」
このときの俺は一ノ瀬さんが俺に依頼するということは自宅もかなり危険かもしれんな。仕方ない。しばらく、あの人の家に泊まらせるか。
「全く、役者なら気配りを身に付けろ。それじゃあ顔を見ただけで内容が読み取られるぞ」
「…………ごめんなさい」
子猫のようにしょぼくれる一ノ瀬さん。全く、手を振り回されるのもそうだが、俺も俺でバカだな。
俺はスマホをタップして、ある人に電話を入れる。
「あっ、久しぶり、お願いがあるのだけど――」
俺が電話をしたことに一ノ瀬さんは小首をかしげる。全く、そんな可愛らしい仕草をすればするほど周りの心を落ちてしまったことだろう。気をつけてほしいと思うが無理だと思って受け入れるしかなかった。
「ひとまず、知人の家に泊まらせてもらうようにお願いした。そこまで俺が送ってやるよ」
「え? 皇くん。免許持っているの?」
「おい、俺を何だと思っている。まさか、俺が運転できないと思っているわけ?」
「だって、運転しなさそうなじゃん。バカそうだし」
「それを言うならバカじゃなくアホだろ? まあ、でも言っている意味が同じなら仕方ないか」
ったく、と、俺はため息を1つ吐いた。世話を焼く幼馴染を持つ大変だな。
「ほら、エスコートしなさいよ」
言ったきり一ノ瀬さんは椅子に腰かけたままだ。右手を上向きにして前に差し出している。
「何をしている」
「だから、エスコートしてよ」
「…………」
なんだろう。さっきまでオドオドしていたのにこういうときの一ノ瀬さんはわがままに思えてきた。本気でなんだろう。
「はいはい」
「返事は1回」
「はーい」
「返事が長い!」
チッ……あの手この手で俺をおちょくってくる。ここで怒っては彼女の思う壺。だから、ここは大人しく我慢しよう。
「もちろんですよ、お嬢様」
差し伸べた手を掴む。大女優というのもあってスラリとして細やかな指。傷一つもない綺麗な素肌。っていうか、大女優の素肌を触れるなんて芸能界の著名人とマネージャーさんぐらいだろ。一ファンの俺が触れるのが烏滸がましく思えてきた。
「とりあえず、行こうか」
大女優というのもあるが一ノ瀬さんも1人の女の子。緊張と不安、ストレスで気を張り詰めすぎているのだろう。
それを拭ってやるのも幼馴染の努めかもな。
俺は心の中で呟いた。
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